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『中庸』第五節

2013-11-04 10:12:39 | 漢文
                『中庸』第五節
孔子が言われた、「顔回の人柄は、中庸を択び行い、一善事を得れば、それを捧げ持って胸につけてなくさない。」孔子が言われた、「天下国家は平らかに治める事ができる。爵位俸禄は辞退することができる。白刃は踏むことができる。しかし中庸の道は、能くする事ができないものである。」

子曰、回之為人也、擇乎中庸、得一善、則拳拳服膺而弗失之矣。子曰、天下國家可均也。爵祿可辭也。白刃可蹈也。中庸不可能也。

子曰く、「回の人と為りや、中庸を擇び、一善を得れば、則ち拳拳服膺して之を失わず。」子曰く、「天下國家は均しくす可きなり。爵祿は辭す可きなり。白刃は蹈む可きなり。中庸は能くす可からざるなり。」

<語釈>
○「回」、弟子の顔回。○「拳拳服膺」、鄭注により、「拳拳」は奉持の貌。「服膺」は胸に着けて守ること。○「均」、平らかに治める。

<解説>
顔回は孔子が最も愛して賞賛した弟子である。、中庸の道を久しく守り行う事の難しさを述べ、この節では顔回がそれをよく実践していることを賞賛している。
本来中庸は為し難きものではない。しかし、自ら知有りと言いながら、前節に「期月も守る能わざるなり」とあるように、顔回のように捧げ持って大切にし、なくさないようにする者はいない。だから天下国家、爵祿、白刃は困難であるかのように見えて、反って易く、中庸は反って難きものなのである。