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『呉子』料敵第二 第一章

2020-08-27 10:26:26 | 漢文
第一章
魏の武侯は呉起に言った、「今、秦はわが国の西方を脅かしており、楚はわが国の南部と国境を接しており、趙は我が北方をつこうとしており、斉はわが東方をうかがっており、燕はわが後方を遮っており、韓はわが前方に居る。これら六国の軍隊はわが国の四方を取り囲んでおり、我が国にとっては非常に都合が悪く不利である。これを心配しているのだが、どうすればよいのだろうか。」呉起は答えた、「そもそも国家を安泰にする方法は、事が生じる前に十分に警戒して備えることで、それを大切にすることにあります。今、君主は既に警戒して備えておられますので、国家に降りかかる災難は遠ざかるでしょう。私は六国それぞれの国の状況を論じてみたいと思います。斉の軍隊は充実はしていますが、実際の戦闘になれば堅固ではありません。秦の軍隊はまとまりがなく、戦闘になれば各自が勝手に戦います。楚の軍隊は整ってはいますが持久力はありません。燕の軍隊は守備はしっかりしていますが攻撃力に欠けます。韓・魏・趙の三国の軍隊はよく統制はとれておりますが戦闘ではあまり役に立ちません。斉国の人の性格は猛々しく気が短く、国は富んでおり、君主も臣下も心が驕っており贅沢で、庶民をおろそかにして侮っております。その政治は寛大ですが、俸禄は不公平であります。ですので一つの陣営の中でも人心が二分していて、前軍は強兵で構成され後軍は弱兵で構成されており、その力は均しくありません。ですので軍隊は充実していますが、実際の戦闘になれば堅個ではないのです。これを撃ち破る方法は我が軍を三分して、その一軍を敵の前に当たらせ、二軍を敵の左右に当たらせ、敵を脅かして追撃することです。こうすることによって敵の陣を破ることができます。秦国の人の性格は強くたけだけしく、その地は険阻で、政治は厳格で、賞罰は正しく適切でありますが、秦国の人々は互いに譲り合うことなく闘争心があります。ですので秦の軍隊は分散して各自が自分勝手に戦います。これを撃ち破る方法は自軍を退かせて相手に有利であるように見せかけるのです。そうすれば敵の兵士は手柄を立てる為に将軍のもとを勝手に離れます。その隙に乗じて分散した兵を駆り立て、伏兵を設けて好機に投入すれば将軍を捕虜にすることができます。楚国の人の性格は柔弱で、領土は広大で、政治は騒がしく乱れており、国民は疲労しています。ですから楚の軍隊は整ってはいますが持久力はありません。これを撃ち破る方法はその集結している所を急襲してその戦意を奪い、少し進んでは速やかに退いて相手を疲れさせ、まともに戦わないようにすれば、楚国の軍隊は破ることができます。燕国の人の性格は実直で慎み深く勇気と義を好み、策略はあまり用いません。ですので守備に徹して機動力はありません。このような軍隊を攻撃する方法は接触してこれに圧迫を加えることです。そうすれば敵は出撃してきます。我が軍は適当に戦いながら退き、敵が退けば追撃はするが攻撃しないようにします。そうすれば敵の武将は我が軍の意図が分からず疑念に駆られ、兵たちは不安になり懼れるでしょう。そのうえで我が軍の車騎を敵の眼前に厳しく並べればこの道を避けようとします。その隙に乗じて敵の将軍を捕虜にすることができます。晋から分かれた韓・魏・趙は中原の国です。中原の国の人の性格は温和で、その政治は公平ですが、民は戦争で疲労しております。兵は戦いに習熟しており将軍を軽視し、与えられた俸給は少ないと思っているので決死の覚悟はありません。ですので表面上はよく治まっているようですが実際の役には立ちません。これを攻撃する方法は敵と距離をとって対陣して敵を圧迫し、攻めて来れば防ぎ、退けば追跡して敵軍を倦み疲れさせる。これが三国の軍を攻撃する時の自然ななりゆきです。さて一軍の中には必ず勇士が居り、鼎を軽々と持ち上げ、足は軍馬より軽く走り、敵の旗を奪い取り、敵の将を斬ることをよくする者が必ずおります。このような者たちを選んで類別し、親愛して尊重します。これは軍の運命を左右する当然の決め手になります。又巧みに五種類の武器を使いこなし、その技は優れ動きは素早く、心は敵を呑んでかかる者がおれば、より高い爵位を与えることにより、これらも勝利を勝ち取る決め手となります。これらの者の父母や妻子を厚遇し、賞を求めることに務めて刑罰を恐れるようにさせれば、これらの者は陣を堅個にする勇士となり、どんな持久戦も共に戦うことができます。このように詳しくその人の才能をはかって用いるならば、味方に倍する敵をも撃つことができます。」武侯は言った、「なるほど、尤もである。」

武侯謂呉起曰、今秦脅吾西、楚帶吾南、趙衝吾北、齊臨吾東、燕絕吾後、韓據吾前。六國兵四守、勢甚不便。憂此奈何。起對曰、夫安國家之道、先戒為寶。今君已戒。禍其遠矣。臣請論六國之俗。夫齊陳重而不堅。秦陳散而自鬭。楚陳整而不久。燕陳守而不走。三晉陳治而不用。夫齊性剛。其國富、君臣驕奢而簡於細民。其政寬而祿不均。一陳兩心、前重後輕。故重而不堅。撃此之道、必三分之、獵其左右、脅而從之。其陳可壞。秦性強。其地險。其政嚴、其賞罰信。其人不讓、皆有鬭心。故散而自戰。撃此之道、必先示之以利而引去之。士貪於得而離其將。乘乖獵散、設伏投機。其將可取。楚性弱。其地廣。其政騷、其民疲。故整而不久。撃此之道、襲亂其屯、先奪其氣。輕進速退、弊而勞之。勿與戰爭。其軍可敗。燕性愨。其民慎、好勇義、寡詐謀。故守而不走。撃此之道、觸而迫之、陵而遠之、馳而後之、則上疑而下懼。謹我車騎必避之路,其將可虜。三晉者、中國也。其性和。其政平。其民疲於戰。習於兵、輕其將、薄其祿、士無死志。故治而不用。撃此之道、阻陳而壓之、衆來則拒之、去則追之、以倦其師。此其勢也。然則一軍之中、必有虎賁之士。力輕扛鼎、足輕戎馬、搴旗斬將、必有能者。若此之等、選而別之、愛而貴之。是謂軍命。其有工用五兵、材力健疾、志在吞敵者、必加其爵列、可以決勝。厚其父母妻子、勸賞畏罰、此堅陳之士。可與持久。能審料此、可以撃倍。武侯曰、善。

武侯、呉起に謂いて曰く、「今、秦は吾が西を脅し、楚は吾が南を帯し、趙は吾が北を衝き、齊は吾が東に臨み、燕は吾が後を絶ち、韓は吾が前に據る。六國の兵は四に守り、勢甚だ便ならず。此を憂うること奈何。」起對えて曰く、「夫れ國家を安んずるの道は、先づ戒むるを寶と為す(注1)。今、君は已に戒む。禍は其れ遠ざからん。臣請う、六國の俗を論ぜん。夫れ齊の陳は重くして堅からず。秦の陳は散じて自ら鬭う(注2)。楚の陳は整いて久しからず。燕の陳は守りて走らず。三晉の陳は治まりて用いられず(注3)。夫れ齊の性は剛。其の國は富み、君臣驕奢にして、細民に簡たり。其の政は寬にして、祿均しからず。一陳に兩心ありて、前重く後輕し。故に重くして堅からず。此を撃つの道は、必ず之を三分して、其の左右を獵り、脅して之を從うなり。其の陳壞る可し。秦の性は強。其の地は險なり。其の政は嚴に、其の賞罰は信なり。其の人は讓らず、皆鬭心有り。故に散じて自ら戰う。此を撃つの道は、必ず先づ之に示すに利を以てして、引きて之を去る。士得るを貪ぼりて、其の將を離れん。乖に乘じて散を獵り、伏を設けて機に投ずるなり。其の將取る可し。楚の性は弱(注4)。其の地は廣し。其の政は騷がしく、其の民は疲る。故に整いて久しからず。此を撃つの道は、其の屯を襲い亂して、先づ其の氣を奪う。輕く進みて速に退き、弊らして之を勞せしめ、與に戰い爭うこと勿ければ、其の軍敗る可し。燕の性は愨なり。其の民は慎み、勇義を好み、詐謀寡し。故に守りて走らず。此を撃つの道は、觸れて之に迫り、陵ぎて之に遠ざかり、馳せて之に後れなば、則ち上疑いて下懼れん。我が車騎を謹みて必ず之が路を避くるなり(注5)。其の將虜にす可し。三晉は中國なり。其の性は和。其の政平なり。其の民は戰いに疲る。兵に習うも、其の將を輕んじ、其の祿を薄んじて、士は死志無し。故に治まりて用いられず。此を撃つの道は、陳を阻てて之を壓し、衆來れば則ち之を拒ぎ、去れば則ち之を追い、以て其の師を倦ますなり。此れ其の勢なり。然らば則ち一軍の中に必ず虎賁の士有り。力、鼎を扛(あげる)ぐるを輕しとし、足、戎馬より輕く、旗を搴(とる)り將を斬ること、必ず能くする者有り。此の若きの等は、選びて之を別ち、愛して之を貴ぶ。是を軍命と謂う(注6)。其れ工(「巧」に同じ)に五兵を用い(注7)、材力健疾にして、志、敵を吞むに在る者有らば、必ず其の爵列を加えて、以て勝を決す可し。其の父母妻子を厚くし、賞に勸み罰に畏るれば、此れ堅陳の士なり。與に持久す可し。能く審かに此を料らば、以て倍を撃つ可し。」武侯曰く、「善し。」

<語釈>
○注1、『諺義』に、「先戒とは、事の起きざるに先立っていましめ備うるを云う。」とある。○注2、直解:秦國の陳は、人心散じて自ら戦いを為さんと欲するは、其の讓らざるを以てなり。○注3、直解:三晋の陳は、整治して用うる能わざるは、其の死志無きを以てなり。○注4、直解:楚人の性弱しは、南方の風気、柔弱の故を以てなり。○注5、この句の解釈は諸説が多く定め難いが、直解は、「當に我が車騎を敵人に謹みて、必ず之が路を避けしむべし。」と述べており、これに從う。「謹」は厳しくする意。○注6、直解:是を三軍の司命と謂う。「司命」とは、星の名、又は神の名、どちらも人の生命、運命を司る。○注7、五兵は五種類の武器。その内容は諸説ある。

<解説>
服部宇之吉氏云う、「此の章の前段は料敵を言い、後段は選士を言う、敵を料るとは、彼を知るなり、士を選ぶとは、己を知るなり、然らば必ず先づ士を選びて、己の勢力を養い、然る後敵を料れば、乗ず可きの隙有りて勝を取るなり。」孫子の「彼を知り、己を知れば、百戦して殆うからず」に通ずる内容である。

『呉子』料敵第二 第一章

2020-08-18 10:51:46 | 漢文
第一章
魏の武侯は呉起に言った、「今、秦はわが国の西方を脅かしており、楚はわが国の南部と国境を接しており、趙は我が北方をつこうとしており、斉はわが東方をうかがっており、燕はわが後方を遮っており、韓はわが前方に居る。これら六国の軍隊はわが国の四方を取り囲んでおり、我が国にとっては非常に都合が悪く不利である。これを心配しているのだが、どうすればよいのだろうか。」呉起は答えた、「そもそも国家を安泰にする方法は、事が生じる前に十分に警戒して備えることで、それを大切にすることにあります。今、君主は既に警戒して備えておられますので、国家に降りかかる災難は遠ざかるでしょう。私は六国それぞれの国の状況を論じてみたいと思います。斉の軍隊は充実はしていますが、実際の戦闘になれば堅固ではありません。秦の軍隊はまとまりがなく、戦闘になれば各自が勝手に戦います。楚の軍隊は整ってはいますが持久力はありません。燕の軍隊は守備はしっかりしていますが攻撃力に欠けます。韓・魏・趙の三国の軍隊はよく統制はとれておりますが戦闘ではあまり役に立ちません。斉国の人の性格は猛々しく気が短く、国は富んでおり、君主も臣下も心が驕っており贅沢で、庶民をおろそかにして侮っております。その政治は寛大ですが、俸禄は不公平であります。ですので一つの陣営の中でも人心が二分していて、前軍は強兵で構成され後軍は弱兵で構成されており、その力は均しくありません。ですので軍隊は充実していますが、実際の戦闘になれば堅個ではないのです。これを撃ち破る方法は我が軍を三分して、その一軍を敵の前に当たらせ、二軍を敵の左右に当たらせ、敵を脅かして追撃することです。こうすることによって敵の陣を破ることができます。秦国の人の性格は強くたけだけしく、その地は険阻で、政治は厳格で、賞罰は正しく適切でありますが、秦国の人々は互いに譲り合うことなく闘争心があります。ですので秦の軍隊は分散して各自が自分勝手に戦います。これを撃ち破る方法は自軍を退かせて相手に有利であるように見せかけるのです。そうすれば敵の兵士は手柄を立てる為に将軍のもとを勝手に離れます。その隙に乗じて分散した兵を駆り立て、伏兵を設けて好機に投入すれば将軍を捕虜にすることができます。楚国の人の性格は柔弱で、領土は広大で、政治は騒がしく乱れており、国民は疲労しています。ですから楚の軍隊は整ってはいますが持久力はありません。これを撃ち破る方法はその集結している所を急襲してその戦意を奪い、少し進んでは速やかに退いて相手を疲れさせ、まともに戦わないようにすれば、楚国の軍隊は破ることができます。燕国の人の性格は実直で慎み深く勇気と義を好み、策略はあまり用いません。ですので守備に徹して機動力はありません。このような軍隊を攻撃する方法は接触してこれに圧迫を加えることです。そうすれば敵は出撃してきます。我が軍は適当に戦いながら退き、敵が退けば追撃はするが攻撃しないようにします。そうすれば敵の武将は我が軍の意図が分からず疑念に駆られ、兵たちは不安になり懼れるでしょう。そのうえで我が軍の車騎を敵の眼前に厳しく並べればこの道を避けようとします。その隙に乗じて敵の将軍を捕虜にすることができます。晋から分かれた韓・魏・趙は中原の国です。中原の国の人の性格は温和で、その政治は公平ですが、民は戦争で疲労しております。兵は戦いに習熟しており将軍を軽視し、与えられた俸給は少ないと思っているので決死の覚悟はありません。ですので表面上はよく治まっているようですが実際の役には立ちません。これを攻撃する方法は敵と距離をとって対陣して敵を圧迫し、攻めて来れば防ぎ、退けば追跡して敵軍を倦み疲れさせる。これが三国の軍を攻撃する時の自然ななりゆきです。さて一軍の中には必ず勇士が居り、鼎を軽々と持ち上げ、足は軍馬より軽く走り、敵の旗を奪い取り、敵の将を斬ることをよくする者が必ずおります。このような者たちを選んで類別し、親愛して尊重します。これは軍の運命を左右する当然の決め手になります。又巧みに五種類の武器を使いこなし、その技は優れ動きは素早く、心は敵を呑んでかかる者がおれば、より高い爵位を与えることにより、これらも勝利を勝ち取る決め手となります。これらの者の父母や妻子を厚遇し、賞を求めることに務めて刑罰を恐れるようにさせれば、これらの者は陣を堅個にする勇士となり、どんな持久戦も共に戦うことができます。このように詳しくその人の才能をはかって用いるならば、味方に倍する敵をも撃つことができます。」武侯は言った、「なるほど、尤もである。」

武侯謂呉起曰、今秦脅吾西、楚帶吾南、趙衝吾北、齊臨吾東、燕絕吾後、韓據吾前。六國兵四守、勢甚不便。憂此奈何。起對曰、夫安國家之道、先戒為寶。今君已戒。禍其遠矣。臣請論六國之俗。夫齊陳重而不堅。秦陳散而自鬭。楚陳整而不久。燕陳守而不走。三晉陳治而不用。夫齊性剛。其國富、君臣驕奢而簡於細民。其政寬而祿不均。一陳兩心、前重後輕。故重而不堅。撃此之道、必三分之、獵其左右、脅而從之。其陳可壞。秦性強。其地險。其政嚴、其賞罰信。其人不讓、皆有鬭心。故散而自戰。撃此之道、必先示之以利而引去之。士貪於得而離其將。乘乖獵散、設伏投機。其將可取。楚性弱。其地廣。其政騷、其民疲。故整而不久。撃此之道、襲亂其屯、先奪其氣。輕進速退、弊而勞之。勿與戰爭。其軍可敗。燕性愨。其民慎、好勇義、寡詐謀。故守而不走。撃此之道、觸而迫之、陵而遠之、馳而後之、則上疑而下懼。謹我車騎必避之路,其將可虜。三晉者、中國也。其性和。其政平。其民疲於戰。習於兵、輕其將、薄其祿、士無死志。故治而不用。撃此之道、阻陳而壓之、衆來則拒之、去則追之、以倦其師。此其勢也。然則一軍之中、必有虎賁之士。力輕扛鼎、足輕戎馬、搴旗斬將、必有能者。若此之等、選而別之、愛而貴之。是謂軍命。其有工用五兵、材力健疾、志在吞敵者、必加其爵列、可以決勝。厚其父母妻子、勸賞畏罰、此堅陳之士。可與持久。能審料此、可以撃倍。武侯曰、善。

武侯、呉起に謂いて曰く、「今、秦は吾が西を脅し、楚は吾が南を帯し、趙は吾が北を衝き、齊は吾が東に臨み、燕は吾が後を絶ち、韓は吾が前に據る。六國の兵は四に守り、勢甚だ便ならず。此を憂うること奈何。」起對えて曰く、「夫れ國家を安んずるの道は、先づ戒むるを寶と為す(注1)。今、君は已に戒む。禍は其れ遠ざからん。臣請う、六國の俗を論ぜん。夫れ齊の陳は重くして堅からず。秦の陳は散じて自ら鬭う(注2)。楚の陳は整いて久しからず。燕の陳は守りて走らず。三晉の陳は治まりて用いられず(注3)。夫れ齊の性は剛。其の國は富み、君臣驕奢にして、細民に簡たり。其の政は寬にして、祿均しからず。一陳に兩心ありて、前重く後輕し。故に重くして堅からず。此を撃つの道は、必ず之を三分して、其の左右を獵り、脅して之を從うなり。其の陳壞る可し。秦の性は強。其の地は險なり。其の政は嚴に、其の賞罰は信なり。其の人は讓らず、皆鬭心有り。故に散じて自ら戰う。此を撃つの道は、必ず先づ之に示すに利を以てして、引きて之を去る。士得るを貪ぼりて、其の將を離れん。乖に乘じて散を獵り、伏を設けて機に投ずるなり。其の將取る可し。楚の性は弱(注4)。其の地は廣し。其の政は騷がしく、其の民は疲る。故に整いて久しからず。此を撃つの道は、其の屯を襲い亂して、先づ其の氣を奪う。輕く進みて速に退き、弊らして之を勞せしめ、與に戰い爭うこと勿ければ、其の軍敗る可し。燕の性は愨なり。其の民は慎み、勇義を好み、詐謀寡し。故に守りて走らず。此を撃つの道は、觸れて之に迫り、陵ぎて之に遠ざかり、馳せて之に後れなば、則ち上疑いて下懼れん。我が車騎を謹みて必ず之が路を避くるなり(注5)。其の將虜にす可し。三晉は中國なり。其の性は和。其の政平なり。其の民は戰いに疲る。兵に習うも、其の將を輕んじ、其の祿を薄んじて、士は死志無し。故に治まりて用いられず。此を撃つの道は、陳を阻てて之を壓し、衆來れば則ち之を拒ぎ、去れば則ち之を追い、以て其の師を倦ますなり。此れ其の勢なり。然らば則ち一軍の中に必ず虎賁の士有り。力、鼎を扛(あげる)ぐるを輕しとし、足、戎馬より輕く、旗を搴(とる)り將を斬ること、必ず能くする者有り。此の若きの等は、選びて之を別ち、愛して之を貴ぶ。是を軍命と謂う(注6)。其れ工(「巧」に同じ)に五兵を用い(注7)、材力健疾にして、志、敵を吞むに在る者有らば、必ず其の爵列を加えて、以て勝を決す可し。其の父母妻子を厚くし、賞に勸み罰に畏るれば、此れ堅陳の士なり。與に持久す可し。能く審かに此を料らば、以て倍を撃つ可し。」武侯曰く、「善し。」

<語釈>
○注1、『諺義』に、「先戒とは、事の起きざるに先立っていましめ備うるを云う。」とある。○注2、直解:秦國の陳は、人心散じて自ら戦いを為さんと欲するは、其の讓らざるを以てなり。○注3、直解:三晋の陳は、整治して用うる能わざるは、其の死志無きを以てなり。○注4、直解:楚人の性弱しは、南方の風気、柔弱の故を以てなり。○注5、この句の解釈は諸説が多く定め難いが、直解は、「當に我が車騎を敵人に謹みて、必ず之が路を避けしむべし。」と述べており、これに從う。「謹」は厳しくする意。○注6、直解:是を三軍の司命と謂う。「司命」とは、星の名、又は神の名、どちらも人の生命、運命を司る。○注7、五兵は五種類の武器。その内容は諸説ある。

<解説>
服部宇之吉氏云う、「此の章の前段は料敵を言い、後段は選士を言う、敵を料るとは、彼を知るなり、士を選ぶとは、己を知るなり、然らば必ず先づ士を選びて、己の勢力を養い、然る後敵を料れば、乗ず可きの隙有りて勝を取るなり。」孫子の「彼を知り、己を知れば、百戦して殆うからず」に通ずる内容である。

口語訳『荀子』不苟篇第三

2020-08-11 10:24:06 | 漢文
不苟篇第三

君子は困難に立ち向かうことを尊ばず、弁舌が明察であることを尊ばず、名声が広く伝わることを尊ばない。ただ礼儀に適っていることを尊ぶのである。だから懐に石を抱いて黄河に身を投ずるのは、為し難い行いであり、殷末の申徒狄は紂王の暴虐に抗議してそれを実行したが、君子がこれを尊ばないのは、礼儀に基づいた行いでないからである。山や淵は平らかであるとか、天と地とは同じであるとか、東の齊と西の秦とは同じ場所にあるとか、釣り針にえらがあるとか、卵に毛があるとかの詭弁は、普通の者には理解し難い理屈であるが、惠施や鄧析はこの詭弁を巧みに操る。しかし君子がそれを尊ばないのは、礼儀に適っていないからである。盗賊の盗跖は古来より語り継がれ、その名声は太陽や月の如く遍く知られ、聖王の舜や禹と共に後世に伝えられ消えることはない。しかし君子が盗跖を尊ばないのは、礼儀に外れているからである。だから、「君子は困難に立ち向かうことを尊ばず、弁舌が明察であることを尊ばず、名声が広く伝わることを尊ばない。ただ礼儀に適っていることを尊ぶ。」と言ったのである。『詩経』小雅の魚麗篇に、「善い物は数多くあっても、時宜に適ったものでなければ善いものとはいえない。」とあるのは、この事を言っているのである。
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『論語』為政第二 26、27、28章

2020-08-03 10:38:53 | 漢文
26
孔子言う、人の善悪を知るには、その人の行為をよく視て、その行為の動機を観察して、その動機に安んじて楽しんでいるか否かを考察すれば、人はどうして己の善悪を隠すことが出来ようか、隠すことが出来ようか。

子曰、視其所以、觀其所由、察其所安、人焉廋哉、人焉廋哉。

子曰く、「其の以す所を視、其の由る所を觀、其の安んずる所を察すれば、人焉くんぞ廋さんや、人焉くんぞ廋さんや。」

<語釈>
○「視其所以」、朱注:「以」は、為すなり、善を為す者は君子為り、惡を為す者は小人為り。行為の善悪を視ること。○「察其所安」、朱注:安んじて樂しむ所なり、由る所善と雖も、心の樂しむ所の者、是に在らざれば、則ち亦た偽るのみ。○「廋」、朱注:「廋」は、匿すなり。

<解説>
人の善悪を見分ける方法を述べている。行為を見、動機を観察し、心のありようを考察する、此の三者のなかで、大事なのは心のありようである。朱注で、「心の樂しむ所の者、是に在らざれば、則ち亦た偽るのみ」と述べられているように、同じ善を為すにしても、それが心からのものか否かが大事である。偽善者には気を付けなっければならない。

27

孔子言う、古人の書物を研究し、過去の事柄や学説を謙虚に学び取り、それを以て今日の新しいことに応用していくならば、人の師となるのに十分である。

子曰、温故而知新、可以為師矣。

子曰く、「故きを温ねて新しきを知れば、以て師と為る可し。」

<語釈>
○「温故」、朱注:「温」は、尋繹なり。尋繹とは、尋ねきわめること。“たずねる”と訓ず。「故」は古人の学問。

<解説>
有名な「温故知新」の語句で知られる節である。この語句の解釈については、通釈で示したとおり、古い者を学んで新しい者に応用する、という意味に解釈する以外に、既にに学んだことに習熟して、新たに悟るところがあるようにする、という意味に解釈する説もある。しかし一般的には通釈で示した内容である。しかし大事な事は、故きを温ねるだけではなく、それを今に活用させる能力である。それが無ければ単なる物知りで終わってしまう。

28
孔子言う、君子という者は、特定の役割に応じるだけの器物のようであってはならない。広く遍く応じることが出来なければならない。

子曰、君子不器。

子曰く、「君子は器ならず。」

<語釈>
○「君子不器」、朱注:器は各々其の用に適して相通ずる能わず、成徳の士は、體具わざるは無し、故に用周からざるは無し、特に一材一藝のみに非ず。

<解説>
人間一芸に秀でることも大切であるが、君子とは、才能や特技のある人ではなく、偏らずに広く仁愛で包み込むことが出来る人である。