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『中庸』第三十節、第三十一節

2015-05-27 10:37:34 | 漢文解読
                       『中庸』第三十節~第三十一節

                          
                            第三十節
 孔子が言われた、「世の中には、自分が愚かであることに気づかずに、何事も己の意志で勝手気ままに処理したり、低い位にありながら、勝手気ままに事を進めたり、今の世に生きていながら、むやみに古の道が正しいと思い込み、其れに返ろうとする者がいる。このような者は、徳・位・時をよく理解して、それを尊重しない者であり、必ず其の身に災いが及ぶであろう。」このように孔子は、たとえ君子であっても、礼義を定めたり、度量衡を統一したり、書の文字を同一にしたりすることは、天下万民が服し行い用いるものであるから、天子の位に就いていなければ、軽々しくそれらを為してはいけないと戒めておられる。ところで今の世の中は、車の軌道の寸法も同じになり、文字も統一され、行うべき道も、それぞれに見合った礼が定められている。それだから、これらを更に改めて、礼楽を作ろうとすることは、たとえ天子の位に就いていても、実に聖人の徳を身に備えていなければ行うべきでなく、たとえ聖人の徳を備えていても、天子の位に就いていなければ行うべきでない。礼楽を作る者は、必ず聖人にして天子の位に在る者でなければならないのである。

子曰、愚而好自用、賤而好自專、生乎今之世、反古之道。如此者、烖及其身者也。非天子、不議禮、不制度、不考文。今天下、車同軌、書同文、行同倫。雖有其位、苟無其、不敢作禮樂焉。雖有其、苟無其位、亦不敢作禮樂焉。

子曰く、「愚にして自ら用うるを好み、賤にして自ら專らにするを好み、今の世に生まれて、古の道に反る。此の如き者は、烖(わざわい)其の身に及ぶ者なり。」天子に非ざれば、禮を議せず、度を制せず、文を考えず。今天下、車は軌を同じくし、書は文を同じくし、行は倫を同じくす。其の位に有りと雖も、苟しくも其の無ければ、敢て禮樂を作らず。其の有りと雖も、苟しくも其の位無ければ、亦た敢て禮樂を作らず。

<語釈>
○「烖」、「災」の本字。○「倫」、道としての礼。

                         第三十一節
 孔子が言われた、「私は夏の礼を人々に説くことを望んだが、夏の子孫である杞国には、私の言葉を証拠立てるものが不十分であった。そこで私は殷の礼を学んだが、それは宋の国で伝えられているだけで、又私の言葉を証拠立てるには不十分であった。そこで私は更に周の礼を学んだ。これは今現在行われているものであり、その資料とすべきものは十分にあるので、私はこの周の礼に従っているのである。」そこで天下を治める王として、夏・殷・周三代の聖王の禮を身に備えていれば、道を踏み外し、過ちを犯すことはない。しかし身は尊い王の位に在って三代の禮を身に備えていても、其れを証拠立てるものが無ければ、民は信じないし、信じられなければ民も安心して従わない。又孔子のように善を民に示すことが出来る聖人も位が低ければ、民は信じて従うことは出来ない。それだから天下に王たる者は、三代の禮を身に備えて、其れに基づいて治世を行い、その禮徳を庶民に明らかに示すと同時に常に三王に照らし合わせて、道から外れて誤る事が無く、天地の道に照らしても背くことが無いように務めなければならない。そうすれば鬼神に其の証を求めても疑念が無く、道の則は一なので、百世後の聖人でも、其の道は同じなので惑うことがない。鬼神に其の証を求めても疑念が無いということは、鬼神は天地の心なので、天を知っていると謂うことである。百世後の聖人に惑うことがないというのは、聖人の道は人倫の極みであるので、それは人を知っていると謂うことである。それ故に天下に王たる者の、その動作は天下の道となり、その行為は天下の法となり、その言論は天下の法則となる。だから王から遠く離れている人々は、王の姿を仰ぎ望んでその大徳を慕い、近くの人々は、常に王の大徳に接していながらも、飽くことを知らないのである。『詩経』周頌振鷺篇にも、「かしこに在っても、惡まれるようなことは無く、ここに在っても忌み嫌われるようなことは無く、万民に褒め称えられている、だから出来れば終日勉励して、この誉れを何時までも長く持ち続けてほしい。」と詠われているように、君子たる者で、万民から惡まれ嫌われることもないようにならないで、天下に誉れを舉げる者はいないのである。

子曰、吾說夏禮、杞不足徵也。吾學殷禮、有宋存焉。吾學周禮、今用之。吾從周。」王天下有三重焉、其寡過矣乎。上焉者雖善無徵。無徵不信。不信民弗從。下焉者雖善不尊。不尊不信。不信民弗從。故君子之道本諸身、徵諸庶民、考諸三王而不繆、建諸天地而不悖、質諸鬼神而無疑、百世以俟聖人而不惑。質諸鬼神而無疑、知天也。百世以俟聖人而不惑、知人也。是故君子動而世為天下道、行而世為天下法、言而世為天下則。遠之則有望、近之則不厭。詩曰、在彼無惡、在此無射。庶幾夙夜、以永終譽。」君子未有不如此、而蚤有譽於天下者也。

子曰く、「吾、夏の禮を説かんとするも、杞は徵するに足らざるなり。吾、殷の禮を學びしが、宋の存する有り。吾、周の禮を學びたりしが、今之を用う。吾は周に從わん。」天下に王たるに三重有らば、其れ過寡からんや。上なる者は善なりと雖も徵無し。徵無ければ信ぜず。信ぜざれば民從わず。下なる者は善なりと雖も尊からず。尊からざれば信ぜず。信ぜざれば民從わず。故に君子の道は諸を身に本づけ、諸を庶民に徵し、諸を三王に考えて繆らず、諸を天地に建てて悖らず、諸を鬼神に質(ただす)して疑無く、百世以て聖人を俟ちて惑わず。諸を鬼神に質して疑無きは、天を知ればなり。百世以て聖人を俟ちて惑わざるは、人を知ればなり。是の故に君子は動きては世々天下の道と為り、行いては世々天下の法と為り、言いては世々天下の則と為る。之に遠ければ則ち望む有り、之に近きも則ち厭かず。詩に曰く、「彼(かしこ)に在りて惡まるること無く、此に在りて射(いとう)わるること無し。庶幾くは夙夜以て永く譽を終えん。」君子未だ此の如くならずして、而も蚤に天下に譽有る者は有らざるなり。

<語釈>
○「三重」、諸説有り。鄭注は三王の礼、乃ち夏・殷・周三代の聖王の禮だとし、朱子は議礼・制度・考文だとし、仁齋は徳・位・時だとする。定め難いが、鄭注に基づき解釈する。○「上焉者」、鄭玄は、上は君なりと謂い、朱子は、上なる者は、時の王以前を謂う、夏・商の禮の如しと謂う。朱子説を採用する方が多数であるが、下句の「下」と合わせて、全体を考えて、鄭玄説を採用する。○「下焉者」、鄭玄は、下は臣なりと謂う、朱子は、聖人にして下に在るを謂う、孔子の如しと謂う。朱子説に従う。○「詩」、『詩経』周頌振鷺篇。○「射」、いとうと訓じ、厭うこと。○「夙夜」、終日。○「庶幾」、二字で冀(こいねがう)うと読む。

<解説>
二十七節で聖人の道を具体的に顕したものが禮制であると述べられていたが、それを実践する立場にある王たるべき聖人は如何に在るべきかと云うことが、この三十・三十一節で説かれている。乃ち王たる者は、必ず聖人の徳を身に備え、且つそれを民に明示して、その上で民を従わせるものである。そうすることによって、万民から惡まれ嫌われることもなく、敬い慕うわれる。そうなることによって、新たな禮楽も作ることが出来る。この節の結びの言葉、「礼楽を作る者は、必ず聖人にして天子の位に在る者でなければならない。」は、今の我々には、理解も納得も出来ない言葉であるが、歴史による価値観の違いとは、こんなものであろうか。

『春秋左氏伝』巻第三荘公

2015-05-19 10:02:37 | 漢文解読
         『春秋左氏伝』巻第三荘公

『經』
 ・元年(前693年)、春、王の正月。
 ・三月、夫人、齊に孫(のがれる、「孫」は「遜」に同じ)る。
 ・夏、單伯(楊注:「單」は天子の畿内の地名、「單伯」は天子の卿)、王姫を送る(王姫を齊に嫁がせるために、魯に婚礼を取り仕切ることを命じたので、單伯に魯に送り届けさせた)。
 ・秋、王姫の館を外に築く。
 ・冬、十月乙亥、陳侯林卒す。
 ・王、榮叔をして來りて桓公に命を錫わしむ(杜注:傳無し、榮叔は周の大夫、榮は氏、叔は字、「錫」は「賜」なり、桓公に追命して其の徳を褒稱す)。
 ・王姫、齊に歸ぐ。
 ・齊の師、紀のヘイ(“おおざとへん”に“并”の字)・シ(“おおざとへん”に“晉”の字)・ゴ(“おおざとへん”に“吾”の字)を遷す(ヘイ・シ・ゴの三邑の民を移して、その地を占領した)。

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『中庸』第二十七節~第二十九節

2015-05-12 10:06:58 | 漢文解読
             『中庸』第二十七節 ~ 第二十九節
                  第二十七節
偉大なものだなあ、聖人の道と謂うものは。広大なこの世界に充満して、万物を生みだし育てていく。その偉大さは天の高さを極めるほどに高大であり、又それは何と心豊かでのびやかなものだろうか。この偉大さを実際の政治に形として顕したものが、礼制であり、その基本的なものが三百、詳細が三千有る。しかしながらこの聖人の道も、其れを実践できる有徳の人がいて、初めて行われるのである。それだから、至誠により徳を身に備えた人でなければ、聖人の道を極めることは出来ない、と世に言われる通りである。

大哉聖人之道。洋洋乎發育萬物、峻極于天。優優大哉、禮儀三百、威儀三千、待其人然後行。故曰、苟不至、至道不凝焉。

大なるかな、聖人の道。洋洋として萬物を發育し、峻(たかい)きこと天を極む。優優として大なるかな、禮儀三百、威儀三千、其の人を待ちて然る後に行わる。故に曰く、「苟も至ならざれば、至道凝(なる)らず。」

<語釈>
○「洋洋」、正義:「洋洋」は道徳充満の貌を謂う。○「育」、鄭注:「育」は「生」なり。○「峻」、鄭注:「峻」は高大なり。○「優優」、正義:「優優」は寛裕の貌。○「禮儀」・「威儀」、正義:禮儀は經禮なり、威儀は曲禮なり。「禮義」は禮の基本的な大綱、「威儀」は禮の大綱を更に詳細にしたもの。

                第二十八節
前節で述べたように、聖人の道は、徳を身に備えた人のみが極めることが出来るのである。それだから、聖人を規範として学ぶ君子は、天性として与えられている誠を尊んで、それを学ぶことに由り、幅広く厚みのある知識を身につけて、細かいところまで熟知し、その高明を極めると共に、過不及なき中庸を踏み外さないように務め、一度学んだ学問は繰り返し学んで、忘れないようにして、更に新しい知識を身につけることに務め、敦厚な態度でもって禮を尊重し、誠の心を本にして、自分の徳を高めるのである。

故君子尊性而道問學、致廣大而盡精微、極高明而道中庸。溫故而知新、敦厚以崇禮。

故に君子は性を尊びて問學に道り、廣大を致して精微を盡くし、高明を極めて中庸に道る。故(ふるい)きを溫めて新きを知り、敦厚にして以て禮を崇ぶ。

<語釈>
○「問學」、学問。○「溫故而知新」、一般的には「故」は「古」に解し、古の聖人の道と解釈するが、ここではその意味に取らず、自分が学んだ知識の意に解釈し、「温」は復習の意に解す。

                 第二十九節
前節で述べたように君子は常に徳を高めることに務めているので、高い位にあっても下位の人々に驕らず、低い位にあっても上位の人々に背かない。又その國に道が行われているときは、進んで有用な言論を述べて重用せられ、不幸にも無道な國であっても、黙して道を守りながら、その身を保全ずることが出来る。『詩経』大雅烝民篇にも、道に明らかで、思慮深いので、いかなる時も誤り無く、吾が身を保つことが出来る、と述べられているのは、聖人を模範として常に徳を高めることに務めている君子についてうたっているのであろう。

是故居上不驕、為下不倍。國有道、其言足以興、國無道、其默足以容。詩曰、既明且哲、以保其身。其此之謂與。

是の故に上に居て驕らず、下と為りて倍かず。國に道有れば、其の言以て興るに足り、國に道無ければ、其の默以て容れらるるに足る。詩に曰く、「既に明且つ哲、以て其の身を保つ。」其れ此れの謂か。

<語釈>
○「興」、鄭注:「興」は、起って位に在るを謂うなり。

<解説>
第二十七節では、聖人の道の偉大さを称え、その偉大な道を具現化したものが禮制であると説いてる。それ故に禮制を繰り返し学び、実践することが聖人の偉大な道に近づく方法であるが、それは単に学べばよいというもので無く、天性としての誠に基づき、徳を身に備えたうえでの学習である。それ故に君子は常に吾が身の徳を高めることに務め、日々の学習を怠らず、禮を尊ぶのである。そうして常に吾が身を謙虚にして、常に変わりない態度を保っているので、身分や貧富などに関係なく、道を守り、吾が身を保全することが出来るのである。我々もいかなる状況に置かれても、自分が自分であり続けたいものである。