遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『邪馬台国をとらえなおす』 大塚初重 講談社現代新書

2012-08-10 23:42:38 | レビュー
 「邪馬台国についていま何がいえるのか。」この問いに対し、考古学の現物発掘、物理的実証の範囲を基に迫ったのが本書である。考古学の専門用語が頻繁に使われながらも、一般読者が読み通せる形になっている。2009年に著者が明治大学リバティアカデミーにおいて1年間「邪馬台国論争の行方」と題して生涯学習講座を実施されたとのことで、この内容が本書に結実したからのようだ。
 決して読みやすいとは言えない。それは考古学用語を使い、厳密な論証を展開されようとされているからである。だが、そこは生涯学習講座のレクチャーが種本なので、素人にもついていけるのだろう。まあ、少し我慢して読み進めると、考古学に関して素人にも、用語への馴染みが出てくる。

 「おわりに」に、著者は自らの立場を明記されている。
 「最近の考古関係の資料を見ていけば、よほど色眼鏡をかけなければ、邪馬台国は北部九州にあったとは言えない。また纒向遺跡が邪馬台国の所在地だとは断定できない。しかし、かなり重要な遺跡であることだけはまちがいない。とにかく継続的に纒向のあの四棟の建物群の周辺を掘りつづけなさいと私は言いたい。」(p233)
 「大和川の経済的・政治的な機能、日本海沿岸地域と近畿圏を結ぶ琵琶湖の利便性、また先進的な手工業技術の受容と拡散などに優位性を発揮した丹後地方の経済性など、王権存立の客観的な歴史的条件を考えれば、畿内地方こそ邪馬台国存在の想定地域であり、大和王権への発展が歴史的に評価できる地域であると思うのである。しかもその流れは、倭国だけのものでもない。朝鮮半島をふくめた東アジア全体の流れとしてとらええば、邪馬台国連合の範囲は北部九州だけで完結する問題ではないのではないかという結論に行き着く。
 考古学的発見は明確な事実を我々に突きつける一方、実年代比定の難しさによって、新たな謎をなげかけてもくるのである。」(本書末尾、p235)

 本書の構成は次のとおりである。各章について要約的に読後印象を付記する。

 はじめに
 西暦2世紀の後半から3世紀の中頃、日本が卑弥呼と呼ばれる女王の時代だったことは事実のようだ。しかし、邪馬台国の所在地は未だ解明されていない。「魏志倭人伝」の文献学的解釈はさまざまで、定説はない。「銅鏡百枚」についても百家争鳴だ。発掘考古学の分野では、AMS(加速器質量分析法)による放射性炭素年代測定法の利用により、卑弥呼の時代が、従来言われてきた弥生後期段階ではなく、古墳出現期ではないかと多くの研究者が考えるようになってきたという。そして、箸墓の築造の時代認識が古墳時代初期となると、俄然当時の状況認識が大きく塗り替わっていく可能性が高くなるようだ。ある意味、邪馬台国論争が再び熱を帯びてくるのではないか。
 本書は、発掘考古学の視点から、いろいろ問題提起をしている。素人をわくわくさせる古代史情報に満ちている。

 第1章 「魏志倭人伝」の謎
 まず、中国の史書に古代の「倭」がどのように記述されているか、その概括をする。文献学的研究として邪馬台国所在地の論争が先行してきた。畿内説と九州説が二大学説として並立し、他にもさまざまな説がある。「魏志倭人伝」からはどうも所在地を特定するには限界がありそうだ。今、考古学的研究の成果が問われてきているという。
 「箸墓の周壕土器が240年から260年にあいだに収まる、とすれば、卑弥呼の死去の年代に合う」(p29)。しかし、著者は「遺物、遺構など、動かしがたい事実を研究の対象とする発掘考古学の観点から見ると、そう簡単に箸墓=卑弥呼の墓とは言えないのではないか」と留保する。
 本書を通読して感じるのは、ここぞと目される古墳が、宮内庁の陵墓指定となっていて発掘調査ができないことだ。エジプトの王家の谷、ピラミッド発掘のように、古墳の発掘調査がオープンになれば、どれほど古代史が明確に分析できることだろうか、と思う。
 日本の歴史認識が大きく展開する可能性があるとしても、素人の目からはこの21世紀の時代、もっとオープンマインドで古代史研究が進むように方向転換してほしい。

 第2章 「魏志倭人伝」を読む
 この章、邪馬台国の第一級資料である「魏志倭人伝」の全文について、原文読み下し文に現代語訳が付けられ、著者による原文自体への補足説明、解釈が併せて記されている。ただし、ここではあくまで原文の意味するところの理解を深めるという趣旨だろう。「魏志倭人伝」の内容を知識教養の一環として理解するには大変有益だ。邪馬台国論争の基盤を押さえておくという意味では必要なパーツだと思う。
 しかし、通読してみて、第3章以下での著者の論点の展開からみると、この全文訳が必要とされているのか。私にはどうもそのようには思えない。生涯学習講座という性質からのサービスであるように感じた。しかし、一書内で全文を見られるメリットは勿論ある。
 第3章 邪馬台国成立前夜 -激動の東アジアと倭国大乱
 ここでは邪馬台国成立前夜における中国本土と朝鮮半島の情勢をとらえた上で、「魏志倭人伝」以外の史書に記載された「倭」の記述を分析している。中国で王莽が建国し一代限りで滅びた「新」で鋳造された新貨幣「貨泉」や「貨布」が日本国内の各所の古墳、遺跡から発掘されているということを本書で初めて知った。「倭国は紀元前の時代にも大陸とかなり密接な外交関係があったことになる」(p75)
 また、昔日本史で項目としてだけ学んだ「漢委奴國王」印(福岡県・志賀島)、また後漢中平年鉄刀(天理市・東大寺山古墳)が秘める謎、疑問が考古学の観点から分析されている。諸説列記されており、いろんな考え方があることがよくわかって、おもしろい。著者は金印について国際交流の実証となるものという点をまず押さえている。一方、四半世紀後半の築造と思われる古墳から二世紀の紀年銘刀の出土した。それも和邇氏の本拠地和爾の里の東北方800mほどの場所からだという。大陸との関係が示唆されるもののその出土は謎を生む。考古学的事実の先は、まだまだ推定、ロマンの世界がひろがっている。
 著者は、倭国大乱や邪馬台国成立時代を考える上での必須問題として、銅剣、銅矛、銅戈、銅鐸などの青銅器について考察する。1920年に和辻哲郎が銅鐸文化圏と、銅剣、銅矛文化圏という東西青銅器文化圏を指摘した。しかし、現在までの発掘事実を総合し、「これを冷静に分析すると、銅鐸分布圏と他の青銅器分布圏を単純に地域区分できないことになってくる」(p98)と問題提起する。また、「銅鐸の消滅の時期が邪馬台国の出現とどう関係するのか。銅矛・銅鐸・銅剣のありかたは日本の祭りの共通性を考えるうえで非常に重要なものとなる」(p98)という。「銅鐸祭祀の消滅が三世紀前半とすれば、・・・・それは邪馬台国との関係のなかで解き明かさなければならない」(p101)と課題を提示している。陵墓発掘調査が解禁されれば、この問題も一気に解決へと向かうのではなかろうか。素人にはそんな気がする。p100に掲載の出雲の銅鐸と兄弟銅鐸の関係図は大変興味深い。 章末で、著者は長野県中野市柳沢遺跡、千葉県君津市大井戸八木遺跡その他からの近年の発見事例を踏まえ、弥生後期終末の青銅器文化の世相を推定する。「邪馬台国の、範囲、性格、構造というものの解釈は今後相当変更を迫られる可能性がある」という。古代史解明がますますおもしろくなりそうだ。

 第4章 鉄と鏡の考古学
 ここでは、考古学的観点から、「邪馬台国畿内説」「邪馬台国九州説」の二大学説の主張を再検討している。そのキーになっているのが鉄器と銅鏡だ。
 本章を読み、鉄器について興味深く思ったのが二点。一つは日本海沿岸地域で緊急の墳墓発掘が多く行われ、大阪湾岸でも発掘が多く、鉄製品の発掘例が多い。だが大和が少ないという。「大和が少ないのは弥生時代墳墓の発掘例が少ないからか、それとも、ほんとうに鉄製品の副葬が少なかったのか」と疑問を提示している点だ。もう一つは、「土地が鉄器を腐らせる土壌であるという研究発表」があるという点だ。鉄の保存環境が鉄器の残存率を左右する。ここに、考古学的アプローチの限界があるかもしれない点だ。腐っても成分が消滅することはないとすると、別の分析方法がないものか。
 「つまり鉄は、九州以外の山陰、近畿や東海、関東などでも、かなり普及していたのではないか」(p112)と著者は想定する。
 鉄器の次に、卑弥呼がもらった百面の鏡を著者はかなり詳細に考察していく。この考察プロセスが大変興味深い。九州説・大和説の分かれ目に鏡の種類の問題がたちはだかているのだという。舶載鏡(輸入品)と仿製鏡(国産)の区分、鏡の形状の種類、とくに三角縁神獣鏡発掘の問題、魏や呉の年号を記した紀年銘鏡の問題、これらが複雑に絡み合っている。「三角縁神獣鏡も楽浪郡で日本向けに作った鏡ではないかという見解も出てきた」という。銅鏡研究もますます複雑になりそうだ。
 鉄器・銅鏡というキーワードからでもこれだけ考察できるということは、二大学説のそれぞれの論拠づけがますます精緻にならないと、説得力に欠けることになってくるのだろう。

 第5章 土器と墓が語る邪馬台国
 今まで博物館で土器の展示品をなんとなく眺めていただけだが、本章で土器型式の分類について、庄内式、布留式という主要軸となる型式があることを知った。p168~169には邪馬台国時代とその前後を網羅した「土器編年表」が掲載されていて、参考になる。
 人が移動すると、生活必需品としての土器も必然的に運搬移動されていく。それが遺跡から発掘されるということだ。逆に、考古学的な手法では、出土土器との関係で、邪馬台国の実態を考究することになる。土器の移動分布が何を語りかけてくるかということなのだろう。一方、その出土土器の年代特定において研究者により意見が分かれてくるようだ。
 土器の型式だけでなく、そこに胎土分析も加わってくるということも本章で知った。さらに、遺跡発掘での出土土器における他地域からの搬入土器(外来系土器)の割合から、人やモノの交流の様が推測できるという説明には、なるほどと思う。この観点からは、「奈良県の纒向遺跡には日本列島内の各地から、人とモノが集まっている痕跡がある。他地域からの土器の流入は日本最大規模だ」という。
 土器の型式や名称が一杯出てくるので、詳細な説明を理解できない部分も多いが、まずはマクロなレベルで、人と土器の移動から考えるという視点を押さえておけば良いのかもしれない。考古学的発掘の成果が集積され、そこから「克明に解き明かしていけば、おのずと邪馬台国の実像が見えてくると思われる」という章末での著者の言は、膨大な個々の研究者の地道な成果の集積が、いずれ大きく結実することを確信しているのだと感じる。

 第6章 箸墓=女王卑弥呼の可能性をさぐる
 著者は本章で纒向遺跡が邪馬台国の遺跡かどうかの蓋然性、卑弥呼の墓としての条件の具備の程度について、検討を進めていく。出土土器の年代判定、確認された建物跡の規模と内容、建物配置の計画性、周辺の古墳の年代との関係、そして、発掘調査されたホケノ山古墳と勝山古墳の事実内容について詳細に分析する。そのうえで、箸墓の築造年代問題を考察して行く。九州説の安本美典氏が提起しているという輪鐙の問題にも触れている。この輪鐙は布留1式土器とともに出土したという。著者は、「布留1式土器がもっと新しい年代に編年されるのであれば箸墓=卑弥呼の墓説は霧散する。これは東アジアの馬文化の伝播の問題を含む大きな謎である」とする。
 箸墓は宮内庁が陵墓として管理しており、立入禁止である。つまり、考古学者にとっては、周辺の調査を機会を捉えて進めてきても、いわば本丸に乗り込めない。歯痒くてしかたがないのではないかと、素人でも思う。
 歴史民俗博物館が箸墓について、240~260年代築造説を提起しているようだが、これが正しいと言えるためには、大きなハードルがいくつもまだ横たわっているのがよくわかる。著者はこの年代について、「直ちに決定とは考え難く、なお慎重に検討すべきではないか」という立ち位置に留めている(p227)

 本書を読み、「魏志倭人伝」の記載からスタートする論理の展開ではなく、遺跡発掘という地道な個々の事例の集積、その累積事実をもとに、考古学的観点ではどのように論理を展開するのか、という雰囲気がよくわかった。
 いずれにしても、陵墓発掘ができない以上、事実の積み上げと一層の推論、考察が花開きそうである。邪馬台国論争がますます面白くなりそうだ。


ご一読ありがとうございます。

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 本書と関連して、気になる用語とその波紋からの検索結果をまとめておきたい。

考古学  :ウィキペディア
発掘調査 :ウィキペディア
型式学 → 型式学的研究法 :ウィキペディア
層位学 → 層位学的研究法 :ウィキペディア
庄内式土器 :豊中市のHP
 庄内式土器の時代 :「邪馬台国の会」
 天皇陵と地形表現 :「邪馬台国と大和朝廷を推理する」
布留式土器
 布留遺跡 :「邪馬台国大研究」
 土器の編年:「マント蛙のブログ」
土器の編年 :「邪馬台国とは何だろうか?」
AMS(Accelerator Mass Spectrometry :加速器質量分析)
放射性炭素年代測定 :ウィキペディア

古墳 :ウィキペディア
  堺市 デジタル古墳百科事典 
  日本の古墳一覧 :ウィキペディア
  古墳の形状 :「古墳 全国の古墳巡り」
陵墓 :宮内庁のHP
  歴代天皇陵一覧 :宮内庁
  天皇陵 :ウィキペディア
  陵墓参考地 :ウィキペディア

邪馬台国論争 → 邪馬台国 :ウィキペディア
 邪馬台国畿内説 :ウィキペディア
 邪馬台国九州説 :ウィキペディア
魏志倭人伝    :ウィキペディア
魏志東夷伝倭人条〔魏志倭人伝〕――原文口語訳対比

箸墓伝説 :「平安時代の陰陽」
 倭迹迹日百襲媛命 :ウィキペディア
卑弥呼 :ウィキペディア
漢委奴國王印 :ウィキペディア 
  金印  :福岡市のHP 「福岡市の文化財」
  金印の謎 :「一大率・難升米の読み方と白日別の意味」
「廣陵王璽」印
  「金印」(「中国に見る日本文化の源流」河上邦彦氏)というコラムに写真が掲載されています。
  「金印真偽・漢委奴国王印の真贋」 こちらのブログ記事(「民族学伝承ひろいあげ辞典」H.G.Nicol氏)にも。
  『漢委奴国王』金印への新たな疑問2
出雲神庭荒神谷遺跡 ← 荒神谷遺跡 :ウィキペディア
  荒神谷博物館のHP
 
視点・論点 「考古学と発掘調査」 俳優 苅谷俊介氏 :「NHK解説委員室」
「三角縁神獣鏡をデジタルアーカイブ化 卑弥呼の鏡 謎解明へ貢献」:「MSYS」

☆邪馬台国研究関連のHPやブログ  検索で出会ったサイト集

邪馬台国の会
邪馬台国大研究
邪馬台国と大和朝廷を推理する うみのさわら氏
一大率・難升米の読み方と白日別の意味  小平一郎氏
邪馬台国総論
邪馬台国と大和朝廷  倉橋日出夫氏「古代文明の世界へようこそ」のサイト
邪馬台国にようこそ


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