遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『わたしの良寛』 榊 莫山   毎日新聞社

2012-08-08 10:32:52 | レビュー

 著者の『大和仏心紀行』を読んだとき、自分自身の著書として気に入っている本ができたと書いているのに興味を抱いたことと、良寛という人に以前から関心があったので、本書を読んでみた。良寛について書かれた本を読むのは本書が初めてになる。

 著者は「ジーンとくる良寛」に逢いたくなって旅に出た。本書は「どんなに考えても考えても、わかるはずのない良寛」を著者自身が良寛の足跡の地に赴き、感じるとるための旅である。だから「わたしの良寛」なのだ。

 本書は、五部構成になっている。
  生誕(出雲崎)、修行(玉島圓通寺)、還郷(五合庵)、終焉(和島村島崎)
  相思(貞心尼)
 そして、各章は良寛作詞の漢詩あるいは和歌を基軸にして、その詩歌に良寛の足跡地での見聞を重ねて、著者の想いが綴られる。そして各章に著者が現地で取ったモノクロ写真やカラー写真が配され、また著者自身が良寛や良寛の生きた土地、風物からの想いを詩書画として描いたものが載っている。文、詩書画、図板のコラボレーションがなかなかすばらしい。また、良寛の漢詩に著者の訳詩が付けられている。かなり意訳だと思うが、なかなかこなれた訳詩になっていて、原詩の趣旨がよく伝わってくるように思う。なかなかおもしろい訳し方だなと思うものが結構ある。実に楽しい。
 子供と戯れる良寛さんという単純な今までのイメージから脱却でき、良寛という人物の全体像とその奥行き、広がりを本書から感じ取ることができた。私にとっては、良い良寛入門書になった。

 二十年振りに越後・出雲崎に帰郷した良寛の漢詩から本書は始まる。
 良寛は名主と神官を兼ねる旧家・橘屋(屋号)の跡継ぎとして生まれた。栄蔵、ときに文孝と称していたが、十八歳から良寛と名のり始めたという。そして「字は曲(まがり)。号は大愚(たいぐ)」と付けたようだ。
 「正しく年月日の明瞭なのは、天保2年(1831)正月6日、越後島崎の木村家で死んだ」(p15)ことだけらしい。何故、良寛ほどの有名な禅僧の履歴の詳細がわからないのか。著者は3つの理由を挙げる。
 1)良寛は時の権力と結びつこうとしなかった。 2)生涯寺を持たず、妻子はなく、弟子・後継者を持たなかった。3)良寛は己の履歴を一切残さなかった。残したのは詩歌と手紙だけである。 と、著者は語る。まさに「まったく世俗を超越した和尚」(p15)であり禅者だったのだ。著者が撮り、自画自賛する良寛像のモノクロ図板が18ページに載っている。「目をあけているのか閉じているのか。頬の肉はおちこんで、じつに超俗的である。への字にむすんだ薄くて無口な唇。べらぼうに長い耳」(p19)と著者は表現している。ほんと、実にいい表情だ。この写真を見るだけでも本を開いてみるとよい。

 22歳で故郷を離れ、国仙和尚につれられて備中の円通寺に行き、32,3歳の頃まで曹洞禅の修業。寛政3年(1789)3月18日、師国仙和尚の寂滅。良寛34歳のとき、巡錫の旅に出る。この放浪の旅は失望の旅なったらしい。『僧伽』という詩が残されているという。20年振りに帰郷し、漢方医・原田鵲齋の世話で落ちついた庵が『五合庵』。60近くなり、乙子神社の社務所に移る。70が近づいて、「うちの裏に、はなれがある。うちへきて暮らしてはどうじゃ」という能登屋の主人のさそいを思い出し、和島村島崎の能登屋に移る。能登屋は屋号で、木村家。ここが良寛の終の棲家となる。
 良寛のいた庵の跡には、『良寛禅師庵室跡』と彫った石が「しょんぼりたっている」(p64)と著者は記す。
 能登屋のはなれに住む70歳の良寛のまえに、忽然とあらわれた美しい尼僧が30歳の貞心尼である。貞心尼は古志郡・福島の閻魔堂から20キロ近い距離をものともせずに、良寛のもとに通ったようである。そして、貞心尼は良寛とのやりとりを、たんねんに歌集『はちすの露』に書き残した。
  
 最後の章「相思」は、良寛と貞心尼の関係について、著者は和歌や漢詩を通して、語っている。
 長岡市福島の「貞心尼居住閻魔堂跡」の傍には、貞心尼と良寛の歌を1枚の石に彫った碑があるという。
 君にかく あひ見ることの うれしさも まださめやらぬ 夢かとぞ思ふ 貞心
 ゆめの世に かつまどろみて ゆめをまた 語るも夢も それがまにまに 良寛

 良寛さんはこんな楽しい戯れの歌も詠んでいる。
 酒酒と花にあるじを 任せられ けふも酒酒 あすも酒酒  
   「咲け」と「酒」を引っかけていることはすぐおわかりになるだろう。
 また、子供をさそって、山辺のスミレを見にゆく歌も載っている。
 いざ子供 山邊に行かむ 菫見に 明日さえ散らば いかにとかせむ

 また、漢詩を軸にと言ったとおり、漢詩が各章ごとにいくつか引用されている。変換困難な漢字がところどころに出てくる。そこで著者の訳詩で2つ紹介しよう。原詩がどういう風に作詞されているか、本書を手に取り対比していただくとよい。

 家のまわりに 竹やぶ茂り
 青々のびて 数千本
 笋(たけのこ)ぽこぽこ 道にもはえて
 梢はたかく 天をゆさぶる
 寒さそこのけ 姿凛凜
 霞たつ日は さながら墨絵
 松にも柏にも 負けない姿
 桃や李は 話にならん
 竹はまっすぐ 節はかたくて
 わたしゃそういう 風情にほれる
 竹の見事さ いついつまでも


 乞食しつつ 雨にで逢って
 しばらく祠で ひと休みした
 乞食姿は 感心せぬが
 死ぬまで心は 貴族でござる

最後に、良寛が「禅問答をなげかけている、と思う」と著者が記している言葉を載せておきたい。
 君看ヨ 双眼ノ色
 語ラザルハ 憂ナキニ似タリ
この言葉、最終章「相思」に引用されている言葉である。


ご一読ありがとうございます。


『大和仏心紀行』 も読んでいただけると幸です。


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 本書に出てくるキーワードからの検索一覧をまとめておきたい。

良寛 :ウィキペディア
良寛略年譜 :「燕市分水良寛史料館」

良寛堂 :出雲崎町のサイトから
良寛堂 :「カメラ紀行 名作のふるさと」
良寛様と国仙和尚 :「平成16年5月22日公開講座」
円通寺のHP
 良寛・遺墨1、良寛・遺墨2、良寛・遺墨3 にトップページからアクセス可能。
円通寺 :「備中良寛さんこころの寺巡り」
五合庵  :「良寛さんの心に学ぶ」
乙子神社 :「良寛さんの心に学ぶ」
長岡市・照明寺密蔵院  :「新潟県WEB観光案内所」

良寛と白雪羔(はくせつこう) :「歴史上の人物と和菓子」 とらや
張瑞図 :ウィキペディア
張瑞図 五言絶句(明) :「書道の宝箱」

竹の詩 ← 良寛さま(三) 書のおはなし 萱沼霽田氏
良寛禅師戒語 :「伝承」
良寛歌抄 :「Taiju's Notebook」
良寛様の和歌二百八十首  小山宋太郎氏
良寛様の漢詩  :「良寛様の部屋」
良寛様の全俳句 :「良寛様の部屋」
蓮の露(はちすのつゆ)  :柏崎市立図書館
はちすの露~貞心尼~   :「伝承」

貞心尼 :ウィキペディア
貞心尼 :「ソフィアセンター 柏崎市立図書館」
貞心尼歌碑・史跡 :柏崎市立図書館

良寛ファンタジー  絵と文 本山富尚氏

良寛と貞心尼の愛 -貞心尼筆『蓮の露』訳考-  和田 浩氏
良寛詩にみられる白居易詩受容について  上芝令子氏

賢愚経断簡(大聖武) :e国宝
紫紙金字大方広仏華厳経巻第六十三 :文化遺産オンライン

燕市分水良寛史料館 :燕市のHP


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