gooブログはじめました!

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

『大学』第五節第一章

2012-12-30 10:26:16 | 漢文

『大学』第五節第一章

第一章第二節に、「国を治めようとする者は、それに先立って自分の家を秩序正しく和合させる。」とあるのは、自分の家人を教化することもできずに、国人を教化することはできない、と言うことである。故に君子は家を出なくとも、国人を徧く教化することができる。何故なら、父に事える孝は、君主に事える道徳であり、兄に従う弟は、国の長上者に事える道徳であり、我が子に対する慈は、国民を使うときの道徳である。康誥にも、「人民を養い使うには、赤子を慈しみ育てるようにする。」と言っている。真心を以て、家庭の道徳を修め、之を国中に布き及ぼすことを求めるならば、国を治めるに、完全でなくとも、大過なく治めることが出来る。子を養い育てる術を学んでから、後に嫁ぐものはいない。君主が仁の道を行えば、国中も仁の道が行われてよく治まり、君主が家族に対し互いに譲り合えば、国中も譲り合ってよく治まり、君主が利を貪るならば、国が乱れる。国が治まるか乱れかは、このように君主の行いにかかっている。これが君主の誤ったわずか一言が、国の大事を損ない、君主が一人徳を修めるならば、国は安寧に治まると言うことなのである。

所謂治國必先齊其家者、其家不可教而能教人者、無之。故君子不出家而成教於國。孝者、所以事君也。弟者、所以事長也。慈者、所以使眾也。康誥曰、如保赤子。心誠求之、雖不中不遠矣。未有學養子而后嫁者也。一家仁、一國興仁。一家讓、一國興讓。一人貪戾、一國作亂。其機如此。此謂一言僨事、一人定國。

所謂る國を治むるには必ず先ず其の家を齊うとは、其の家教う可からずして、而も能く人を教うる者は、之れ無し。故に君子は家を出でずして、教えを國に成す。孝は、君に事うる所以なり。弟は、長に事うる所以なり。慈は、衆を使う所以なり。康誥に曰く、「赤子を保んぜるが如くす。」心誠に之を求めば、中らずと雖も遠からず。未だ子を養うを學びて后に嫁する者有らざるなり。一家仁なれば、一國仁に興り、一家讓なれば、一國讓に興り、一人貪戾なれば、一國亂を作す。其の機、此くの如し。此れを一言事を僨(やぶる)り、一人國を定む、と謂う。

<語釈>
○「養子」、鄭注曰く、「子を養うは、心を推して之が為にし、而して赤子の耆欲に中るなり。」○「一家」「一人」、どちらも君主を指す。鄭注に、「一家、一人は、人君を謂うなり。」とある。○「貪戾」、戻は利、利を貪る。○「其機如此」、「機」は鄭注に、「機は発動の由る所なり。」とある。国が治まるか乱れるかは、君主が自分の家を斉えているかどうかによる。

<解説>
此の節の主題である「国を治めようとする者は、それに先立って自分の家を秩序正しく和合させる。」は、『大学』の中でも最も中心的な命題である。中国は世界に例を見ない家族主義の発達した国であり、天下は大なる家族であり、家族は小なる天下であると考える。その家族主義を支えるものが孝である。『孝経』に、「孝を以て天下を治む」とあるのが、当にこの節の主旨であろう。