詩には、「殷が衆民の心を未だ離反させていない頃は、王達も天帝の命を受けて天下に君臨していた。しかし殷末には徳を修めず人民の心が離反し天命をなくし、亡びてしまった。まさにこの殷の興亡を手本として見習うべきであり、誠に天の大命を永く保つことは難しいことである。」と言っている。これは、人民の心を得ることが出来れば、国を保つことが出来、人民の心が離反すれば、国を失うことを言っているのである。それだから、君子は先ず始めに徳を慎んで、矩の道を行わなければならない。君子が徳を行えば、人民の支持を得ることが出来、人民の支持を得ることが出来れば、領土を得ることが出来る。領土を得ることが出来れば、産物や財貨が集まってくる。産物や財貨が集まってくれば、国の収入も増えて、豊かになる。このことから君主が徳を行うことが根本であり、財貨はその結果ついてくる末端の者であると言える。それだから君主がその根本の徳をなおざりにして末端の財貨を大切にするようなことをすれば、人民に、欲に走り、互いに争い、劫奪の心を抱くことを教えるようになる。そして国が財貨を収奪すること甚だしければ、人民は生活が苦しくなり離散する。反対に財貨を散ずると人民が聚まってくるのである。又さればこそ、君主が道に反して政令を出せば、人民からは怨嗟の声が返ってくる。君主が道に反して財貨を収奪すれば、人民も道に反して取り返そうとして、財貨は出て行くものである。
詩云、殷之未喪師、克配上帝。儀監于殷、峻命不易。道得衆則得國、失衆則失國。是故君子先慎乎。有此有人、有人此有土、有土此有財、有財此有用。者本也、財者末也、外本內末、爭民施奪。是故財聚則民散、財散刖民聚。是故言悖而出者、亦悖而入。貨悖而入者、亦悖而出。
詩に云う、「殷の未だ師(もろもろ)を喪わざるや、克く上帝に配せり。儀(よろしく)しく殷に監(かんがみる)みるべし、峻命は易からず。」衆を得ば則ち國を得、衆を失えば則ち國を失うを道うなり。是の故に君子は先ず徳を慎む。有れば此に人有り、人有れば此に土有り、土有れば此に財有り、財有れば此に用有り。は本なり、財は末なり、本を外にし末を內にすれば、民を爭わしめて奪を施(およぼす)す。是の故に財聚まれば則ち民散じ、財散ずれば則ち民聚まる。是の故に言の悖りて出づる者は、亦た悖りて入る。貨の悖りて入る者は、亦た悖りて出づ。
<語釈>
○「詩云」、『詩経』大雅の文王篇。○「殷之未喪師」、鄭注に、「師は衆なり。」とあり、殷が衆民の心を未だ離反させていない頃。○「峻」、鄭注に、「峻は大なり。」とある。○「言悖而出者」、言は政令、悖は逆らう、道に逆らって出した政令。鄭注に、「君に逆命有れば、則ち民に逆辞有り。」とある、逆辞は怨嗟の声。
<解説>
この節では今までの徳から一転して財貨の問題を扱っている。当然儒家も国を治めるについて、財貨の大事なことは認識している。ただその財貨も徳に基づいたものでなければ、人民が離反し国が亡ぶことをいっているのである。乃ち「徳は本なり、財は末なり。」の根本を述べている。この節の注の最後に鄭玄は『老子』の「多藏必厚亡」と言う句を引用している。これは『老子』の四十四章に出ている。この章は「足るを知る」を説いたなかなか意義深い文章なので、全文を紹介しておきたい。
名と身と孰れか親しき、身と貨と孰れか多(まさる)れる。
得ると亡うと孰れか病(うれい)ある。是の故に甚だ愛しめば
必ず大いに費え、多く藏すれば必ず厚く亡う。足るを知れば
辱しめられず、止まるを知れば殆うからず。以て長久なるべし。
戒めとすべき文章である。
詩云、殷之未喪師、克配上帝。儀監于殷、峻命不易。道得衆則得國、失衆則失國。是故君子先慎乎。有此有人、有人此有土、有土此有財、有財此有用。者本也、財者末也、外本內末、爭民施奪。是故財聚則民散、財散刖民聚。是故言悖而出者、亦悖而入。貨悖而入者、亦悖而出。
詩に云う、「殷の未だ師(もろもろ)を喪わざるや、克く上帝に配せり。儀(よろしく)しく殷に監(かんがみる)みるべし、峻命は易からず。」衆を得ば則ち國を得、衆を失えば則ち國を失うを道うなり。是の故に君子は先ず徳を慎む。有れば此に人有り、人有れば此に土有り、土有れば此に財有り、財有れば此に用有り。は本なり、財は末なり、本を外にし末を內にすれば、民を爭わしめて奪を施(およぼす)す。是の故に財聚まれば則ち民散じ、財散ずれば則ち民聚まる。是の故に言の悖りて出づる者は、亦た悖りて入る。貨の悖りて入る者は、亦た悖りて出づ。
<語釈>
○「詩云」、『詩経』大雅の文王篇。○「殷之未喪師」、鄭注に、「師は衆なり。」とあり、殷が衆民の心を未だ離反させていない頃。○「峻」、鄭注に、「峻は大なり。」とある。○「言悖而出者」、言は政令、悖は逆らう、道に逆らって出した政令。鄭注に、「君に逆命有れば、則ち民に逆辞有り。」とある、逆辞は怨嗟の声。
<解説>
この節では今までの徳から一転して財貨の問題を扱っている。当然儒家も国を治めるについて、財貨の大事なことは認識している。ただその財貨も徳に基づいたものでなければ、人民が離反し国が亡ぶことをいっているのである。乃ち「徳は本なり、財は末なり。」の根本を述べている。この節の注の最後に鄭玄は『老子』の「多藏必厚亡」と言う句を引用している。これは『老子』の四十四章に出ている。この章は「足るを知る」を説いたなかなか意義深い文章なので、全文を紹介しておきたい。
名と身と孰れか親しき、身と貨と孰れか多(まさる)れる。
得ると亡うと孰れか病(うれい)ある。是の故に甚だ愛しめば
必ず大いに費え、多く藏すれば必ず厚く亡う。足るを知れば
辱しめられず、止まるを知れば殆うからず。以て長久なるべし。
戒めとすべき文章である。