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『呉子』圖國第一 第四章

2020-05-31 10:30:35 | 漢文
第四章
呉子は言う。およそ戦争が引き起こされる原因は五つある。第一は天下の王者・覇者になろうとして名声を争う場合、第二は他国に侵略して利益を得ようとして争う場合、第三は両国がお互いに憎しみを積み重ねて争う場合、第四は国内が乱れて争う場合、第五は飢饉などにより民が苦しんでいるのに兵を起こして争う場合である。軍はその特徴から五つの名称がある。第一は義兵、第二は彊兵、第三は剛兵、第四は暴兵、第五は逆兵と言う。暴政を禁じ世の乱れを救う軍を義兵と言う。強大な兵力に頼って隣国を侵す軍を彊兵と言う。積み重ねた憎しみにより戦争を引き起こして互いに争う軍を剛兵と言う。他国に対する礼儀を捨て、その国の乱れに乗じて利益のために侵略する軍を暴兵と言う。飢饉などにより民が飢え、国が疲弊しているにもかかわらず戦争を起こして戦う軍を逆兵と言う。以上五つの軍に対してはそれぞれ斥ける方法がある。義兵に対しては、名分が義であるので、それを成し遂げればこちらも礼儀を以て対応すれば、相手もそれ以上の行為は名を穢すことになるので自然と退却する。彊兵に対しては、へりくだって逆らわず相手を驕らせて、こちらを軽んじて隙が出来たときを狙って斥ける。剛兵に対しては、ひたすらへりくだって相手の怒りを和らげて退却させる。暴兵に対しては敵を欺く計略を用いて斥ける。逆兵に対しては、相手国の乱れや疲れを利用して種々の計略を用いて退却させる。

呉子曰、凡兵之所起者有五。一曰爭名。二曰爭利。三曰積惡。四曰內亂。五曰因饑。其名又有五。一曰義兵。二曰彊兵。三曰剛兵。四曰暴兵。五曰逆兵。禁暴救亂曰義、恃衆以伐曰彊、因怒興師曰剛、棄禮貪利曰暴、國亂人疲舉事動衆曰逆。五者之服、各有其道。義必以禮服、彊必以謙服、剛必以辭服、暴必以詐服、逆必以權服。

吳子曰く、「凡そ兵の起こる所の者五有り。一に曰く、名を爭う。二に曰く、利を爭う。三に曰く、惡みを積む(注1)。四に曰く、內亂る。五に曰く、饑に因る。其の名又五有り。一に曰く、義兵。二に曰く、彊兵。三に曰く、剛兵。四に曰く、暴兵。五に曰く、逆兵。暴を禁じ亂を救うを義と曰い、衆を恃みて以て伐つを彊と曰い、怒に因りて師を興すを剛と曰い、禮を棄て利を貪るを暴と曰い、國亂れ人疲れたるに事を舉げ衆を動かすを逆と曰う(注2)。五者の服に、各々其の道有り。義は必ず禮を以て服し(注3)、彊は必ず謙を以て服し(注4)、剛は必ず辭を以て服し(注5)、暴は必ず詐を以て服し(注6)、逆は必ず權を以て服す(注7)。」

<語釈>
○注1、直解:其の兩國の君臣惡みを積み、兵を起こして之を征する者なり。○注2、直解:國中自ら亂れ、人民疲困するに、又事を舉げ衆を動かして、征伐すること已まず、是を名づけて逆と曰う。国を他国に解する説もある。直解の説がよいと思う。○注3、直解:若し彼既に能く暴を禁じて亂を救い、以て其の義を行わば、必ず敢て非禮に動かず、我は則ち典禮を修飾し、其れをして之を聞かしめば、自然に罷め去らん、是れ禮を以て之を服すと謂う。○注4、直解:彼既に其の強盛に恃めば、我は則ち示すに謙卑を以てす、即ち卑にして之を驕らすの謂なり、彼必ず我を輕んぜん、然る後以て隙に乘じて之を破る可し、是れ謙を以て強を服するなり。○注5、服部宇之吉氏云う、「怒りに因って我を伐つ者には我も亦た巧みに辭を以て其の怒りを和ぐる時は、彼自ら退くべし。」直解は、相手が怒りに因ってやってくるので、更に悪言を投げかけて怒りをあおり、守りを固めて、相手が怠帰する時を狙って奇襲攻撃をする、という意味に解している。「剛必以辭服」から直解の解釈は少し飛躍しすぎる感があるので、服部宇之吉氏の説を採用する。○注6、直解:禮を棄て利を貪る凶暴の兵は、必ず深謀無くして、利を争うを惟う、我は則ち詭詐の法を以て服するなり。○注7、直解:彼既に國亂れ民疲れたるに、復た兵革の事を舉げ、大衆を動かし起こして來り戰えば、我は則ち其の變勢に因りて其の權謀を制し、以て之を服するなり。

<解説>
戦争が引き起こされる原因を挙げ、その対応策を述べている。乃ちこの章は攻撃について述べるのでなく、守備の立場について述べており、その対抗手段は外交により戦争を避けるものである。

『論語』為政第二 17、18、19章

2020-05-20 10:20:07 | 漢文
17
孔子言う。徳によって政治を行うのは、譬えて言えば北極星が中心に有って、多くの星がそれに引き寄せられて周囲を巡っているようなもので、徳こそ社会の中心であって、有徳の人が治めていれば自然と天下はその人を中心に帰服するであろう。

子曰、為政以德、譬如北辰居其所、而衆星共之。

子曰く、「政を為すに德を以てするは、譬えば北辰の其の所に居て、衆星之に共うが如し。」

<語釈>
○「衆星共之」、朱注:「共」は、向なり。

<解説>
孔子の政治における根本思想は徳治主義である。それを為政篇の冒頭ではっきりと述べ、己の思想を明らかにしているのである。その内容については、范氏云う、「政を為すに徳を以てせば、則ち動かずして化し、言わずして信ぜられ、為す無くして成り、守る所の者は、至(「甚」の義に読む)しく簡にして能く煩を御し、處る所の者は、至だしく静にして能く動を制し、務むる所の者は、至しく寡くして能く衆を服す。」

18
孔子言う。『詩経』は三百篇あって、その内容はさまざまであるが、一言でその内容を言い表すなら、思い邪為し、という語であって、乃ち全ての詩において作者に邪な心がないということである。

子曰、詩三百、一言以蔽之。曰、思無邪。

子曰く、「詩三百、一言以て之を蔽う。曰く、思い邪無しと。」

<語釈>
○「詩三百」、『詩経』は本来三百十一篇有ったとされているが、現在伝わっているものは三百五篇である。詩三百はその概数を言ったもの。○「蔽」、朱注:蔽は猶ほ蓋なり。“おおう”と訓ず。○「思無邪」、『詩経』の魯頌の駉(ケイ)篇の句である。

<解説>
『詩経』は『書経』と共に中国最古の文献であり、自然、恋、苦悩などが歌われており、人間の純真な心であふれている。孔子はこのような人間性が学問をする者にとって大事であるとし、弟子たちに教えた。このことからも孔子の人間性が理解され、単なる思想家でないことを教えられる。

19
孔子言う。人民を導くのに法制や禁令を以てし、それに従わない者は一様に従わせるために刑罰を以てすれば、人民は刑罰を免れさえすればよいと考え、悪事を働いても恥ずかしいと思わなくなる。人民を導くのに徳を以てし、礼儀を以て一様に統制すれば、人民は悪事を働く事を恥ずかしいと思うようになり、自然と善に至るようになる。

子曰、道之以政、齊之以刑、民免而無恥。道之以德、齊之以禮、有恥且格。

子曰く、「之を道くに政を以てし、之を齊しくするに刑を以てすれば、民免れて恥づる無し。これを道くに德を以てし、之を齊しくするに禮を以てすれば、恥づる有りて且つ格る。」

<語釈>
○「道」、朱注:道は、引導なり。“みちびく”と訓ず。○「政」、朱注:政は、法制。禁令を謂う。○「齊」、朱注:之を一にする所以なり。“ひとしい”と訓ず。○「格」、朱注:格は、至なり。

<解説>
この節も孔子の政治学の根本である徳治主義を述べたもので、政刑と徳礼との区別を明らかにし、徳礼が政治の根本であることを説いている。この章の首節の17節を参照して読めばより明らかになる。

『呉子』圖国第一 第三章

2020-05-11 10:19:14 | 兵書
第三章
呉子は言う。およそ国を治め軍を統御するためには、必ず人々を礼儀により教化し、正義の行いをもって励まして、正義から外れることに対して恥を知る心を持たせることである。そもそも人に正義に悖る行いに対して恥じる心があれば、大国では死をも恐れず進んで戦うに十分であり、小国では心を一つにして自国を守るに十分である。しかしながら、戦いに勝つことはたやすいが、防御によって勝つことは難しい。だから、「天下の争っている国々で、五たび勝つ国には禍が降りかかり、四たび勝つ国は疲弊し、三たび勝つ国は覇者となり、二度勝つ国は王者となり、一度勝つ国は帝となる。」と言われている。このことからして、しばしば勝って天下を得ることは稀であって、反って滅亡する国の方が多い。

呉子曰、凡制國治軍、必教之以禮、勵之以義、使有恥也。夫人有恥、在大足以戰、在小足以守矣。然戰勝易、守勝難。故曰、天下戰國、五勝者禍、四勝者弊、三勝者霸、二勝者王、一勝者帝。是以數勝得天下者稀、以亡者衆。

吳子曰く、「凡そ國を制し軍を治むるには、必ず之に教うるに禮を以てし、之を勵すに義を以てして、恥有らしむるなり。夫れ人恥有れば、大に在りては以て戰うに足り、小に在りては以て守るに足る(注1)。然れども戰いて勝つは易く、守りて勝つは難し(注2)。故に曰く、天下の戰う國、五たび勝つ者は禍なり、四たび勝つ者は弊(ついえる)え、三たび勝つ者は霸たり、二たび勝つ者は王たり、一たび勝つ者は帝たり、と。是を以て數々勝ちて天下を得る者は稀に、以て亡ぶる者は衆し。」

<語釈>
○注1、直解:夫れ人に羞恥の心有れば、必ず義に奮う、故に大に在りては以て進んで戰いて死を致すに足る、小に在りては以て固く守りて心を一にするに足るなり。大・小の解釈は、国の大小、軍の大小、力の大小などの諸説があるが、一応国の大小に解釈しておく。○注2、直解:然れども幣を交え刃を接し、人と力戦して、勝を取るは易し、所謂其の次は兵を伐つ者なり、軍を固くし塁を深くし、自ら用て堅守して、勝を取るは難し、所謂戰わずして人の兵を屈する者なり

<解説>
この章は全体的に文意が続かない。後人の加筆があると思う。その為に何とか文意を続けようとして、工夫されているが、その事はあまり深く考えず、書かれていることを単純に理解するだけに止めたいと思う。猶ほ『孫子』の謀攻篇にも、「百戦百勝は善の善なるものに非ず、戦わずして人の兵を屈するは善の善なるものなり。」とあり、似た内容になっているので参照するのがよい。