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『孫子』巻五勢篇

2018-12-08 10:27:30 | 四書解読
巻五 勢篇

孫子は言った、多くの兵士を、少人数のようによく管理するには、いくつかの隊伍に軍を編成することだ。多くの兵士を戦わせて、少人数のように効率よく指揮する為には、旌旗や金鼓で指図することだ。全軍が敵の攻撃を受けても敗れることがないようにさせ得るものは、正攻法と臨機応変に戦う奇策である。敵を攻撃するときは、石を卵に投げつけるように、実の堅さを以て虚の脆さを破るのである。凡そ戦いとは、正攻法でもって敵とぶつかり、奇策を以て勝つものである。このような思いもよらない戦術が生み出すものは、天地のように窮まることがなく、揚子江や黄河のように尽きることがない。このような変幻自在の戦術は、終わって復た始まる太陽や月のようであり、消滅してから復た生じる四季のようなものである。音階の基本は宮・商・角・徴・羽の五音に過ぎないが、これを組み合わせれば数えきれない変化を生じ、そのすべてを聞くことはできない。色の基本は青・黄・赤・白・黒の五色に過ぎないが、これらを合わせれば数えきれない色が生じ、そのすべてを見ることはできない。味の基本は酸・辛・鹹・甘・苦の五つに過ぎないが、これらを合わせれば数えきれない味が生じ、そのすべてを味わい尽くすことはできない。それと同じで戦いの形勢を決するのは正攻法と奇策の二つに過ぎないが、その二つは敵や戦場によりさまざまに変化するので、そのすべての戦術を極めることはできない。奇策と正攻法とが互いに連携し合って生み出す戦術は、環を巡って終わりがないのと同じで、誰もそれを極めることはできない。激流が重い石を漂わせるのは、水の勢いである。猛禽がその飛ぶ速さで、小さな鳥を一撃でとらえるのは、遠近を適切に測っているからである。これと同じで戦争の上手な者は、その勢いは激しく、適切な時期を見逃さず一気に攻撃する。勢いは石弓を引き絞るように貯えておき、適切な時期は石弓を発する時と同じである。多くの奇策と正攻法の戦術が入り乱れて戦いが行われているが、統制を厳にして行っているもので、決して乱れているのではない、それ故に敵は我が軍を乱すことはできない。奇策と正攻法が交互に生じ、それぞれの戦術は水が渦を巻くように繰り返し行われるので、敵は我が軍を敗ることはできない。しかし戦況はいつどのように変化するか分からない。治もたやすく乱にかわり、勇もたやすく怯にかわり、弱もたやすく強にかわる。治乱を左右するのは部隊の統制であり、勇気と怯懦とは勢いに左右されるものであり、強弱は軍形の勢いによるものである。だから敵を上手に誘導する者は、我が軍の方が強い時は、弱いように見せかけ、我が軍の方が弱い時は、強いように見せかける。そうすれば敵は弱いと見れば攻め、強いと見れば退き、敵はこちらの思い通りに動くのである。このように敵を有利だと思って行動させ、我が軍は敵が思いもよらない方法で迎え撃つのである。だから戦争の上手の者は戦況に従って、それに見合った戦い方をするのであって、人に戦いの責任を求めない。人に頼るのでなく勢いに戦いを委ねるのである。勢いに従って戦う者は、喩えて言うなら、木や石を転がすように人を戦わせる。木や石の性質は、平地に置けば静かにじっとしているが、危地に置けば動き転がり、形が角張っているものは止まっているが、円い者は転がりだす。だから人を戦わさせる時の勢いは、円い石を高い山から転がり落とすようなもので、その力は甚だ大であって、これが勢いというものである。

孫子曰、凡治衆如治寡、分數是也。鬭衆如鬭寡、形名是也。三軍之衆、可使必受敵、而無敗者、奇正是也。兵之所加、如以碬投卵者、虚實是也。凡戰者、以正合、以奇勝。故善出奇者、無窮如天地、不竭如江河。終而復始、日月是也。死而復生、四時是也。聲不過五、五聲之變、不可勝聽也。色不過五、五色之變、不可勝觀也。味不過五、五味之變、不可勝嘗也。戰勢不過奇正、奇正之變、不可勝窮也。奇正相生、如循環之無端。孰能窮之哉。激水之疾、至于漂石者、勢也。鷙鳥之疾、至于毀折者、節也。是故善戰者、其勢險、其節短。勢如彍弩、節如發機。紛紛紜紜鬭亂、而不可亂也。渾渾沌沌形圓、而不可敗也。亂生于治、怯生于勇、弱生于強。治亂數也、勇怯勢也、強弱形也。故善動敵者、形之敵必從之、予之敵必取之。以利動之、以卒待之。故善戰者、求之于勢、不責于人。故能擇人任勢。任勢者、其戰人也、如轉木石。木石之性、安則靜、危則動、方則止、圓則行。故善戰人之勢、如轉圓石于千仞之山者、勢也。

孫子曰く、凡そ衆を治むること寡を治むるが如くするは、分數是れなり(注1)。衆を鬭わすこと寡を鬭わすが如くするは、形名是れなり(注2)。三軍の衆、必ず敵を受けて、敗無からしむ可きは、奇正是れなり(注3)。兵の加うる所、碬(カ)を以て卵に投ずるが如くするは、虚實是れなり(注4)。凡そ戰いは、正を以て合い、奇を以て勝つ。故に善く奇出だす者は、窮まり無きこと天地の如く、竭きざること江河の如し。終りて復た始まるは、日月是れなり。死して復た生ずるは、四時是れなり。聲は五に過ぎざるも(注5)、五聲の變は、勝げて聽く可からず。色は五に過ぎざるも(注6)、五色の變は、勝げて觀る可からず。味は五に過ぎざるも(注7)、五味の變は、勝げて嘗む可からず。戰勢は奇正に過ぎざるも、奇正の變は、勝げて窮む可からず。奇正の相生ずること、循環の端無きが如し(注8)。孰か能く之を窮めん。激水の疾くして、石を漂わすに至る者は、勢なり。鷙鳥の疾くして、毀折に至る者は、節なり(注9)。是の故に善く戰う者は、其の勢險に、其の節短なり。勢は弩を彍るが如くし、節は機を發するが如くす(注10)。紛紛紜紜として鬭い亂れて、亂す可からず(注11)。渾渾沌沌として形圓にして、敗る可からず(注12)。亂は治より生じ、怯は勇より生じ、弱は強より生ず。治亂は數なり(注13)、勇怯は勢なり(注14)、強弱は形なり。故に善く敵を動かす者は、之を形して敵必ず之に從い(注15)、之を予えて敵必ず之を取る。利を以て之を動かし、以て卒かに之を待つ(注16)。故に善く戰う者は、之を勢に求めて、人を責めず。故に能く人を擇てて勢に任ず(注17)。勢に任ずる者は、其の人を戰わしむるや、木石を轉ずるが如し。木石の性、安なれば則ち靜に、危なれば則ち動き、方なれば則ち止まり、圓なれば則ち行く(注18)。故に善く人を戰わしむるの勢、圓石を千仞の山に轉ずるが如きは、勢なり。

<語釈>
○注1、十注:杜牧曰く、分は分別なり、數は人數なり、部曲行伍を言う、皆其の人數の多少を分別する。隊伍を分けて軍を編成すること。○注2、十注:曹公曰く、旌旗を形と曰い、金鼓を名と曰う。○注3、「奇正」については、各注それぞれ説があるが、難しく考えずに、「正」は大軍を以て正面から攻めていくことで、「奇」は敵の状況や地形などにより、その時々に合わせて臨機応変に戦うことと解釈する。○注4、十注:梅堯臣曰く、碬は石なり、實を以て虚を撃つは、猶ほ堅を以て脆を破るがごときなり。○注5、十注:李筌曰く、宮・商・角・徴・羽なり。○注6、十注:李筌曰く、青・黄・赤・白・黒なり。○注7、十注:李筌曰く、酸・辛・醎・甘・苦なり。○注8、十注:何氏曰く、奇正生じて轉じ、變を相為すこと、其の環を循歷し、首尾を求むるの窮むる莫きが如きなり。○注9、鷙(シ)鳥は、猛禽。十注:張預曰く、鷹・鸇(セン、はやぶさ)の鳥雀を擒にするは、必ず遠近を節量し、伺候すること審らかにして、而る後撃つ。猛禽がその飛ぶ速さで、小さな鳥を一撃でとらえるのは、遠近を適切に測っているからだという意味。○注10、「彍」は「張」の義に読む。「機」は石弓の引き金。○注11、「紛紛」は、入り交じりて乱れている貌、「紜紜」(ウン・ウン)は、多く集まって乱れる貌。○注12、「渾渾」は、水の流れる貌、「沌沌」は、水が集まる貌。「形圓」は、渦を巻いている貌。○注13、十注:曹公曰く、部曲を持て名數を分かちて之を為す、故に亂れず。○注14、十注:李筌曰く、夫れ兵は其の勢いを得れば、則ち怯者も勇に、其の勢いを失わば、則ち勇者も怯なり、兵法に定め無し、惟だ勢に因りて成るなり。○注15、十注:杜牧曰く、羸弱に止むるに非ず、我強く敵弱ければ、則ち示すに羸形を以てし、之を動かし來らしむ、我弱く敵強ければ、則ち之に示すに強形を以てし、之を動かし去らしむるを言う、敵の動作、皆須らく我に從うべし。○注16、「利」は有利な形勢。「卒」は、「猝」に同じで、“にわか”の意に解する説と、兵卒に解する説がある。前者を採用する。○注17、「擇」は、「釋」の誤字で、棄てる意に解する説と、そのまま選ぶの意に解する説がある。前文からのつながりで言えば、前者の説が良いのでこれを採用し、「擇人」を人に頼らない意に解す。○注18、十注:張預曰く、木石の性、之を安地に置けば則ち静かに、之を危地に置けば則ち動き、方正ならば則ち止まり、圓斜なれば則ち行くは、自然の勢いなり。

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