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『論語』学而第一 7、8、9章

2020-02-18 12:36:54 | 中庸解読
7
弟子の子夏が言う、賢者を敬い女色を軽んじ、父母につかえては全力で孝養の道を守り、君主につかえては忠義の道を守り、朋友との交際には必ず信義を重んじる人ならば、その人が自ら学問をしたことがないと言っても、この様な人こそ、私は学問をした人だと言うだろう。

子夏曰、賢賢易色、事父母能竭其力、事君能致其身。與朋友交、言而有信、雖曰未學、吾必謂之學矣。

子夏曰く、賢を賢として色を易じ、父母に事えて能く其の力を竭くし、君に事えて能く其の身を致す。朋友と交わり、言いて信有らば、未だ學ばずと曰うと雖も、吾必ず之を學びたりと謂わん。

<語釈>
○「賢賢易色」、毛奇齢云う、「易色」は二義有り、一は改易の易に作り、音は亦、則ち色は是れ顔色なり、容を改めて之を禮するを謂う、程伊川云う、顔色を變易すと、是れなり、一に難易の易に作る、音は異、則ち色は是れ女色なり、賢を尊び則ち女色を輕んず。後者の説を採用して、「易」を「輕」の義に読み、“かろんず”と訓ず。

<解説>
前章こに続き、学問は空理空論でなく実践であることが述べられている。儒家にとっての学問とは、後の世に朱子が述べているように修己治人が目的である。それだけに実際の政治においては逆に空理空論になりがちである。孔子や孟子が結局主君に仕えることなく終わったのがその例である。

8
孔子は言う、君子たる者は、その態度が重厚で無ければ威厳がない。学問をしなければ分からずやになる。忠実と信義を旨として、自分より劣っている者を友とはするな。過ちを犯せば改めることに躊躇するな。

子曰、君子不重則不威。學則不固。主忠信、無友不如己者。過則勿憚改。

子曰く、君子重からざれば則ち威あらず。學べば則ち固ならず。忠信を主とし、己に如かざる者を友とすること無かれ。過ちては則ち改むるに憚ること勿れ。

<語釈>
○「重・威」、朱注:「重」は、厚重、「威」は、威厳。○「固」、固陋の義、分からずや。

<解説>
この章には多少問題がある。特に「無友不如己者」は、語句通りに解釈すれば利己的で狭量な考えである。そこでこれは君主への教えであるとし、君主は最上位の者なので誰もが媚び諂うので、そのような事を超越した誠に優れた人物と交わることの大切さを君主に説いたものであると解釈している。孔子の偉大さを信ずる者にとっては当然の解釈であろう。真意は孔子のみが知っている。

9
曾子は言う、人の上に立つ者が親の葬儀に心を尽くし、先祖を祀るに敬い慎み誠を尽くせば、民も感化されてその風俗は敦厚になるだろう。

曾子曰、慎終追遠、民德歸厚矣。

曾子曰く、終を慎み遠きを追えば、民の德、厚きに歸す。

<語釈>
○「慎終追遠」、朱注:「慎終」とは、喪は其の禮を盡くす、「追遠」とは、祭るに其の誠を盡くす。○「厚」、敦厚

<解説>
この章も君主の立ち場を説いたものである。上が徳を尽くせば、民も感化されて徳に厚くなる。これは儒家の云う徳治主義の基本である。

『呉子』圖國第一 序章

2020-02-06 12:50:25 | 兵書
圖國第一

序章
呉子は儒者の服装で兵法の極意を以て魏の文侯に見えた。文侯は、「自分は戦争の事は好まない。」と言ったので、呉子は答えた、「私は外に顕れた事柄によって内に隠れている真実を推測し、過ぎ去ったことに基づいて未来を予測することができます。主君の言葉と心とがどうして相違しているのでしょうか。今、主君は戦闘用の皮衣を造る為に、一年中獣の皮を剥がして衣を造り、それに朱や漆を塗り重ね、赤や青の色どりをし、犀や象を描いて立派にしておられます。しかし冬にこれを着ても温かくならないし、夏にこれを着ても涼しくなりません。又長さ二丈四尺長い戟、一丈二尺の短い戟を造り、戸をくぐれないほどの大きな車を造り、車輪とこしきを飾りのない皮で包んでおられます。これらは見た目にも美しくありませんが、さらに実際に狩などに使用しても重くて敏捷さに欠けます。私には分かりません。ご主君はこれらを何処に用いようとされているのでしょうか。もし進んでは戦い、退いては守るという戦闘に備えての事ならば、それらを上手に用いる良将を求めなければ、譬えば卵を温めている雌鶏が卵を守る為に野猫と闘い、子犬を育てている親犬が子犬を守る為に虎に立ち向かうようなもので、戦う気持ちがあってもそれに従えば必ず死ぬでしょう。昔、承桑氏の君主は文徳のみを修め武具を廃止してその国を亡ぼしてしまいました。反対に有扈氏は軍勢の多さだけを頼みとし武勇のみを好んだのでその国家を失ってしまいました。賢明な君主はこれらの失敗を教訓として内には文徳を修め外には武具を整えるのです。敵に遭遇して進んで戦わないのは義とは言えません。戦いで倒れ伏した味方の兵の屍を見て哀しむだけでは仁とは言えません。」この話に感じ入った文侯は自ら祖先の廟のまえに席をしつらえ、文侯の夫人が杯を奉げて供え、廟に呉起を将軍として起用することを報告した。そして呉起は西河の地を守り、諸侯と七十六回戦って六十四回完勝し、あとはすべて引き分けた。また四方に領土を広げ、遠く千里の地まで達した。これらは全て呉起の功績である。

呉起儒服以兵機見魏文侯。文侯曰、寡人不好軍旅之事。起曰、臣以見占隱、以往察來。主君何言與心違。今君四時使斬離皮革、掩以朱漆、畫以丹青、爍以犀象。冬日衣之則不溫、夏日衣之則不涼。為長戟二丈四尺、短戟一丈二尺、革車奄戶、縵輪籠轂。觀之於目則不麗、乘之以田則不輕。不識主君安用此也。若以備進戰退守、而不求能用者、譬猶伏雞之搏狸,乳犬之犯虎。雖有鬭心、隨之死矣。昔承桑氏之君、修德廢武、以滅其國。有扈氏之君、恃衆好勇、以喪其社稷。明主鑒茲、必內修文德、外治武備。故當敵而不進、無逮於義矣。僵屍而哀之、無逮於仁矣。於是文侯身自布席、夫人捧觴、醮呉起於廟、立為大將、守西河。與諸侯大戰七十六、全勝六十四、餘則鈞解。闢土四面、拓地千里。皆起之功也。

呉起儒服して兵機を以て魏の文侯に見ゆ(注1)。文侯曰く、「寡人、軍旅の事を好まず。」起曰く、「臣、見を以て隱を占い、往を以て來を察す。主君何ぞ言と心と違える(注2)。今、君、四時に皮革を斬離し、掩うに朱漆を以てし、畫くに丹青を以てし、爍(かがやく)かすに犀象を以てせしむ。冬日に之を衣れば則ち温かならず、夏日に之を衣れば則ち涼しからず。長戟二丈四尺、短戟一丈二尺、革車の戸を奄い、縵輪・籠轂を為る(注3)。之を目に觀れば則ち麗しからず、之に乘りて以て田すれば則ち輕からず。識らず、主君安くにか此を用うる。若し以て進戰・退守に備えて、而も能く用うる者を求めずんば、譬えば猶ほ伏雞の狸を搏ち,乳犬の虎を犯すがごとし(注4)。鬭心有りと雖ども、之に隨いて死せん。昔、承桑氏の君は、徳を修めて武を廢して、以て其の國を滅ぼせり。有扈氏の君は、衆を恃み勇を好みて、以て其の社稷を喪えり(注5)。明主は茲を鑒みて、必ず內には文德を修め、外には武備を治む。故に敵に當りて進まざるは、義に逮ぶ無し。僵屍して之を哀むは、仁に逮ぶ無し。」是に於て文侯身自ら席を布き、夫人觴を捧げて、呉起を廟に醮し、立てて大將と為す。西河を守り、諸侯と大いに戰うこと七十六、全勝すること六十四、餘は則ち鈞しく解く。土を闢くこと四面、地を拓くこと千里なり。皆起の功なり。

<語釈>
○注1、「儒服」、儒者の服装をしていること。「兵機」、「機」はかなめ、最も大事なもののことで、兵法の極意を意味する。○注2、直解:呉起、文侯に對えて言う、曰く、臣、内に隱れたる者を以て、事の既往する者を以て、其の事の未だ來たらざる者を審察す、君の為す所を以て、之を觀れば、主君の心は、軍旅を好む、而るに好まざると曰う、何の故に言と心と相違背して同じからざるなり。○注3、「革車」は、兵車、「奄戶」は戸を掩うほどの大きな車、「縵輪」・「籠轂」は車輪とこしきとを飾りのない皮で包むこと。○注4、「伏雞」は卵を温めている雌鶏、「乳犬」は子犬を育てている犬。○注5、直解:承桑氏・有扈氏は皆古の諸侯なり、昔、承桑氏の君は但に文徳を修めて、其の武備を廢し、以て其の國家を滅亡せり、有扈氏の君は但に衆を恃み勇を好みて、文徳を修めずして、其の社稷を喪失す。

<解説>
この章は呉起が魏の文侯に仕えたいきさつを記したもので、後の人が付記したものであろうと言われている。故に『直解』はこの章を本文から独立させている。一方この章を第一章とする書もある。私は『直解』に従ってこの章を序章とした。文侯は戦国時代初期の君主で名君として知られており、積極的に学者・賢人を招いた。その結果呉起を含めて田子方・李克・魏成・翟璜・西門豹等の多才な士が集まり、魏の全盛時代を築いた。