遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『放射能汚染の現実を超えて』 小出裕章  河出書房新社

2012-10-04 00:27:23 | レビュー
 読後感として、主張の軸がぶれない信念の人、そういう印象を一層強くした。
 本書は昨年5月、福島第1原子力発電所爆発事故の後に出版された復刊本である。この1年余にいくつかの出版物、講演記録、論文、「たね蒔きジャーナル」等を通じて、著者の発言、見解を見聞してきた。そして、遅ればせながら、いまこの時点で本書を読んだ。それ故に、なおさら冒頭の思いを強く抱いている。

 もともと本書は1992年1月に刊行された本である。1986年4月26日、ソ連のチェルノブイリ原子力発電所で起こった爆発事故、世界を震撼させたあの事故の数年後からの著者の講演や論文がまとめられたものだ。
 たとえば、「Ⅰ チェルノブイリの死の灰はどこに行ったのか」は、大分と国東での講演録が元になっている。1986年5月の新聞報道記事、事故直後から著者が分析してきた測定データ、1989年に著者が有機農法米と化学肥料米について放射能汚染度を測定したデータとその解釈などが講演の材料になっている。その他の章は様々な媒体に発表された論文である。しかし、一般読者をも念頭に置かれているためか、どれも比較的読みやすく書かれていると思う。冒頭の印象の理由の一つにもなるので、章立ての紹介を兼ね、初出年次をまとめておこう。
 序 生命の尊厳と反原発運動           1990/5
 Ⅰ チェルノブイリの死の灰はどこに行ったのか  1990/6
 Ⅱ 弱い人たちを踏み台にした「幸せ」      1989/3
 Ⅲ 放射能汚染の現実を超えて          1987/10
 Ⅳ 放射能汚染の中での反原発          1988/3
 Ⅴ 多様な運動の根源における連帯        1988/11
 Ⅵ 有機農法玄米のセシウム汚染が教えるもの   1989/12
 Ⅶ 原子力開発と地球環境問題          1989/9、1990/1

 この本の内容は時代遅れになっていない。それよりも福島原発事故以降本書の内容は、我が国において一層厳しく現実に国内問題として直面する事態になっていると思う。放射能汚染の影響を受ける立場から、世界に放射能汚染の影響を与える加害者の立場に転換してしまったのだ。その意味で、本書の主張論点が一層重要になってしまったと言える。チェルノブイリという語を福島に、ソ連を日本に置き換えて読めば、その通底する部分を一層深刻に受け止め直す必要がある。そこから出発しなければならないのではないか。そこにこそ、この復刊が価値を持つと感じる次第である。

 本書での著者の論点を引用し、感想を添えてみる。著者の主張の軸がぶれていないことが歴然とおわかりいただける。また、この二十有余年の間、著者の提案に対して、原子力ムラや原子力行政がその対応をなおざりにし続けてきた実態がわかる。福島原発事故後、いまだに大きな前進はない。
 著者の主張の論拠は、じっくり本書をお読み願いたい。

*チェルノブイリの事故がなかったことにしたい。しかし、できないのである。時間を戻せない以上、私たちは汚れた環境の中で汚れた食べ物を食べながら生きる以外にすべがない。放射能は人間の手でなくすことができない。煮ても、焼いてもなくならない。 p13
  →この主張は、昨年来でも繰り返し繰り返し著者が発言している。

*チェルノブイリの事故はすでに過去形で起こってしまいました。そして、そうであるかぎり、食糧が汚染することももう避けられません。従って、いま私たちに許されている選択は、汚染した食糧はいったい誰が食べるべきなのかというたった一つしかないのです。 p87
  →福島原発事故が過去形になった!汚染度は一層高まった。その事実から出発しなければならない。日本におけるさらなる第二の「過去形」が続いてはならない!

*私たちが馬鹿なことをしたおかげで子供たちにつけを負わせるというのは、私はやっぱり我慢できない。原子力の場というのは、どんな意味でもそういうことがたくさんあるんです。・・・他の人たちを踏みつけにすることが実は我慢ならないんです。 p66

*原発が生み出したエネルギーを消費するのが現在の世代であり、廃物管理のためのエネルギー投入をしなければならないのは将来の世代だということに、私たちは充分留意する必要がある。  p188
  →負の遺産をこれ以上、未だ見ぬ将来の世代に負わせてはならない!!

*他の人たちを抑圧しないで、犠牲にしないで生きるような社会が作れるとすれば、その時には必然的に原発もなくなるだろうと私は思っています。  p83
  →原発を大都会近郊でなく過疎地に立地させる。そこには、ここの裏返しの論理が潜んでいるのではないか。

*もっとも重要な教訓の一つは、一度放出された死の灰にとって、人間の手によって引かれた国境などは何も意味を持たないということであり、風に運ばれた死の灰はソ連領内だけでなく全地球に沈着し、汚染をもたらした。  p94
  →福島原発事故が生み出した放射性物質は風と海流に乗って日々全地球への拡散が続いているのだ。その事実の報道はほとんどマスメディアに乗らなくなってきた。なぜ? 資本の論理がそうさせている?

*原子力開発によるデメリットは、誰を措いても原子力を推進している国々こそが連帯して負うべきであって、間違っても原子力を選択していない国々に負わせるべきではない。  p107
  →これは、爆発事故による汚染問題だけでなく、高濃度放射性廃棄物の処分地問題にも通じていくことと思う。

*チェルノブイリ事故が起こる以前から、すべての地球表面は、連綿と続いてきた大気圏内核実験によって、すでに汚染を受けていた。そして、その汚染によって、農作物をふくめ地球上のあらゆる生物はそれぞれ多様な汚染を受けてきた。  p145
 玄米のセシウム汚染に寄与しているのは94%までが過去に行なわれた大気圏内の核実験であり、チェルノブイリ事故によって上乗せされた汚染はわずか6%でしかないことが判明したのである。 p154
  →福島原発事故はさらにどれだけ汚染を増やしたのか?

*もともと科学の世界において、一つの主張を行なうに当たっては、その根拠を明示することが最低限の条件であるといえるが、ICRPの勧告では最も重要な放射線の危険度の見積りについて、何等の根拠も示されていない。根拠を示さない理由は、委員の間に「勧告を出す機関としての権威がなくなる」という反対があるためだが、そんな勧告が国際的な権威として通用することの方がよほどどうかしている。   p116

*放射線の被曝には安全量などないのだということ、そして子供たちは放射線に敏感であるということを私たちは再度確認しておく必要がある。   p117

*現在、日本の国が(付記挿入:放射能汚染食糧の)輸入規制という手段を借りて行っていることの本質は、日本人に汚染の真実を知らせないという作業なのである。国が本当にいやがっていることは、公衆が汚染の事実を知ってしまうことであり、彼らの本当の防衛線は汚染データを公表しないという点にこそあるのである。仮に、規制値が厳しくなり、規制に引っかかる食糧が増えたとしても、それでは、ますます日本の食卓は安全だという幻想を公衆に与えてしまうことになる。大切なことは、放射能汚染の真実を公衆に知らせ、一人ひとりが主体的に汚染と向き合う作業だと私は思う。  p121-122
  →放射能汚染の真実を公衆に知らせないということが、今回も同様である。
   今回の事故に伴い、昨年来引き続き著者が主張しているが実現されていない。

*この社会の現実はまさに矛盾だらけなのであって、その矛盾に初めから蓋をしてしまうような運動よりは、矛盾を次々に掘り起こして行く運動の方がはるかに価値があると、私は思うのである。・・・・新しい矛盾が視えるようになるということは、運動自体の成長であり、次の矛盾を克服する力をも同時に獲得しつつあるだろうからである。 p126-127

*炭酸ガス問題を持ち出すまでもなく、地球環境が著しい危機に直面していることは間違いない。しかし何度も繰り返すが、その危機は、厖大な浪費を再生産してきた社会こそがもたらしてきたのだし、いま現在悪化させているのである。その点の認識を欠いた議論はまったくナンセンスである。いま私たちが問われている選択は、「化石燃料か原子力か」ではなく、「化石燃料も原子力も使って浪費社会を維持するか、それとも化石燃料も原子力も使わずに済む社会に踏み出すか」ということである。いわゆる「先進国」の浪費構造を転換させないかぎり、地球環境が生命体にとって耐え難くなることは確実である。
  p190-191

 最後に、序の中にある次の一節を引用しておきたい。
*決定的に大切なことは、「自分のいのちが大事」であると思うときには、「他者のいのちも大事」であることを心に刻んでおくことである。自らが蒔いた種で自らが滅びるのであれば、繰り返すことになるが、単に自業自得のことにすぎない。問題は、自らに責任のある毒を、その毒に責任のない人々に押しつけながら自分の生命を守ったとしても、そのような生命は生きるに値するかどうかということである。 p15
 また、このことが「力の弱いものを踏み台にしてはならないという点こそが、もっとも大切な原則であろうと思う」(p105)という考え方に展開されているように思う。

 ここに、著者が根底に抱く哲学を表明しているように感じる。それが著者の行動を発現し、主張の軸がぶれていない生き様の背景にあるように思う。


ご一読ありがとうございます。
人気ブログランキングへ
↑↑ クリックしていただけると嬉しいです。


最近の小出氏の活動記録その他を検索してみた。その一部をリストにまとめておきたい。

7月14日、京都府舞鶴総合文化会館小ホールにて
「未来に生きる子どもたちへ」と題する講演会
 20120714 小出裕章さんが語るがれき問題
 20120714 小出裕章さん質疑 動いてる原発の方が危険
 20120714 小出裕章さん質疑 原発が動かされるわけ
 20120714 小出裕章さん質疑 自然放射線と人工放射線の違い
 
小出裕章氏講演 in 静岡(インタビューの部)

2012・6・3 宮城県栗原文化会館での講演
知っておきたいホントの放射能のことその1
知っておきたいホントの放射能のことその2
知っておきたいホントの放射能のことその3
知っておきたいホントの放射能のことその4
知っておきたいホントの放射能のことその5
知っておきたいホントの放射能のことその6
知っておきたいホントの放射能のことその7
知っておきたいホントの放射能のことその8
知っておきたいホントの放射能のことその9
知っておきたいホントの放射能のことその10
知っておきたいホントの放射能のことその11
知っておきたいホントの放射能のことその12
知っておきたいホントの放射能のことその13

原発はいらない!「原発で温暖化」 京都大学原子炉実験所 小出裕章氏

2012年9月27日 たね蒔きジャーナルへの最後の出演
「次の総選挙でもし自民党が返り咲くようなことになれば、またまた原子力をどんどんやるんだということに、結局なってしまいます」小出裕章(MBS)
2012年9月26日(水)、MBS(毎日放送)ラジオの「たね蒔きジャーナル」
事故翌日 双葉町で1590マイクロシーベルト計測 事故から1年半後に公表 「国の方から見ると住民の被曝よりむしろパニックを恐れるということで事故に対処した」 小出裕章(MBS)

原子力安全研究グループのサイトから:
「終焉に向かう原子力と温暖化問題」小出裕章 2010.1.19 pdf資料
「戦争と核=原子力」 小出裕章 2009.11.29 pdf資料
「原子力の場から視た地球温暖化」 小出裕章 2009.2.10 pdf資料
「なぜ六ヶ所再処理工場の運転を阻止したいのか」 小出裕章 2008.12.13 pdf資料
「原子力とは一体何なのか?」 小出裕章 2007.2.22 pdf資料
 他にも掲載されています。そのリストページからリンクされています。(上記サイト名をクリックしてください)


チェルノブイリについての情報:
International Chernobyl Portal of the ICRIN project のサイトから

Contamination of the territory of Ukraine by cesium-137 (as of May 10, 2006)

Preface: The Chernobyl Accident
Fig1.
Deposition of 137Cs throughout Europe as a result of the Chernobyl accident (De Cort et al. 1998)
  上記ページで右側の地図をクリックすると、拡大で見られます。

Twenty Years After Chernobyl Accident. Future Outlook pdf資料
National Report of Ukraine

Chernobyl's Legacy:
Health, Environmental and Socio-Economic Inpacts and Recommendations to the
Governments of Belarus, the Russian Federation and Ulraine


 以前に、次の読後印象と過去のリストを掲載しています。お読みいただければ幸です。

『裸のフクシマ 原発30km圏内で暮らす』 たくきよしみつ

読書記録索引 -1  原発事故関連書籍


人気ブログランキングへ
↑↑ クリックしていただけると嬉しいです。