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『大学』第六章第二節

2013-04-21 14:55:56 | 漢文
詩には、「殷が衆民の心を未だ離反させていない頃は、王達も天帝の命を受けて天下に君臨していた。しかし殷末には徳を修めず人民の心が離反し天命をなくし、亡びてしまった。まさにこの殷の興亡を手本として見習うべきであり、誠に天の大命を永く保つことは難しいことである。」と言っている。これは、人民の心を得ることが出来れば、国を保つことが出来、人民の心が離反すれば、国を失うことを言っているのである。それだから、君子は先ず始めに徳を慎んで、矩の道を行わなければならない。君子が徳を行えば、人民の支持を得ることが出来、人民の支持を得ることが出来れば、領土を得ることが出来る。領土を得ることが出来れば、産物や財貨が集まってくる。産物や財貨が集まってくれば、国の収入も増えて、豊かになる。このことから君主が徳を行うことが根本であり、財貨はその結果ついてくる末端の者であると言える。それだから君主がその根本の徳をなおざりにして末端の財貨を大切にするようなことをすれば、人民に、欲に走り、互いに争い、劫奪の心を抱くことを教えるようになる。そして国が財貨を収奪すること甚だしければ、人民は生活が苦しくなり離散する。反対に財貨を散ずると人民が聚まってくるのである。又さればこそ、君主が道に反して政令を出せば、人民からは怨嗟の声が返ってくる。君主が道に反して財貨を収奪すれば、人民も道に反して取り返そうとして、財貨は出て行くものである。

詩云、殷之未喪師、克配上帝。儀監于殷、峻命不易。道得衆則得國、失衆則失國。是故君子先慎乎。有此有人、有人此有土、有土此有財、有財此有用。者本也、財者末也、外本內末、爭民施奪。是故財聚則民散、財散刖民聚。是故言悖而出者、亦悖而入。貨悖而入者、亦悖而出。

詩に云う、「殷の未だ師(もろもろ)を喪わざるや、克く上帝に配せり。儀(よろしく)しく殷に監(かんがみる)みるべし、峻命は易からず。」衆を得ば則ち國を得、衆を失えば則ち國を失うを道うなり。是の故に君子は先ず徳を慎む。有れば此に人有り、人有れば此に土有り、土有れば此に財有り、財有れば此に用有り。は本なり、財は末なり、本を外にし末を內にすれば、民を爭わしめて奪を施(およぼす)す。是の故に財聚まれば則ち民散じ、財散ずれば則ち民聚まる。是の故に言の悖りて出づる者は、亦た悖りて入る。貨の悖りて入る者は、亦た悖りて出づ。

<語釈>
○「詩云」、『詩経』大雅の文王篇。○「殷之未喪師」、鄭注に、「師は衆なり。」とあり、殷が衆民の心を未だ離反させていない頃。○「峻」、鄭注に、「峻は大なり。」とある。○「言悖而出者」、言は政令、悖は逆らう、道に逆らって出した政令。鄭注に、「君に逆命有れば、則ち民に逆辞有り。」とある、逆辞は怨嗟の声。

<解説>
この節では今までの徳から一転して財貨の問題を扱っている。当然儒家も国を治めるについて、財貨の大事なことは認識している。ただその財貨も徳に基づいたものでなければ、人民が離反し国が亡ぶことをいっているのである。乃ち「徳は本なり、財は末なり。」の根本を述べている。この節の注の最後に鄭玄は『老子』の「多藏必厚亡」と言う句を引用している。これは『老子』の四十四章に出ている。この章は「足るを知る」を説いたなかなか意義深い文章なので、全文を紹介しておきたい。
名と身と孰れか親しき、身と貨と孰れか多(まさる)れる。
得ると亡うと孰れか病(うれい)ある。是の故に甚だ愛しめば
必ず大いに費え、多く藏すれば必ず厚く亡う。足るを知れば
辱しめられず、止まるを知れば殆うからず。以て長久なるべし。
戒めとすべき文章である。

『大学』第六章第一節

2013-04-02 16:41:42 | 漢文
前述で、「天下を平和に治めるには、それに先立って自分の国をよく治めることに在る。」と述べたのは、君主が年寄りを敬い大事にすれば、人民もそれに感化されて孝を行うようになり、君主が長者を貴んで敬えば、人民もそれに感化されて目上の人に対する孝弟の道に遵うようになり、君主が身寄りのない者を憐れみ救えば、人民もそれに感化されて慈しみの心を持つようになり、背かなくなる。このように君主が徳を修めて明らかにすれば、その徳は徧く天下に広がり、天下は平和に治まることを言ったのである。だから君子には、矩の道という常に自分の行動を照らし合わせる方法があるのである。つまり上の人について善くないと思う行いは、下の人についても行ってはいけない。下の人について善くないと思う行いは、そんな行いで上の人に仕えてはいけない。前の人について善くないと思う行いは、それに因って後の人を導いてはいけない。後の人について善くないと思う行いは、その行いで前の人に従わない。右の人について善くないと思う行いは、左の人に及ぼさない。左の人について善くないと思う行いは、右の人に及ぼさない。これらの事が、矩の道と謂うのである。詩には、「楽しんでいる君子は、人民の父母である。」といっている。君主は人民が真に好むことを知るように務め、自分も其れを好むように務め、人民が真に忌み嫌う所の事を善く知り、自分もそれを忌み嫌って止めさせるように務めなければならない。このようにすることを「人民の父母」と謂うのである。詩には、「毅然として聳えているあの南山には、唯岩石が厳かに存在しているだけである。其れと同じように、輝かしく威勢を振るっている大師尹氏を、人民は望みを託して見ている。」と言っている。このように国を有している君主は、人民が望みを託していることを忘れずに、矩の道を慎んで守らなければならない。もし其の事を避けて通るならば、天下の人々が其の身と国を滅ぼすであろう。

所謂平天下在治其國者、上老老而民興孝、上長長而民興弟、上恤孤而民不倍。是以君子有矩之道也。所惡於上、毋以使下。所惡於下、毋以事上。所惡於前、毋以先後。所惡於後、毋以從前。所惡於右、毋以交於左。所惡於左、毋以交於右。此之謂矩之道。詩云、「樂只君子、民之父母。」民之所好好之、民之所惡惡之。此之謂民之父母。詩云、「節彼南山、維石巖巖。赫赫師尹、民具爾瞻。」有國者不可以不慎。辟則為天下戮矣。

所謂天下を平らかにするは其の國を治むるに在りとは、上、老を老として、民、孝に興り、上、長を長として、民、弟に興り、上、孤を恤みて、民、倍かず。是を以て君子には矩の道有るなり。上に惡む所は、以て下を使う毋かれ。下に惡む所は、以て上に事うる毋かれ、前に惡む所は、以て後に先だつ毋かれ。後に惡む所は、以て前に從う毋かれ。右に惡む所は、以て左に交(わたす)す毋かれ。左に惡む所は、毋以て右に交す毋かれ。此を之れ矩の道と謂う。詩に云う、「樂しめる君子は、民の父母。」民の好む所は之を好み、民の惡む所は之を惡む。此を之れ民の父母と謂う。詩に云う、「節たる彼の南山、維れ石巖巖たり。赫赫たる師尹、民具に爾を瞻る。」國を有つ者は以て慎まざる可からず。辟すれば則ち天下の戮と為る。

<語釈>
○「矩之道」鄭注に「は猶ほ結のごときなり。挈なり。矩は法なり。君子に挈法の道有り。常に執りて之を行い、動作之を失わざるを謂う。」とあり、物の寸法を規矩で量り、尺寸も誤らないように、君子も道を誤らないために、常に一定の法を携えて、其れに基づいて行動することを言う。○「詩云」、小雅の南山有台篇。○「樂只」、只は終助詞であるが、『詩経』では「樂只君子、楽しめるの君子」という句が多く見られ、只は神気出現の意があり、祝頌の詩に見られる。○「詩云」、小雅の節南山篇。○「巖巖」、おごそか。○「赫赫」、かがやかしく、盛んなさま。○「師尹」、師は周の三公の一つである大師、尹は姓

<解説>
この第六章では、第一章第二節で述べられた、「明を天下に明らかにせんと欲する者は、先ず其の國を治む。」即ち「治国平天下」を明らかにしようとしている。特にこの節では、「国を治める」について、国を治める基本は、君主が孝弟の徳を修め、規矩で量るように法に照らし合わせて少しの間違いも起こさないように矩の道を守ることであると述べている。又一方に善くないことは、他方にもしてはいけない、と言っている。よく自分の嫌なことは他人にしてはいけないと言うが、同時に他人が嫌なことは自分もしないと言うことである。詩を引用して、そのような君主の行いは、常に人民が見ているものなので、君主は常に慎まねばいけないと述べてこの節を結んでいる。誠に国を治めるものがこのようであれば、天下は平和に治まるであろう。指導者は常に矩の道を持つように心がけなければならない。