遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『役小角絵巻 神変』 山本兼一  中央公論社

2012-08-13 17:15:44 | レビュー
 役小角(えんのおづぬ)は実在の人物であるが、修験道の高祖で「役行者」(尊称)の名称の方が良く知られている。そして役行者の法力、呪術、その秘められたパワーについて、様々な伝説が語り継がれてきている。本書はその役小角を主人公とした作品である。
 実在した役小角は舒明天皇6年(634)~大宝元年(701)、つまり大和政権の都が飛鳥~藤原京に在った頃の人である。歴史年表を見ると、天武天皇が没し、皇后(持統)が称制(即位せず執政)するのは686年と記す。689年4月に草壁皇子が没したことにより、持統天皇となるのが690年であり、それは草壁の子である軽皇子に皇位を引き継がせたい為だった。天武の遺志を引き継ぎ藤原京を造成して、飛鳥から都を移す。そして、697年、軽皇子に譲位する。天武天皇の時代となる。

 本書は、持統天皇の時代を背景にした役小角の行動、生き方をテーマにしている。つまり役小角が50代半ばの頃の話だ。この作品、どれだけ史実に依拠しているのかはわからない。巻末の引用・参考文献を見る限り、作者のたくましい想像力とその構想により紡ぎだされた絵巻であるように思う。しかし、私は本書前半部分は実在感のあるストーリー展開だと感じている。後半に入ると、役小角が妖術を使う幻想的な展開を含む形になり、「役小角絵巻」の雰囲気が加わってくる。「役行者」が産み出されていく始まりともいえる。

 難波から大和の飛鳥にいたる竹内街道は、この当時のメインルートだった。竹内街道が葛城の峰を越えるあたりで、小角とその一党が神々と飛鳥の天皇への捧げ物である膨大な「贄」を運搬する隊列-贄担ぎがざっと百人、護衛兵五十人あまり-を襲うという場面からこの絵巻が始まる。
 葛城山のふもとの村に住み、飛鳥のために使役されていた人々が葛城山系に逃げ込んみ山の民となった。「葛城の山に行けば、なんとか生きられる。そんな噂が広がり、寄る辺ない者たちが集まってきた」(p19) みなで助け合い、刈りをし、山の幸を分け合う。大和の国の周辺の山々に、山の民が増えていく。その山の民のリーダー的存在が小角だ。
 「この天地は、だれのものか」この問いが小角の思考の中心にどっかりと据えられている。「天地が、自分たちの所有物であると宣言した奴らがいる。飛鳥に住んでいる連中だ。」(p4) 彼らが、戸籍を作り、班田収受を行い、租庸調を定め、税を取り、民を使役し兵役を課す。「自分たちが、この天地のすべてを支配しているから、生きたいならば、飛鳥のために働け、といわんばかりの横暴さである」(p4)ということに、小角は腹を立てている。彼にとって、天地は誰のものでもない。「王などくだらぬ。この天と地のあわいで、だれが偉いもあるものか」(p39)「人が人にひれ伏す必要はない」(p95)という信念を持つ。

 本書は役小角を筆頭とする山の民と大和政権(持統天皇・天武天皇)との対立のプロセスを軸にしながら、小角の信念、思想が深化し、その法力を培っていく姿を描き出していく。大きくは3つの流れが絡まり合いながらストーリーが展開する。
 1つは、小角とその一党が藤原京の造成を阻止しようとする様々な戦い。つまり大和政権の頂点に居る持統天皇との戦いである。小角は天皇の存在を認めていない。従って一貫して持統天皇を幼名の?野で呼び、この幼名で統一されている。『日本書記』巻第三十に「高天原広野姫天皇(=持統天皇:補記)は、幼名を鸕野讃良皇女といい、天智天皇の第二女である」とある。
 それに対し、第2として、大和朝廷の国家形成が着実に進んでいく状況の描写である。小角の思いに反し、?野は天武天皇の遺志を継ぎ、藤原京造営を進める。実質的には藤原不比等を筆頭とする官僚群がその任を担ったのだろう。鸕野(持統)が自らの系統に皇位を継承して行こうとする欲望が描かれ、また国の体制が揺るぎないものに進展していく過程である。統治者、被統治者の関係が強固になっていく。鸕野を和歌の朗詠で慰める役割として、要所要所で柿本人麻呂が登場するのも、ある意味で興味深い。人麻呂についての著者の人物描写をおもしろく感じた。
 第3の流れは、大和朝廷との戦いが継続されていく中で、小角が役行者と後世呼ばれる彼の行の歩みが併行して進展していくことだ。「よく生きる」という小角自らの願望を成就しようとする行動の積み重ねである。それは後にいう修験道の基礎を築いていくプロセスになるのだろう。

 第1の流れで見れば、冒頭の贄の略奪(小角からみれば、民のものを民に返すだけ)。藤原京完成直前の京を攪乱させようとする企て(この時小角親子が捕縛されるが仲間が助け出す)。山の民が捕縛され、坂東への強制移住と使役、そこからの脱出。藤原京を取り囲む山の民の集結へと展開する。
 「われらは、悪事をなすわけではない。むしろ、世のためになることをする。ここに京などできてみろ、?野の奴は、ますます調子にのって人を酷使し、たくさんの税と贄を集める。それをさせぬための戦いだ」(p43)。小角が息子星麻呂に端的にその立場を語る。
 作品としてまずおもしろいのは、この対立、戦いの進展である。立場のちがう2者のそれぞれの視点からみた戦い。小角の果たす役割。こんな役割の小角をいままで想像してみることすらなかった。その点が、私には一つの収穫だった。小角親子が捕縛された後、その獄舎に?野が出向き、小角と?野が直接対話する描写がおもしろい(p67~77)。
 何が正義で、何が悪か? 誰の立場から考えるか。この問題を考える材料にもなる。

 第2の流れでみれば、藤原京造成、完成後の遷都。国家体制づくり(飛鳥淨御原令の発布、6年に一度の戸籍作り、国衙や寺院の造営など)である。鸕野の心、思いの描写を重ねていく。遷都後に?野の思いを著者はこのように記す。官人たちがしわぶきひとつしないで、身じろぎもしないのを眺めたときの思いである。「頭を下げているのは、鸕野に対してではなく、皇(すめらぎ)という権威に対してである-。そんなことは、よく分かっている。それでも、かまわない。皇はじぶんだ。じぶんは、いまこの秋津島に住む人間の頂点にいる。百官たちに命令を下し、民草に慈悲を与える皇として生きている。夫の天武が夢見ていた国家の建設。それがようやく形となってあらわれた。」(p274)
 著者は、藤原京がそう長くはなくて廃されるだろうと小角に予言させている。その理由の一端も語らせている。この箇所(p36~38)を読み、藤原京について書かれた本を読みたくなってきた。いつだったか購入して積ん読本になっている新書があったのを思い出した。本書の波紋として読んでみようと思っている。改めて、持統天皇の存在にも興味が湧いてきた。

 第3の流れは、全体のストーリーの中では、前後して語られている部分もある。読後に振り返ってみると、こんな説明が挿入されている。著者が描く役小角のプロフィールでもある。

*小角は、葛城山のふもとで生まれた。役という姓の者たちが住む村だ。役というのは、・・・飛鳥の連中が小角たちの仲間につけた姓であった。そもそも役という姓は、飛鳥の連中に仕えるために存在していた。  p120
*賀茂一族は、かつて仕えていた蘇我氏が没落してから、・・・役-という姓を押しつけられたが、それは、すなわち、ただひたすら使役されるという意味であった。 p20
*山で一言主に出会い、さんざん叱り飛ばされながら、陰陽五行をはじめ、本草学やら医術やら、あれやこれや指導を受けた。父を知らない小角にとって、一言主は父のような存在である。  p32
*そもそも、妖術などという術があるのかどうか、わしは知らんぞ。・・・・山には、いろんな不思議がある。山にいれば、不思議が見えてくる。祈りながら山を駆けていれば、いつかは不思議をわがものにできる、ということだ。  p35
*しばらく一人で山に籠もり、行を積む。・・・・強くなるための行ではない。神仏と一体になるための行だ。 p91

 小角にとり、山に籠もり山を駆け巡る行為は、体内を浄化させ、己の魂を天に近づけるためのものだった。そして吉野の山で行を積む過程で、小角が蔵王権現と出会う場面を著者は描写していく。その出会いの感得として、小角はこころの有り様を変容させていく。「生きているなら、憎むより愛そう。恨むより憐れもう。殺すより慈しもう」と(p263)。小角の信念は強化される。「人は、この天地のあわいに、なにも所有していない。生きるだけの食物を得て食べ、着るだけの衣を紡ぐ。それ以上、必要なものはなにもない」(p263)「人は人に支配されない。人は人を支配しない。」(p264)
 蔵王権現が見えるようになった後、山を下りる。山の民が藤原京の周りを囲む行動に出る中で、内裏に居る?野に会うために小角は出向いて行く。鸕野と軽皇子に小角が天地の由来を見せる幻想的描写が始まる。著者の想像力が飛翔する。このあたりのシーンを三次元CGで描出していけばおもしろいだろなと思う。

 これら3つの流れが、鸕野の約束という形で一度は集約されるが、持統天皇の譲位、文武天皇の治政下で再び崩れていく。そこから、再び小角の行動が始まる。この辺りの変化がなぜなのかは、本書をお読みいただくとよい。
 この最後のステージに含まれる幻想的シーンの中で、小角が「われは、神変大菩薩。破邪顕正の炎なり」と叫ぶ言葉が記されている。
 一つだけ触れておこう。小角はある目的を抱いて陸奥まで仲間たちと出かける。そして帰路、立ち寄った伊豆大島で、火を噴く山を見て、ここでしばらく行を積みたいと考え、仲間を葛城山に先に帰らせる。「島の中央に、やはり、煙を上げている山がある。いつ火を噴くかわからない。それが、おのれの心胆を練ってくれる」(p425)と考えたのだ。
 「-この天地でじぶんはなにができるのか。
  そのことだけを、じっと考え続けていた。」
著者はこの文で本書を締めくくっている。
 
 1999年に、役行者神変大菩薩1300年遠忌記念の特別展覧会が開催された。その「役行者と修験道の世界」の図録に載っている「葛城の修験とその遺品」(宮城泰年氏)という論文には、「一般的な伝承では役行者は葛城山を間近に見る御所市茅茅原で、一言主神と同族の高鴨神を遠祖とする賀茂家に生まれ」、「賀茂の神に仕える『えだちの公』の家系で勢力があった上に宗教的な超能力を併せ持っていたようである」と記されている。(えだちという漢字は人偏に殳と書く字があてられている。)その続きに、「移民系の高い文化と、支配的豪族となって築いた財力をもった賀茂の役一族が、土蜘蛛以来の土着の神(民族)を支配する構図が、土木工事(架橋)と一言主神話の背景ではなかったろうか」と論じている。
 また、当論文には『続日本紀』文武天皇3年(699)5月24日の条の「役君小角伊豆島に流さる。初め小角葛城山に住し呪術を以て称さる。外従五位下韓国連広足これを師とす。後その能を害み讒するに妖惑を以てす。故に遠処に配せらる。世に相伝へ言、小角能く鬼神を役使し、水を汲み薪を取らしむ。もし命を用いずんば即呪術をもってこれを縛す」という記載を引用している。

 本書を読み、この論考を参考にすると、葛城山付近の賀茂族と大和政権との勢力争いや、勝者側による歴史記載の可能性があるように想像されて興味深い。
 本書には韓国連広足が幾度も山の民や小角の許に入り込み、関わっていく人物として描かれている。また、著者は小角が自ら伊豆大島に行のために留まるという最後の設定をした。その伊豆大島で、広足が大和側の人間として小角の前に現れ、御幣を振るい祓の詞を称える人物としても登場する。また、小角とともに陸奥まで行った仲間の猿麻呂にこう語らせている。「おぬしがこの島に残れば、京の連中は、これ幸いと、島流しにしたと噂を広めるかもしれんぞ」と。こういうあたり、著者も心得たものである。なかなかおもしろい。
 役小角という伝説豊かな人物について、その実在の側面にあらためて興味を抱かせられた。
 

ご一読ありがとうございます。

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 本書に関連する語句を検索してみた。以下はその一覧である。

役小角 :ウィキペディア
葛城山

持統天皇 :ウィキペディア
天武天皇 :ウィキペディア
称制   :ウィキペディア
軽皇子(文武天皇)
高市皇子 :ウィキペディア
藤原不比等 :ウィキペディア

藤原京 :ウィキペディア
藤原京CG再現プロジェクト
藤原京と『周礼』王城プラン  中村太一氏
藤原京を歩く 壮大な都城跡・天の香久山を散策 :「星のまち交野」
大和三山 :「古代史跡を歩く」

吉野山 :ウィキペディア
金峯山寺 :ウィキペディア
大峰山 :ウィキペディア
修験道 :ウィキペディア

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付記
 以前に、次の読後印象を掲載しています。お読みいただければ幸です。

『弾正の鷹』