gooブログはじめました!

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

『孟子』巻第七離婁章句上 六十八節、六十九節

2017-09-29 10:13:54 | 四書解読
六十八節

孟子は言った。
「天下に正しい道理が行われていれば、徳の少ない人は、徳の高い人に使われ、才知の少ない人は、賢明な人に使われるものだ。天下に正しい道理が行われていなければ、力の小さな者は大きい者に使われ、弱い者は強い者に使われる。この二つの事は天の道理である。だからそれに従う者は存立し、逆らう者は亡びるのである。昔、齊の景公は、強国の呉の国から娘を嫁にほしいと申し入れを受けたとき、『我が国は既に他国に命令する力はないのに、他国の命令を聞かないのは、国交を絶って危機を招くことになる。』と言って、涙ながらに娘を嫁がせた。ところが今の小国は大国を手本としながら、大国の命令を聴くのは恥だと思っている。これではまるで弟子となりながら、先生の命を聴くのを恥だと思っているのと同じようなものである。もし本当にそれを恥だと思うなら、周の文王を手本として学ぶことだ。文王の道を誠に学べば、大国なら五年、小国でも七年もすれば、天下を治める王者となるであろう。『詩経』(大雅 文王篇)に、『殷の子孫は多く十万を下らないが、上帝既に命じて周に服せしめた。天の命は殷から周へ代わった。これは天命も常に固定したものではないということだ。殷の子孫の立派な臣下も、周の都にやってきて、地に酒を注いで、周の祀りを助けている。』と歌っており、孔子は、『仁に対しては、多人数でどうにか出来る者ではない。だから、君主が仁政を行えば、天下にはむかう者はいなくなる。』と言われた。ところが今の君主は、天下無敵になりたいと望みながら、最も大切な仁政を行わない。これではまるで水で手を冷やさずに熱い物をつかむようなものだ。『詩経』(大雅 桑柔篇)にも、『誰がよく熱い物を執らんとして、水で手を冷やさない者あらん。』と歌っているではないか。」

孟子曰、天下有道、小德役大德、小賢役大賢。天下無道、小役大、弱役強。斯二者天也。順天者存、逆天者亡。齊景公曰、既不能令、又不受命、是絕物也。涕出而女於呉。今也小國師大國而恥受命焉。是猶弟子而恥受命於先師也。如恥之、莫若師文王。師文王、大國五年、小國七年、必為政於天下矣。詩云、商之孫子、其麗不億。上帝既命、侯于周服。侯服于周、天命靡常。殷士膚敏、祼將于京。孔子曰、仁不可為衆也。夫國君好仁、天下無敵。今也欲無敵於天下、而不以仁。是猶執熱而不以濯也。詩云、誰能執熱、逝不以濯。

孟子曰く、「天下に道有れば、小德は大德に役せられ、小賢は大賢に役せらる。天下に道無ければ、小は大に役せられ、弱は強に役せらる。斯の二つの者は天なり。天に順う者は存し、天に逆う者は亡ぶ。齊の景公曰く、『既に令すること能わず、又命を受けざるは、是れ物を絕つなり。』涕出でて呉に女わせり。今や、小國、大國を師として命を受くることを恥づ。是れ猶ほ弟子にして命を先師に受くるを恥づるがごときなり。如し之を恥ぢなば、文王を師とするに若くは莫し。文王を師とせば、大國は五年、小國は七年にして、必ず政を天下に為さん。詩に云う、『商の孫子は、其の麗億のみならず。上帝既に命じて、侯れ周に服せしむ。侯れ周に服せしむ、天命は常靡し。殷士膚敏なるも、京に祼(カン)將す。』孔子曰く、『仁には衆を為す可らず。夫れ國君仁を好めば、天下に敵無し。』今や天下に敵無からんを欲して、而も仁を以てせず。是れ猶ほ熱を執りて而も以て濯せざるがごときなり。詩に云う、『誰か能く熱を執るに、逝(ここに)に以て濯せざらん。』」

<語釈>
○「麗不億」、朱注:「麗」は、「數」なり、十萬を億と曰う。「億」は、古は十万、後に万万になる。○「殷士膚敏」、朱注:「殷士」は、商の孫子の臣なり、「膚」は、「大」なり、「敏」は「達」なり。○「祼將」、朱注:「祼」(カン)、宗廟の祭、鬱鬯の酒を以て地に灌ぎ、神を降すなり、「將」は「助」なり。○「執熱而不以濯」、この句は朱注、趙注共に通釈の意に解しているが、それとは別に、暑熱に接しても水浴びをしない意に解する説もある。

<解説>
趙岐の章指に云う、「衰に遭い、亂に遭、強大の屈服するも、國を據るに仁を行えば、天下に敵無し。億衆有りと雖も、徳無ければ親しまず。熱きを執るに須らく濯するとは、仁に違う可からざるを明らかにするなり。」


六十九節

孟子は言った。
「不仁者は俱に語り合うことは出来ない。彼らは危険な事を安全だと思い、害をなす災いを利益だと思い、それらがわが身を亡ぼす原因を楽しんでいる。しかし不仁者でも俱に語り合うことが出来れば、どうして国を亡ぼし家をつぶすようなことがあろうか。とある子供が、『滄浪の水が澄んだら、冠の紐を洗いましょう。濁ったら足を洗おいましょう。』と歌っていた。孔子は之を聞いて弟子たちに、『おまえたち、この歌をよく聞くがよい。川の水が澄んだら冠の紐を洗い、濁れば足を洗うという。水自身の状態が冠の紐か足かを選んでいるのだ。』と言って戒められた。だいたい人は自分をないがしろにするようなことをするからこそ、人も侮るのである。家にしても潰すような原因を自ら作るからこそ、人に潰されるのだ。国家にしても自ら国内を乱すような政治をするからこそ、他国から伐たれるのである。『書経』の太甲篇に、『天のなせる災いは、何とか避けることが出来るが、自ら起こした災いからは、逃れることが出来ない。』とあるのは、この事を言ったものである。」

孟子曰、不仁者可與言哉。安其危而利其菑、樂其所以亡者。不仁而可與言、則何亡國敗家之有。有孺子、歌曰、滄浪之水清兮、可以濯我纓。滄浪之水濁兮、可以濯我足。孔子曰、小子聽之。清斯濯纓、濁斯濯足矣。自取之也。夫人必自侮、然後人侮之。家必自毀、而後人毀之。國必自伐、而後人伐之。太甲曰、天作孽、猶可違。自作孽、不可活。此之謂也。

孟子曰く、「不仁者は與に言う可けんや。其の危うきを安しとし、其の菑を利とし、其の亡ぶる所以の者を樂しむ。不仁にして與に言う可くんば、則ち何ぞ國を亡ぼし家を敗ることか之れ有らん。孺子有り、歌いて曰く、『滄浪の水清まば、以て我が纓を濯う可し。滄浪の水濁らば、以て我が足を濯う可し。』孔子曰く、『小子之を聽け。清まば斯に纓を濯い、濁らば斯に足を濯う。自ら之を取るなり。』夫れ人必ず自ら侮りて、然る後人之を侮る。家必ず自ら毀ちて、而る後人之を毀つ。國必ず自ら伐ちて、而る後人之を伐つ。太甲に曰く、『天の作せる孽は、猶ほ違く可し。自ら作せる孽は、活く可からず。』此の謂なり。」

<語釈>
○「纓」、冠の紐。○「小子」、趙注:小子は孔子の弟子なり。○「自取之也」、服部宇之吉氏云う、自取之也は、水自身の清濁が纓足の別を取りたるにして、自ら己を尊くし又卑しくするを言うなり。

<解説>
趙岐云う、人の安危は、皆己に由る、と。己の不幸を嘆き、天を怨むことなく、己自身を振り返り、身を正すことに務めてこそ、禍危を避け、福安をもたらすすことが出来るのだ

『呂氏春秋』巻第十孟冬紀

2017-09-24 09:32:31 | 四書解読

巻十 孟冬紀

一 孟冬

一に曰く。孟冬の月。日は尾に在り、昏に危中し、旦に七星中す。其の日は壬癸、其の帝は顓頊(予備の五帝を参照)、其の神は玄冥(水神)、其の蟲は介(甲羅を有する動物の総称)、其の音は羽、律は應鐘に中たる。其の數は六、其の味は鹹(カン、塩辛い味)。其の臭は朽(キュウ、高注:水の臭味なり)、其の祀は行(高注:行は門内の地)、祭るには腎を先にす。水始めて冰り、地始めて凍る。雉、大水に入りて蜃(はまぐり)と為る。虹藏れて見われず。天子、玄堂の左个に居り、玄輅に乘り、鐵驪(テツ・リ、黒馬)を駕し、玄旂を載て、黑衣を衣、玄玉を服び、黍と彘とを食らう。其の器は宏にして以て弇なり(高注:「宏」は「大」なり、「弇」(エン)は「深」なり)。是の月や、立冬なるを以て、立冬に先だつこと三日、太史、之を天子に謁げて、曰く、「某日立冬なり、盛德は水に在り。」天子乃ち齋す。立冬の日、天子親ら三公九卿大夫を率いて以て冬を北郊に迎う。還りて乃ち事に死せしものを賞し(高注:先人に王事に死して以て社稷を安んずる者有れば、其の子孫を賞す)、孤寡を恤む。是の月や、太卜に命じて、龜策(龜卜と易筮)を禱祠し兆を占し、卦の吉凶を審らかにせしむ。是に於て上に阿り法を亂す者を察し、則ち之を罪して、揜蔽すること有る無からしむ。是の月や、天子始めて裘す。有司に命じて曰く、「天氣上騰し、地氣下降し、天地通ぜず、閉じて冬を成せ。」百官に命じて、謹んで蓋藏(貯蔵すること)せしむ。司徒に命じて、積聚を循行し(「積聚」は物を蓄えること、「循行」は巡察)、斂めざる有ること無からしむ。城郭を坿し(高注:「坿」は「益」なり。守りを堅固にする意)、門閭(里の門)を戒め、楗閉(門の縦のかんぬき)を修め、關籥を慎み(「關」は門の横のかんぬき、「籥」は鍵)、封璽(封印)を固くす。邊境に備え、要塞を全くし、關梁を謹み、蹊徑(間道)を塞ぐ。喪紀を飭(ととのえる)え、衣裳を辧ち、棺槨の厚薄を審らかにし、丘壟(墓地)に小大高卑薄厚の度、貴賤の等級を營る(高注:「營」は「度」なり)。是の月や、工師、功を效し、祭器を陳ね、度程を按じ、淫巧を作為して、以て上の心を蕩かす或ること無からしめ、必ず功致を上と為す。物は工名を勒し、其の誠を考え、工に當らざる有れば、必ず其の罪を行い、以て其の情を窮む。是の月や、大いに飲蒸し(「烝」は冬の祭の名、酒を飲んで烝祭を行うこと)、天子乃ち來年を天宗に祈る。大いに割きて、公社(國社)及び門閭を祠り、先祖五祀を饗し、農夫を勞い、以て之を休息せしむ。天子乃ち將率に命じて、武を講じ、射御を肄い(高注:「肄」は「習」なり)、力を角(きそう)わしむ。是の月や、乃ち水虞・漁師に命じて、水泉池澤の賦を収め、敢て衆庶兆民を侵削して、以て天子の為に怨みを下に取ること或る無からしむ。其れ此きの若き者有れば、罪を行い赦すこと無し。孟冬に春の令を行えば、則ち凍閉密ならず、地氣發泄し、民多く流亡す。夏の令を行えば、則ち國に暴風多く、冬に方りて寒からず、蟄蟲復た出づ。秋の令を行えば、則ち雪霜時ならず、小兵時に起こり、土地侵削せらる。

二 節喪

続きはホームページで、http://gongsunlong.web.fc2.com/

『孟子』巻第七離婁章句 六十六節 六十七節

2017-09-18 10:17:02 | 四書解読
六十六節

孟子は言った。
「人は皆世の中を論じるとき、常に天下国家という言葉を口にする。だが、天下の本は国に在り、国の本は家に在り、家の本はわが身に在るのだ。」

孟子曰、人有恒言。皆曰、天下國家。天下之本在國、國之本在家、家之本在身。

孟子曰く、「人、恒の言有り。皆曰く、『天下國家。』天下の本は國に在り、國の本は家に在り、家の本は身に在り。」

<解説>
趙岐の章指に云う、天下国家は、各々其の本に依る。本正しければ則ち立ち、本傾けば則ち踣(たおれる)る。常に言を曰うと雖も、必ず須らく敬慎すべきなり。

六十七節

孟子は言った。
「政治は難しいものではない。譜代の重臣から怒りや恨みを受けて罪を得ることのないようにすることだ。重臣たちが敬愛する所の君主は、全国民も敬愛する。その国の民が敬愛するような君主は、天下も敬愛する。かくして、その君主の徳による教化は、勢いよく流れて溢れだす水のように天下に満ちあふれるようになるであろう。」

孟子曰、為政不難。不得罪於巨室。巨室之所慕、一國慕之。一國之所慕、天下慕之。故沛然德教溢乎四海。

孟子曰く、「政を為すは難からず。罪を巨室に得ざれ。巨室の慕う所は、一國之を慕う。一國の慕う所は、天下之を慕う。故に沛然として德教、四海に溢る。」

<語釈>
○「巨室」、朱注:巨室は世臣の大家なり。その国の中心的な譜代の卿大夫。○「巨室之所慕」、君主を指す。○「一國」、君主に対する語として、国民の意に解す。

<解説>
この政治を為す者の主体は誰かで、議論が分かれているらしい。安井息軒氏は他国から来た者や身分の低い者から抜擢された者を戒める為の文章であるとする。私は文全体から考えて、君主であると理解した。

『史記』 高祖本紀

2017-09-13 10:19:21 | 四書解読
高祖本紀

高祖は、沛の豐邑中陽裏の人なり。姓は劉氏、字は季。父を太公と曰い、母を劉媼と曰う。其の先、劉媼嘗て大澤の陂(ヒ、つつみ)に息い、夢に神と遇う。是の時、雷電して晦冥なり。太公往きて視れば、則ち蛟龍を其の上に見る。已にして身める有り,遂に高祖を産む。高祖の人と為り、隆準(セツ、鼻)にして龍顏、美須髯(シュ・ゼン、あごひげ)あり、左の股に七十二の黑子有り。仁にして人を愛し、施しを喜み、意、豁如(カツ・ジョ、心が広い)たり。常に大度有り。家人の生產作業を事とせず。壯なるに及びて、試みられて吏と為り、泗水の亭長と為る。廷中の吏、狎侮(コウ・ブ、軽んじあなどる)せざる所無し。酒及び色を好む。常に王媼・武負に從いて酒を貰(セイ、『説文』に云う、貸すなり。かけで買うこと)す。醉臥するとき、武負・王媼、其の上に常に龍有るを見、之を怪しむ。高祖酤(かう)うて留りて飲む毎に、酒讎るること數倍す(集解:如淳曰く、讎も亦た售(うる)なり)。怪を見るに及び、歲の竟りに、此の兩家常に券を折り責を棄つ。
続きはホームページで、http://gongsunlong.we¬b.fc2.com/

『孟子』巻第七離婁章句上 六十四節 六十五節

2017-09-05 10:16:30 | 四書解読
六十四節

孟子は言った。
「夏・殷・周の三代が天下を得ることが出来たのは、その始祖が仁政を行ったからであり、天下を失ったのは、その末帝が無慈悲な政治を行ったからである。諸侯の国の興廃・存亡も亦た同じことである。天子が不仁であれば、天下を保つことはできない。諸侯が不仁であれば、國を保つことはできない。卿や大夫が不仁であれば、先祖の霊廟を守ることはできない。士や庶民が不仁であれば、己の体を満足に保つことはできない。ところが今の人々は、死んだり亡んだりするのを嫌いながら、無慈悲な行いを楽しんでいる。これではまるで酔うのを嫌いながら、むやみに酒を飲むようなものである。」

孟子曰、三代之得天下也以仁、其失天下也以不仁。國之所以廢興存亡者、亦然。天子不仁、不保四海。諸侯不仁、不保社稷。卿大夫不仁、不保宗廟。士庶人不仁、不保四體。今惡死亡、而樂不仁、是猶惡醉、而強酒。

孟子曰く、「三代の天下を得るや、仁を以てし、其の天下を失うや不仁を以てす。國の所廢興存亡する所以の者も、亦た然り。天子不仁なれば、四海を保たず。諸侯不仁なれば、社稷を保たず。卿大夫不仁なれば、宗廟を保たず。士庶人不仁なれば、四體を保たず。今、死亡を惡みて、而も不仁を樂しむは、是れ猶ほ醉うことを惡みて、而も酒を強うるがごとし。」

<語釈>
○「三代」、夏・殷・周の三王朝。

<解説>
特に解説することもないので、趙岐の章指を紹介しておく。
人の安んずる所以は、仁を為すに若くは莫し、惡みて去ること勿ければ、患い必ず身に在り、上自り下に達するまで、其の道は一なり。

六十五節

孟子は言った。
「人を愛しても、相手が親しんでこなければ、自分の仁愛が足らないことを反省せよ。人を治めてもよく治まらない場合は、自分の智が足りないことを反省せよ。人に礼を尽くしても、相手が答えてくれない時は、相手を敬う心が足りないことを反省せよ。何事も自分の行動で、相手から思うような結果が得られない時は、常に己を省みて原因を己の中に見出すべきである。そして自分の身が正しくなれば、天下は自然と帰服してくるだろう。『詩経』にも、『私は長く天命に従って行動し、自ら多くの福を求めてきた。』と言っている。」

孟子曰、愛人不親、反其仁。治人不治、反其智。禮人不答、反其敬。行有不得者、皆反求諸己。其身正而天下歸之。詩云、永言配命,自求多福。

孟子曰く、「人を愛して親しまずんば、其の仁に反れ。人を治めて治まらずんば、其の智に反れ。人を禮して答えずんば、其の敬に反れ。行いて得ざる者有れば、皆諸を己に反求す。其の身正しければ天下之に歸す。詩に云う、『永く言、命を配し、自ら多福を求む。』」

<語釈>
○「詩云」、『詩経』大雅の文王篇、二十七節にも同じ句が出ている。

<解説>
短い節であるが、「行いて得ざる者有れば、皆諸を己に反求す。」とは、我々にとっても誠に大切な教えである。何事もとかく人のせいにしがちであるが。その前に己を省みるべきである。