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『論語』学而第一 10、11、12章

2020-04-12 11:36:47 | 中庸解読
10

子禽が兄弟子の子貢に尋ねた、「孔先生は、どこの国へ行かれても、その国の政治について相談をうけられます。これは先生から求めたのでしょうか、それともその国の君主たちが求めたのでしょうか。」子貢は答えた、「先生は、穏やかさ、素直さ、恭しさ、つつましやかさ、謙遜の五つの徳を修められた方だから、国君が敬い信じて自ら相談に来られるのだ。先生から求めることもあるにはあるが、それは世間の人が何らかの利を期待して求めるのとは大いに違うようだね。」

子禽問於子貢曰、夫子至於是邦也、必聞其政。求之與、抑與之與。子貢曰、夫子温良恭儉讓以得之。夫子之求之也、其諸異乎人之求之與。

子禽、子貢に問いて曰く、「夫子、是の邦に至るや、必ず其の政を聞く。之を求めたるか、抑も之を與えたるか。」子貢曰く。「夫子は温・良・恭・儉・讓、以て之を得たり。夫子の之を求むるや、其れ諸れ人の之を求むるに異なるか。」

<語釈>
○「子禽、子貢」、朱注:子禽、姓は陳、名は亢、子貢、姓は端木、名は賜、皆孔子の弟子、或いは曰く、亢子は子貢の弟子と、未だ孰れか是なるかを知らず。取り敢えず共に孔子の弟子として、子貢を兄弟子と解釈しておく。○「是邦」、皇侃云う、是は此なり、此の邦は毎邦を謂う、一國に非ざるなり。○「夫子温良恭儉讓以得之。~」朱注:温は和厚なり、良は易直(すなお)なり、恭は荘敬なり、倹は節制なり、讓は謙遜なり、言は、夫子未だ嘗て之を求めず、但に徳容是くの如し、故に時の君、敬信して、自ら其の政を以て就きて之に問うのみ、他人の必ず之に求めて、而る後得るが若きに非ざるなり。

<解説>
孔子は官を求めて諸国を巡り、政治について相談は受けている。しかし結局は採用されることはなかった。それと言うのも、孔子の説く徳治主義は一種の理想論である。孔子の時代、周の権威も衰え、諸国は富国強兵に務めていたのである。建前として話は聞いても、現実には実行できる内容ではない。

11
孔子は言う、父の在世中は、よく父の志を考えてそれに従うことに務め、己一人の了見で改めることなく、その没後は父の行ってきたことをよく観察して、其の行いに背かないようにする。こうして喪中の三年閒は父を哀慕して、父の歩んできた道を改めることなく守り通すのは、誠に親孝行だと言えるだろう。

子曰、父在觀其志、父沒觀其行。三年無改於父之道、可謂孝矣。

子曰く、父在せば其の志を觀、父沒すれば其の行を觀る。三年父の道を改むること無きは、孝と謂う可し。

<語釈>
○「父在觀其志」、孔安國曰く、父在せば子自ら專らするを得ず、故に其の志を観るのみ。

<解説>
この章は孝について述べられたものであるが、人の孝であるか否かを見分ける三つの基準を述べたものであるとする意見もある。乃ち父が在世中は、その子が父の考えにどれだけ忠実であるかを見ればよく、没後は父の行いをどれだけ守っているかを見ればよく、三年の喪中の間は父の道にどれだけ従順であるかを見ればよく、この三つがその人が親孝行であるか否かを見分ける目安になるということである。又「三年無改於父之道、可謂孝矣」については、朱注に尹氏曰く、其れ道の如きは、終身改むる無きと雖も可なり、其れ道に非ざるが如きは、何ぞ三年を待たん、然らば則ち三年改むる無き者は、孝子の心忍びざる所有るが故なり、とあり、道に外れたことについては守り通す必要はないと述べられている。今の我々にはこの意見の方が取り入れやすい。

12
有子は言う、礼というものは、自然の節度、人の行いの拠り所であり、それらは調和がとれていることが大切なのである、先王の道もそうであってこそ立派だとしている。しかし何事も大小にかかわらず調和を大切にしたとしても、うまくいかないことがある。それは和の大切な事を知りそのように心掛けていても、礼という節度に基づかなければ、大小にかかわらず何事もうまくいかないということである。

有子曰、禮之用和為貴。先王之道、斯為美。小大由之、有所不行。知和而和、不以禮節之、亦不可行也。

有子曰く、禮は之れ和を用て貴しと為す。先王の道も、斯を美と為す。小大之に由るも、行われざる所有り。和を知りて和すれども、禮を以て之を節せざれば、亦た行う可からざればなり。

<語釈>
○「禮之用和為貴」、朱注:禮は、天理の節文、人事の儀則なり。○「小大由之」、「之」の解釈は、「礼」を指す説と「和」を指す説があるが、後者を採用する。○「知和而和、不以禮節之、亦不可行也。」、朱注:之の如くして、復た行わざる所有るは、其の徒に和の貴しと為すを知るのみを以て、和に一にし、復た禮を以て之を節ざれば、則ち亦た復た禮の本然に非ざるなり。

<解説>
礼を行うに当たっては調和を大切にしなければならない。しかし調和を大切にするあまり、礼による節度を忘れてはいけない。服部宇之吉氏云う、禮は厳を主とす、故に和を以てして始めて中を得、又和も禮によりて中を得。

『史記』衛将軍驃騎列伝

2020-04-05 11:59:12 | 中庸解読
大將軍衛青は、平陽の人なり。其の父鄭季は吏と為りて、平陽侯の家に給事し、侯の妾衛媼と通じて、青を生む。青の同母兄は衛長子、而して姊の衛子夫は平陽公主の家自り幸を天子に得たり。故に姓を冒して衛氏と為す。字は仲卿なり。長子、字を長君に更む。長君の母は號して衛媼と為す。媼の長女は衛孺、次女は少兒、次女は即ち子夫なり。後子夫の男弟歩廣あり、皆衛氏を冒す。青、侯の家人と為る。少時其の父に歸る。其の父羊を牧せしむ。先母の子皆之を奴畜し、以て兄弟の數と為さず。青嘗て從い入りて甘泉の居室に至る。一鉗徒(ケン・ト、鉄の首枷を受けた囚人)有り、青を相して曰く、「貴人なり。官は封侯に至らん。」青笑いて曰く、「人奴の生、笞罵せらるること毋きを得ば、即ち足る。安くんぞ封侯の事を得んや。」青壯たりて侯家の騎と為り、平陽主に從う。
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『論語』学而第一 7、8、9章

2020-02-18 12:36:54 | 中庸解読
7
弟子の子夏が言う、賢者を敬い女色を軽んじ、父母につかえては全力で孝養の道を守り、君主につかえては忠義の道を守り、朋友との交際には必ず信義を重んじる人ならば、その人が自ら学問をしたことがないと言っても、この様な人こそ、私は学問をした人だと言うだろう。

子夏曰、賢賢易色、事父母能竭其力、事君能致其身。與朋友交、言而有信、雖曰未學、吾必謂之學矣。

子夏曰く、賢を賢として色を易じ、父母に事えて能く其の力を竭くし、君に事えて能く其の身を致す。朋友と交わり、言いて信有らば、未だ學ばずと曰うと雖も、吾必ず之を學びたりと謂わん。

<語釈>
○「賢賢易色」、毛奇齢云う、「易色」は二義有り、一は改易の易に作り、音は亦、則ち色は是れ顔色なり、容を改めて之を禮するを謂う、程伊川云う、顔色を變易すと、是れなり、一に難易の易に作る、音は異、則ち色は是れ女色なり、賢を尊び則ち女色を輕んず。後者の説を採用して、「易」を「輕」の義に読み、“かろんず”と訓ず。

<解説>
前章こに続き、学問は空理空論でなく実践であることが述べられている。儒家にとっての学問とは、後の世に朱子が述べているように修己治人が目的である。それだけに実際の政治においては逆に空理空論になりがちである。孔子や孟子が結局主君に仕えることなく終わったのがその例である。

8
孔子は言う、君子たる者は、その態度が重厚で無ければ威厳がない。学問をしなければ分からずやになる。忠実と信義を旨として、自分より劣っている者を友とはするな。過ちを犯せば改めることに躊躇するな。

子曰、君子不重則不威。學則不固。主忠信、無友不如己者。過則勿憚改。

子曰く、君子重からざれば則ち威あらず。學べば則ち固ならず。忠信を主とし、己に如かざる者を友とすること無かれ。過ちては則ち改むるに憚ること勿れ。

<語釈>
○「重・威」、朱注:「重」は、厚重、「威」は、威厳。○「固」、固陋の義、分からずや。

<解説>
この章には多少問題がある。特に「無友不如己者」は、語句通りに解釈すれば利己的で狭量な考えである。そこでこれは君主への教えであるとし、君主は最上位の者なので誰もが媚び諂うので、そのような事を超越した誠に優れた人物と交わることの大切さを君主に説いたものであると解釈している。孔子の偉大さを信ずる者にとっては当然の解釈であろう。真意は孔子のみが知っている。

9
曾子は言う、人の上に立つ者が親の葬儀に心を尽くし、先祖を祀るに敬い慎み誠を尽くせば、民も感化されてその風俗は敦厚になるだろう。

曾子曰、慎終追遠、民德歸厚矣。

曾子曰く、終を慎み遠きを追えば、民の德、厚きに歸す。

<語釈>
○「慎終追遠」、朱注:「慎終」とは、喪は其の禮を盡くす、「追遠」とは、祭るに其の誠を盡くす。○「厚」、敦厚

<解説>
この章も君主の立ち場を説いたものである。上が徳を尽くせば、民も感化されて徳に厚くなる。これは儒家の云う徳治主義の基本である。

『中庸』第十四節

2014-08-19 10:26:26 | 中庸解読
                  『中庸』第十四節

魯の哀公が孔子に、どうすれば善政を行うことが出来るかを尋ねられた。孔子は、「後世の為政者が手本とすべき周の文王、武王の政は、典籍に審らかに記されておりますので、それを知ることは困難なことでありません。しかしそれは文王や武王のような聖王が世に現れたからこそ実現出来たものでございます。ひとたびそのような聖王が亡くなられますと、その治績も滅びてしまいます。」とお答えになられました。人の道が、たとえどんな世の中であろうと、善政を行おうと努力する事にあるのは、大地が、どんな天候であろうと、樹木を植え育てる事を勉めるのと同じである。真の政とは、じが蜂が桑虫の子を取り去って、負うて育てているうちに、桑虫の子もじが蜂の子供のごとくなり、懐いてくるように、君主が人民を善導し養い、いつしか人民も君主を親のごとく信愛するように教化することである。このように善政を行おうと思えば、賢人を得て、登用して力を発揮させることである。しかし賢人を得ようと思えば、己自身が身を正しく修めて名君とならなければならない。その身を修めるには道を行わなければならず、道を修めるには、其の根本に仁義を以てしなければならない。仁というのは、人を人として親愛することであり、それには自分に親しいものを親愛する事が最も大事である。義とは物事の正しい筋道を修めることであり、具体的には真の賢者を見抜いて尊敬し、登用し力を発揮させることが最も大切なことである。最も親しい者への親愛を本にして、漸次全ての人々に差をつけながら親愛の情を広めて行き、賢者を尊敬することを本にして、全ての人に等差をつけながら尊敬の念を懐く、こうすることによって社会の秩序が定まり、そこから生じてくるものが禮義なのである。だから政治の要は君子自身が正しい道に基づいて身を修めなければならない。そして身を修めようと思えば、道の根本である仁愛を以て親に仕えなければならない。善く親に仕えようと思えば、広く人々のことを知らなければならない。人々を善く知ろうとすれば、人は天により生かされているのであるから、その天の道理を知らなければならない。さて人の世には、いつでも常に変わらず行われている道が有り、それは五つ有あり、その道を現実に行うために誰もが拠り所としなければならない徳が三つある。前者は、君臣・父子・夫婦・兄弟・朋友の交わりの五つの道であるり、後者は、知・仁・勇の三つの徳であるが、この道を知って徳を行う根本は一つである。ところでこの誰もが知らなければならない五達道は、それを知ると謂う観点から見れば、ある者は生まれながらにして知っている者もいれば、あるいは学んで知る人もいるし、苦労しながら学んで知る人もいる。このように知る事については、人それぞれに因って違いはあるが、一度知ってしまえば、皆均しく其の道を理解することが出来る。そしてそれを実践するに当たっては、自然と無理なく行う人もいれば、栄名の為に行う人もいるし、周囲の評価を気にして行う人もいる。そのやり方は違っても、道を理解し、徳を実践して功を成し遂げれば、結果として皆同じだといえる。

哀公問政。子曰、文武之政、布在方策、其人存、則其政舉、其人亡、則其政息。人道敏政、地道敏樹。夫政也者、蒲盧也。故為政在人、取人以身、修身以道、修道以仁。仁者人也、親親為大。義者宜也、尊賢為大。親親之殺、尊賢之等、禮所生也。(「在下位不獲乎上,民不可得而治矣」この十四文字は、十八章の文が誤入したものとして、ここでは削除する)故君子不可以不修身。思修身、不可以不事親。思事親、不可以不知人。思知人、不可以不知天。天下之達道五、所以行之者三。曰、君臣也、父子也、夫婦也、昆弟也、朋友之交也。五者天下之達道也。知仁勇三者、天下之達也、所以行之者一也。或生而知之、或學而知之、或困而知之、及其知之一也。或安而行之、或利而行之、或勉強而行之。及其成功一也。

哀公政を問う。子曰く、「文・武の政,布いて方策に在り、其の人存すれば、則ち其の政舉がり、其の人亡すれば、則ち其の政息む。」人道は政を敏(つとめる)め、地道は樹を敏む。夫れ政なる者は、蒲盧なり。故に政を為すは人に在り、人を取るには身を以てし、身を修むるには道を以てし、道を修むるには仁を以てす。仁なる者は人なり、親を親しむを大なりと為す。義なる者は宜なり、賢を尊ぶを大なりと為す。親を親しむの殺(サイ)、賢を尊ぶの等は、禮の生ずる所なり。(在下位不獲乎上、民不可得而治矣。)故に君子は以て身を修めざる可からず。身を修めんことを思わば、以て親に事えざる可からず。親に事えんことを思わば、以て人を知らざる可からず。人を知らんことを思わば、以て天を知らざる可からず。天下の達道は五あり、之を行う所以の者は三。曰く、君臣なり、父子なり、夫婦なり、昆弟なり、朋友の交なり。五者は天下の達道也。知・仁・勇の三者は、天下の達なり、之を行う所以の者は一なり。或いは生まれながらにして之を知り、或いは學びて之を知り、或いは困しみて之を知る。其の之を知るに及びては一なり。或いは安んじて之を行い、或いは利して之を行い、或いは勉強して之を行う。其の功を成すに及びては一なり。

<語釈>
○「方策」、鄭注:方は版なり、策は簡なり。字を書くための板と竹簡で、典籍の意。○「敏」、鄭注:「敏」は猶ほ「勉」なり。○「樹」、種子を植えて育てる意。○「蒲盧」、鄭注:蒲盧は蜾蠃、土蜂を謂うなり、詩に曰う、螟蛉に子有り、蜾蠃之を負う、螟蛉は桑蟲なり、蒲盧、桑蟲の子を取りて去る、而して之を變化し、以て己が子と為すと、政の百姓に於けるや、蒲盧の桑蟲に於けるが若く然りなり。「土蜂」はじがばち、じがばちが桑虫の子を負うて、取り去ってわが子として育て、己になつかせるように、政も人民を教化して己に懐かせるようにすること。○「為政在人」、鄭注:賢人を得るに在り。○「殺」、サイと読んで、徐々に差をつけていくこと。○「等」、等差。

<解説>
物事にはすべて方策が有る。しかしどんなに優れた方策があっても、それを行うのは人であるから、その人奈何に因って結果は違ってくる。この節では、特に政治の世界では、君主がどれだけ徳を修めているかが問題であり、そしてこの修徳は、五つの道を理解して、三つの徳を実践することに因って得られるとする。その中で特に仁義の実践が大事で、その為には最も親しい親に対する親愛と、賢者に対する尊敬を先ず第一に実践し、それを次第に差をつけながら広めて行き、そこから生じる禮義を重んじることであると説かれている。乃ち修徳の根幹は禮義の実践である。