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『大学』第五章第二節

2013-02-16 10:37:59 | 漢文

    『史記』の解読はこちら http://www.eonet.ne.jp/~suqin


聖王の堯・舜は仁徳により天下を治めたので、人民も亦之に従って仁徳を修めた。夏の桀王と殷の紂王は暴力を以て天下を治めたので、人民も亦之に従った。このように、人民は君主の命令に服従するものであるが、君主がいくら表面的によいことを命令しても、君主の心が其れに反していれば、人民は君主の資質を見抜いて、その命令には従わない。だからこそ君主は先ず我が身を情け深く謙譲に修めて、それから後、人民にもそれを求めることが出来るのである。君主に貪りそむく心が無ければこそ、民が利を貪ることを咎めることができる。身に備えている所の徳を、己を思いやるように他人に真心から及ぼさずして、人に道を諭すことのできる人はいない。故に国を治める基本は、我が家を秩序正しく和合させることに在るのである。

堯・舜率天下以仁、而民從之。桀・紂率天下以暴、而民從之。其所令反其所好、而民不從。是故君子有諸己而后求諸人、無諸己而後非諸人。所藏乎身不恕、而能喻諸人者、未之有也。故治國在齊其家。

堯・舜は天下を率いるに仁を以てして、民は之に從えり。桀・紂は天下を率いるに暴を以てして、民は之に從えり。其の令する所、其の好む所に反すれば、民は從わず。是の故に君子は諸を己に有して而る后に諸を人に求め、諸を己に無くして而る后に諸を人に非とす。身に藏する所、恕ならずして、而も能く喻諸を人に喩す者は、未だ之れ有らざるなり。故に國を治むるは其の家を齊うるに在り。

<語釈>
「其所令反其所好、而民不從」、鄭注に、「民は君行に化するを言うなり。君、若し貨を好み、而るに民に財利に淫るるを禁ずるも、止むる能わず。」とあり、民は君主の行いに影響を受けるものなので、その君主の質が財利を好みながら、民に其れを禁じても、民は君主の資質を見抜いて従わないことを言っている。○「有諸己」、鄭注曰く、「己に有すとは、仁譲有るを謂うなり。」。○「無諸己」、鄭注曰く、「己に無きとは、貪戻無きを謂うなり。」。○「所藏乎身」身に蓄えている所の徳。○「恕」論語に、「其れ恕か、己の欲せざる所は人に施すこと勿かれ」とあるように自分を思うのと同じように相手を思いやる心。

<解説>
君主及びその家族の行いは、常に国の治乱の発動に関わる。故に君主の心は身内に対するように思いやりの心が無ければいけない。故に君主は身内に対するように、人民にも恕の心を持って徳を及ぼさなければならず、その為には自分の家を善く和合させていなければならない。乃ち国を治める者は、先ず己を律しなければならないことを、この第二節と次の三節で教えている。己が正しくなくて、どうして人を人を教化することが出来ようか。己の利権のことばかり考えている、今の日本の政治家達に是非聞かせたいものである。