今まで見えていなかったものが見えた時の喜びって経験ありませんか?
例えば、顕微鏡や天体望遠鏡を初めて覗いた時に目にした鮮やかな世界とか。今まで何の関連性もなかった事象の中に法則性を見つけたとか。部活で対戦相手の癖を見抜いて、それを逆手にとって勝ったとか。
私が学校で教わる教科以外で最初に興味を持ったのが無線でした。小4の夏休みに「子供の科学」という雑誌を読んでいた時にアマチュア無線(Ham)の紹介で世界中の人と無線通信ができる云々といった宣伝文句に釣られて無線の勉強を始めました。通信教育を受講するとともに「ラジオの製作」や「初歩のラジオ」などの雑誌を読み漁り、面白そうな製作記事があれば自分で作って遊んでおりました。当時はトランジスタ製品が普及期にあり、真空管製品の最晩年といった新旧の入り混じった時代でした。ですから使われなくなった真空管製品が大量に捨てられていたこともあり、部品をタダ同然で入手できた時代でした。
苦節3年、中1の10月の国家試験に晴れて合格して、無線従事者免許証を手にしたときは、我ながらよく頑張ったなと感心したものです。試験科目は、無線工学と電波法規の2科目なのですが小学生では教わりもしない平方根や指数の計算なども含まれており、学習し始めた当初はチンプンカンプンの連続でした。ですが「好きこそ物の上手なれ」で一つ一つ克服していったのでした。
免許は手にしたものの開局するには無線機とアンテナが必要です。当時は既に完成品の無線機も多くありましたが、それらは7万円以上もする高価なものでした。中1の私には到底手にすることができない夢の無線機でありました。ひと昔前は無線の免許を取ったならば送受信機やアンテナなども自作して無線局を開局するのが当たり前の時代です。無線機を自作できないような人は技術力がない未熟者と見なされたのでした。
当然のことながら開局して電波を出すには自作の道しか残されておりませんでしたので、合格通知が届いた時からコツコツと造りはじめておりました。時には夜明け近くまで工作に没頭する日もありました。ということで学業が疎かになるのは目に見えてますよね。典型的な趣味馬鹿の道をひた走っておりました。しかし、この回り道は後の開発者人生に役に立ったし、私が座右の銘としている「人がなければ、その人になれ。ものがなければ、そのものを創れ。」の原点になったものであると思っております。
そして無線局の免許状も到着し、自作の無線機で手も声も震わせながら出した第一声、そして相手局からの応答・・・。その時の感動は他の何者にも代えがたいものがあります。我ながら初々しくもあったと思います。
閑話休題、何であんなに熱中できたのだろうと不思議に思うくらい熱中していました。電気という目に見えないものから作られる電波という面白い存在が少年の心を突き刺したのかも知れません。学問的に言えば、電磁波の存在は解明済のものであった訳です。それでも少年の心をくすぐる存在と為り得たのです。
見えないものって何か好奇心をくすぐるものがありませんか?
私はそれを見てみたいという衝動にかられます。何か不思議な現象に対してでもそうですし、政治家の訳の分からない言動などにでもそうです。何か分からないものに対して、それを知りたい。何か規則性があるのでは。果ては本当の理由は別のところにあるのではないかとか色々な妄想をしてしまいます。
人はその好奇心、興味のあるところを報酬のあるなしに関わらず追求する動物なのかも知れません。そしてそれは目の前に偶然現れたものかもしれません。もしその時無線でなく数学の美しい定理に出会っていたならば、もっと別の道を歩んでいたかも知れません。このように偶然が人の道を左右することがあるかも知れませんが、何より好奇心を抱く(抱き続ける)ことが肝心なことであろうと思います。
まだ書き足りないことがありますが今日のところはこれ位にして、後日改めて投稿することにします。
例えば、顕微鏡や天体望遠鏡を初めて覗いた時に目にした鮮やかな世界とか。今まで何の関連性もなかった事象の中に法則性を見つけたとか。部活で対戦相手の癖を見抜いて、それを逆手にとって勝ったとか。
私が学校で教わる教科以外で最初に興味を持ったのが無線でした。小4の夏休みに「子供の科学」という雑誌を読んでいた時にアマチュア無線(Ham)の紹介で世界中の人と無線通信ができる云々といった宣伝文句に釣られて無線の勉強を始めました。通信教育を受講するとともに「ラジオの製作」や「初歩のラジオ」などの雑誌を読み漁り、面白そうな製作記事があれば自分で作って遊んでおりました。当時はトランジスタ製品が普及期にあり、真空管製品の最晩年といった新旧の入り混じった時代でした。ですから使われなくなった真空管製品が大量に捨てられていたこともあり、部品をタダ同然で入手できた時代でした。
苦節3年、中1の10月の国家試験に晴れて合格して、無線従事者免許証を手にしたときは、我ながらよく頑張ったなと感心したものです。試験科目は、無線工学と電波法規の2科目なのですが小学生では教わりもしない平方根や指数の計算なども含まれており、学習し始めた当初はチンプンカンプンの連続でした。ですが「好きこそ物の上手なれ」で一つ一つ克服していったのでした。
免許は手にしたものの開局するには無線機とアンテナが必要です。当時は既に完成品の無線機も多くありましたが、それらは7万円以上もする高価なものでした。中1の私には到底手にすることができない夢の無線機でありました。ひと昔前は無線の免許を取ったならば送受信機やアンテナなども自作して無線局を開局するのが当たり前の時代です。無線機を自作できないような人は技術力がない未熟者と見なされたのでした。
当然のことながら開局して電波を出すには自作の道しか残されておりませんでしたので、合格通知が届いた時からコツコツと造りはじめておりました。時には夜明け近くまで工作に没頭する日もありました。ということで学業が疎かになるのは目に見えてますよね。典型的な趣味馬鹿の道をひた走っておりました。しかし、この回り道は後の開発者人生に役に立ったし、私が座右の銘としている「人がなければ、その人になれ。ものがなければ、そのものを創れ。」の原点になったものであると思っております。
そして無線局の免許状も到着し、自作の無線機で手も声も震わせながら出した第一声、そして相手局からの応答・・・。その時の感動は他の何者にも代えがたいものがあります。我ながら初々しくもあったと思います。
閑話休題、何であんなに熱中できたのだろうと不思議に思うくらい熱中していました。電気という目に見えないものから作られる電波という面白い存在が少年の心を突き刺したのかも知れません。学問的に言えば、電磁波の存在は解明済のものであった訳です。それでも少年の心をくすぐる存在と為り得たのです。
見えないものって何か好奇心をくすぐるものがありませんか?
私はそれを見てみたいという衝動にかられます。何か不思議な現象に対してでもそうですし、政治家の訳の分からない言動などにでもそうです。何か分からないものに対して、それを知りたい。何か規則性があるのでは。果ては本当の理由は別のところにあるのではないかとか色々な妄想をしてしまいます。
人はその好奇心、興味のあるところを報酬のあるなしに関わらず追求する動物なのかも知れません。そしてそれは目の前に偶然現れたものかもしれません。もしその時無線でなく数学の美しい定理に出会っていたならば、もっと別の道を歩んでいたかも知れません。このように偶然が人の道を左右することがあるかも知れませんが、何より好奇心を抱く(抱き続ける)ことが肝心なことであろうと思います。
まだ書き足りないことがありますが今日のところはこれ位にして、後日改めて投稿することにします。