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『中庸』第八節

2014-03-05 10:32:37 | 漢文
                 『中庸』第八節
孔子が謂われた、「道は人に遠くて行い難いものではない。」人が進むべき道でありながら、人に遠く行い難いものであるなら、それは真の道とす可きものでない。『詩』に「柯を伐るよ、柯を伐るよ。其の則は遠くない。」と歌われているように、斧の柄を握り締めて、木を伐って斧の柄を作ろうとして、参考にする柄を自分が握り締めており、それを横目で睨んでいながら、参考にする柄は遠くにあるように思い誤るものである。だから君子は人を治めるにも、身近な存在で有る人に因って人の道を行い、罪過の有る人も自ら悔い改めれば、必要以上に責め立てることはしないのである。そこで忠恕が道にとって大事なのである。忠恕とは真心からの他人への思いやりであるが、それを先ず自分に当てはめてみて、自分が願わないようなことであれば、それを他人に施してはいけないということである。だから孔子も言っておられる、「君子の行う可き道は四つ有るが、私丘はその内の一つさえも行い得ていない。親として自分の子供に求めていることを以て、自分の親に尽くすことは、未だに出来ていない。臣下に求める所のことを以て、君に仕えることは、未だに出来ていない。弟に求めている所のことを以て、兄に仕えることは、未だに出来ていない。友人に対して望む所を、私自身が先に友人に対して行うことは、未だに出来ていない。さればこそ人は自分に対しても他人に対しても、徳は常に行いて変わることなく、言葉は謹んで守らなければならない。そのようにして自分の言行を常に反省して、足らない所があれば、努力せずにはおかないし、他人よりも余力があれば、他人を凌ぐことが無いように自制する。そして自分が口にする事は、それが実行できるかどうか常に熟慮し、行わんとすることは、自分が常に言っている道に合っているかどうか慮り、言行一致に勉める。このようであるから君子は常に恐れ謹んで、日々勉めなければならないのである。そして世に出ては、君子は自分のおかれた立場に準拠して道を行うことに最善を尽くし、分以上のことを望み、他人をうらやんだり悪意を懐いたりすることはしない。もし運善く富貴の立場になったとしても、驕らず淫れず好んで道を行うことに勉める。不幸にも貧賤になったとしても、卑屈になって他人に阿ったり怖れたりせずに、毅然として道を行う。仮に文化の中心である中国を離れて夷狄の中で暮らさなければならなくなったとしても、其の風俗や習慣を尊重してそれに従いながらも、変わることなく自分の道を行い、夷狄の民を教化することに務める。万が一患難に陥って危険な状態になったとしても、その困難に耐え忍んで、死をかけて道を守り通す。このように君子はどのような立場に置かれても、その外を思わず、その中で正しい道を行い、自分自身を高めることに務めるのである。もし官位に就いたとして、その位が高くても、自分より下位の者に対して軽蔑したり押さえつけたりしない。その位が低くても、自分より上位の者に対して、諂って取り入ろうとしたりしない。こうしてどんな立場に在っても、道を守って己を正しうしていれば、人を怨むことも無く、妬むことも無い。人はこの様であれば、上は天命を怨んだり、下は他人を尤めだてしたりする事も無くなる。だから君子は外を思わず、平安な地に居りながら天命の幸いするのを待つのである。それに対して小人は危険なことを行って僥倖を求めようとするものである。」


子曰、道不遠人。人之為道而遠人、不可以為道。詩云、伐柯伐柯、其則不遠。執柯以伐柯、睨而視之、猶以為遠。故君子以人治人、改而止。忠恕違道不遠、施諸己而不願、亦勿施於人。君子之道四、丘未能一焉。所求乎子以事父、未能也。所求乎臣以事君、未能也。所求乎弟以事兄、未能也。所求乎朋友先施之、未能也。庸之行、庸言之謹、有所不足、不敢不勉、有餘不敢盡。言顧行、行顧言。君子胡不慥慥爾。君子素其位而行、不願乎其外。素富貴、行乎富貴、素貧賤、行乎貧賤、素夷狄、行乎夷狄、素患難、行乎患難。君子無入而不自得焉。在上位不陵下、在下位不援上。正己而不求於人、則無怨。上不怨天、下不尤人。故君子居易以俟命、小人行險以徼幸。」

子曰く、「道は人に遠からず。」人の道を為して人に遠ければ、以て道と為す可からず。詩に云う、「柯を伐り柯を伐る,其の則遠からず。」柯を執りて以て柯を伐り、睨して之を視るも、猶ほ以て遠しと為す。故に君子は人を以て人を治め、改むれば止む。忠恕道を違(さる)ること遠からず、諸を己に施して願わざれば、亦た人に施す勿れ。君子に道は四、丘は未だ一をも能くせず。子に求むる所以て父に事うるは、未だ能くせざるなり。臣に求むる所以て君に事うるは、未だ能くせざるなり。弟に求むる所以て兄に事うるは、未だ能くせざるなり。朋友に求むる所先づ之を施すは、未だ能くせざるなり。庸を之れ行い、庸言を之れ謹み、足らざる所有らば、敢て勉めずんばあらず。餘り有らば敢て盡くさず。言は行いを顧み、行いは言を顧みる。君子胡ぞ慥慥爾(ゾウ・ゾウ・ジ)たらざらん。君子は其の位に素して行い、其の外を願わず。富貴に素しては、富貴に行い、貧賤に素しては、貧賤に行い、夷狄に素しては、夷狄に行い、患難に素しては、患難に行う。君子は入るとして自得せざる無し。上位に在りて下を陵(しのぐ)がず、下位に在りて上を援(ひく)かず。己を正うして人に求めずんば、則ち怨み無し。上天を怨まず、下人を尤(とがめる)めず。故に君子は易に居りて以て命を俟ち、小人は險を行いて以て幸を徼(もとめる)む。

<語釈>
○「柯」、斧の柄。○「則」、鄭注:「則」は「法」なり。○「忠恕」、真心を尽くして他人を思いやること。○「庸」・「庸言」、鄭注:庸は猶ほ常のごきなり、徳常に行い、言常に謹むを言うなり。○「慥慥爾」、つとめるさま、「爾」は状態を示す助字。○「素」、鄭注は「郷」と解く、居處、立場の意。

<解説>
この第八節はとても大切なことを教えてくれている。道については、深遠で高邁なもので有るように思われがちであるが、人に遠くて行い難いものであれば、それは真の道ではないと教えている。我々はとかく真理や規は遠くにあるように思いがちであるが、そうではなく身近な所にこそ真の道があり、それをよく見つめて実践することが大事なのである。その第一歩が忠恕、乃ち真心から他人を思いやることである。しかしそれは常にわが身に置き換えてよく考え、己が望まないことを決して人に施してはいけない。そして常に自分の置かれている状況で努力し、決して其の外を羨むようなことをせず、分を超えないように務めねばならないと説いている。乃ち真の道を理解し、身近なところから実践し、相手の望まないことはせず、常に相手を思いやり、今現在自分が置かれている状況の中で努力することが大事なのである。そうすれば人から怨まれたり、妬まれたりせず、争いも無く、平安に暮らしていけるのである。