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『史記』張丞相列伝

2018-08-30 10:29:14 | 四書解読
張丞相蒼は、陽武の人なり。書律歷を好む。秦の時、御史と為り、柱下の方書を主どる(索隠:周秦皆柱下の史有り、御史を謂うなり、方書は、如淳は以て方板と為す、小事は之を方に書すと謂う)。罪有り亡げ歸る。沛公の地を略し陽武を過ぐるに及び、蒼客を以て從い南陽を攻む。蒼法に坐し、斬に當し、衣を解き質に伏す。身長大にして肥白なること瓠(ひょうたん)の如し。時に王陵見て其の美士なるを怪しみ、乃ち沛公に言い、赦して斬る勿らしむ。遂に從いて西し武關に入り、咸陽に至る。沛公立ちて漢王と為り、漢中に入る。還りて三秦を定む。陳餘撃ちて常山王張耳を走らす。耳漢に歸す。漢乃ち張蒼を以て常山の守と為し、淮陰侯に從いて趙を撃たしむ。蒼、陳餘を得たり。趙の地已に平らぎ、漢王、蒼を以て代の相と為し、邊寇に備う。已にして徙りて趙の相と為り、趙王耳に相たり。耳卒し、趙王敖に相たり。復た徙りて代王に相たり。燕王臧荼反す。高祖往きて之を撃つ。蒼代の相を以て從いて臧荼を攻め、功有り。六年中を以て封ぜらられて北平侯と為り、邑千二百戶を食む。遷りて計相(漢初の臨時の官名、朝廷の財政を掌る)と為ること一月。更めて列侯を以て主計(計相を改めた臨時の官名)と為ること四歲。是の時蕭何相國為り。而して張蒼乃ち秦の時自り柱下史と為り、天下の圖書計籍を明習す。蒼又善く算律歷を用う。故に蒼をして列侯を以て相府に居り、郡國の上計者(会計を報告するもの)を領主せしむ。黥布反し亡ぶ。漢、皇子長を立てて淮南王と為す。而して張蒼之に相たり。十四年、遷りて御史大夫と為る。
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『孟子』巻第九萬章章句上 百二十六節

2018-08-23 10:55:35 | 四書解読
百二十六節

弟子の咸丘蒙が尋ねた。
「言い伝えに、『徳の高い人物は、君主も臣下にすることはできないし、親も子供としては扱えない。舜が君主の位に即くや、堯は諸侯を率いて臣下としての礼をとって拝謁し、父の瞽瞍も亦た臣下の礼をとって拝謁した。そんな父親の姿を見て、舜はおそれつつしんで落ち着かなかった。孔子は此の事を評して、この時こそ、天下の人倫が乱れてしまいそうな不安な時だった、と言われた。』とありますが、この話は本当の事でございましょうか。」
孟子は言った。
「それは違う。これは君子の言葉ではない。斉の東部の田舎者の言った言葉だ。堯が年を取って隠居したので、舜が摂政になったのだ。堯の在世中に天子になったのではない。『書経』の堯典篇には、『舜が摂政となって二十八年、帝堯は遂に崩御された。人民の喪に服すこと、父母に対するが如し。三年の間、国では音曲が絶えたり。』とあり、孔子も、『天に二つの太陽が無いように、人民にも二人にの王はあり得ない。』と言っている。舜が堯の死ぬ前に既に天子になっており、死後天下の諸侯を引き連れて、堯の為に三年の喪に服したとしたら、同時に二人の天子がいたことになる。」
咸丘蒙は言った。
「舜が堯を臣下としなかったことは、お話を聞いてよく分かりました。しかし『詩経』(小雅、北山篇)には、『あまねく天下は、王の土にあらざるは莫く、地の果てまで王の臣にあらざるは莫し。』とありますが、舜は既に天子と為っているのに、瞽瞍だけが臣下でないのは、どういう訳でございますか。」
「この詩は、そのような意味ではないのだ。臣下が、王の仕事にこき使われて、父母に孝養を尽くす暇もなく、これらはすべて王の仕事であるのに、なぜ私だけ一人がこんな苦労をしなければいけないのかと、と嘆いた詩である。これからもわかるように、詩を説く者は、一字にとらわれて語句を誤解してはいけない。語句にとらわれて、文章全体の意図する所を間違えてはいけない。素直な気持ちで、詩の意図する所をくみ取るようにする。それが詩を理解するということだ。もし言葉だけで詩を理解すると、『詩経』の大雅の雲漢篇の詩に、『周が乱れた後、生き残った民はひとりもいない。』とあり、この言葉を信ずるなら、周の遺民はひとりもいないに事になる。孝子の最も大切な事は、親を尊ぶことより大なるものはない。親を尊ぶことの極みは、天下の富を以て親を養うより大なるものはない。瞽瞍が天子となった舜の父親であるということは、尊ばれることの極みであり、天子と為り天下の富でもって、親を養ったのは、孝養の極みである。『詩経』(大雅 下武篇)に、『とこしえに孝を思う、孝を思えば、それが天下の則となる。』とあるのは、この舜のことを言ったものだ。また『書経』(逸篇)にも、『舜は事を慎みて父親の瞽瞍に見え、畏れ慎んだので、瞽瞍も亦た舜の真心を感じて、舜に従うようになった。』とあり、これこそが、父親も子を子として扱えないというものだ。」

咸丘蒙問曰、語云、盛德之士、君不得而臣、父不得而子。舜南面而立、堯帥諸侯北面而朝之。瞽瞍亦北面而朝之。舜見瞽瞍、其容有蹙。孔子曰、於斯時也、天下殆哉、岌岌乎。不識此語誠然乎哉。孟子曰、否。此非君子之言。齊東野人之語也。堯老而舜攝也。堯典曰、二十有八載、放勳乃徂落。百姓如喪考妣。三年、四海遏密八音。孔子曰、天無二日、民無二王。舜既為天子矣、又帥天下諸侯以為堯三年喪、是二天子矣。咸丘蒙曰、舜之不臣堯、則吾既得聞命矣。詩云、普天之下、莫非王土。率土之濱、莫非王臣。而舜既為天子矣,敢問瞽瞍之非臣、如何。曰、是詩也,非是之謂也。勞於王事、而不得養父母也。曰、此莫非王事。我獨賢勞也。故說詩者、不以文害辭、不以辭害志、以意逆志。是為得之。如以辭而已矣、雲漢之詩曰、周餘黎民、靡有孑遺。信斯言也、是周無遺民也。孝子之至、莫大乎尊親。尊親之至、莫大乎以天下養。為天子父、尊之至也。以天下養、養之至也。詩曰、永言孝思,孝思維則。此之謂也。書曰、祗載見瞽瞍、夔夔齊栗。瞽瞍亦允若。是為父不得而子也。

咸丘蒙問いて曰く、「語に云う、『盛德の士は、君も得て臣とせず、父允若。是為父不得而子也。も得て子とせず。舜南面して立つや、堯、諸侯を帥いて北面して之に朝す。瞽瞍も亦た北面して之に朝す。舜、瞽瞍を見て、其の容蹙有り。孔子曰く、斯の時に於いてや、天下殆いかな、岌岌乎たり、と。』識らず、此の語誠に然るか。」孟子曰く、「否。此れ君子の言に非ず。齊の東野人の語なり。堯老して舜攝するなり。堯典に曰く、『二十有八載、放勳乃ち徂落す。百姓、考妣を喪するが如し。三年、四海、八音を遏密す。』孔子曰く、『天に二日無く、民に二王無し。』舜既に天子為り。又天下の諸侯を帥いて以て堯の三年の喪を為さば、是れ二天子なり。」咸丘蒙曰く、「舜の堯を臣とせざるは、則ち吾既に命を聞くことを得たり。詩に云う、『普天の下、王土に非ざるは莫く、率土の濱、王臣に非ざるは莫し。』而して舜既に天子為り。敢て問う、瞽瞍の臣に非ざるは如何。」曰く、「是の詩や、是を之れ謂うに非ざるなり。王事に勞して、父母を養うことを得ざるなり。曰く、『此れ王事に非ざること莫し。我獨り賢勞す。』故に詩を説く者は、文を以て辭を害せず、辭を以て志を害せず、意を以て志を逆う。是れ之を得たりと為す。如し辭のみを以てせば、雲漢の詩に曰く、『周餘の黎民、孑遺(ゲツ・イ)有ること靡し。』斯の言を信ぜば、是れ周に遺民無きなり。孝子の至りは、親を尊ぶより大なるは莫し。親を尊ぶの至りは、天下を以て養うより大なるは莫し。天子の父為るは、尊ぶの至りなり。天下を以て養うは、養うの至りなり。詩に曰く、『永く言に孝思う、孝を思えば維れ則たり。』此れ之を謂うなり。書に曰く、『載を祗みて瞽瞍に見え、夔夔として齊栗す。瞽瞍も亦た允とし若えり。』是を父得て子とせずと為す。」

<語釈>
○「蹙」、音はシュク、踧に通じ、踧踖の意、おそれつつしんで、かしこまる意。○「岌岌乎」、趙注:岌岌乎は、安んぜざるの貌。○「放勳乃徂落」、趙注:放勳は、堯の名なり、徂落は、死なり。○「考妣」、考は父、妣は母、父母の事。○「遏密八音」、遏密(アツ・ミツ)、停止する意、八音は音曲。○「文、辭」、朱注:文は字なり、辭は語なり。文は一字を言う。辭は語句を言う。○「孑遺」、孑(ゲツ)は、あまり、のこりの意があり、孑遺で生き残った民の意。○「書曰、祗載~」、趙注:書は尚書の逸篇、「祗」は「敬」、「載」は「事」、夔夔(キ・キ)齊栗は、敬い慎みしみて戰懼する貌。朱注:「允」は「信」、「若」は「順」なり。

<解説>
断章取義という言葉がある。『詩経』や『書経』など諸本から都合のよい章句だけを取り出して、文章全体との意味合いを鑑みずに解釈することである。これは昔も今も生半可な文人がよくやる手法である。この節では、それを誡めて「文を以て辭を害せず、辭を以て志を害せず。」と述べている。誠にその通りであるが、当の孟子自身がこの手法をよく使っている。

『孟子』巻第九萬章章句上 百二十五節

2018-08-18 10:11:37 | 四書解読
百二十五節

弟子の萬章は尋ねた。
「舜の弟象は、日々舜を殺そうとしていたのに、舜は天子の位に即くと、死刑に処せず、ただ追放しただけなのは何故でございますか。」
孟子は答えた。
「諸侯に封じたのだ。追放したという人もいるが。」
萬章は言った。
「舜は共工を幽州に流し、驩兜を崇山に追放し、三苗の民をを三危の地に閉じ込め、鯀を羽山に閉じ込めました。この四人の罪をただすことによって、天下は皆舜に帰服しました。これは不仁の者を処罰したからです。ところが象は極めて不仁の者でありながら、処罰もせずに有庳に封じました。このような領主を押し付けられた有庳の民に、どんな罪があったと言うのでしょうか。仁者というのは、そんなものですか。不仁の者でも、他人であれば処罰をするが、弟であれば諸侯に封じるという。」
「仁者の弟に対する態度は、怒りは隠さず、怨みは持ち続けず、親愛するのみである。心から親愛すれば、地位も高くしてやりたい、財産も多くしてやりたい、と願うものである。象を有庳に封じたのは地位と富とを与えてやるためだ。自分が天子でありながら、弟を庶民のままにしておくようでは、弟を親愛していると言えるだろうか。」
「あえてお尋ねしますが、追放したと言う人もいますが、それはどういう訳でございますか。」
「象は領主になったといっても、その国を治める事は許されなかった。天子舜は役人を派遣して、民を治めさせ、租税を徴収させた。このように実権を持たせずに領主にしたことが、見方によっては追放したように見えたので、そう言ったのだ。これでどうして人民を虐待することが出来ようか。このように象を追放したような状態に置いたが、舜は肉親の情から常に顔を見たいと思っていたので、象も水が綿々とながれるように、絶えず舜の下へやって来た。古書に、『朝貢の時期を待たずに、政務にかこつけて有庳の君を接見した。』とあるのは、この事を言ったものである。」

萬章問曰:「象日以殺舜為事,立為天子,則放之,何也?」孟子曰:「封之也,或曰放焉。」萬章曰:「舜流共工于幽州,放驩兜于崇山,殺三苗于三危,殛鯀于羽山,四罪而天下咸服,誅不仁也。象至不仁,封之有庳。有庳之人奚罪焉?仁人固如是乎?在他人則誅之,在弟則封之。」曰:「仁人之於弟也,不藏怒焉,不宿怨焉,親愛之而已矣。親之欲其貴也,愛之欲其富也。封之有庳,富貴之也。身為天子,弟為匹夫,可謂親愛之乎?」「敢問或曰放者,何謂也?」曰:「象不得有為於其國,天子使吏治其國,而納其貢稅焉,故謂之放,豈得暴彼民哉?雖然,欲常常而見之,故源源而來。『不及貢,以政接于有庳』,此之謂也。」

萬章問いて曰く、「象は日に舜を殺すを以て事と為す。立ちて天子為れば、則ち之を放するは、何ぞや。」孟子曰く、「之を封ずるなり。或ひと曰く、放すと。」萬章曰く、「舜、共工を幽州に流し、驩兜を崇山に放し、三苗を三危に殺(サイ)し、鯀を羽山に殛(キョク)す。四罪して天下咸服せり。不仁を誅すればなり。象は至って不仁なり。之を有庳に封ず。有庳の人奚の罪かある。仁人は固より是の如きか。他人に在りては、則ち之を誅し、弟に在りては、則ち之を封ず。」曰く、「仁人の弟に於けるや、怒りを藏せず、怨みを宿めず。之を親愛するのみ。之を親しんでは其の貴からんことを欲し、之を愛しては其の富まんことを欲するなり。之を有庳に封ずるは、之を富貴にするなり。身、天子為り、弟、匹夫為らば、之を親愛すと謂う可けんや。」「敢て問う、或ひと曰く、放すとは、何の謂ぞや。」曰く、「象は其の國を為むること有るを得ず。天子、吏をして其の國を治めて、其の貢稅を納れしむ。故に之を放すと謂う。豈に彼の民を暴することを得んや。然りと雖も、常常にして之を見んことを欲す。故に源源として來たる。『貢に及ばず、政を以て有庳に接す。』とは、此を之れ謂うなり。」

<語釈>
○「殺三苗于三危」、「殺」の字は、『書経』舜典では、「竄」の字に作る。孟子が「竄」を「殺」に間違ったのではないかと言われている。故に「竄」の意で読む、追放して閉じ込めること。三苗は異民族の国、三危は西の方の地名。○「殛」、朱注に、「殛」は「誅」なり、とあり、この意に解するのが普通であるが、段玉裁は「極」の仮字だとし、幽囚の意に解す。服部宇之吉氏も云う、「殛」は幽囚なり、と。文の流れからしてこの説が妥当であるように思うので、これを採用した。○「源源」、趙注:流水の源より通ずるが如し。綿々と流れる意。

<解説>
この節も前節に続き今の我々には理解し難い話である。しかしこれが中国の孝道である。親が人を殺しても、それを訴えたら親不孝になる。それがさらに進んで、義兄弟を含めて、身内の者の行いは全て善であり、他人と争いが起きた場合は、すべて相手が悪いとされる。いわゆる身びいきである。有名な小説『水滸伝』などを読めばそれがよくわかる。

『孟子』巻第九萬章章句上 百二十四節

2018-08-12 10:10:57 | 四書解読
百二十四節

弟子の萬章が尋ねた。
「『詩経』に、『妻を娶るにはいかにせん、必ず父母に告げるべし。』とあります。この言葉が誠に正しいとするなら、舜の行動は許されないはずです。舜が父母に告げずに妻を娶ったのは、なぜでございましょう。」
孟子は答えた。
「舜は父母に憎まれているから、告げれば結婚の許可を得ることはできないのが分かっていた。男女が結婚して一つ屋根の下で暮らすことは、人として大切な道である。もし告げたなら、この大切な道を捨て去ることになり、更に父母を怨むようになる。だから告げなかったのだ。」
萬章は言った。
「舜が父母に告げずに結婚したわけはよく分かりました。しかし帝堯が舜の父母に告げずに娘を嫁がせたのは、なぜでございますか。」
「帝堯も告げれば、娘を嫁がせることが出来ない事を知っていたからだ。」
萬章は言った。
「舜の父母は、舜に穀物庫の修理を命じて、屋根に上がるとはしごを外し、父親の瞽瞍が穀物庫を燃やして殺そうとしました。又舜に井戸浚いを命じましたが、舜は危険を察知して逃げ出しましたが、それを知らずに井戸を塞いで殺そうとしました。異母弟の象は舜が死んだと思い、父母の所に行き、『井戸に蓋をして生き埋めにして殺すことを考え付いたのは俺の手柄だ。牛や羊は父母にやろう、穀物庫も父母にやろう。楯と矛は俺がもらう、琴と豪華な弓も俺がもらう、あの二人の兄嫁は俺の世話をさせよう。』と言い、舜の家に行くと、舜は寝台の上で琴をひいていました。象は驚いて、『兄さんの事が気がかりで、お顔を見に来ました。』と言ったものの。恥ずかしくてもじもじしている様子です。ところが舜はこれまで来たことがない象が来たことを喜び、『これらの家臣たちを、私に代わっておまえが指図してくれないか。』と言ったとのことです。私には分からないのですが、舜は象が自分を殺そうとしていることを知らなかったのですか。」
「どうして知らないことがあろうか。ただ兄の情として、象が憂えれば自分も憂え、象が喜べば自分も喜んだのだ。」
「それなら、舜はうわべだけで喜んだのですか。」
「そうではない。昔、鄭の子産に生魚を送った者がいた。子産はそれを川や沼を管理している小役人に池で飼育させた。ところが小役人は池に放たず煮て食べてしまって、子産には、『池に放した最初のうちは、おどおどした様子でしたが、しばらくすると、ゆったりと泳ぎだし、やがて深みに消えて行きました。』と報告した。子産は、『落ち着く所を得て、よかった、よかった。』と言った。小役人は退出するや、『誰が子産を智者だと言っているのだ。私が既に煮て食べてしまっているのに、それに気づきもしないで、落ち着く所へ行ってよかった、よかった、などと言っている。』と言ったそうだ。この話のように、君子は道理にかなった方法を用いれば、欺くことが出来るが、道に外れた方法で欺くことは難しい。あの象はたとえ偽りであっても、兄を愛しているという態度で来ているので、舜はそれをすっかり信じて喜んだのだ。何で偽ったりするものか。」

萬章問曰、詩云、娶妻如之何。必告父母。信斯言也、宜莫如舜。舜之不告而娶、何也。孟子曰、告則不得娶。男女居室、人之大倫也。如告、則廢人之大倫、以懟父母。是以不告也。萬章曰、舜之不告而娶、則吾既得聞命矣。帝之妻舜而不告、何也。曰、帝亦知告焉則不得妻也。萬章曰、父母使舜完廩、捐階、瞽瞍焚廩。使浚井。出。從而揜之。象曰、謨蓋都君咸我績。牛羊父母、倉廩父母、干戈朕、琴朕、弤朕、二嫂使治朕棲。象往入舜宮。舜在床琴。象曰、鬱陶思君爾。忸怩。舜曰、惟茲臣庶、汝其于予治。不識舜不知象之將殺己與。曰、奚而不知也。象憂亦憂、象喜亦喜。曰、然則舜偽喜者與。曰、否。昔者有饋生魚於鄭子產。子產使校人畜之池。校人烹之、反命曰、始舍之圉圉焉。少則洋洋焉。悠然而逝。子產曰、得其所哉、得其所哉、校人出、曰、孰謂子產智。予既烹而食之。曰、得其所哉、得其所哉。故君子可欺以其方。難罔以非其道。彼以愛兄之道來。故誠信而喜之。奚偽焉。

萬章問いて曰く、「詩に云う、『妻を娶るには之を如何せん。必ず父母に告ぐ。』斯の言を信ぜば、宜しく舜の如くなること莫かるべし。舜の告げずして娶るは、何ぞや。」孟子曰く、「告ぐれば則ち娶るを得ず。男女、室に居るは、人の大倫なり。如し告ぐれば、則ち人の大倫を廢し、以て父母を懟みん。是を以て告げざるなり。」萬章曰く、「舜の告げずして娶るは、則ち吾既に命を聞くことを得たり。帝の舜の妻わして告げざるは、何ぞや。」曰く、「帝も亦た告ぐれば則ち妻わすことを得ざるを知ればなり。」萬章曰く、「父母、舜をして廩を完めしめ、階を捐つ。瞽瞍、廩を焚く。井を浚えしむ。出づ。從って之を揜う。象曰く、『都君を蓋することを謨るは、咸我が績なり。牛羊は父母、倉廩は父母、干戈は朕、琴は朕、弤は朕、二嫂は朕が棲を治めしめん。』象往きて舜の宮に入る。舜床に在りて琴ひけり。象曰く、『鬱陶として君を思うのみ。』忸怩(ジク・ジ)たり。舜曰く、『惟れ茲の臣庶、汝其れ予に于て治めよ。』識らず、舜は象の將に己を殺さんとするを知らざるか。」曰く、「奚ぞ知らざらんや。象憂うれば亦た憂え、象喜べば亦た喜ぶ。」曰く、「然らば則ち舜は偽りて喜ぶ者か。」曰く、「否。昔者、生魚を鄭の子產に饋るもの有り。子產、校人をして之を池に畜わしむ。校人之を烹る。反命して曰く、『始め之を舍てば、圉圉焉たり。少くすれば則ち洋洋焉たり。悠然として逝けり。』子產曰く、『其の所を得たるかな、其の所を得たるかな。』校人出でて曰く、『孰か子產を智なりと謂う。予既に烹て之を食えり。曰く、其の所を得たるかな、其の所を得たるかな、と。』故に君子は欺くに其の方を以てす可し。罔うるに其の道に非ざるを以てし難し。彼、兄を愛するの道を以て來たる。故に誠に信じて之を喜ぶなり。奚ぞ偽らんや。」

<語釈>
○「詩」、齊風の南山篇。○「都君」、朱注:舜の居る所、三年にして都を成す、故に之を都君ち謂う。舜を指す。○「弤」、朱注:弤は琱弓なり。彫飾が施された弓。○「鬱陶」、気がかりで気持ちがはれないこと。○「忸怩」、心に羞じた様子。○「臣庶」、朱注:臣庶は百官を謂うなり。舜の家臣たち。○「校人」、趙注:校人は池沼を主どる小吏なり。○「圉圉焉」、のびやかでない貌。○「悠然而逝」、趙注:悠然は、迅やかに水を走りて深處に趣く。○「方」、朱注:「方」も亦た道なり。

<解説>
この舜の、家族に殺されそうになりながら、父母を思い、弟を思い、己の至らなさを反省して、家族に愛されようとするなど、今の我々には理解し難い話であるが、前節と合わせて、孝道の考え方を知るうえで貴重である。ただ『詩経』の、『妻を娶るには之を如何せん。必ず父母に告ぐ。』に対する孟子の答えは、何となくご都合主義の感がしないでもないが、趙岐の章指のも云う、「仁聖の存する所は大なり、小を舎て大に従うは、權を達するの義なり、告げずして娶るは、正道を守るなり。」

『孫子』巻一計篇

2018-08-04 10:14:13 | 四書解読
巻一 計篇

孫子は言った、国の安危は戦争に在る。だから戦争は、国にとって最も重大な出来事であり、国民の生死を決めるものであり、国家の存亡を左右するものである。したがって、戦争を始めるには、慎重に熟慮し検討しなければならない。だから戦争に勝つ為には、次に述べる彼我の五事を検討し、その優劣を計算して、勝負の実情を知るのである。五事とは、第一に道、第二に天、第三に地、第四に将、第五に法を言う。第一の道とは、政令と禮教を以て民を導き、君主と民の意思を一致させることであり、そうなれば民は君主と生死を同じくして危険を恐れなくなる。第二の天とは、兵は、陰陽と気候と時の変化という天運に法ることを言う。第三の地とは、距離・険しさ・広さ・有利か不利かなどの地形上の利害を知ることである。第四の将とは、智謀・信義・仁愛・勇気・威厳を言う。第五の法とは、部隊の編成や行軍の規律を定め、将や副将や宿営地などを明らかにして、それらの装備を整えて、食糧を確保することを言う。およそこの五つの事は、将軍であれば聞かない者はいない。これを知る者は勝ち、知らないものは敗れる。だから敵味方の五事を比較して、優劣を計算してその実情を知ることに務めるのである。すなわち彼我の君主は、どちらがより正しい道を行っているか、将の能力はどちらが優れているか、天地の利をどちらが得ているか、法令はどちらがよく守られているか、雑兵はどちらが強いか、士卒はどちらがよりよく訓練されているか、賞罰はどちらがよりよく明らかにして行われているか、これらの事を計算して、私は勝負の行方をあらかじめ知ることが出来る。主君が私の以上の計を聞き入れて、これを用いたなら、必ず敵に勝つでしょう。そうすれば私はこの国に留まりましょう。反対に私の計を聞き入れず、見通しを立てずにこれを用いたなら、必ず敗れるでしょう。そうすれば私はこの国を去りましょう。以上の七点を比較した結果、こちらが有利だとして、それが聞き入れられたなら、そこではじめて彼我の計算の結果が勢いを作り出し、それが外的条件を助けて更に有利に導く。勢いとは、有利に乗じて臨機応変に対処することである。そもそも戦争の道は敵を欺くこである。だから、こちらの能力を隠して無能であるように見せかけ、部隊を上手に用いることが出来るのに、それが出来ないように見せかけ、近くにいるのに遠くにいるように見せかけ、遠くにいるのに近くにいるように見せかけ、敵に有利だと思わせて誘い出し、敵を混乱させて攻め取り、敵の力が充実していれば、敢て戦わずに之に備え、敵の力が強ければこれを避け、味方がわざと怒りを示して敵を混乱させ、わざとへりくだって、敵を驕らせ、味方は安逸に行動して、敵を疲れさせ、君臣が団結しており、又友好国とも団結している場合は、離間の策を用いてこれらの団結を妨げるのである。このようにして敵が備えていないところを攻め、敵の意表を突くのである。これが兵法家の勝を得る方法であるが、戦争では敵の動きに応じて、臨機応変に対処しなければならないので、事前にこれらを教えておくことはできない。戦争に先だって、祖廟の前で彼我の戦力を道・天・地・将・法の五事にもとづいて計算した場合、勝つ者はその得点は多いからであり、負ける者はその得点が少ないからである。得点の多い者は勝ち、少ない者は負けるのであって、まして得点がない者が勝つことができないのは、言うまでもないことである。この祖廟の前での計算から判断すれば、勝負の行方は既に明らかである。

孫子曰、兵者、國之大事、死生之地、存亡之道。不可不察也。故經之以五校之計、而索其情。一曰道、二曰天、三曰地、四曰將、五曰法。道者、令民與上同意也。故可與之死、可與之生、而民不畏危。天者、陰陽寒暑時制也。地者、遠近險易廣狹死生也。將者智信仁勇嚴也。法者、曲制官道主用也。凡此五者、將莫不聞。知之者勝、不知者不勝。故校之以計、而索其情。曰、主孰有道、將孰有能、天地孰得、法令孰行、兵衆孰強、士卒孰練、賞罰孰明、吾以此知勝負矣。將聽吾計、用之必勝。留之。將不聽吾計、用之必敗。去之。計利以聽、乃為之勢、以佐其外。勢者、因利而制權也。兵者、詭道也。故能而示之不能,用而示之不用、近而示之遠、遠而示之近、利而誘之、亂而取之、實而備之、強而避之、怒而撓之、卑而驕之、佚而勞之、親而離之、攻其無備、出其不意。此兵家之勝、不可先傳也。夫未戰而廟算、勝者得算多也。未戰而廟算、不勝者得算少也。多算勝、少算不勝。而況於無算乎。吾以此觀之、勝負見矣。

孫子曰く、兵は、國の大事にして(注1)、死生の地、存亡の道なり(注2)。察せざる可からざるなり。故に之を經(はかる)るに五校の計を以てして、其の情を索む(注3)。一に曰く道、二に曰く天、三に曰く地、四に曰く將、五に曰く法。道とは、民をして上と意を同じくせしむるなり。故に之と死す可く、之と生く可くして、民、危うきを畏れず(注4)。天とは、陰陽・寒暑・時制なり(注5)。地とは、遠近・險易・廣狹・死生なり(注6)。將とは、智・信・仁・勇・嚴なり。法とは、曲・制・官・道・主・用なり(注7)。凡そ此の五者は、將聞かざるは莫し。之を知る者は勝ち、知らざる者は勝たず。故に之を校するに計を以てして、其の情を索む。曰く、主孰れか有道なる、將孰れか有能なる、天地孰れか得、法令孰れか行う、兵衆孰れか強き、士卒孰れか練れたる、賞罰孰れか明らかなる、吾、此を以て勝負を知る。將に吾が計を聽かんとするか、之を用うれば、必ず勝たん。之に留まらん。將に吾が計を聽かざらんとするか、之を用うれば、必ず敗れん。之を去らん(注8)。計利として以て聽かるれば、乃ち之が勢いを為して、以て其の外を佐く。勢とは、利に因りて權(權變、臨機応変のこと)を制するなり。兵は、詭道なり(注9)。故に能にして之に不能を示し、用にして之に不用を示し(注10)、近くして之に遠きを示し、遠くして之に近きを示し、利して之を誘い、亂して之を取り、實にして之に備え(注11)、強くして之を避け、怒りて之を撓(みだす)し(注12)、卑うして之を驕らせ、佚にして之を勞し(注13)、親しみて之を離す。其の無備を攻め、其の不意に出づ。此れ兵家の勝、先に傳う可からざるなり(注14)。夫れ未だ戰わずして廟算して、勝つ者は算を得ること多ければなり。未だ戰わずして廟算して、勝たざる者は算を得ること少ければなり。算多きは勝ち、算少なきは勝たず。而るを況んや算無きに於いてをや。吾、此を以て之を觀れば、勝負見わる。

<注釈>
○注1、十注:張預曰く、國の安危は兵に在り、故に武を講じ兵を練ること、實に先務とするなり。○注2、十注:張預曰く、死生を地と曰い、存亡を道と曰うは、死生は勝負の地に在りて、存亡は得失の道に繋かるを以てなり。○注3、十注:杜牧曰く、經は、經度なり、五は即ち下の所謂五事なり、校は、校量なり、計は即ち篇首の計算なり、索は、捜索なり、情は、彼我の情なり、此れ先づ須からく五事の優劣を經度し、次に復た計算の得失を校量すべきを言う、然る後始めて彼我の勝負の情状を捜索す可し。○注4、十注:孟氏曰く、道とは、之を道くに政令を以てし、之を齊うるに禮教を以てす、故に能く民の志を化服して、上下と同一なり、故に兵を用いるの妙は權術を以て道と為す。○注5、十注:孟氏曰く、兵は、天運に法るなり、陰陽は、剛柔盈縮なり、陰を用いれば、則ち沈虚固静なり、陽を用いれば、則ち輕捷猛厲なり、後くれば則ち陰を用い、先んずれば則ち陽を用いる、陰は蔽する無く、陽は察する無きなり、陰陽の象は定形無し、故に兵は天に法り、天に寒暑有り、兵に生殺有り、天は則ち殺に應じて物を制し、兵は則ち機に應じて形を制す、故に天と曰うなり。○注6、十注:梅堯臣曰く、形勢の利害を知り、凡そ兵を用いるに先づ地形を知るを貴ぶ、遠近を知れば、則ち能く迂直の計を為し、険易を知れば、則ち能く歩騎の利を審らかにし、廣狭を知れば、則ち能く衆寡の用を度り、死生を知れば、則ち能く戰敗の勢いを識るなり。○注7、曲制・官道・主用と三分する説と、曲・制・官・道・主・用と六分する説がある、王晳の六分説を採用する。十注:王晳曰く、曲は、卒伍の屬、制、は、其の行列進退を節制す、官は、羣吏偏裨(偏・裨共に副将の意)なり、道は、軍行及び舎る所なり、主は、其の事を主守するなり、用は、凡そ軍の用にして、輺重糧積の屬を謂う。○注8、十注:梅堯臣曰く、王、将に吾が計を聽かんとして、用いて戰わば、必ずたん、我、當に此の地に留まるべし、王、将に我が計を聽かざらんとして、用いて戰わば、必ず敗れん。我當に此を去るべきなり。「将」の字、将軍の意に読む説と、副詞に読む説がある。私はこの梅堯臣の注を採用して、副詞に読んだ。○注9、「「詭」の義は、いつわり、あざむくである、偽りの道とはどういうことだ、道とは正道をさすものだ、というような論争が古来から行われている。私は単純に解釈してもよいのではと思っている。十注に、杜佑曰く、兵は常形無し、詭詐を以て道を為す、とあり、戦争の道は敵を欺くことである、と解釈するのがよい。○注10、「用」を、色々なものを用いると解釈する例が多いが、十注:李筌曰く、己實に師を用いるも、外に之に怯うるを示すを言う、とあり、私はこの解釈でよいと思うので、そのように解釈した。○注11、服部宇之吉氏云う、「敵の力充実なれば敢て戰わずして之に備う。」○注12、服部宇之吉氏云う、「怒は吾故意に怒りて其の気を撓わむ。」味方が故意に怒り、それを敵に示して混乱させること。○注13、十注:王晳曰く、奇兵を多くするなり、彼出づれば則ち歸り、彼歸れば則ち出で、左を救わば、則ち右し、右を救わば、則ち左す、之を罷勞する所以なり。○注14、十注:梅堯臣曰く、敵に臨み變に應じて宜しきを制す、豈に預め前に之を言う可けんや。

<解説>
計篇の解題について、十注に多くの解説があるが、杜牧の解説を紹介しておく。曰く、「計算なり、曰く、何事をか計算す、曰く、下の五事なり、所謂道・天・地・将・法なり、廟堂の上に於いて、先づ彼我の五事を以て優劣を計算し、然る後に勝負を定む、勝負既に定まり、然る後に師を興し、衆を動かすは、兵の道なり、此の五事に先立つものは莫し、故に著して篇首と為すのみ。」
この篇の趣旨は、杜牧の解説に要約されている通りである。戦争を始めるには、事前に彼我の戦力を具体的な項目に基づいて比較検討し、勝敗の行方を見極めることが最も大事とされているが、これは戦争だけの話ではなく、勝負ごとに於いては全てそうであろう。