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『中庸』第十一節

2014-05-28 10:46:33 | 漢文
                   『中庸』第十一節
孔子が謂われた、「舜は真に大いなる孝の徳を修め得た人であったことよ。その徳は誰もが聖人として仰ぎ見るものであったし、その尊さは最も貴い天子という位に就き、天下をあまねく治めた。だから舜はその大孝により、代々宗廟に祀られ、子孫がそれを守り継いだのである。」これにより鑑みるならば、偉大な徳の有る人は、必ず人を治める位を得、必ずそれに見合う俸禄を得、必ず天下に其の名声を得、必ず天寿を全うするものである。それというのも、天が物を生ずるに於いては、必ずその物の資質に基づいて、それを発展させるからである。それは真直ぐに生長する草木には、根元に土盛をして成長を助け、傾いて倒れ掛かっているものは、引き抜いてしまうのと同じことである。詩には、『喜ぶべき楽しむべきの君子には、輝かしい善徳が具わっている。人民からは慕われ、天からは福禄を授けられる。更に天は守り助けて、天子と為るように命じ、天子と為ってからも重ねて福禄を授けられる。』と歌われている。このように、偉大な徳を具えた者は、必ずや天命を受けるものである。

子曰、舜其大孝也與。為聖人、尊為天子、富有四海之內。宗廟饗之、子孫保之。故大必得其位、必得其祿、必得其名、必得其壽。故天之生物、必因其材而篤焉。故栽者培之、傾者覆之。詩曰、嘉樂君子、憲憲令。宜民宜人、受祿于天。保佑命之、自天申之。故大者必受命。

子曰く、「舜は其れ大孝ならんか。は聖人為り、尊は天子為りて、四海の內を富有す。宗廟之を饗(うける)け、子孫之を保つ。故に大は必ず其の位を得、必ず其の祿を得、必ず其の名を得、必ず其の壽を得。故に天の物を生ずる、必ず其の材に因りて篤くす。故に栽する者は之を培い、傾く者も之を覆す。詩に曰く、『嘉樂の君子、憲憲たる令あり。民に宜しく人に宜しく、祿を天に受く。保佑して之に命じ、天自り之を申ぬ。』故に大ある者は、必ず命を受く。」

<語釈>
○「富有四海之內」、富は四海の內を有つ、と読むのが通常の説であるが、「富有」であまねく治めると解釈する説も有る。徳尊により天下を治めたと解するほうが、富を有つと読むより自然な気がするので、こちらを採用した。○「宗廟饗之」、二通りの解釈が有る。「饗」を供えるの意に解し、舜が祭祀を行ったとする説と、「饗」を受け継ぐの意に解し、舜が祀られたとする説である。後者の説を採用した。○「篤」、あつしと訓じて、発展させる意に解す。○「栽」、鄭注:栽は猶ほ殖のごときなり。真直ぐに育つ意。○「培」、根元に土盛をすること。○「覆」、覆して引き抜くこと。

<解説>
この節のポイントは、「故天之生物、必因其材而篤焉」、この句の中の「其材」という語ではないかと思う。一般的には「材」は「才」と同じ意味に使われ、「才」は先天的にあるもの、乃ち持って生まれた才能である。それは本書の第一節の冒頭に「天の命之を性と謂う」とあり、『孝経』では、性は生まれながらの質と説かれている。「性」と「才」はほぼ同義である。そして「徳」は「才」の一つである。『大学』で説かれているように、人は天理をうけて生まれるので、其の心は本来明徳を具えているものであるが、己を取り巻く環境や、私欲に覆われて、昏然として見えなくなる。そこで修徳に務め、日々努力しなければいけない。突き詰めれば、『大学』は、その為の道を説いたものであり、『中庸』はそれを更に具体的に説いた書である。