gooブログはじめました!

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

『孟子』第二巻梁惠王章句下 第九節

2016-01-17 11:22:27 | 漢文解読
                         第九節
 齊の宣王が尋ねて言った、
「周の文王の御苑は七十里四方あったと聞いているが、それは本当だろうか。」
 孟子は答えて言った、
「言い伝えに因れば、その通りでございます。」
「本当にそれほど大きなものであったのであろうか。」
「民はそれでも小さいと思っていたようです。」
「私の御苑は四十里四方だが、民は、それでも大きいと思っているのは、どうしてだろうか。」
「文王の御苑は七十里四方もありますが、そこは、まぐさや薪を取る者も自由に入り、雉や兎を捕らえる猟師も自由に入り、王様だけが独占しているのでなく、民と共に利用しているのです。ですから民がこれでは小さいと思うのはあたりまえではないでしょうか。ところが私が始めてこの国の国境に来た時、役人にお国の大きな禁令を尋ねて、それから決心して入国致しましたが、その時聞いた話によりますと、関所を通り過ぎると、その中に四十里四方の御苑が有り、そこで大鹿や鹿を殺すと、人を殺したのと同じ罪に処せられるとのことでした。それでは、国の中に四十里四方の落とし穴を作っておくようなものです。民が大きすぎると思うのは、当然のことではありませんか。」

齊宣王問、曰、文王之囿、方七十里、有諸。孟子對曰、於傳有之。曰、若是其大乎。曰、民猶以為小也。曰、寡人之囿方四十里、民猶以為大、何也。曰、文王之囿方七十里、芻蕘者往焉、雉兔者往焉、與民同之。民以為小、不亦宜乎。臣始至於境、問國之大禁、然後敢入。臣聞郊關之內有囿方四十里。殺其麋鹿者、如殺人之罪。則是方四十里、為阱於國中。民以為大、不亦宜乎。

齊の宣王、問いて曰く、「文王の囿は、方七十里、諸れ有るか。」孟子對えて曰く、「傳に於いて之れ有り。」曰く、「是の若く其れ大なるか。」曰く、「民は猶ほ以て小と為すなり。」曰く、「寡人の囿は、方四十里、民は猶ほ以て大と為すは、何ぞや。」曰く、「文王の囿は、方七十里、芻蕘(スウ・ジョウ)の者も往き、雉兔の者も往く、民と之を同じうす。民以て小と為すも、亦た宜ならずや。臣始めて境に至り、國の大禁を問い、然る後に敢て入る。臣聞く、郊關の內、囿、方四十里なる有り。其の麋鹿(ビ・ロク)を殺す者は、人を殺すの罪の如し、と。則ち是れ方四十里、阱(セイ)を國中に為るなり。民以て大と為すも、亦た宜ならずや。」

<語釈>
○「囿」、御苑、禽獣を飼っている所。○「芻蕘者」、「芻」はまぐさ、「蕘」は薪、それらを取る者。○「雉兔者」、雉や兎を捕獲する者。○「郊關」、「郊」について、『説文』に國を距ること百里を郊と為すと在り、都の周囲の地で、その境で他の邑に接する。郊關はその境の関所。○「麋鹿」、「麋」は大鹿、大鹿と鹿。○「阱」、落とし穴。

<解説>
この節は、前節の民と楽しみを共にすることを、具体例で解説している。御苑の存在価値は、その大きさや豪華さが問題なのでなく、王様だけが楽しむか、民も一緒に楽しむことが出来るかどうかが大事であるということである。どんな立派な施設を作っても、閑古鳥が鳴いているようでは、為政者を満足させるだけの無用の長物でしかないということであろう。