遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『朽ちないサクラ』 柚月裕子 徳間書店

2018-06-11 15:27:56 | レビュー
 森口泉は米崎県警の職員として勤めている。帰郷・転職という形で25歳で入庁し4年目となる。県警の広報公聴課県民安全相談係に所属する。広報広聴課の富樫隆幸課長の下に、県民安全相談係と情報公開係が置かれている。14名の職員がいるこの課で泉は一番年下でる。その泉がある事件の実質的な捜査行為に関わって行く。その結果、一連の事件の経緯を自分なりに思い返し、「誰に罪があり、誰が裁かれるべきか」に悩み抜く。そして、県警職員を辞めて、警察官になるという結論に至る。「市民の安全に寄与し犯罪捜査に直接関わる、警察官を目指す」(p313)という選択をする。
 事件捜査の過程において、泉は富樫課長から、県警庁舎の裏でサクラは公安警察の暗号名だと教えられていた。本書のタイトルはそこにからんでいる。「答えが出ないならば、答えを求めて警察組織に入ろう。富樫が言った理不尽さを真っ向から受け止め、自分に何ができるか探し出そう。」(p313)なぜ、泉がそういう選択をしたかが、この殺人事件解決ストーリーの構造の背景に潜むグレーゾーンへの問題提起となっている。
 このストーリーの末尾近くに、次の記述がある。
「親友を奪われ、自分が信じてきた倫理を崩されたいま、なにを信じたらいいかわからない。でも、ひとつだけ、確固たる意志が胸のなかにある。
 --犠牲の上に、治定(じてい)があってはならない。」(p314)
 この警察小説は、殺人事件解決ストーリーの背景構造に潜む問題を提起したいがために書かれたといえるのかもしれない。タイトルの「サクラ」を形容する「朽ちない」という言葉の意味を考えるというテーマが読者に宿題として残されて終わるというところが、興味深い。一方で、それは著者にとっても宿題を残したといえる。森口泉が改めて警察官として登用され、「市民の安全に寄与し犯罪捜査に直接関わる警察官」の立場になったとしたら、「朽ちないサクラ」とどのような関わりの状況に投げ込まれるかという場面設定とストーリーの展開である。そんな展開作品を期待したくなる。

 さて、この小説のストーリーに戻ろう。
 度を超したストーカー行為事件が米崎県平井中央警察署の管轄で起こる。被害届の受理が先送りされるという状況が発生していた。被害届が受理された2日後に女子大生長岡愛梨さんが路上でストーカーに刃物で刺されて死亡するという殺人事件が発生した。度を越したストーカー行為の被害届を両親が警察に持ち込んだのだが、その受理が引き延ばされたうえで、受理された。だがその引き延ばし期間中に所轄署職員が北海道に慰安旅行に行っていたという事実がスクープされて報道されたのだ。このストーリーは、その報道後の市民からの警察への苦情電話応対から始まって行く。スクープ報道したのは、米崎新聞である。
 泉の高校時代の数少ない親友だった津村千佳は、米崎新聞の県警担当記者となっていた。泉が帰郷し県警の広報広聴課職員となったことから、再び交流が始まる。プライベートと仕事を完全に切り離した上での交流である。
 泉が県警に入庁したとき、警察学校の研修で一緒だった磯川俊一は平井中央署生活安全課の刑事になっていた。その磯川からもらったお土産の菓子のことを泉は他愛ない会話の中で話していた。その時、この話を聞かなかったことにして欲しいと泉は千佳に念を押し、千佳は約束していた。スクープ報道の直後、泉は磯川からもらった北海道への慰安旅行の土産のことが、米崎新聞のスクープのきっかけかと千佳を問い詰める。千佳は即座に否定する。そして、千佳は自分が約束を破っていないことを証明するためにスクープの源を調べると泉に約束する。その千佳が殺害されるという事件が発生してしまう。千佳は泉に問い詰められた翌日から新聞社を休んで単独で調査取材行動をしていたことが分かってくる。
 
 警察内部では、長岡愛梨殺害事件に絡み、慰安旅行情報がなぜ警察署内からリークしたのかということも重大な調査事項となる。そこに、米崎新聞の県警担当記者が殺されたという事件が発生したことで、泉自身も参考人としての事情聴取対象にされていく。そして、千佳を信じたい泉は自分自身でも事件の調査に関わって行くことになる。
 泉にお菓子のお土産を渡した塩川は自分の所属する生活安全課が長岡愛梨の両親からの被害届を扱っていた。この被害届を受理する直接の窓口になっていたのが塩川が敬意をいだく先輩刑事の辺見だった。辺見は常に相談者と真摯に向き合って対応する刑事で、易きに流れる人ではなかった。塩川が見ていても、辺見が犯罪捜査規範の第61条に反する態度をとることはそれまでなかったのだ。ところが、この長岡のストーカー被害届に関しては、当初真摯に対応していた辺見の態度が変化して行き、両親の面談すら避けるようになっていたのだ。そして、事件が発生する。
 塩川は新聞のスクープ記事の原因は自分がお土産を泉に渡したことにあるかもしれないと危惧していた。その泉から千佳が殺された事件とその原因と思われる長岡愛梨刺殺事件とについて調べることへの協力を依頼される。そこから、これらの事件を捜査する捜査陣の行動と並行して、泉と塩川が千佳殺害の犯人究明の調査に取り組んでいく。

 このストーリーは、捜査陣の行動状況を主に課長を主に点描しながら、泉と塩川の調査行動のプロセスを主体にして描き出していく。
・広報広聴課職員の泉は富樫課長の指示を受けて、事件報道資料等の配付に関わる仕事を受け持つ立場にある。つまり、泉は仕事柄、事件担当の広義での関係者になっている。
・泉は千佳が殺害された事件に関連して、参考人としての事情聴取を富樫課長からまず受けることになる。泉と富樫との事件情報の交換が結果的に密になっていく。
・泉は事件を担当する梶山捜査一課長から正式の事情聴取を受けることになり、梶山との事件を介した関わりが生じていく。泉への事情聴取は事件担当の捜査員にも知らされずに極秘で行われることになる。梶山はやがて泉の事件捜査に対するセンスを評価し始める。
・泉からの事件調査協力依頼を快諾した塩川は、自分自身が不可思議に思う辺見刑事の行動のこともあり、平井中央署内で密かに情報収集を開始する。そして、所属の生活安全課の実情・実態を理解し始める。泥臭い実態が見え始め、事件に関連した糸口が見え始める。一方で、辺見の変心の謎が深まる。
・米崎新聞が長岡愛梨事件の裏をスクープしたのだが、それは千佳の上司になる報道デスク、兵藤洋が記事にしたものだった。兵藤はどこからネタを仕入れたのか?
・長岡愛梨の刺殺犯人はすでに逮捕されていた。スクープ報道と千佳殺害事件がどういう関わりをもっていたのか?
・梶山捜査一課長と富樫広報広聴課長は同期の間柄で、ある意味ツーカーの関係だった。泉は課の先輩美佐子から、富樫が警備第一課のやり手公安刑事だったということを、入庁間もないころに聞いていた。そして、千佳殺害事件が発生した後、富樫から実質的な事情聴取を受ける場で、「おいおい、公安のタカって言えば、少しは知られた名前だ。極秘調査はお手のもんだ」とおどけた口調で言われたのだ。
 梶山は富樫と役割分担上も、同期ということからも、情報交換を密にして千佳殺害事件の捜査と犯人逮捕に突き進んで行く。
・塩川は泉より3歳年下なのだが、研修で知り合った泉に好意を寄せている。一方、泉は年上でもあり、それまでの人生経験から、慎重な対応を続けている。事件での協力は二人の距離感を少し縮めていく。

 警察組織内部の状況を主体に描き込みつつ、長岡愛梨殺害事件が津村千佳殺害事件に連環していく姿が展開されていく。物的証拠を積み上げて犯人を追及していく刑事事件の背後に、次元の異なる別の意図・思惑での事象が潜んでいた可能性が表れてくる。津村千佳殺害犯人の許から押収された証拠物件の中に。泉がおかしいと気づいた点が現れてきたのだった。その一点が答えの出ない推理へと発展していく。

 なかなか巧妙な構想となっている。どこの組織にでもありそうな泥臭い人間関係を巧みに織り込みながら、真摯な警察官がその真摯さ故に落ち込んでいく局面も描き込まれていく。一方で、さり気なく組織が人事異動で過去の実態を拡散霧消していくよくあるパターンも織り込まれていく。
 近い将来、森口泉刑事が活躍するストーリーが登場するのだろうか。心待ちしたいのだが・・・・・・。

 ご一読ありがとうございます。

徒然に読んできた著者の作品の中で印象記を以下のものについて書いています。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『孤狼の血』  角川書店
『あしたの君へ』 文藝春秋
『パレートの誤算』 祥伝社
『慈雨』 集英社
『ウツボカズラの甘い息』 幻冬舎
『検事の死命』 宝島社
『検事の本懐』 宝島社





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