gooブログはじめました!

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

『孟子』巻第一梁惠王上、第七節

2015-11-27 11:51:41 | 漢文解読
『孟子』巻第一梁惠王上(第一節~第七節)をホームページにアップしました。
ご覧になる方はこちらから、http://www.eonet.ne.jp/~suqin

                       巻第一梁惠王上、第七節
齊の宣王がお尋ねになった。
「昔の覇者として名高い齊の桓公と晉の文公について話してもらえるだろうか。」
孟子は答えた。
「孔子の教えを学ぶ者で、桓公・文公について語る者はおりません。ですので後世に伝わっておらず、私も今までに聞いたことがありません。是非桓公・文公について語れとおっしゃるならば、已むを得ません。王道について申し上げたいと思います。」
「どんな徳が有れば、天下の王となることができるのか。」
「民の生活を安んずれば、自ずから王となることが出来、それを妨げるものは誰もいません。」
「私のような者でも、民を安んずることが出来るだろうか。」
「出来ます。」
「私が出来るということが、どうして分かるのだ。」
「私はご家来の胡齕から、このような事を聞いております。王様が正殿に座っておられた時、牛を牽いて正殿の下を通り過ぎる者がおり、王様はこれを見て、牛はどこへ連れていくのかと、お尋ねになり、牛を牽く者は、新しい鐘が出来たので、その不祥を払うために、鐘に血を塗ります。その為に牛を連れて行くのです、と答えました。王様は、それは止めろ。死に震えながら罪もないのに死に場所へ連れていかれるのを見るのは堪えられない、とおっしゃいました。そこでその者が、それでは鐘に血を塗るのは止めるのでしょうか、と聞くと、王様は、どうして止めるのだ。牛の代わりに羊を用いればよい、と答えられたそうですが、こういうことはございましたでしょうか。」
「確かにあった。」
「そういうお心こそが、王としての十分な資質でございます。民は皆王様が物惜しみをしたと思っているようですが、私は勿論王様が死地に赴く牛を見るのが忍びなかったということをよく知っております。」
「確かにその通りだ。民でそのように噂している者が居るそうだ。しかしいくら齊が小さい国だとしても、どうして牛一頭を愛しむようなことが有ろうか。罪もないのに、震えながら死地に赴くのを見るに忍びなかったのである。それで羊に変えさせたのだ。」
「民が、王様が物惜しみをしていると思うのを、不思議だと怪しまれてはなりません。王様は小を大に変えたのですから、民がそう思うのは当然で、どうして王様の心が分かるでしょうか。もし罪もないのに死に場所へ連れていかれるのが哀れだと思われるのなら、牛も羊も変わりはございますまい。」
王は苦笑して言った。
「これは本当にどうしたことだろうか。私は物惜しみをして、大の牛を小の羊に変えたのではないのだが、民が、私を物惜しみをしたと言うのは、もっともなことだ。」
「気に病むことはございません。そのお心こそが仁の現れなのです。牛はご覧になられたが、羊はまだご覧になられていないからです。有徳の君子も、禽獣に対して、それが生きているのを見ていると、それが死ぬのを見るのは忍びず、その声を聞いていると、その肉を食べるのは忍びません。ですから君子は、厨房を遠ざけると言われているのです。」
 王は喜んで言った。
「『詩経』の小雅巧言に、他人の心の中を、私は推しはかる、とあるが、これは先生のことを言ったようなものだ。どうも自分でこのような事をしておきながら、振り返ってその意味を探しても、得ることが出来なかった。今、先生から説明されて、始めて切実に思い当たる。しかしこの心が王者となるにかなうというのはどういうわけだ。」
「今ここに、『私は百鈞の重さの物を持ち上げることが出来ますが、一枚の羽根はもちあげることができません』とか、『私の視力は細い毛先も見分けることが出来ますが、車一杯の薪は見えません。』などと、王様に申し上げる者がいたとしたなら、王様はその男の言うことを認められますか。」
「認められない。」
「今、王様の慈悲の心は鳥や獣にまで及んでいるのに、その恩恵が実際の政治上に現れて人民に及ばないのはどうしてでしょうか。一枚の羽根を挙げられないのは、その為の力を使わないからです。車一杯の薪が見えないのは、見ようとしないからです。人民が保護されて安心して暮らせないのは、慈悲の心を用いて政治を行わないからです。それと同じで、王様が真の王者でないというのは、そうなろうとなさらないからです。なることが出来ないのではありません。」
「しない事と、できない事とは、具体的にどこが違うのか。」
「泰山を小脇に抱えて、北海を飛び越える話で、それは出来ないと言うのは、本当にできないことです。年寄りの為に按摩をする話で、私は出来ないと言うのは、それをしようとしないのであって、出来ないのではありません。王様が真の王でないというのは、泰山を小脇に抱えて北海を飛び越えるような種類の物ではありません。王様が真の王でないというのは、按摩の話と同じ種類のものです。自分の家の年寄りを敬い、それと同じ気持ちを他人の年寄りにも及ぼし、自分の家の幼い者を慈しみ、それと同じ慈愛の心を他人の幼い者にまで及ぼせば、天下を掌握することは、掌に物を転がすように簡単なことでございます。『詩経』の大雅の思齊篇にも、文王の徳を称えて、『我が法則を幼き妻に正しく施し、それを兄弟に及ぼし、国を治めた。』と詠われていますのは、妻や兄弟に対する慈愛の心を他の人々に及ぼしていく、ということを言っているに過ぎません。要するに、このような慈愛の心を推し進めていけば、世界の果てまで治めることが出来ますが、そうでなければ、妻子さえも治めることが出来ません。古の立派な君主達が、大いに人より優れていたのは他でもありません、妻や兄弟に対する気持ちを國人にも及ぼしていただけです。今、王様の慈愛は鳥や獣にまで及んでいますのに、実際の政治ではその慈愛の心が現れて人民に及んでいないのは、一体どうしてでございましょうか。物の軽重ははかりが有って初めて知ることが出来、物の長短は物差しが有って初めて知ることが出来るように、物事は全てそれを測る基準となるものが有ります。特に心の中は其れが大事であります。王様、どうか善く心の中をお測りください。いったい王様は、軍を起こし、ご家来や人民を危険な目に合わせ、怨みを諸侯に好んで作り出すようなことをなさって、それでお気持ちがよろしいのですか。」
王は言った。
「そんなことはない。そのような事をしてどうして気持ちが良いものか。唯だ私は非常にほしいと思っている物を手に入れたいと思っているだけだ。」
「王様が是非手に入れたいと思っている物を、お聞かせ願えるでしょうか。」
王様は笑って答えない。そこで孟子は、
「肥えた肉や甘いものが食べ足りないのですか。軽くて暖かい着物が体に足りないのですか。美しいものが見足りないのですか。美しい音が聽き足りないのですか。王様の命に從うお気に入りの近臣が足りないのですか。これらのことなら、王様の臣下でも十分に提供しているはずです。まさかこんな為ではございますまい。」
「当然だ。そんなことの為ではない。」
「それでしたら王様のほしい物は分かり切っております。領土を拡張し、強国の秦や楚を来朝させ、中国全土に君臨して、周囲の蛮族どもを手なずけたいと思っておられるのでしょう。しかし、今の王様のやり方で、それを求めるのは、魚を求めて気に登るようなものです。」
王は言った。
「求めている物を得ようとする私のやり方は、そんなにひどい見当違いだろうか。」
「もっとひどいものです。魚を求めて木に登るのは、魚が獲れなくても、別に後の災いは有りません。しかし今の王様のやり方で、望んでいる物を手に入れようとすれば、いくら力を尽くし努力をなさいましても、後には必ず災いが起こるでしょう。」
「そのわけを聞けるかな。」
「鄒国と楚国とが戦ったとすれば、王様はどちらが勝つと思われますか。
「楚が勝つであろう。」
「それではやはり、王様も小国は大国に勝てず、民の少ない国は多い国に勝てず、弱国は強国に勝てないということをご存知のようです。天下には領土の広さが方千里の國が九つあります。齊の國はその領土を全部集めれば方千里になりますが、九つの内の一つにすぎません。その一つが他の八つを征服しようとするのは、鄒が楚と戰うのとどこが違うでしょうか。是非とも望みを実現したいと思っているのなら、どうして王道の根本に立ち返ろうとなさらないのですか。今、王様が仁の心を以て政治を行えば、天下の仕官を願う者は皆王様の朝廷に仕えたいと思い、天下の農夫は皆王様の地を耕したいと思い、天下の商人は皆王様の市場に商品を貯蔵したいと思い、旅人は皆王様の國の道を通りたいと思い、天下の暴君に苦しんでいる人は皆王様の所へ訴えに来たいと思うようになります。そのように民の心が王様に帰服すれば、一体誰が王様が王者になるのを止めることが出来ましょうか。」
王は言った。
「私は物事に暗く、そのような王道の根本に進むことが出来ない。出来れば先生、私の願いを助けて、明確に私に教えてほしい。ふつつか者ではあるが、是非とも先生の教えを実行してみたいものだ。」
「生きる為の定職を持たないで、平素の善心を失わない者は、学問により道理を得た学士だけであります。無知な民は生業を失えば、平素の善心も無くします。かりそめにも平素の善き心を無くせば、勝手気ままに惡事を働いて利益を得ようとするようになります。そうなると民はやがて法を犯すようになります。そこで当然のように刑罰を加えるのは、あらかじめ網を張っておいて、その中へ民を追い込むようなものです。仁者が民を治めていながら、どうして民を網に追い立てるようなことをするのですか、そんなことをしてよろしいのでしょうか。ですから、優れた君主という者は、民の生業を考えてやる場合には、上は父母の世話を十分に行えるようにしてやり、下は妻子を十分に養えるようにしてやり、豊作の歳には一年中十分に食べられるように、凶作の歳でも飢え死にする人が出ないようにしてやります。そうして民を導いて善に向かわせるのです。ですから民も重荷に感じることなく、楽々とついてくるのです。ところが現在、民の生業を定めるやり方では、上は父母の世話を十分にできず、下は妻子を十分に養うことが出来ず、豊作の歳でも年中苦しみ、凶作の歳には飢え死にから逃れることが出来ません。これでは、死を食い止めるのに精一杯で、常にいつ食料が足りなくなって死ぬかもしれないと怯えている有様です。こんな有様で、どうして礼儀道徳を修める暇がありましょうか。王様が王者としての政治を行いたいと思われるなら、どうして仁政の根本に立ち返られないのでしょうか。農夫一世帯の宅地五畝に桑を植えて養蚕をすれば、五十歳以上の者は軽くて暖かい絹の衣を着ることが出来ましょう。豚・鶏・狗等の家畜を養うのに、その繁殖の時期に殺さないようにすれば、七十歳以上の老人は、肉を食べることが出来ましょう。一世帯百畝の田の耕作で、農繁期に公役等に駆り出さなければ、八人家族ぐらいの家でも十分に食することが出来、飢えることもないでしょう。このように生活を安定させたうえで、村の学校教育を大切にし、親や長上に対する礼儀道徳を繰り返し教えれば、白髪交じりの老人が、重い荷物を担いだり頭にのせたりして運ぶ姿を見ることはなくなりましょう。老人が絹の衣を着、肉を食べることができ、一般の人民も飢えや凍えることが無い。このような仁愛の心を持って政治を行ってさえいれば、それで王者になれないとい言う事は、決してございません。」
 
齊宣王問曰、齊桓、晉文之事可得聞乎。孟子對曰、仲尼之徒無道桓文之事者、是以後世無傳焉。臣未之聞也。無以、則王乎。曰、何如、則可以王矣。曰、保民而王、莫之能禦也。曰、若寡人者、可以保民乎哉。曰、可。曰、何由知吾可也。曰、臣聞之胡齕。曰、王坐於堂上、有牽牛而過堂下者、王見之、曰、牛何之。對曰、將以釁鐘。王曰、舍之。吾不忍其觳觫、若無罪而就死地。對曰、然則廢釁鐘與。曰、何可廢也。以羊易之。不識有諸。曰、有之。曰、是心足以王矣。百姓皆以王為愛也、臣固知王之不忍也。王曰、然。誠有百姓者。齊國雖褊小、吾何愛一牛。即不忍其觳觫、若無罪而就死地。故以羊易之也。曰、王無異於百姓之以王為愛也。以小易大、彼惡知之。王若隱其無罪而就死地、則牛羊何擇焉。王笑曰、是誠何心哉。我非愛其財。而易之以羊也、宜乎百姓之謂我愛也。曰、無傷也、是乃仁術也。見牛未見羊也。君子之於禽獸也、見其生、不忍見其死。聞其聲、不忍食其肉。是以君子遠庖廚也。王説曰、詩云、他人有心、予忖度之。夫子之謂也。夫我乃行之、反而求之、不得吾心。夫子言之、於我心有戚戚焉。此心之所以合於王者、何也。曰、有復於王者、曰、吾力足以舉百鈞、而不足以舉一羽。明足以察秋毫之末、而不見輿薪。則王許之乎。曰、否。今恩足以及禽獸、而功不至於百姓者、獨何與。然則一羽之不舉、為不用力焉。輿薪之不見、為不用明焉。百姓之不見保、為不用恩焉。故王之不王、不為也。非不能也。曰、不為者與不能者之形何以異。曰、挾太山以超北海、語人曰、我不能、是誠不能也。為長者折枝、語人曰、我不能。是不為也。非不能也。故王之不王、非挾太山以超北海之類也。王之不王、是折枝之類也。老吾老、以及人之老、幼吾幼、以及人之幼、天下可運於掌。詩云、刑于寡妻、至于兄弟、以御于家邦。言舉斯心加諸彼而已。故推恩、足以保四海、不推恩、無以保妻子。古之人所以大過人者無他焉。善推其所為而已矣。今恩足以及禽獸、而功不至於百姓者、獨何與。權然後知輕重。度然後知長短。物皆然。心為甚。王請度之。抑王興甲兵、危士臣、構怨於諸侯、然後快於心與。王曰、否。吾何快於是。將以求吾所大欲也。曰、王之所大欲可得聞與。王笑而不言。曰、為肥甘不足於口與。輕煖不足於體與。抑為采色不足視於目與。聲音不足聽於耳與。便嬖不足使令於前與。王之諸臣皆足以供之、而王豈為是哉。曰、否。吾不為是也。曰、然則王之所大欲可知已。欲辟土地、朝秦楚、莅中國而撫四夷也。以若所為求若所欲、猶緣木而求魚也。王曰、若是其甚與。曰、殆有甚焉。緣木求魚、雖不得魚、無後災。以若所為、求若所欲、盡心力而為之、後必有災。曰、可得聞與。曰、鄒人與楚人戰、則王以為孰勝。曰、楚人勝。曰、然則小固不可以敵大、寡固不可以敵衆、弱固不可以敵彊。海内之地方千里者九。齊集有其一。以一服八、何以異於鄒敵楚哉。蓋亦反其本矣。今王發政施仁、使天下仕者皆欲立於王之朝、耕者皆欲耕於王之野、商賈皆欲藏於王之市、行旅皆欲出於王之塗、天下之欲疾其君者皆欲赴愬於王。其若是、孰能禦之。王曰、吾惛、不能進於是矣。願夫子輔吾志、明以教我。我雖不敏、請嘗試之。曰、無恆產而有恆心者、惟士為能。若民、則無恆產、因無恆心。苟無恆心、放辟邪侈、無不為已。及陷於罪、然後從而刑之、是罔民也。焉有仁人在位、罔民而可為也。是故明君制民之產、必使仰足以事父母、附足以畜妻子、樂歳終身飽、凶年免於死亡。然後驅而之善。故民之從之也輕。今也制民之産、仰不足以事父母、附不足以畜妻子、樂歳終身苦、凶年不免於死亡。此惟救死而恐不贍。奚暇治禮義哉。王欲行之、則盍反其本矣。五畝之宅、樹之以桑、五十者可以衣帛矣。雞豚狗彘之畜、無失其時、七十者可以食肉矣。百畝之田、勿奪其時、八口之家可以無飢矣。謹庠序之教、申之以孝悌之義、頒白者不負戴於道路矣。老者衣帛食肉、黎民不飢不、然而不王者、未之有也。


齊の宣王問いて曰く、「齊桓・晉文の事、聞くを得可きか。」孟子對えて曰く、「仲尼の徒は、桓・文の事を道う者無し。是を以て後世傳うる無し。臣未だ之を聞かざるなり。以む無くんば、則ち王か。」曰く、「何如なれば、則ち以て王たる可き。」曰く、「民を保んじて王たれば、之を能く禦ぐ莫きなり。」曰く、「寡人の若き者は、以て民を保んず可きか。」曰く、「可なり。」曰く、「何に由りて吾が可なるを知るや。」曰く、「臣之を胡齕に聞けり。曰く、王、堂上に坐す。牛を牽いて堂下を過ぐる者有り。王之を見て、曰く『牛何に之く。』對えて曰く、『將に以て鐘に釁(ちぬる)らんとす。』王曰く、『之を舍け。吾其の觳觫として、罪無くして死地に就くが若くなるに忍びず。』對えて曰く、『然らば則ち鐘に釁ることを廢せんか。』曰く、『何ぞ廢す可けん。羊を以て之に易えよ。』と。識らず諸れ有りや。」曰く、「之れ有り。」曰く、「是の心以て王たるに足る。百姓皆王を以て愛しめりと為すも、臣は固より王の忍ばざるを知るなり。」王曰く、「然り。誠に百姓なる者有り。齊國は褊小なりと雖も、吾何ぞ一牛を愛しまんや。即ち其の觳觫(コク・ソク)として、罪無くして死地に就くが若くなるに忍びず。故に羊を以て之に易えしなり。」曰く、「王、百姓の王を以て愛しめりと為すを異(あやしむ)しむこと無かれ。小を以て大に易う、彼惡んぞ之を知らん。王若し其の罪無くして死地に就くを隱まば、則ち牛羊何ぞ擇ばん。」王笑いて曰く、「是れ誠に何の心ぞや。我其の財を愛しにて、之に易うるに羊を以てするに非ざるなり。宜なるかな、百姓の我を愛しめりと謂うや。」曰く、「傷む無きなり。是れ乃ち仁の術なり。牛を見て未だ羊を見ざればなり。君子の禽獸に於けるや、其の生を見ては、其の死を見るに忍びず。其の聲を聞きては、其の肉を食らうに忍びず。是を以て君子は庖廚を遠ざくるなり。」王説びて曰く、「詩に云う、他人、心有り、予、之を忖度すとは、夫子の謂なり。夫れ我は乃ち之を行い、反って之を求めて吾が心に得ず。我が心に於いて戚戚焉たる有り。此の心の王たるに合する所以の者は、何ぞや。」曰く、「王に復す者有り。曰く、『吾が力は以て百鈞を舉ぐるに足る、而れども以て一羽を舉ぐるに足らず。明は以て秋毫の末を察するに足る、而れども輿薪を見ず。』則ち王之を許さんか。」曰く、「否。」「今、恩は以て禽獸に及ぶに足る、而れども功は百姓に至らざる者は、獨り何ぞや。然らば則ち一羽の舉がらざるは、力を用いざるが為なり。輿薪の見えざるは、明を用いざるが為なり。百姓の保んぜられざるは、恩を用いざるが為なり。故に王の王たらざるは、為さざるなり。能わざるに非ざるなり。」曰く、「為さざる者と能わざる者との形は、何を以て異るか。」曰く、「挾太山を挟みて以て北海を超えんとす。人に語げて曰く、『我能わず』と、是れ誠に能わざるなり。長者の為に枝を折らんとす。人に語げて曰く、『我能わず。』と、是は為さざるなり。能わざるに非ざるなり。故に王の王たらざるは、太山を挟みて以て北海を超ゆるの類に非ざるなり。王の王たらざるは、是れ枝を折るの類なり。吾が老を老として、以て人の老に及ぼし、吾が幼を幼として、以て人の幼に及ぼさば、天下は掌に運らす可し。詩に云う、『寡妻に刑し、兄弟に至り、以て家邦を御す。』斯の心を舉げて諸を彼に加うるを言うのみ。故に恩を推せば以て四海を保んずるに足り、恩を推さざれば以て妻子を保んずること無し。古の人の大いに人に過ぎたる所以の者は他無し。善く其の為す所を推すのみ。今、恩、以て禽獸に及ぶに足りて、功、百姓に至らざる者は、獨り何ぞや。權ありて然る後に輕重を知り、度ありて然る後に長短を知る。物皆然り。心を甚しと為す。王請う之を度れ。抑々王、甲兵を興し、士臣を危うくし、怨を諸侯に構え、然る後心に快きか。」王曰く、「否。吾何ぞ是に快きか。將に以て吾が大いに欲する所を求めんとすればなり。」曰く、「王の大いに欲する所は聞くを得可きか。」王笑いて言わず。曰く、「肥甘の口に足らざるが為か。輕煖の體に足らざるか。抑々采色の目に視るに足らざるが為か。聲音の耳に聽くに足らざるか。便嬖の前に使令するに足らざるか。王の諸臣皆以て之を供するに足れり。王豈に是が為ならんや。」曰く、「否。吾是が為ならざるなり。」曰く、「然らば則ち王の大いに欲する所は知る可きのみ。土地を辟き、秦楚を朝せしめ、中國に莅みて四夷を撫せんと欲するなり。若き為す所を以て、若き欲する所を求むるは、猶ほ木に緣(のぼる)りて魚を求むるがごときなり。」王曰く、「是の若く其れ甚しきか。」曰く、「殆ど甚しき有り。木に緣りて魚を求むるは、魚を得ずと雖も,後の災い無し。若き為す所を以て、若き欲する所を求むるは、心力を盡くして之を為し、後に必ず災有らん。」曰く、「聞くことを得可きか。」曰く、「鄒人、楚人と戰わば、則ち王以て孰れか勝つと為す。」曰く、「楚人勝たん。」曰く、「然らば則ち小は固より以て大に敵す可からず。寡は固より以て衆に敵す可からず。弱は固より以て彊に敵す可からず。海内の地、方千里なる者九。齊集めて其の一を有す。一を以て八を服すは、何を以て異於鄒の楚に敵するに異ならんや。蓋ぞ亦た其の本に反らざる。今、王、政を發し仁を施さば、天下の仕うる者をして皆王の朝に立たんと欲し、耕す者をして皆王の野に耕さんと欲し、商賈をして皆欲於王の市に藏せんと欲し、行旅をして皆王の塗に出でんと欲し、天下の其の君を疾ましめんと欲する者をして皆王に赴き愬(うったえる)えんと欲せしむ。其れ是の若くんば、孰か能く之を禦めん。」王曰く、「吾惛くして、是に進むこと能わず。願わくは夫子吾が志を輔け、明らかに以て我を教えよ。我不敏なりと雖も、請う之を嘗試せん。」曰く、「恆產無くして恆心有る者は、惟だ士のみ能くすることを為す。民の若きは、則ち恆產無ければ、因って恆心無し。苟も恆心無ければ、放辟邪侈、為さざる無きのみ。罪に陷るに及びて、然る後從いて之を刑す。是れ民を罔(「網」に同じ)するなり。焉んぞ仁人位に在る有りて、民を罔して為す可けんや。是の故に明君、民の産を制するに、必ず仰いでは以て父母に事うるに足り、附しては以て妻子を畜うに足り、樂歳には身飽くに終わり、凶年には死亡を免れしむ。然る後駆りて善に之かしむ。故に民の之に從うや輕し。今や、民の産を制するに、仰いでは以て父母に事うるに足らず、附しては以て妻子を畜うに足らず、樂歳には身苦しむに終わり、凶年には死亡を免れず。此れ唯だ死を救いて而も贍(たる)らざるを恐る。奚ぞ禮義を治むるに暇あらん。王之を行わんと欲せば、則ち盍ぞ其の本に反らざる。五畝の宅、之を樹うるに桑を以てせば、五十の者以て帛を衣る可し。雞豚狗彘の畜、其の時を失う無くんば、七十の者以て肉を食う可し。百畝の田,其の時を奪う勿くんば、八口の家以て飢うる無かる可し。庠序の教えを謹み、之に申ぬるに孝悌の義を以てせば、頒白の者道路に負戴せず。老者、帛を衣、肉を食い、黎民飢えず寒えず、然り而して王たらざる者は、未だ之れ有らざるなり。」

<語釈>
○「無以、則王乎」、「以」は「已」の義に読み、「無以」を已むを得ずの意に読む。王が桓・文についてどうしても語れと言うなら、しかたがないので王道について申し上げましょうという意味に解釈する。他説もある。○「胡齕」、趙注:胡齕は王の左右近臣なり。○「觳觫」、死を恐れてふるえすくむ貌。○「異」、趙注:「異」は「怪」なり。○「百鈞」、一鈞は7.2キログラム、百鈞で720キログラム。○「輿薪」、車一杯に積んだ薪。○「折枝」、趙注に、案ずるに、摩して手節を折り、罷枝を解くとあり、「枝」は「肢」に通じ、按摩をすること。○「老吾老」、趙注:(上の)「老」は猶ほ「敬」なり、○「幼吾幼」、趙注:(上の)「幼」は猶ほ「愛」なり。○「刑」、趙注:「刑」は「正」なり。己の法則を以て相手を教え正すこと。○「推其所為」、息軒注:案ずるに、其の為す所を推すは、寡妻兄弟を待つの心を推して、以て國人に及ぼすなり。○「構」、かまえると訓じ、自ら好んで作り出す意。○「肥甘」、肥えた肉と甘いもの。○「不足於口」、食べ足りない意。○「便嬖」、寵臣。○「使令」、さしずする。○「放辟邪侈」、趙注に、民誠に恒心無ければ、放溢辟邪、姦利に侈るとある。勝手気ままに邪な行動をして利を貪ろうとする意。○「樂歳」、豊年。○「終身飽」、終身飽くと読んで、生涯十分に食べることが出来ると解釈する説が多いが、生涯というのは話が大きすぎるので、身飽くに終わると読んで、一年十分に食べることが出来ると解釈する。○「此惟救死而恐不贍」、「贍」は「足」に同じ、死を食い止めるのに精一杯で、常にいつ食料が足りなくなって死ぬかもしれないと怯えているという意味。○「庠序」、地方の学校。○「頒白」、白髪交じり。○「負戴」、荷物を担いだり頭にのせて運ぶこと。

<解説>
この節は『孟子』の数少ない長文の中で、最も長い節の一つであり、孟子の王道論が最も詳しく述べられている節である。宣王の、「何如なれば、則ち以て王たる可き。」との問いに、孟子は、「民を保んじて王たれば、之を能く禦ぐ莫きなり。」と答えている。要は民の生活を安定させる為の政治を行うことが大切で、それさえ出来れば王者となることが出来ると述べているのである。その為には仁の心を民に施して政治を行わなければならない。しかしいくら仁政を行っても。民がそれを受けいれなければ意味がない。そこで大事なのが、「恒産無ければ恒心無し」である。それがなければ、「奚ぞ禮義を治むるに暇あらん」ということである。つまり孟子の王道論を簡潔に言えば、民の生業を保証して、生活を安定させて、礼儀道徳を修める心のゆとりを持たせる、その上で君主が仁政をおこなうならば、その君主は王者となることが出来るということである。