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『論語』為政第二 37、38、39章

2021-01-15 11:26:06 | 漢文
37
ある人が孔子に言った、「あなたはどうして政治に携わらないのですか。」孔子は答えた、「『書経』に、ああ、孝とは何と大きなものであろうか。父母に孝を尽くしてこそ、兄弟は仲睦まじく、それらは政治にも及ぶのだ、とあるように、家を正しく治めることも政治であって、官職につくだけが政治をすることではない。」

或謂孔子曰、子奚不為政。子曰、書云、孝乎惟孝、友于兄弟、施於有政。是亦為政。奚其為為政。

或ひと孔子に謂いて曰く、「子奚ぞ政を為さざる。」子曰く「書に云う、『孝なるかな惟れ孝、兄弟に友に、有政に施す。』是も亦た政を為すなり。奚ぞ其れ政を為すを為さん。」

<語釈>
○「書」、「『書経』、この句は今の『書経』の君陳篇にあるが、この篇は後の偽作であるので、孔子の時代の事は分からない。○「孝乎惟孝」、集解:包咸曰く、「孝乎惟孝」は、大孝を美するの辭。○「有政」、「有」は語調を整える添え字。

<解説>
孔子が仕えない理由をある人が尋ねたのであるが、これがいつの時代かは分からない。朱子は定公の初年の頃だとし、中井履軒は晩年の哀公十一年頃だとする。どちらにしてもこの頃の魯の情勢は三桓氏が政治を專らにし、又陽虎の乱などもあり、孔子が任用される状況ではなかった。その結果、「奚ぞ其れ政を為すを為さん。」という言葉になったのであろう。

38
孔子は言う、「人でありながら誠の心が無ければ、その人が良いと思ってやっていることでも、私は何故良いのか理解することはできない。牛車に輗が無く、馬車に軏が無ければ、どうして車を進めることができようか。それと同じように人に誠が無ければ、何事も行えないのである。

子曰、人而無信、不知其可也。大車無輗、小車無軏、其何以行之哉。

子曰く、「人にして信無くば、其の可なるを知らざるなり。大車に輗無く、小車に軏無くんば、其れ何を以てか之を行らんや。」

<語釈>
○「輗」、音はゲイ、車の轅の端についている木、それに軛(くびき)を縛り付けて牛を繋ぐ道具。○「軏」、音はゲツ、轅の端が曲がった所、そこに衡(くびき)をつけて馬に繋ぐ道具。

<解説>
輗と軏とは車と牛馬とを接続する大切な道具で、これが無ければ車を進めることはできない。それと同じで誠は己と人とを結び付けるものであり、誠が無ければ己は人と離れてしまって何もできなくなると言うことである。人間にとって誠の大切さを説いている。そしてこの誠の思想と重要性を説いたのが『中庸』である。

39

弟子の子張が尋ねた、「今から王朝が十回も変わった遠い将来のことを知ることができるでしょうか。」孔子は答えた、「先を知る為には過去を知る必要がある。殷王朝は夏王朝の礼制を因襲しており、何を省いて何を増したかについては今知ることができる。周王朝は殷王朝の礼制を因襲しており、何を省いて何を増したかについては今知ることができる。このことからして、今後周王朝に代わってどんな王朝が出現するかは分からないが、たとえ百世先でもその礼制の在り方については大体推測が出来るものだ。」

子張問、十世可知也。子曰、殷因於夏禮。所損益、可知也。周因於殷禮。所損益、可知也。其或繼周者、雖百世可知也。

子張問う、「十世知る可きや。」子曰く、「殷は夏の禮に因る。損益する所、知る可きなり。周は殷の禮に因る。損益する所、知る可きなり。其れ或は周を繼ぐ者は、百世と雖も知る可きなり。」

<語釈>
○「十世」、朱注:王者、姓を易え命を受くるを一世と為す。一王朝を一世とすること。

<解説>
よく言われる、過去を知れば未来が分かると言うことを説いているように見えるが、ここで言っている内容は我々が使用する「未来が分かる」とは内容が違っている。社会の根本は礼制に基づくもので、儒教では上下身分や、仁義等の人倫の大綱であって、これらは世の中が移り変わっても一貫して変わらないものであるとされている。代わるものは礼の制度や礼節である。故に変化するのは表面的のもので根本は不変であるので、儒教の立場からすれば未来の予測は比較的簡単なのであろう。

口語訳『荀子』巻第三 非十二子篇第六

2020-12-20 11:24:00 | 漢文
非十二子篇第六
 今の時代に、邪説を弄し姦言を飾り立てて天下をかき乱し、人を欺く誇大な言や理解し難いこまごまとした邪な言を為し、天下を混乱させて事の是非や治乱の原因がどこにあるか分からないようにさせる者がいる。意の向くままに勝手気ままな行いをし、禽獣のような行いで、礼儀に適い治道に通ずることはできない。それでもその行いは根拠があり、弁説は筋道が立っており、愚昧な民衆を欺き惑わすには十分である。它囂(タ・ゴウ)や魏牟がそういった人物である。意を押し殺して、世間から離れて超然と我が道を行き、人と異なることを以て高尚だと考える。それでもその行いは根拠があり、弁説は筋道が立っており、愚昧な民衆を欺き惑わすには十分である。陳仲や史鰌がそういった人物である。天下を統一し国家をたてる基準を知らず、功利主義、倹約主義を唱えて、君臣の上下を軽んじて労苦を共にすることを主張し、社会的な差別を設け、君臣の上下関係を秩序たてることができない。それでもその行いは根拠があり、弁説は筋道が立っており、愚昧な民衆を欺き惑わすには十分である。墨翟や宋鈃がそういった人物である。法を尊ぶべきことを強調しながら実は法を無視し、学問修養を軽蔑しながら好んで書物を著し、上は王に聴き入れられ、下は世俗に從われ、終日弁論して立派な論議をするが、繰り返してよく之を調べれば、実際とかけ離れていて帰着する結論がなく、国家を治めて社会的身分の秩序を定めることはできない。それでもその行いは根拠があり、弁説は筋道が立っており、愚昧な民衆を欺き惑わすには十分である。愼到や田駢がそういった人物である。先王の教えに従わず、礼儀を否定し、好んで怪しげな説を述べ、奇異な言葉を弄び、甚だ明察であるが実際的でなく、雄弁であるが役には立たず、為すことは多いが成果は少なく、とても国を治める法度とすることはできない。それでもその行いは根拠があり、弁説は筋道が立っており、愚昧な民衆を欺き惑わすには十分である。惠施や鄧析がそういった人物である。概ね先王の教えに従っているがその根本を知らず、態度はゆったりとしているが性質は激しく志は大きく、見聞は博いが大雑把で、上古の事を考えて自説をなし、それを五行と呼んでいるが、甚だひがみ偏っていて規範性がなく、その説は奥深そうであるが自ら解説することができず、その言葉を飾り立てて、それを慎み敬い、「これこそ真に先君子孔子の説である。」と言っている。子思が唱えて、孟子がこれに和した。世俗の愚かで心の暗い儒者は、口やかましく論じ立てるだけでそれが間違っていることが分からず、そのまま受け継いで伝え、孔子や子游が後世に重んぜられるようになったのはそのおかげであると思い込んでいる。これこそ子思や孟子の罪である。もし誰かが方策を統べて、言行を等しくし、大小の筋道を一定にする。そうして天下の英雄を集め、古の教えを告げ、至順の徳を教えたならば、部屋の隅に居り、敷物に坐しながら、聖王の美なる教えが自然と集まってきて完備し、太平の風俗が勢いよく起こってくるであろう。そうなれば先の邪な六説は人の心に入り込むことができず、かの十二人の者は人々に近づくことも出来ない。たとい針が立つほどの領地すら持っていなくとも、王公も彼と名声を争うことができず、まして一大夫の位に在れば、一君主だけで召し抱えることも出来ず、一国だけで留めておくことも出来ず、その名声は諸侯に遍く知られ、臣にしたいと願わない者はいない。このような人は聖人でありながら権勢と地位とからかけ離れた人物、それが孔子や子弓である。天下を統一し、万物を成就し、人民を養い、兼ねて天下を利し、交通の及ぶ所で服従しない人々はなく、六説を唱えるものはたちどころに止め、かの十二子は感化されて考えを改める。このような聖人であって権勢と地位とを手に入れた人、それが舜や禹である。今の世、仁人たるものは何に努力すべきか。上は舜・禹の定めた制度に法り、下は孔子。子弓の道義に法り、十二子の邪説を無くすことに努力すべきである。そうすれば天下の害は除かれ、仁人の成すべきことは終わり、聖王の事跡が現れてくる。
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『論語』為政第二 34、35、36章

2020-12-07 11:22:45 | 漢文
34

弟子の子張が仕えて俸禄を求めるにはどうしたらよいかを尋ねた。孔子は言った、「多くの事を聞いて、その中から疑わしいものを取り除き、その残りの確かな事を慎重に述べるようにすれば、人から咎められることは少ないし、多くのものを見て、その中から不安に感じるものを取り除き、その残りの安全な事を慎重に行えば後悔することは少ない。言葉は人から咎められることが少なく、行いは自ら後悔することが少なければ、必ず人から信用されて用いられるので、俸禄は自然とついてくるものだ。」

子張學干祿。子曰、多聞闕疑、慎言其餘、則寡尤。多見闕殆、慎行其餘、則寡悔。言寡尤、行寡悔、祿在其中矣。

子張、祿を干むることを學ぶ。子曰く、「多く聞きて疑わしきを闕き、慎みて其の餘を言えば、則ち尤寡し。多く見て殆きを闕き、慎みて其の餘を行えば、則ち悔寡し。言に尤寡く、行いに悔寡ければ、祿は其の中に在り。」

<語釈>
○「子張」、孔子の弟子、姓は顓孫、名は師、字は子張。○「學」、『史記』の仲尼列伝に、子張、禄を干(もとめる)むるを問う、とあることから、「學」は「問」の義に解す。○「殆」、朱注:「殆」とは、未だ安ぜざる所。不安の意。

<解説>
修飾活動は知識や技術を身につけるのではなく、言行を正しく慎重にすることであると述べている。これは現在の就職活動にも言えることであろうか。これが全てだとは言えないかもしれないが、大切な事であることは間違いない。

35

魯の哀公が、「どうしたら民が服従するだろうか。」と尋ねた。孔子は答えた、「正直な人を任用して、邪で正直でない人を捨て去れば民は服従します。邪で正直でない人を用いれば民は服従しません。」

哀公問曰、何為則民服。孔子對曰、舉直錯諸枉、則民服。舉枉錯諸直、則民不服。

哀公問いて曰く、「何を為さば則ち民は服せん。」孔子對えて曰く、「直を舉げて諸を枉に錯けば、則ち民は服す。枉を舉げて諸を直に錯けば、則ち民は服せず。」

<語釈>
○「舉直錯諸枉」、集解:包咸曰く、「錯」は置くなり、正直な人を舉げて之を用い、邪枉の人を廢置せば、則ち民は其の上に服す。「邪枉」は邪で正直でない人

<解説>
君主たる者は常に民が己に心服することを望んでいるが、それが可であるか不可であるかは君主の側に要因があるのに、それを理解している君主が少ない。『荀子』の君道篇に、「君なる者は、民の原なり。原清めば則ち流清み、原濁れば則ち流濁る。故に社稷を有つ者にして、民を愛すること能わず、民を利すること能わずして、而も民の己を親愛せんことを求むるは、得可からざるなり。民の親しまず愛せずして、而も己が為に用(はたらく)き、己が為に死せんことを求むるは、得可らざるなり。民の己が為に用かず、己が為に死せずして、而も兵の勁く、城の固きを求むるも、得可からざるなり。」と述べられているように、民から心服されることを望むなら、君主自身が身を修めることに努力しなければいけないのだ。

36
魯の大夫である季康子が尋ねた、「民に上を尊敬し上に忠義を尽くさせ、進んで善を行うようにさせるには、どうしたらよいでしょうか。」孔子は答えた、「民に対して言行を慎んで厳かに接すれば、民もその上を尊敬するようになります。又上の者が親に孝行であり、民を慈しむようであれば、民も上に忠義を尽くすようになります。善人を挙用して、善を行うことができない者は教え導くようにすれば、人々は皆善を行うようになります。」

季康子問、使民敬忠以勸、如之何。子曰、臨之以莊則敬。孝慈則忠。舉善而教不能則勸。

季康子問う、「民をして敬忠にして以て勸ましむるには、之を如何せん。」子曰く、「之に臨むに莊を以てすれば則ち敬す。孝慈なれば則ち忠なり。善を舉げて不能を教うれば則ち勸む。」

<語釈>
○「季康子」、朱注:季康子は、魯の大夫季孫子、名は肥。○「臨之以莊則敬」、集解:包咸曰く、「莊」は厳なり、君、民に臨むに厳を以てすれば、則ち民其の上を敬す。

<解説>
この章も前章と同じく、民を治めるには、先ず君主自身が正しくあるべきだと説いている。『荀子』君道篇にも、「君なる者は、民の原なり。原清めば則ち流清み、原濁れば則ち流濁る。」とある。

『呉子』料敵第二 第三章

2020-11-26 11:27:06 | 漢文
第三章

武侯は尋ねた、「私は、敵の外見を観察して敵の内情を判断し、進軍してくる敵を観察してその先敵がどのような所で止まるかを推測して、勝敗を決したいと思っているのだが、それについて聞くことができるだろうか。」呉起は答えた、「適の来襲してくる様子に、おちつきが無く指揮に慎重な配慮が無く、旗印がごちゃごちゃと乱れており、人も馬もしばしば後ろを振り返るようならば、敵の十分の一の勢力で敗ることができ、必ず敵をあわてて適切な措置がとれないようにさせることができます。又敵の様子が、隣国の諸侯と盟約を交せず助けの兵も無く、君臣上下が乱れており、堀や塞も未だ完成しておらず、軍の規則も未だ周知されておらず、全軍騒然として進むことも出来ず退くことも出来ないようならば、敵の半分の兵力で敗ることができます。百戦しても危険な事はないでしょう。」

武侯問曰、吾欲觀敵之外以知其内、察其進以知其止、以定勝負。可得聞乎。起對曰、敵人之來、蕩蕩無慮、旌旗煩亂、人馬數顧、一可撃十。必使無措。諸侯未會、君臣未和、溝壘未成、禁令未施、三軍匈匈、欲前不能、欲去不敢、以半撃倍。百戰不殆。

武侯問いて曰く、「吾、敵の外を觀て以て其の内を知り、其の進むを察して以て其の止まるを知り、以て勝負を定めんと欲す。聞くを得可きか。」起對えて曰く、「敵人の來ること、蕩蕩として慮無く(注1)、旌旗煩亂し、人馬數々顧みば、一、十を撃つ可し。必ず措くこと無からしむ(注2)。諸侯未だ會せず、君臣未だ和せず、溝壘未だ成らず、禁令未だ施さずして、三軍匈匈として、前まんと欲して能わず、去らんと欲して敢てせざれば、半を以て倍を撃つ。百戰すれども殆うからず。」

<語釈>
○注1、直解:蕩蕩は輕忽なり。粗忽、軽はずみなこと。○注2、直解:必ず之をして倉皇として措くこと無しからしむ。「倉皇」は、あわてる様。敵をあわてさせて適切な措置を取れないようにさせること。

<解説>
武侯の質問に対する呉起の答えは不完全である。武侯の質問は、敵の外を觀て以て其の内を知り、其の進むを察して以て其の止まるを知るにはどうすればよいか、ということである。それに対する呉起の答えは、敵の外を見ることしか述べていないのに、十分の一の勢力で敗ることができる、半分の兵力で敗ることができる、と結論を述べており、内に相当するものがない。又進む、止まるに相当するものがない。不自然な章である。

口語訳『荀子』巻第三 非相篇第五

2020-11-05 11:54:28 | 漢文
非相篇第五
 人相を見るということは、古の聖人の為さない事であり、学問に携わる者は口にしない事であった。昔、趙襄子を相したと言われる姑布子卿という者がいたが、今の世は梁に唐舉と言う者が居り、人の形状や顔色を見てその人の吉凶や禍福を予言し、世の人々はこれを褒めたたえた。しかしそれは古の聖人の為さない事であり、学問に携わる者は口にしない事である。だから人の形状を見て吉凶禍福を占うのは、心のありようを論ずるのには及ばないし、心を論ずるのは行為を判断するのには及ばない。形状は心に及ばないし、心は行為に及ばない。行為が正しくて心がまっすぐであれば、形の見立てが悪くとも、心やその行いは善であり、君子であることに何の問題も無い。形の見立てが善くても、心や行為が悪ければ、小人とみなして差し支えない。君子であることを吉と言い、小人であることを凶と言うのである。体の長短・小大や容貌の善悪は吉凶とは関係がない。だから古の聖人の為さない事であり、学問に携わる者の口にしない事であったのである。思うに帝堯は長身で帝舜は短身、文王は長身で周公は短身、仲尼は長身で子弓(楊注:子弓は、蓋し仲弓なり)は短身であった。昔、衛の霊公の臣下に公孫呂という者がおり、身長は七尺、顔の長さが三尺広さが三寸、それに鼻・目・耳がついている不細工な顔であるが、その賢者としての名声は天下に轟いている。楚の孫叔敖は期思という田舎の人で、突き出た禿げ頭で、左脚が右脚より長いという奇形であったが、坐したまま智謀により楚を諸侯の覇者にした。葉公子高は身長が低く痩せており、歩くのにも衣服の重さに耐えらそうもなかったが、白公の乱が起こり、宰相の子西や司馬の子期らが死亡すると、葉公子高は楚に入り、そこから白公を誅し楚国を定めた。それは手を返すように簡単に成し遂げ、その仁義の徳や功名は後世にまで称えられている。だから大事なことは、背の高さや体の大きさや体重の軽い重い等を問題にするのでなく、その心を知ることである。体の長短・小大や容貌の善悪をどうして論ずる必要があろうか。また徐の偃王の風貌は俯くことができず遠くの馬は見ることができるが近くの馬は見ることができなかった。孔子の風貌は鬼の面をかぶっているようであった。周公の風貌は立ち枯れした木のような背むしであった。皋陶の風貌は皮を削った瓜のようであった。閎夭の風貌は顔中鬚だらけであった。傅說の風貌は魚の背びれのようであった。伊尹の風貌は髭も眉毛も無かった。禹はびっこで、湯は半身不随で、堯・舜は三重瞳であった。学問に従う者はその人を評価するのに、その心を論じて学問の如何を比べるのか、それとも体の長短や容貌の美惡を弁別して、人を侮りあざけりあおうとするのであろうか。昔、桀王や紂王は背が高く美しく天下の傑物で、筋力は強く百人にも匹敵するほどであった。それなのに身は死して国は亡び、天下の大いに辱めるところとなり、後世惡と言えば必ず引き合いに出される。これは容貌による災難ではない。見分が狭く論議が低かったからである。今の世、無頼の徒や村の才ばしった軽薄な若者たちが、綺麗で妖艶に、変わった服で婦女子のように飾り立て、心意気や態度まで婦女子のまねをする。そして婦人たちはそんな彼らを夫にしたいと望み、娘たちは恋人にしたいと望み、親や家を棄ててそんな彼らのもとへ走ろうとする者が続出するありさまである。しかしそんな男は普通の君主でも臣下にするのを恥ずかしいと思うし、普通の父親でも我が子とするのを恥ずかしいと思うし、普通の兄でも自分の弟とするのを恥ずかしいと思うし、普通の人でもそんな人間を友とするのを恥ずかしいと思う。そして罪を犯してにわかに役人に捕らえられ、市場で処刑されることになって、初めて天に向かって泣き叫び、処刑される身を苦しみ傷み、自分の過ちを後悔する。これは容貌に由る災難ではない。見分が狭く論議が低かったからである。それならば学問に従う者は、容貌と志とどちらを取るか。
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