gooブログはじめました!

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

『春秋左氏伝』巻第五僖公

2015-07-29 10:27:09 | 漢文解読
『春秋左氏伝』巻第五僖公の解読をホームページにアップしました。

         『經』
 ・元年(前659年)、春、王の正月。
 ・齊の師・宋の師・曹の師、聶北に次りて、邢を救う。
 ・夏、六月、邢、夷儀に遷る
 ・齊の師・宋の師・曹の師、邢に城く。
 ・秋、七月戊辰、夫人姜氏、夷に薨ず。齊人以て歸る。
 ・楚人、鄭を伐つ。
 ・八月、公、齊侯・宋公・鄭伯・邾人に檉(テイ)(杜注:檉は宋の地)に會す。
 ・九月、公、邾の師を偃に敗る。
 ・冬、十月壬午、公子友、師を帥いて莒の師を酈(リ、魯の地名)に敗り、莒の挐(ジョ、莒の君の弟)を獲。
 ・十有二月丁巳、夫人氏(姜氏)の喪、齊に至る。


  続きはホームページにて http://gongsunlong.web.fc2.com/

『中庸』第三十二節、三十三節、続き

2015-07-11 10:28:04 | 漢文解読
                        第三十二節 続き
『詩経』(衛風碩人篇)には、きらびやかな錦の衣裳を身に付けたが、その派手派手しさを隠す為に、その上に薄絹を羽織るのだ、と詠われている。それは表面的な派手な美しさを嫌う心に他ならない。これこそが至徳を備えた君子の心である。それ故にこのような君子の守り行う道は、深遠にして初めは目立たないが、日が経つにつれて次第に滲み出るように彰かになってくる。それに対して小人の行う道は、初めは目だって人目を引くが、その徳の浅近なるが故に、次第に色あせて人々から忘れられてしまう。このように君子の道は一見目立たないが、その淡白なるが故に人々から厭きられず、一見簡易であるがその中には美しさが有り、温厚であるがその中には揺ぎ無い条理を備えている。だから遠くを知ろうと思えば先ず近きを知ることに務め、吹き過ぎる風には自って生ずる源が有るように、外に現れる事象は内部に秘めたものに基づくことを知り、微にして目立たないものこそ世に顕れることを理解すれば、人は誰しも君子と俱に手を携えて聖人の至徳に近づくことが出来るのである。
又『詩経』(小雅正月篇)で、水に深くもぐり潜んでいても、やがて明らかに顕れる、と詠われているように、君子は常に反省し、心に何らやましい事も無く、己の心に羞じることの無いように務めており、世に認められなくても、己の心を損なうことは無いので、その偉大な徳はやがて人々に認められるようになるであろう。普通の人々が君子に及ばないのは、實に人の目の届かないところでも、常に至徳を身に附ける為に努力をしているその姿であろう。更に詩(大雅抑篇)は、君子が居室の内に在る場合も、その様子を見ると、人気の無い室の西北の隅に居るときでも、そこに祀られている中霤の神にさえ、恥じる様な行いはしない、と詠っている。このように君子は他人の目が届かないところでも、常に慎み深く徳を重ねているので、何もしなくても、何も言わなくても、君子は人々から尊敬され信頼されるのである。詩(商頌烈祖篇)に、大楽を宗廟で奏でると、人々は皆厳粛畏敬の念を懐き、争うことなく和合する、と詠っているのは、君子の徳もこのようで有ることを教えているのである。
このように君子の徳は、自然と民から畏敬され信頼されているので、賞を示して督励しなくても、民は歓んで自ら業に励むようになり、威力を以てしなくても、民はおのやまさかりで刑せられるより懼れ戒めるようになる。詩(周頌烈文篇)に、何と顕らかなことか、この徳は。天下の多くの諸侯たちはこの徳に法って国を治めている、と詠われているのは、徳こそが國を修める根本であることを教えているのである。それ故に王たる君子が篤実恭敬にして徳を全うすれば、天下は自然と平和に治まるのである。詩(大雅皇矣篇)に、私は民を治めるにあたって、常に徳を明らかにして民を教化することに務め、声や顔色を大にして、民を威嚇するようなことはしないように務めている、と詠われているのは、将にこのことを教えているのである。

詩曰、衣錦尚絅。惡其文之著也。故君子之道、闇然而日章。小人之道、的然而日亡。君子之道、淡而不厭、簡而文、溫而理。知遠之近、知風之自、知微之顯、可與入矣。
詩云、潛雖伏矣,亦孔之昭。故君子內省不疚、無惡於志。君子所不可及者、其唯人之所不見乎。詩云、相在爾室,尚不愧于屋漏。故君子不動而敬、不言而信。詩曰、奏假無言、時靡有爭。
是故君子不賞而民勸、不怒而民威於鈇鉞。詩曰、不顯惟、百辟其刑之。是故君子篤恭而天下平。詩曰、予懷明、不大聲以色。

詩に曰く、「錦を衣て絅(ケイ)を尚(くわえる)う。」其の文の著るるを惡むなり。故に君子の道は、闇然として而も日々に章らかなり。小人の道は、的然として而も日々に亡ぶ。君子の道は、淡にして厭われず、簡にして文あり、溫にして理あり。遠きの近きを知り、風の自るを知り、微の顯なるを知らば、與にに入る可し。
詩に云う、「潛(くぐまる)まりて伏すと雖ども、亦た孔(はなはだ)だ之れ昭らかなり」故に君子は內に省みて疚しからず、志に惡む無し。君子の及ぶ可からざる所の者は、其れ唯人の見ざる所ならんか。詩に云う、「爾の室に在るを相るに、尚ほ屋漏に愧ぢず。」故に君子は動かずして敬せられ、言わずして信ぜらる。詩に曰く、「假を奏して言無し、時に争うこと有る靡し。」
是の故に君子は賞せざれども民は勸み、怒らざれども民は鈇鉞より威る。詩に曰く、「顯らかならざらんや惟れ、百辟其れ之に刑(のっとる)る。」是の故に君子は篤恭にして天下は平らかなり。詩に曰く、「予、明を懷う、聲と色とを大にせず。」

<語釈>
○「尚絅」、「絅」は薄絹、「尚」は重ねる意で、くわえると訓ず。薄絹を重ね着すること。○「闇然」、暗闇に潜んでいて目立たないこと。○「的然」、的を得ていて人目を引くこと。○「知風之自」朱子は云う、外に顕るる者は内に本づくなり。○「入」、鄭注:徳に入るは、聖人の徳に入るなり。○「屋漏」、鄭注:室の西北の隅、之を屋漏と謂う。中霤の神(雨だれの神)を祀る所で、人気が無い。○「奏假」、鄭注:大楽を宗廟の中に奏でるを謂う、人皆粛敬す、金聲玉色にして、言う者有る無し、時に太平を以て和合して争う所無し。○「不顯惟、百辟其刑之」、鄭注:「不顯」は、顯を言うなり、「辟」は君なり、此れ頌なり、顯ならざらんや文王の徳、百君盡く之に刑るとは、諸侯之に法るを謂うなり。

                          三十三節
孔子は、前節の『詩経』大雅皇矣篇の歌を承けて、声を大にしたり、顔色を険しくしたりするのは、統治者が民を教化する根本の道ではないと述べておられる。これは、統治は徳を以て根本とすべきであると云っておられるのである。詩((大雅蒸民篇)にも、徳の軽いことは一本の毛のようだ、と詠われているように、統治の根本である徳は毛のように軽くて用い易いもので、誰もが用いることが出来る。しかしこのような毛でさえ、その軽さや形状などから比類されるものは幾らでも有る。その意味では、毛の喩えで徳を述べるのは十分でない。更に詩に、上天の徳は、声も無く臭いも無い、と詠われているように、正に至誠の徳は人間の感覚では捉えることが出来ないどこまでも深くどこまでも広いもので、民は知らず知らずのうちにそれを享受するものである。この詩句こそが、清明にして神の如き至誠の徳を喩えるにはふさわしいものであろう。

子曰、聲色之於以化民、末也。詩曰、徳輶如毛。毛猶有倫。上天之載、無聲無臭。至矣。
第三十三節
子曰く、「聲色の以て民を化するに於けるや、末なり。」詩に曰く、「の輶(かるい)きこと毛の如し。」毛は猶ほ倫有り。「上天の載は、聲も無く臭も無し。」至れるかな。

<解説>
孔子は、堯・舜の道を根本にし、其れを具体化させた周の文王・武王の法に則ることが、自分の進むべき根本的な道であるとした。その孔子の大徳を称え、それを明らかにすることに因って、至誠の徳の本質と有り様を明らかにしているのがこの三十二節である。その至徳を備えた孔子のような聖人であってこそ、聰明睿知、裕溫柔、發強剛毅、齊莊中正、文理密察にして、天下を治める條理に通じ、天下の大本としての中庸の道を確立し、天地が万物を変化させ育てる道を知るに至ることができるのである。しかしながら、このような大徳は決して派手派手しく人目に顕れるもので無く、闇然として而も日々に章らかなりと述べられているが如きものである。そのことを第三十三節で、「上天の載は、聲も無く臭も無し。」至れるかなと、締めくくっているのである。
以上を以て『中庸』は終了するのであるが、中庸を解説した書と考えると、何となくすっきりしない終わり方のように思える。更にこの三十二、三十三の結節は、うがった見方をするならば、至徳を身に備えた聖人孔子が、一時はそれなりの位に就いたことはあったにせよ、庶人で終わったことに対して、世の理不尽を嘆き、たとえ隠居していようとも、その徳は顕現し、やがて人々に認めらることを強調して、孔子を擁護する為に加えられた節のような気がしないでもない。

『中庸』最終回第三十二節、三十三節

2015-07-06 10:24:04 | 漢文解読
永かった『中庸』の解読もいよいよ最終回に入りました。少し長いので二回に分けて公開します。

                            『中庸』第三十二節
孔子は古の聖人である堯・舜の偉大な道こそ、私の進むべき道の根本であると述べ、その後継者であり周を開いた文王・武王が定めた法度に法り、道を明らかにされた。さらに上は四時の変化を引き起こす天の法則に従い、身の調和を崩さずに徳を修め、下は大地が万物を育むように、万民を教化されたのである。その行為は、万物で、地の懐き続けない物は無く、天の覆い尽くせないものが無いのと同じであり、それは春夏秋冬が順序に従って乱れることなく運行されることや、日月が乱れることなく代わる代わる天地を照らすのにも比擬せられる。天地の偉大な働きは、自然の節理に基づき、秩序に違わないので、万物は相並んで生成しているのに、互いにいささかも害しあう事は無く、それぞれが道に従い生きているのに、互いに衝突しあうことも無く、それぞれの分を守っている。孔子の教えも、この天地と同じで、その徳は川の流れのように、それぞれに及び、万物を育み、日月のように万物全てを照らす。孔子の道は誠にこの天地のように偉大である。
このように天地にも比擬せられる孔子のような至聖の者だけが、聰明睿知にして、民を治めるにふさわしく、心が豊かで温和でやさしく、万物を包容するにふさわしく、強い行動力と決断力を備えていて、何事にも揺るがず、言動が厳かで偏らない態度は、人々から畏敬される徳を備えていて、外に現れた言行は美しいあやが有り条理が整っており、内には詳密明晰な判断力を備えており、物事の秩序を誤り無く分別する徳を十分に備えておられるのである。このように孔子の徳は遍く広く深く行き渡り尽きることが無く、その時々に適切に出だされるのである。その徳が遍く行き渡る様子は天のようであり、どこまでも奥深く行き渡る様子は深淵のようである。聖人がこのような徳を顕せば、その者を尊敬しない民は一人もいないであろうし、その言は誰もが信じ、その行いに喜ばない民はいない。それ故にその輝かしい名声は中国全土に充溢し、辺境の四夷にまで及んでいるのである。凡そ舟や車の行き着く限り、人が歩いて行き着く限り、天が覆い尽くす限り、台地が戴く限り、日や月が照らす限り、霜や露が落ちて大地を潤す限りの所で、生きとし生ける者全てが、この至徳を備えた聖人を尊敬し親しむのである。だからこそ天に比肩して相並んでいるのである。
このように、この世で至誠を身に備えた實の聖人であってこそ、天下を治める條理に通じ、天下の大本としての中庸の道を確立し、天地が万物を変化させ育てる道を知るに至ることができるのである。だからこのような聖人が、中庸の道からはずれ、偏った言動を行うことは到底考えられない。天下を治める条理を実践する態度も、懇ろで誠に厚く、善徳を行い、天下の大本たる中庸の道を確立した其の思慮は、淵々としてどこまでも深く深淵であり、天地の働きを理解する其の姿勢は、天の如く浩々として際限なく広遠である。かりそめにもこのような實の聖人のように、聡明にして思慮深く遍く知っており、その至徳が天の徳にも等しい者でなければ、一体誰がこのようなことを理解することが出来ようか。

仲尼祖述堯舜、憲章文武。上律天時、下襲水土。辟如天地之無不持載、無不覆幬。辟如四時之錯行、如日月之代明。萬物竝育而不相害、道竝行而不相悖。小川流、大敦化。此天地之所以為大也。
唯天下至聖、為能聰明睿知、足以有臨也、裕溫柔、足以有容也、發強剛毅、足以有執也、齊莊中正、足以有敬也、文理密察、足以有別也。溥博淵泉、而時出之。溥博如天、淵泉如淵。見而民莫不敬、言而民莫不信、行而民莫不說。是以聲名洋溢乎中國、施及蠻貊。舟車所至、人力所通、天之所覆、地之所載、日月所照、霜露所隊、凡有血氣者、莫不尊親。故曰配天。
唯天下至誠、為能經綸天下之大經、立天下之大本、知天地之化育。夫焉有所倚。肫肫其仁。淵淵其淵。浩浩其天。苟不固聰明聖知、達天者、其孰能知之。

仲尼、堯・舜を祖述し、文・武を憲章す。上は天の時に律(のっとる)り、下は水土に襲(よる)る。辟えば天地の持載せざる無く、覆幬(フ・トウ)せざる無きが如し。辟えば四時の錯行するが如く、日月の代明するが如し。萬物竝び育せられて相害わず、道竝び行われて相悖らず。小は川流し、大は敦化す。此れ天地の大為る所以なり。
唯天下の至聖のみ、能く聰明睿知、以て臨む有るに足り、裕溫柔、以て容るる有るに足り、發強剛毅、以て執る有るに足り、齊莊中正、以て敬する有るに足り、文理密察、以て別つ有るに足ると為すなり。溥博淵泉にして、時に之を出だす。溥博は天の如く、淵泉は淵の如し。見わして民敬せざるは莫く、言いて民信ぜざるは莫く、行いて民說ばざるは莫し。是を以て聲名、中國に洋溢し、施きて蠻貊に及ぶ。舟車の至る所、人力の通ずる所、天の覆う所、地の載する所、日月の照らす所、霜露の隊つる所、凡そ血氣有る者は、尊親せざるは莫し。故に天に配すと曰う。
唯天下の至誠のみ、能く天下の大經を經綸し、天下の大本を立て,天地の化育を知ると為す。夫れ焉んぞ倚る所有らん。肫肫(ジュン・ジュン)として其れ仁なり。淵淵として其れ淵なり。浩浩として其れ天なり。苟しくも固に聰明聖知、天に達する者にあらざれば、其れ孰か能く之を知らん。

<語釈>
○「祖述」、その道を根本として述べること。○「憲章」、法則としてその道を明らかにすること。○「持載」、物を維持して載せること。○「覆幬」、鄭注:「幬」も亦た「覆」なり。上から覆うこと。○「小徳川流」、川の流れがそれぞれの流域を潤すように、個々に及ぼす徳。○「大徳」、天地が万物を蓋い載せて、手厚く化育するように全体に及ぼす徳。○、「聰明睿知」、耳は敏く、目は遠く微細なものまで觀ることが出来、深遠なる道理を悟りうるすぐれた才知。○「有臨」、政治に臨む意。○「裕溫柔」、心が広く豊かで、温和でやさしい。○「有容」、万物を受け入れて包み込む。○「發強剛毅」、意志が強く動力があること。○「有執」、固く執り持って揺るがないこと。○「齊莊中正」、厳かで偏らないこと。○「文理密察」、言行には美しいあやが有り、条理に適っており、細微なことまで察して明弁できること。○「有別」、天地の次序に基づき、万物を分別することが出来ること。○「溥博淵泉」、遍く遠く行き渡り、深遠にして枯れることが無い。○「有血氣者」、生きとし生けるもの。○「經綸天下之大經」、江戸末期の大儒学者、安井息軒は、「經」は「法」なり、治国平天下の大法の筋道に通ずる事とする。○「大本」、衡(息軒氏の名)按ずるに、大本は即ち中なり。○「肫肫」、鄭注:忳忳に同じ、懇誠の貌。懇ろにして誠なること。

次回に続く