説話 2(食指が動く)
第二話は、第一話のお話から2年後の同じく鄭のお話でございます。この前年鄭では繆公(ボク・コウ)がお亡くなりになられ、霊公が即位され、この歳は霊公の元年(BC605年)にあたります。そこで鄭の主人である楚の国からお祝いとして、大きなスッポンが献上されて来ました。余談ですが、この時代スッポンは鼈( ベツ)とよばれ、上流階級では結構食べられていた食材で、魚鼈という言葉でこの時代の書物にはよく出てきます。そんな時に公子宋と公子歸生が参内して霊公に謁見する事になったのでございますが、朝廷への参上の途中、公子宋の人差し指が動きました。そこで宋は歸生に其の指を示して、「今までに、このように人差し指が動いたときは、必ずご馳走に預かることができた。」と述べたのです。さても二人が霊公の前に参上すると、料理長が霊公にスッポンの汁物を進めている最中で、それを見た公子宋は笑いながら、「やはりその通りになったではないか。」と歸生に言いました。それを見た霊公は、「あなたは何を笑っているのか。」と尋ねられ、「ここへ來るまでに、私の人差し指が動きました。この人差し指が動いた時は、必ずご馳走にありつくことが出来ました。今日も果たしてその通りになりましたので、思わず笑ってしまったのです。」と答えました。霊公は何となく面白く有りません。そこで意地悪な気を起こし、二人を自分の側に召し、公子歸生にはスッポンの汁物を与えたのですが、公子宋には与えませんでした。この仕打ちに宋は怒り、霊公の汁物に人差し指を漬けて、その指を嘗めながら退出しました。これは主人である君に対して非常に無礼な行為であります。当然霊公は大いに怒り、宋を殺すことを計画したのでございます。それを知った宋は、先に霊公を殺すことを考え、歸生に相談したのですが、歸生は、「家畜でも、老いて用を成さなくなったからと言って殺すことは憚られる。それをまして主人を殺すのはどうであろうか。」と逡巡いたしました。すると公子宋は反って歸生を霊公に讒言したのです。歸生は霊公がそれを信じて自分を殺すのではないかと懼れて、遂に公子宋と共に霊公を殺しました。一杯の汁物が身を滅ぼすことになったのでございます。この物語から“食指が動く”と言う言葉が生まれたのでございます。
つづく
第二話は、第一話のお話から2年後の同じく鄭のお話でございます。この前年鄭では繆公(ボク・コウ)がお亡くなりになられ、霊公が即位され、この歳は霊公の元年(BC605年)にあたります。そこで鄭の主人である楚の国からお祝いとして、大きなスッポンが献上されて来ました。余談ですが、この時代スッポンは鼈( ベツ)とよばれ、上流階級では結構食べられていた食材で、魚鼈という言葉でこの時代の書物にはよく出てきます。そんな時に公子宋と公子歸生が参内して霊公に謁見する事になったのでございますが、朝廷への参上の途中、公子宋の人差し指が動きました。そこで宋は歸生に其の指を示して、「今までに、このように人差し指が動いたときは、必ずご馳走に預かることができた。」と述べたのです。さても二人が霊公の前に参上すると、料理長が霊公にスッポンの汁物を進めている最中で、それを見た公子宋は笑いながら、「やはりその通りになったではないか。」と歸生に言いました。それを見た霊公は、「あなたは何を笑っているのか。」と尋ねられ、「ここへ來るまでに、私の人差し指が動きました。この人差し指が動いた時は、必ずご馳走にありつくことが出来ました。今日も果たしてその通りになりましたので、思わず笑ってしまったのです。」と答えました。霊公は何となく面白く有りません。そこで意地悪な気を起こし、二人を自分の側に召し、公子歸生にはスッポンの汁物を与えたのですが、公子宋には与えませんでした。この仕打ちに宋は怒り、霊公の汁物に人差し指を漬けて、その指を嘗めながら退出しました。これは主人である君に対して非常に無礼な行為であります。当然霊公は大いに怒り、宋を殺すことを計画したのでございます。それを知った宋は、先に霊公を殺すことを考え、歸生に相談したのですが、歸生は、「家畜でも、老いて用を成さなくなったからと言って殺すことは憚られる。それをまして主人を殺すのはどうであろうか。」と逡巡いたしました。すると公子宋は反って歸生を霊公に讒言したのです。歸生は霊公がそれを信じて自分を殺すのではないかと懼れて、遂に公子宋と共に霊公を殺しました。一杯の汁物が身を滅ぼすことになったのでございます。この物語から“食指が動く”と言う言葉が生まれたのでございます。
つづく