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『孟子』巻第十一告子章句上 百五十三節、百五十四節

2019-01-27 10:32:25 | 四書解読
百五十三節

孟子は言う。
「両手や片手でつかめるほどの太さの桐や梓の木も、これを育てようと思えば、誰でもその育て方を知っている。人は仁義を以て心を養うものなのに、わが身になると、それを忘れて養う方法が分からなくなってしまう。なんとわが身を愛することは、桐や梓にも及ばないのだろうか。事の軽重を知らないにもほどがある。」

孟子曰、拱把之桐梓、人苟欲生之、皆知所以養之者。至於身、而不知所以養之者。豈愛身不若桐梓哉。弗思甚也。

孟子曰く、「拱把の桐梓も、人苟くも之を生ぜんと欲せば、皆之を養う所以の者を知る。身に至りては、之を養う所以の者を知らず。豈に身を愛すること桐梓に若かざらんや。思わざるの甚しきなり。」

<語釈>
○「拱把」、趙注:「拱」は、両手を合わすなり、「把」は、一手を以て之を把るなり。両手や片手でつかめるものという意味。○「至於身~」、趙注:身を養うの道に至りては、當に仁義を以てすべし、而るに用うるを知らず。

<解説>
前節では、目に見えないものをおろそかにすることを述べているが、それは心であり、この節では、目に見えるものの養い方は知っているのに、見えないもの、乃ち心の修養はおろそかにされがちであることを誡めている。

百五十四節

孟子は言う。
「人は自分の体のあらゆる部分を愛する。あらゆる部分を愛するから、あらゆる部分を大切に養う。一尺一寸の皮膚でも愛さぬことはないので、一尺一寸の皮膚でも大切に養う。だがその養い方の良し悪しを判断する方法は、ほかにあるわけではない。その養い方が、自分の体にとっての良し悪しを判断するだけである。そもそも人の体には、尊い部分と卑しい部分とがあり、つまらぬ部分と大切な部分とが有る。つまらぬ部分を重んじて、大切な部分を損なうことなく、賤しい部分を重んじて、尊い部分を損なうようなことをすべきでない。つまらぬ部分を養うことばかり考えていては、結局つまらぬ人間になってしまう。それに対して大切なものを養うことに務めるものは、大人となるのだ。今、かりに植木屋がいたとして、桐や梓を棄ておいて、バラやイバラばかりを育てていたら、それは未熟な植木屋と言われるだろう。指一本の病気ばかりに気を取られて、肩や背中の病に気づかない医者は、藪医者と言われるだろう。飲食の事ばかり考えている人は、世間から軽蔑されるだろう。それは飲食という小さなものに気を取られて、より大きなものを見失っているからだ。しかし飲食を重んじる人も、より大切なことがあることを忘れさえしなければ、口腹の養いは一尺一寸の皮膚を養うだけにとどまらない。」

孟子曰、人之於身也、兼所愛。兼所愛、則兼所養也。無尺寸之膚不愛焉、則無尺寸之膚不養也。所以考其善不善者、豈有他哉。於己取之而已矣。體有貴賤、有小大。無以小害大、無以賤害貴。養其小者為小人、養其大者為大人。今有場師。舍其梧檟、養其樲棘、則為賤場師焉。養其一指、而失其肩背而不知也、則為狼疾人也。飲食之人、則人賤之矣。為其養小以失大也。飲食之人無有失也、則口腹豈適為尺寸之膚哉。

孟子曰く、「人の身に於けるや、愛する所を兼ぬ。愛する所を兼ぬれば、則ち養う所を兼ぬ。無尺寸の膚も愛せざること無ければ、則ち尺寸の膚も養わざること無きなり。其の善不善を考うる所以の者は、豈に他有らんや。己に於て之を取るのみ。體に貴賤有り、小大有り。小を以て大を害すること無く、賤を以て貴を害すること無かれ。其の小を養う者は小人為り、其の大を養う者は大人為り。今場師有り。其の梧檟(ゴ・カ)を舎てて、其の樲棘(ジ・キョク)を養わば、則ち賤場師と為さん。其の一指を養いて、而も其の肩背を失いて知らざれば、則ち狼疾人と為さん。飲食の人は、則ち人之を賤む。其の小を養いて以て大を失うが為なり。飲食の人も失うこと有る無ければ、則ち口腹豈に適だ尺寸の膚の為のみならんや。」

<語釈>
○「於己取之」、朱注:其の養う所の前否考えんと欲する者は、惟だ之を身に反りて、以て其の軽重を審らかにするに在るのみ。○「場師」、植木屋。○「梧檟」、趙注:「梧」(ゴ)は、桐、「檟」(カ)は、梓。○「樲棘」、服部宇之吉氏云う、「樲」(ジ)は、酸棘、「棘」は、いばら。酸棘はバラ。○「狼疾人」、趙注:醫、人の疾を養うに、其の一指を治めて、其の肩背の疾有るを知らず、以て此を害うに至る、此れ狼籍の亂を為し、疾を治むるを知らざるの人なり。指に気を取られて肩背の病に気づかない藪医者の意。

<解説>
些細な事に気を奪われ、大事な事を見失ってしまうことはよくある。しかし些細なことだからと言って、それをおろそかにしてよいものだろうか。要はバランスだと思う。

『孟子』巻第十一告子章句上 百五十一節、百五十二節

2019-01-19 10:26:22 | 四書解読
百五十一節

孟子は言う。
「仁は人間にもともと備わっている本心である。義は人が進むべき正しい道である。ところがその正しい道を歩まずに棄ててしまう、その本心をどこかへ失くしてしまっても、探し求めようとしない。誠に哀しいことだ。人は鶏や犬が逃げ出してどこかへ行けば、探そうとするだろう。それなのに本心なら見失っても探そうとしない。学問の道は外でもない、その見失った本心を探し求めるだけのことなのだ。」

孟子曰、仁人心也。義人路也。舍其路而弗由、放其心而不知求。哀哉。人有雞犬放、則知求之。有放心、而不知求。學問之道無他。求其放心而已矣。

孟子曰く、「仁は人の心なり。義は人の路なり。其の路を舎てて由らず、其の心を放して求むるを知らず。哀しいかな。人、雞犬の放すること有れば、則ち之を求むるを知る。心を放すること有りて、求むるを知らず。學問の道は他無し。其の放心を求むるのみ。」

<解説>
学問は単に知識を得る為のもではない。孟子は言う、「其の放心を求むるのみ。」と。趙岐も云う、「路に由り心を求むるは、其の本を得る為なり。」

百五十二節

孟子は言う。
「今かりに、薬指が曲がって伸びない人がいるとしよう。別に痛みを感じたり仕事に差障りがあるわけでもないが、これを伸ばしてくれる人がいたとしたら、その人が秦や楚の遠方の国の人でも、ものともせずに出かけるだろう。それは指が人並みでないのが恥ずかしいからだ。指が人並みで無ければ、恥ずかしいということは知っているのに、心は人並みでなくても、それを恥ずかしいことだとは知らない。こういうのを、物事の比較軽重を知らぬというものだ。」

孟子曰、今有無名之指屈而不信。非疾痛害事也。如有能信之者、則不遠秦楚之路。為指之不若人也。指不若人、則知惡之。心不若人、則不知惡。此之謂不知類也。

孟子曰く、「今、無名の指、屈して信びざる有り。疾痛して事に害あるに非ざるなり。如し能く之を信ばす者有れば、則ち秦楚の路をも遠しとせず。指の人に若かざるが為なり。指の人に若かざるは、則ち之を惡むことを知る。心の人に若かざるは、則ち惡むことを知らず。此を之れ類を知らずと謂うなり。」

<語釈>
○「無名之指」、高注:無名の指は、手の第四指なし、蓋し其の餘の指は皆名有り、無名の指は手の用うる指に非ざるを以てなり。薬指の事。○「類」、朱注:類を知らずとは、其の軽重の等を知らざるを言う。安井息軒氏は、類は比なりと謂う。比較軽重の意。

<解説>
人の目につくものは恥ずかしく思うが、目に見えないものはおろそかにする。人の心の弱点である。

『史記』季布欒布列伝

2019-01-14 10:41:47 | 四書解読
季布は、楚の人なり。氣任俠を為し(集解:如淳曰く、相與に信ずるを任と為し、是非を同じくするを俠と為す)、楚に名有り。項籍、兵に將たらしむ。數々漢王を窘しむ(集解:如淳曰く、窘は、困なり)。項羽滅ぶるに及び、高祖、布を千金に購求す、敢て舍匿するもの有らば、罪三族に及ばん、と。季布、濮陽の周氏に匿る。周氏曰く、「漢、將軍を購うこと急なり。跡ねて且に臣の家に至らんとす。將軍能く臣に聽かば、臣敢て計を獻ぜん。即し能わずんば、願わくは先だちて自剄せよ。」季布之を許す。迺ち季布を髡鉗(コン・ケン、髪を切り、首に枷をはめた。奴隷の姿)し、褐衣を衣て、廣柳車(集解:鄧展曰く、皆棺の飾りなり、載するに喪車を以てし、人の知らざるを欲するなり。他説有り)の中に置き、其の家僮數十人と并せ、魯の朱家の所に之き、之を賣る。朱家、心に是れ季布なるを知る。迺ち買いて之を田に置き、其の子に誡めて曰く、「田の事は此の奴に聽き、必ず與に食を同じくせよ。」朱家迺ち軺車(ヨウ・シャ、索隠:案ずるに輕車を謂う、一馬の車なり)に乘り洛陽に之き、汝陰侯滕公に見ゆ。滕公、朱家を留め飲むこと數日。因りて滕公に謂いて曰く、「季布、何の大罪ありて、上の之を求むること急なるや。」滕公曰く、「布は數々項羽の為に上を窘しむ、上之を怨む。故に必ず之を得んと欲す。」朱家曰く、「君、季布を視るに何如なる人ぞや。」曰く、「賢者なり。」朱家曰く、「臣は各々其の主の用を為す。季布の項籍の用を為すは、職なるのみ。項氏の臣は盡く誅す可けんや。今上始めて天下を得て、獨り己の私怨を以て一人を求む,何ぞ天下に示すことの廣からざるや。且つ季布の賢を以てして、漢、之を求むること、急なること此の如し。此れ北のかた胡に走らずば、即ち南のかた越に走るのみ。夫れ壯士を忌み、以て敵國を資く。此れ伍子胥が荊の平王の墓を鞭ちし所以なり。君何ぞ從容として上の為に言わざるか。」
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『孟子』巻第十一告子章句上 百四十九節、百五十節

2019-01-06 10:41:32 | 四書解読
百四十九節

孟子は言う。
「王が物事を知らないことを不思議がることはない。どんなに生育しやすい種子が有っても、一日だけ暖めて、十日冷やせば、順調に発芽するはずがない。私が王様にお目にかかるのはごく稀である。私が退出すると、私がせっかく暖めた王の心を、冷やす者が入れ替わり王のもとへやってくる。これではたとい王様の心に良心が芽生えたとしても、私にはどうすることも出来ない。あの囲碁の技などは大したものではないが、専心努力しなければ上達しないものだ。弈秋は国中に知られた囲碁の名人である。その彼が二人に囲碁を教えたとする。一人は専心努力して志を遂げようとして、ひたすら弈秋の教えを聴く。もう一人は弈秋の教えを聴いてはいるが、心はその事に集中しておらず、そろそろ白鳥がやってくる頃だろうと思い、射ぐるみでこれを射落とすことを考えていれば、共に学んでいても、もう一人にはとうてい及ばない。それは能力が及ばない為だろうか。決してそうではない。専心努力をしないが為である。」

孟子曰、無或乎王之不智。雖有天下易生之物也、一日暴之、十日寒之、未有能生者也。吾見亦罕矣。吾退而寒之者至矣。吾如有萌焉何哉。今夫弈之為數、小數也、不專心致志、則不得也。弈秋、通國之善弈者也。使弈秋誨二人弈、其一人專心致志、惟弈秋之為聽。一人雖聽之、一心以為有鴻鵠將至。思援弓繳而射之、雖與之俱學、弗若之矣。為是其智弗若與。曰非然也。

孟子曰く、「王の不智を或むこと無かれ。天下生じ易きの物有りと雖も、一日之を暴(あたためる)め、十日之を寒(ひやす)さば、未だ能く生ずる者有らざるなり。吾が見ゆるも亦た罕なり。吾退きて之を寒す者至る。吾萌すこと有るを如何せんや。今、夫れ弈の數為る、小數なれども、心を專らにし志を致さざれば、則ち得ざるなり。弈秋は、通國の弈を善くする者なり。弈秋をして二人に弈を誨えしむるに、其の一人は心を專らにし志を致し、惟だ弈秋に之を聽くことを為す。一人は之を聽くと雖も、一心には以為らく、鴻鵠將に至らんとする有りと。弓繳(シャク)を援きて之を射んことを思わば、之と俱に學ぶと雖も、之に若かず。是れ其の智若かざるが為か。曰く、然るには非ざるなり。」

<語釈>
○「或」、趙注:「或」は、「怪」なり。○「雖有天下易生之物」、趙注:生じ易きの草木五穀を種うるも、一日之を暴温し、十日陰寒して、以て之を殺せば、物何ぞ能く生ぜん。趙注の「暴温」の語から、「暴」を“あたためる”と訓ず。○「數」、趙注:「數」は技なり。○「鴻鵠」、白鳥。○「弓繳」、「繳」(シャク)は、いぐるみ。弓繳は、いぐるみを射ること。

<解説>
何事も努力がなければ成長しない。人間の本性は善であるが、それをなおざりにしていては善道を行うことはできない。それを妨げる外的条件は多々あり、それに侵されれば、不善に走り、邪を行うことになる。専心努力して善を行うことの重要性を説いている。

百五十節

孟子は言う。
「魚は食べたいと思う、熊の掌も食べたいと思う。しかしこの両方を得ることが出来ないなら、魚を棄てて熊の掌を選ぶ。生命も亦た欲することで、義も亦た欲することであるが、両方を得ることが出来ないなら、生命を棄てて義を取る。もちろん生命は私にとって大切なものであるが、それよりも大切なものが有るので、無理に生命を守ろうとしないのである。死も亦た避けたいと願うものであるが、それ以上に避けたいと願うものが有るので、死ぬ危険がある患いに出会っても敢て避けようとしない事もある。願う所のものが生命より大切なものがないとしたら、生命を守る為にはどんなことでもするだろう。避けたいと願うものが、死以上のものがないとしたら、死を避ける為にはどんなことでもするだろう。ところが実際には、人はこうすれば生きられるという時でも、そうしないことがあり、こうすれば患いを避けることが出来るのに、そうしないこともある。それは生命以上に望むものが有り、死以上に避けたいと願うものが有るからである。それは何も賢者だけにあるのではない。人は皆そのようなものを持っているのだ。ただ凡人はそれを見失ってしまうが、賢者はずっと持ち続けているだけのことである。少しの食べ物に一わんの吸い物という粗末なものでも、それがあれば生きられるし、無ければ死ぬ場合でも、おいこらと軽蔑したような口調で声を荒げてそれを与えたのでは、路上の下賤の民でもその無礼に怒って受け取らないし、足蹴にして与えれば、乞食でもそれをもらうのを潔しとしないだろう。ところが一万鐘もの俸禄ともなれば、礼儀に関係なく人は飛びつく。一万鐘もの大禄は独りで食べきれるものでく、己にとって何の足しになるのだ。立派な宮殿を造るとか、妻や妾に贅沢をさせる為とか、知り合いの窮乏者がやってくれば施しを与える為とかであろうか。さきには、たとい餓死しても義に適わないものは受け取らなかったのに、今は立派な宮殿を造る為に、一万鐘もの大禄を受け取り、餓死しても受け取らなかったのに、妻や妾に贅沢をさせる為に受け取り、餓死しても受け取らなかったのに、知り合いの窮乏者に施しを与える為に受け取る。このようなことが果たして止むを得ないことなのだろうか。決してそんなことはない。こういうのを、本来の心を失う、と謂うのだ。」

孟子曰、魚我所欲也。熊掌亦我所欲也。二者不可得兼。舍魚而取熊掌者也。生亦我所欲也。義亦我所欲也。二者不可得兼。舍生而取義者也。生亦我所欲、所欲有甚於生者。故不為苟得也。死亦我所惡、所惡有甚於死者。故患有所不辟也。如使人之所欲莫甚於生、則凡可以得生者、何不用也。使人之所惡莫甚於死者、則凡可以辟患者、何不為也。由是則生而有不用也。由是則可以辟患而有不為也。是故所欲有甚於生者、所惡有甚於死者。非獨賢者有是心也。人皆有之。賢者能勿喪耳。一簞食、一豆羹、得之則生、弗得則死。嘑爾而與之、行道之人弗受。蹴爾而與之、乞人不屑也。萬鍾則不辨禮義而受之。萬鍾於我何加焉。為宮室之美・妻妾之奉・所識窮乏者得我與。鄉為身死而不受。今為宮室之美為之。鄉為身死而不受。今為妻妾之奉為之。鄉為身死而不受。今為所識窮乏者得我而為之。是亦不可以已乎。此之謂失其本心。

孟子曰く、「魚は我が欲する所なり。熊掌も亦た我が欲する所なり。二者兼ぬるを得可からずんば、魚を舍てて熊掌を取る者なり。生も亦た我が欲する所なり。義も亦た我が欲する所なり。二者兼ぬるを得可からずんば、生を舎てて義を取る者なり。生も亦た我が欲する所なれども、欲する所生より甚だしき者有り。故に苟くも得るを為さざるなり。死も亦た我が惡む所なれども、惡む所死より甚だしき者有り。故に患も辟けざる所有るなり。如し人の欲する所をして生より甚だしきもの莫からしめば、則ち凡そ以て生を得可き者は、何ぞ用いざらんや。人の惡む所をして死より甚だしき者莫からしめば、則ち凡そ以て患いを辟く可き者は、何ぞ為さざらんや。是に由れば則ち生くるも、而も用いざること有るなり。是に由れば則ち以て患いを辟く可きも、而も為さざること有るなり。是の故に欲する所、生より甚だしき者有り、惡む所、死より甚だしき者有り。獨り賢者のみ是の心有るに非ざるなり。人皆之れ有り。賢者は能く喪うこと勿きのみ。一簞の食、一豆の羹も、之を得れば則ち生き、得ざれば則ち死す。嘑爾(コ・ジ)として之を與うれば、道を行くの人も受けず。蹴爾として之を與うれば、乞人も屑(いさぎよい)しとせざるなり。萬鍾は則ち禮義を辨ぜずして之を受く。萬鍾は我に於て何をか加えん。宮室の美・妻妾の奉・識る所の窮乏者の我に得るが為か。鄉には身の死するが為にして受けず。今は宮室の美の為に之を為す。鄉には身の死するが為にして受けず。今は妻妾の奉の為に之を為す。鄉には身の死するが為にして受けず。今は識る所の窮乏者の我に得るが為にして之を為す。是れ亦た以て已む可からざるか。此を之れ其の本心を失うと謂う。」

<語釈>
○「一簞食、一豆羹」、「簞」は竹で編んだ小さなかご。「豆」はたかつき、少しの食べ物に一わんの吸い物、○「嘑爾」、趙注:嘑爾は猶ほ爾と呼びて、咄啐するの貌。相手を見下して、おい、と呼びかけること。○「萬鍾」、「萬」は量の単位、一鐘は256升、一升はこの当時194㏄なので、一鐘約50リットル、一万鐘で500キロリットル。

<解説>
“身を棄てて義を取る”とか“義に死す”とかは、古より、志士仁人の口にする言葉として知られているが、この説で説かれていることは、それは何も賢者だけが持っているのではなく、人皆それを持っているということである。賢者と凡人との差はそれを意識しているかしていないかの違いである、と謂うのであるが、それも一理はあるが、義に死す為には勇気も必要であろう。

『孟子』巻第十一告子章句上 百四十七節、百四十八節

2019-01-01 12:27:57 | 四書解読
百四十七節

孟子は言う。
「豊作の年には、若者も実りに安心し平穏であるが、凶作の年には、不安から乱暴を働く者が多い。しかし豊年の時も凶年の時も、天から与えられた若者たちの素質はみな同じである。ただ食糧不足などの不安により、心を惑わせ物欲に溺れてそうさせるのだ。たとえば、今大麦に喩えるならば、種をまいて土をかぶせたとして、土も同じで種をまく時期も同じであれば、やがてむくむくと成長し、夏至の頃になると皆成熟する。だが収穫量が違うとすれば、それは土地のよしあしや、雨露の具合や、人の手の入り方の違いなどによるものであって、種子の違いによるものではない。このようにすべて同類のものは、皆似かよっているものだ。どうして人間だけがそうでないと疑うのか。聖人も我々と同類なのだ。だから龍子も、『たとえ人の足の寸法を知らずに履を作ったとしても、もっこを作るようなことはしないだろう。』と言っている。寸法の違いはあっても履が似かよっているのは、世の人々の足が同類だからである。口と味の関係も、人が大体旨いと思うものは同じである。古の料理の名人である易牙は人に先んじて旨いものを見出した人である。人の口が旨いと感じるものが、犬馬と我々と類を異にするほど、人それぞれにより異なっていれば、世の人々が一様に易牙の味を旨いと思うはずがない。味に関しては、世の人々が皆易牙に期待するのは、それぞれの味覚が大体似かよっているからである。耳も亦た同じである。音楽に関しては、皆古の楽人師曠に期待する。それはそれぞれの耳の好みが大体同じだからだ。目も亦た同じである。子都と言えば、その美しさを知らない者はいない。子都の美しさが分からない者は、目がないのと同じである。だから私は言うのだ、『口が旨いと感じるものは、人皆同じである。聴きたいと思う美しい音楽は、人皆同じである。愛でたいと思う美しいものは、皆同じである。それなのに心だけが、皆一致して喜び迎えられるものがないといことはないはずだ。』それでは人の心が皆一致して喜び迎えるものは何か。それは理であり、義である。聖人は誰もが喜び迎えたいと願っているものを人に先んじて得ただけである。だから理義が我らの心を喜び満足させるのは、牛羊や豚狗の肉が我らの口を喜ばせるのと同じである。」

孟子曰、富歲、子弟多賴、凶歲、子弟多暴。非天之降才爾殊也。其所以陷溺其心者然也。今夫麰麥、播種而耰之。其地同、樹之時又同。浡然而生、至於日至之時、皆熟矣。雖有不同、則地有肥磽、雨露之養、人事之不齊也。故凡同類者、舉相似也。何獨至於人而疑之。聖人與我同類者。故龍子曰、不知足而為屨、我知其不為蕢也。屨之相似、天下之足同也。口之於味、有同耆也。易牙先得我口之所耆者也。如使口之於味也、其性與人殊、若犬馬之與我不同類也、則天下何耆皆從易牙之於味也。至於味、天下期於易牙。是天下之口相似也。惟耳亦然。至於聲、天下期於師曠。是天下之耳相似也。惟目亦然。至於子都、天下莫不知其姣也。不知子都之姣者、無目者也。故曰、口之於味也、有同耆焉。耳之於聲也、有同聽焉。目之於色也、有同美焉。至於心、獨無所同然乎。心之所同然者何也。謂理也、義也。聖人先得我心之所同然耳。故理義之悅我心、猶芻豢之悅我口。

孟子曰く、「富歲には、子弟、賴多く、凶歲には、子弟、暴多し。天の才を降すこと、爾く殊なるに非ざるなり。其の、其の心を陷溺する所以の者然るなり。今、夫れ麰麥(ボウ・バク)、種を播して之を耰(ユウ)す。其の地同じく、之を樹うる時又同じ。浡然(ボツ・ゼン)として生じ、日至の時に至りて皆熟す。同じからざる有りと雖も、則ち地に肥磽(ヒ・コウ)有り、雨露の養い、人事の齊しからざればなり。故に凡そ類を同じうする者は、舉相似たり。何ぞ獨り人に至りて、之を疑わん。聖人も我と類を同じうする者なり。故に龍子曰く、『足を知らずして屨を為るも、我其の蕢(キ)を為らざるを知る。』屨の相似たるは、天下の足同じければなり。口の味に於ける、同じく耆むこと有るなり。易牙は先づ我が口の耆む所を得たる者なり。如し口の味に於けるや、其の性人と殊ること、犬馬の我と類を同じうせざるが若くならしめば、則ち天下何ぞ耆むこと皆易牙の味に於けるに從わんや。味に至りては、天下、易牙に期す。是れ天下の口相似たればなり。惟だ耳も亦た然り。聲に至りては、天下、師曠に期す。是れ天下の耳相似たればなり。惟れ目も亦た然り。子都に至りては、天下、其の姣を知らざる莫きなり。子都の姣なるを知らざる者は、目無き者なり。故に曰く、『口の味に於けるや、同じく耆むこと有り。耳の聲に於けるや、同じく聽くこと有り。目の色に於けるや、同じく美とすること有り。心に至りて、獨り同じく然りとする所無からんや。』心の同じく然りとする所の者は何ぞや。謂わく、理なり、義なり。聖人は先づ我が心の同じく然りとする所を得たるのみ。故に理義の我が心を悅ばすは、猶ほ芻豢の我が口を悅ばすがごとし。」

<語釈>
○「富歲」、趙注:富歲は豊年なり。○「頼」、諸説有るが、服部宇之吉氏が、頼恃む所ありて安心し、至って平穏なるをいう、と云うのを採用する。○「爾」、然りの義。○「麰麥」、趙注:麰麥(ボウ・バク)は大麥なり。○「耰」、種をまいて土をかぶせること。○「浡然」、急に勢いづくことで、むくむくと成長する貌。○「日至」、夏至。○「肥磽」、土地のよしあし。○「蕢」、土を運ぶ道具、もっこ。○「子都」、古の美人、男女の別は定かでない。○「姣」、朱注:姣は好なり。美しさ。○「芻豢」、「芻」(スウ)は草食動物、牛・羊、「豢」(ケン)は穀食動物、豚や狗。

<解説>
類を同じくするものは、その然りとする所も同じであるから、人間もその然りとする所、乃ち理義を誰もが持っているのである。
趙岐の章指を紹介しておく、
「人の稟性(以て生まれた性)は、俱に好憎有り、耳目口心の悦ぶ所の者は同じ、或いは君子為り、或いは小人為るは、猶ほ麰麥の齊しからざるがごとし、雨露然らしむるなり、孟子是を言うは、勗(キョク、努力する意)して之を好む所以なり。」

百四十八節

孟子は言う。
「齊の牛山も昔は木々が美しく生い茂っていた。しかし大都会の郊外にあるので、大勢の人が斧や鉞で木々を伐採したために、美しいとは言えなくなった。それでも日夜成長する生命力と雨露の惠によって、芽生えやひこばえが生じないこともないが、そこへ牛や羊を放牧して新芽を食わせてしまうので、あのようなつるつるの禿山になってしまったのだ。人は今の禿山を見て、昔から材木と成るような木が生い茂っていなかったのだと思うだろうが、木がないのは山の本性ではないのだ。人間の本性も同じことで、どうして仁義の心がないと言えようか。仁義を行う良心を失念させてしまうのは、斧や鉞で伐採して木を減らして行くのと同じである。毎日毎日木を伐るように、良心を削り取っていったら、美しい心でいられようか。日夜成長する生命力により、山に芽生えやひこばえが生じるのと同じように、明け方の明るく清らかな心が芽生えるのだが、善を好み惡を憎む心が、人間としての本性に近づく者がごく稀にしかいないのは、日中の行いが良心を拘束して失わせるからである。この拘束が繰り返されると、夜の清明の気も存在することが出来なくなる。清明の気がなくなれば、もはや人間も鳥や獣とほとんど変わらなくなる。人はそのような鳥や獣と同様になった人間を見て、人はもともと仁義の心はないのだ、と言うのだが、それがどうして人間の本性だと言えようか。だから正しい養育を与えれば、何物も成長しないものはないが、養育を間違えれば何物も消滅する。孔子に、『しっかり持っていれば存するが、放置すれば無くなってしまう。出入りには決まった時がなく、その居場所もわからない。』と云う言葉があるが、恐らく人の良心について言ったものであろう。」

孟子曰、牛山之木嘗美矣。以其郊於大國也、斧斤伐之。可以為美乎。是其日夜之所息、雨露之所潤、非無萌櫱之生焉。牛羊又從而牧之。是以若彼濯濯也。人見其濯濯也、以為未嘗有材焉。此豈山之性也哉。雖存乎人者、豈無仁義之心哉。其所以放其良心者、亦猶斧斤之於木也。旦旦而伐之、可以為美乎。其日夜之所息、平旦之氣、其好惡與人相近也者幾希、則其旦晝之所為、有梏亡之矣。梏之反覆、則其夜氣不足以存。夜氣不足以存、則其違禽獸不遠矣。人見其禽獸也、而以為未嘗有才焉者、是豈人之情也哉。故苟得其養、無物不長、苟失其養、無物不消。孔子曰、操則存、舍則亡。出入無時、莫知其鄉。惟心之謂與。

孟子曰く、「牛山の木、嘗て美なりき。其の大國に郊なるを以て、斧斤之を伐る。以て美と為す可けんや。是れ其の日夜の息する所、雨露の潤す所、萌櫱(ボウ・ゲツ)の生無きに非ず。牛羊又從いて之を牧す。是を以て彼の若く濯濯たるなり。人、其の濯濯たるを見て、以て未だ嘗て材有らずと為す。此れ豈に山の性ならんや。人に存する者と雖も、豈に仁義の心無からんや。其の、其の良心を放する所以の者は、亦た猶ほ斧斤の木に於けるがごときなり。旦旦にして之を伐らば、以て美と為す可けんや。其の日夜の息する所、平旦の氣あるも、其の好惡、人と相近き者幾ど希なるは、則ち其の旦晝の為す所、有た之を梏亡すればなり。之を梏して反覆すれば、則ち其の夜氣以て存するに足らず。夜氣以て存するに足らざれば、則ち其の禽獸を違ること遠からず。人、其の禽獸のごときを見て、以て未だ嘗て才有らずと為す者は、是れ豈に人の情ならんや。故に苟くも其の養いを得れば、物として長ぜざる無く、苟くも其の養いを失えば、物として消せざる無し。孔子曰く、『操れば則ち存し、舍つれば則ち亡す。出入時無く、其の鄉を知る莫し。』惟れ心の謂か。」

<語釈>
○「牛山」、趙注:牛山は齊の東南の山なり。○「息」、朱注:「息」は成長なり。○「萌櫱」。「萌」(ボウ)は芽生え、「櫱」(ゲツ)はひこばえ、伐った草木の根や株から出た芽のこと。○「濯濯」、趙注:濯濯は、草木無きの貌。朱注:濯濯は、光潔の貌なり。この二注の意を汲んで、つるつるになった禿山と解す。○「旦旦」、旦は朝の意、朝朝で毎日の意。○「平旦之氣」、朱注:平旦の氣は、未だ物と接せざるの時の清明の気を謂うなり。夜明けの清明の気。○「梏亡」、朱注:梏は械なり。「械」は『説文』に桎梏なりとあり、足かせ手かせのことで、「梏亡」は拘束して失わせること。○「孔子曰~」、孔子の言葉は四句までとする説と、最後までとする説がある。私は四句までの説を採用した。どちらでもそれほど変わらない。○「鄉」、居場所。

<解説>
この節も性善説について説かれている。趙岐の章指を紹介しておく、
「心を秉りて、正を持てば、邪をして干さざらしむ、猶ほ斧斤を止めて牛山を伐らざれば、則ち木茂る、人は則ち仁を稱う。」