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『孟子』巻第十三盡心章句上 百九十七節、百九十八節

2019-05-31 10:25:54 | 四書解読
百九十七節
孟子は言った。
「広い土地に多くの人民を有している大国は、君子も欲する所であるが、そこに楽しみを見出すことはない。天下の中央に立って、四海の民を安定させることは、君子も楽しむ所であるが、それは人としての本性とは言えない。君子が本性とする所は、然るべき地位について大いなる行いを為したからと言って、増加するようなもので無く、困窮したからと言って、減損するようなものではない。それは性というものが天から与えられた本性で、自然に備わっており、その分量は定まっているからである。その君子が本性とするのは、仁義禮智の四徳であって、それは人間の心に根ざしており、外に出ては顔色にも表れる。だから四徳に満ちた顔色は清らかで艶やかで、その貌は背中から体中に及ぶので、言葉に出して言わなくても、その体を見ただけで人は分かるのである。」

孟子曰、廣土衆民、君子欲之、所樂不存焉。中天下而立、定四海之民、君子樂之、所性不存焉。君子所性、雖大行不加焉、雖窮居不損焉。分定故也。君子所性、仁義禮智根於心、其生色也。睟然見於面、盎於背、施於四體、四體不言而喻。

孟子曰く、「廣土衆民は、君子之を欲するも、樂しむ所は存せず。天下に中して立ち、四海の民を定むるは、君子之を樂しむも、性とする所は存せず。君子の性とする所は、大いに行わると雖も加わらず、窮居すと雖も損せず。分定まるが故なり。君子の性とする所は、仁義禮智、心に根ざし、其の色に生ず。睟然として面に見われ、背に盎れ、四體に施き、四體言わずして喻る。」

<語釈>
○「廣土衆民」、趙注:「廣土衆民」は、大国諸侯なり。○「睟然」、朱注:「睟然」は、清和潤澤の貌。清らかで、つややかな貌。

<解説>
前節では、「天下に王となることは、その楽しみには含まれない」と述べながら、この節では、「君子之を樂しむ」と述べている。それほど深く考える必要はないのだろう。君子にとっては、王と為ることも楽しみではあるが、それほど大事な楽しみではないのであって、真の楽しみは、天から賦与された本性である仁義禮智を実践することなのである。

百九十八節
孟子は言った。
「伯夷は紂を避けて、北海のほとりに隠れ住んでいたが、周の文王が立ち上がったと聞いて、『文王のもとへ参じよう。聞けば、彼は老人を大切にするとのことだ。』と言った。又太公は紂を避けて、東海のほとりに隠れ住んでいたが、周の文王が立ち上がったと聞いて、『文王のもとへ参じよう。聞けば、彼は老人を大切にするとのことだ。』と言った。このように天下に老人を大切にする者が現れると、世の仁人たちは、この人こそ身を寄せるに足る人物だとして、馳せ参じようとする。一軒当たり五畝の宅地の垣根に桑を植えて、一人の婦人が蚕を育て糸を紡げば、老人は絹の衣を着ることが出来る。五羽の雌鶏と二匹の雌豚を飼い、繁殖の時期を見失わないようにすれば、老人は肉を食べることが出来る。百畝の田を一人の男が耕せば、八人家族ぐらいなら飢えることも無い。いわゆる、西伯が老人をよく養ったというのは、このような民の田地や宅地を正しく定め、桑の栽培や畜産を教え、妻子を導いて老人を養わせたことを言うのである。人は五十歳ぐらいになれば絹物を着なければ暖まらないし、七十歳ぐらいになれば肉を食べないと満足しなくなる。暖まらず腹が満足しないことを、凍え飢えると謂うのだ。文王の民には、凍え飢える老人がいなかったとは、このことを言うのである。」

孟子曰、伯夷辟紂、居北海之濱。聞文王作興、曰、盍歸乎來。吾聞西伯善養老者。太公辟紂、居東海之濱。聞文王作興、曰、盍歸乎來。吾聞西伯善養老者。天下有善養老、則仁人以為己歸矣。五畝之宅、樹牆下以桑、匹婦蠶之、則老者足以衣帛矣。五母雞、二母彘、無失其時、老者足以無失肉矣。百畝之田、匹夫耕之、八口之家足以無飢矣。所謂西伯善養老者、制其田里教之樹畜、導其妻子、使養其老。五十非帛不煖、七十非肉不飽。不煖不飽、謂之凍餒。文王之民、無凍餒之老者、此之謂也。

孟子曰く、「伯夷は紂を辟けて、北海の濱に居る。文王作興すと聞き、曰く、『盍ぞ歸せざるや。吾聞く西伯は善く老を養う者なりと。』太公は紂を辟けて、東海の濱に居る。文王作興すと聞き、曰く、『盍ぞ歸せざるや。吾聞く西伯は善く老を養う者なりと。』天下善く老を養う有らば、則ち仁人以て己が歸と為す。五畝の宅、牆下に樹うるに桑を以てし、匹婦之に蠶せば、則ち老者以て帛を衣るに足る。五母雞、二母彘、其の時を失うこと無ければ、老者以て肉を失うこと無きに足る。百畝の田、匹夫之を耕せば、八口の家以て飢うること無きに足る。所謂西伯善く老を養うとは、其の田里を制して之に樹畜を教え、其の妻子を導きて、其の老を養わしむればなり。五十は帛に非ざれば煖かならず、七十は肉に非ざれば飽かず。煖かならず飽かず、之を凍餒(ダイ)と謂う。文王の民には、凍餒の老無しとは、此の謂なり。」

<語釈>
○「盍歸乎來」、「盍」は、「何不」と同じ。「來」は助辞。○「五母雞、二母彘、無失其時」、「彘」は豚、五羽の鶏と五匹の豚、「無失其時」とは、繁殖の時期を失わないこと。

<解説>
「伯夷辟紂~、太公辟紂~。」の文章は、七十四節の文章と同じであり、その趣旨も同じであり、王者にとって最も大切なものは仁であるという孟子の持論が語られている。その仁の中でも、親を愛することと、老人を大切にすることとは、特に重要な事で、王たる者、これを正しく行えば、天下の民は自ずからやってくる者だと述べている。

『孟子』巻第十三盡心章句上 百九十三節、百九十四節、百九十五節、百九十六節

2019-05-26 10:13:27 | 四書解読
百九十三節

孟子は言った。
「己が為そうと思わないことは人にもさせない。己が欲しないことは人にも欲さないようにさせる。そうすれば人道は足りるのであって、大切なのはそれだけである。」

孟子曰、無為其所不為、無欲其所不欲。如此而已矣。

孟子曰く、「其の為さざる所を為すこと無く、其の欲せざる所を欲すること無し。此の如きのみ。」

<解説>
趙注に云う、「人をして己の為すを欲せざる所を為さしめず、人をして己の欲せざる所の者を欲せしめず、毎に身を以て之に況う、此の如ければ、則ち人道足るなり。」異論も有るようだが、趙注に従って解釈した。自分が嫌な事は人にもさせるな、ということである。

百九十四節

孟子は言った。
「德行・知慧・道術・才智の長所を持つ人間は、つねに災いや苦しみの中に身を置いている。主君から遠ざけられた臣下や妾腹の子に限っては、自ずから苦しみや禍に身を置いているので、常に身の危険性を懼れ、その事を深く考慮して努力する。だから自然と仁義の道に通ずるようになるのである。」

孟子曰、人之有德慧術知者、恒存乎疢疾。獨孤臣孽子、其操心也危、其慮患也深。故達。

孟子曰く、「人の德慧術知有る者は、恒に疢疾に(チン・シツ)存す。獨り孤臣孽子のみ、其の、心を操るや危うく、其の、患いを慮るや深し。故に達す。」

<語釈>
○「德慧術知」、趙注は、德行・知慧・道術・才智の四者とし、朱注は、德慧は徳の慧、術知は術の知の二者とする。趙注に從う。○「疢疾」、朱注:疢疾は、猶ほ災患なり。○「其操心也危~」趙注:自ら孤微にして危殆の患いを懼れて、深く之を慮り、勉めて仁義を為す、故に達するに至るなり。

<解説>
人は苦しみや禍に身を置いた方がより心が鍛えられ、努力することが出来、それがやがて大成にに繋がるものである。この節は孤臣や孽子のみにとどまらず、誰もが苦しみや禍から逃げるのでなく、それに立ち向かって努力することの必要性を暗に示しているのであろう。

百九十五節

孟子は言った。
「人物には四段階ある。先ず第一は、君に仕えるだけの人物がいる。こういう人物は君に仕えているだけで満足している。第二は、国家を安んずる臣という者がある。こういう人物は国家を安らかにするということで満足している。第三は、天理を知りそれを尽くそうとする天民という者がある。こういう人物は然るべき地位について、道を天下に行うことが出来ると分かれば行い、出来ないと分かれば隠れて世に出ない者である。第四は、盛徳を備えた大人という者がある。こういう人物は己を正しくするだけで、自然と周りの者を感化して正しくしていく。」

孟子曰、有事君人者。事是君、則為容悅者也。有安社稷臣者。以安社稷為悅者也。有天民者。達可行於天下、而後行之者也。有大人者。正己、而物正者也。

孟子曰:「君に事うる人なる者有り。是の君に事うれば、則ち容悅を為す者なり。社稷を安んずる臣なる者有り。社稷を安んずるを以て悅を為す者なり。天民なる者有り。達して天下に行う可くして、而る後に之を行う者なり。大人なる者有り。己を正しくして、而して物正しき者なり。」

<語釈>
○「容悅」、解釈は色々あるようだが、服部宇之吉氏が、「容悅は喜悦の容をなして君心を求むること。」と述べているのが分かりやすい。○「天民」、趙注:天民は、道を知る者なり。○「大人」、朱注:大人は、徳盛んにして、上下之に化す。

<解説>
人物差を四段階に分けて説明している。趙岐は、これについて容悅は凡臣、社稷は股肱、天民は道を行う、大人は身を正す、と述べている。簡潔であるが分かりやすい。

百九十六節

孟子は言った。
「君子には三つの楽しみがある。しかし天下に王となることは、その楽しみには含まれない。三つのうち、父母がともに健在で、兄弟にも悩ませるようなことは何もない、というのが第一の楽しみである。己の行いを正しくして、仰いでは天に羞じることなく、邪な心がないので、伏しては人に羞じることがない、というのが第二の楽しみである。天下の英才を見つけ出して、これを教え育てる、というのが第三の楽しみである。このように君子には三つの楽しみがあるが、天下に王となることは含まれていないのである。」

孟子曰、君子有三樂。而王天下、不與存焉。父母俱存、兄弟無故、一樂也。仰不愧於天、俯不怍於人、二樂也。得天下英才、而教育之、三樂也。君子有三樂。而王天下、不與存焉。

孟子曰く、「君子に三樂有り。而して天下に王たるは、與り存せず。父母俱に存し、兄弟故無きは、一の樂しみなり。仰いで天に愧ぢず、俯して人に怍ぢざるは、二の樂しみなり。天下の英才を得て、之を教育するは、三の樂しみなり。君子に三樂有り。而して天下に王たるは、與り存せず。」

<語釈>
○「無故」、趙注:「無故」は、他故無し。他に煩わされることがないこと。○「怍」、趙注:「不怍人」は、心正しく邪無きなり。怍は、“はじる”と訓ず。

<解説>
ここで言う「君子」とは、前節で言う天民、乃ち道を知る者を指すと考えてよい。第一の楽しみは、仁を行う楽しみであり、第二の楽しみは、義を行う楽しみである。故に道を知る君子たる者は、仁義を行い、その事を人に教え育てることに喜びを覚えるのである。

『孟子』巻第十三盡心章句上 百九十節、百九十一節、百九十二節

2019-05-22 10:21:28 | 四書解読
百九十節
孟子は言った。
「心やさしく思いやりの言葉を民にかけるのは結構なことであるが、あれは仁者だと民から称えられ評判になる方が、民の心により深くしみ込む者だ。法度・禁令がよく整った善政は結構なことであるが、道徳や仁義を以て民をを教化して、民の心を善に導く善教の方がよい。善政は民の恐れる所であるが、善教は民が愛するものだ。善政は民の収入を増やして国も豊かになるが、善教は民の心を得ることによって、國も平和に治まるのだ。」

孟子曰、仁言、不如仁聲之入人深也。善政、不如善教之得民也。善政民畏之、善教民愛之。善政得民財、善教得民心。

孟子曰く、「仁言は、仁聲の人に入るの深きに如かざるなり。善政は、善教の民を得るに如かざるなり。善政は民之を畏れ、善教は民之を愛す。善政は民の財を得、善教は民の心を得。」

<語釈>
○「仁言」、朱注:程子曰く、「仁言は仁厚の言を以て民に加うるを謂う。」。○「仁聲」、朱注:程子曰く、「仁聲は仁聞を謂う、仁の實有りて、衆の稱道する所を為す者を謂うなり。」仁の実績があって、民からその行いを称えられる者。○「善政」、朱注:「政」は、法度禁令を謂う、其の外を制する所以なり。○「善教」、朱注:「教」は、道徳齊禮を謂う、其の心を格す所以なり。○「得民財」、朱注:得民財は、百姓足りて、君足らざる無し。

<解説>
国にとって民はいかに大事であるかをこの節では述べられている。徳による民の教化が王道の根本であることを説いている。身分制度にとらわれながらも、民を最も大切なものと考える孟氏の思想は、この時代としては非常に優れたものであると言わねばなるまい。

百九十一節
孟子は言った。
「人間が学びもしないのに自然とできるのは、良能が備わっているからで、熟慮しなくても自然と分かるのは、良知が備わっているからである。二、三歳の幼児でも自分の親を愛することを知らない者はいない。成長すると自分の兄を敬うことを知らない者はいない。これが良能・良知であって、親を親愛するのが仁であり、年長者を敬うのが義である。仁義とは、ほかでもない、この様な自然と備わっている良能・良知を天下に遍く推し及ぼすことなのである。」

孟子曰、人之所不學而能者、其良能也。所不慮而知者、其良知也。孩提之童、無不知愛其親者。及其長也、無不知敬其兄也。親親仁也。敬長義也。無他、達之天下也。

孟子曰く、「人の學ばずして能くする所の者は、其の良能なり。慮らずして知る所の者は、其の良知なり。孩提(ガイ・テイ)の童も、其の親を愛するを知らざる者無し。其の長ずるに及びてや、其の兄を敬するを知らざる無し。親を親しむは仁なり。長を敬するは義なり。他無し、之を天下に達するなり。」

<語釈>
○「孩提」、二、三歳の幼児。

<解説>
これも孟子の性善説を説いたものであろう。仁義である良能・良知は自然と備わっている、つまり生まれつきの本性である。趙岐の章指にも云う、「本性の良能、仁義是れなり、之を天下に達して、己を怨みず。」

百九十二節

孟子は言った。
「昔、舜が深山に暮らしていたころは、木や石に囲まれ、鹿や豕と遊びまわっていた。その生活は深山の野人とほとんど変わるところがなかった。ところが善言を一言でも聞き、善行を一目でも見れば、揚子江や黄河の水が堤を切って流れ出すような勢いで、善言・善行を取り入れようと突き進んだ。それは誰も阻止することが出来なかった。これこそが舜の聖人たる所以である。」

孟子曰、舜之居深山之中、與木石居、與鹿豕遊。其所以異於深山之野人者幾希。及其聞一善言、見一善行、若決江河沛然、莫之能禦也。

孟子曰く、「舜の深山の中に居るや、木石と居り、鹿豕と遊ぶ。其の深山の野人に異なる所以の者は幾ど希なり。其の一善言を聞き、一善行を見るに及びては、江河を決して沛然たるが若く、之を能く禦むる莫きなり。」


<語釈>
○「沛然」、勢い盛んな貌。

<解説>
これも孟子の聖人論の一つであろう。砂漠における一滴の水の如く、善を求める。それが聖人というものである。

『史記』43萬石張叔列伝

2019-05-17 17:47:54 | 四書解読
萬石君、名は奮、其の父は趙の人なり。姓は石氏。趙亡びて、徙りて温に居る。高祖、東して項籍を撃ち、河內を過ぐ。時に奮年十五、小吏為りて、高祖に侍す。高祖與に語りて、其の恭敬なるを愛す。問いて曰く、「若何か有る(身内はあるか)。」對えて曰く、「奮獨り母有り、不幸にして明を失う。家貧なり。姊有り、能く琴を鼓す。」高祖曰く、「若能く我に從うか。」曰く、「願わくは力を盡くさん。」是に於て、高祖、其の姊を召して美人(妃妾の名号)と為し、奮を以て中涓と為し、書謁を受けしむ。其の家を長安中の戚里に徙す(索隠:小顔云う、上に婚戚有る者は皆之に居る、故に其の里を名づけて戚里と為す)。姊の美人為るを以ての故なり。其の官、孝文の時に至り、功勞を積みて大中大夫に至る。文學無きも、恭謹なることは與に比する無し。文帝の時、東陽侯張相如、太子の太傅為りて、免ぜらる。傅と為す可き者を選ぶに、皆奮を推す。奮、太子の太傅と為る。孝景、位に即くに及び、以て九卿と為すも、迫近にして、之を憚り、奮を徙して諸侯の相と為す。奮の長子建、次子甲、次子乙、次子慶、皆馴行孝謹(「馴」(ジュン)は「善」、善行、孝順、謹直)なるを以て、官皆二千石に至る。是に於て、景帝曰く、「石君及び四子、皆二千石なり、人臣の尊寵、乃ち其の門に集まる。」奮を號して萬石君と為す。孝景帝の季年、萬石君、上大夫の祿を以て家に歸老するも、歲時を以て朝臣為り。宮の門闕を過ぐるに、萬石君必ず車より下りて趨り、路馬を見れば必ず式す(「路」は「輅」に同じで、「輅馬」は天子・諸侯の乘る車、「式」は「軾」に同じ車の横木に手をついて挨拶すること)。子孫、小吏と為り、來り歸りて謁すれば、萬石君必ず朝服して之を見、名いわず。子孫に過失有れば、譙讓(二字共に義は“せめる”)せず、為に便坐し(坐すべき所に坐さず他所に坐す)、案(食卓)に對して食わず。然る後、諸子相責め、長老に因りて肉袒して固く罪を謝し、之を改めて乃ち許す。子孫の冠するに勝うる者、側に在れば、燕居すと雖も必ず冠し(索隠:燕は閒燕の時を謂う、燕は、安なり。くつろいでいる時)、申申如たり(端正で厳格であること)。僮僕は訢(キン)訢如として(漢書の顔師古注によれば、謹敬の貌)、唯だ謹む。上時に食を家に賜うに、必ず稽首俯伏して之を食い、上も前に在るが如し。其の喪を執るや(母親の葬儀を行ったとき)、哀戚して甚だ悼む。子孫、教えに遵い、亦た之くの如し。萬石君の家、孝謹を以て郡國に聞こゆ,齊・魯の諸儒の質行と雖も、皆自ら以て及ばずと為せり。
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『孟子』巻第十三盡心章句上 百八十七節、百八十八節、百八十九節

2019-05-11 10:28:58 | 四書解読
百八十七節

孟子は言った。
「晉の大家であった韓や魏の富を益し与えられても、己が成すべきことには、それほど大事なことではないので、なんだこれしきの事かと気にかけないようであれば、凡人よりもはるかに優れた人物だといえる。」

孟子曰、附之以韓魏之家、如其自視欿然、則過人遠矣。

孟子曰く、「之に附すに韓・魏の家を以てするも、如し其の自ら視ること欿然(カン・ゼン)たらば、則ち人に過ぐること遠し。」

<語釈>
○「附」、趙注:「附」は、益なり。○「欿然」、朱注:「欿然」は、自ら満たずの意。尹氏曰く、人に過ぐるの識有るは、則ち富貴を以て事と為さざるを言う。

<解説>
富に目がくらまず、我が道を行くことが出来れば、幸せ之より大なるは莫し、である。しかし現実問題それは難しい。富は捨てがたいものである。

百八十八節

孟子は言った。
「民を安楽にしてやりたいと思う心で民を使えば、その勞役がつらくとも、民は怨みに思わない。民の生存を守るために、悪人を殺したとしても、民は主君は怨まない。」

孟子曰、以佚道使民、雖勞不怨。以生道殺民、雖死不怨殺者。

孟子曰く、「佚道を以て民を使えば、勞すと雖も怨みず。生道を以て民を殺せば、死すと雖も殺す者を怨みず。」

<解説>
語釈も兼ねて解説する。この句の解釈も諸説あるが、服部宇之吉氏云う、「民をして安楽の利を得しめんが為に民を使うは、以佚道使民なり、民を生かさんと欲して悪人を殺すは、以生道殺民なり。」この解説が簡単で分かりやすいので、これに従った。

百八十九節

孟子は言った。
「覇者の政治は、人民への恩沢を意識して行うので、人民は誰のおかげかたやすく知ることが出来、それを喜び楽しんでいる。だが王者の元で暮らしている人民は大らかに満足している。だから人民を殺すことがあっても、それは人民のためであることが分かっているので、誰も怨みに思わないし、逆に利益を与えても、それを王者の功績だと思って感謝することはない。人民は日ごとに善へ移っていくが、それが誰のおかげかは知らない。聖人が通り過ぎる所では、そこに住む者は皆徳に感化され、留まり住めば、その徳化は知らず知らずのうちに神々しくなり、上の者も下の者も、その営みは天地の営みと同じく自然なものである。覇者が少しばかりの恩恵を与えるのとは大きな違いである。」

孟子曰、霸者之民、驩虞如也。王者之民、皞皞如也。殺之而不怨、利之而不庸。民日遷善而不知為之者。夫君子所過者化、所存者神。上下與天地同流。豈曰小補之哉。

孟子曰く、「霸者の民は、驩虞如たり。王者の民は、皞皞如たり。之を殺すも怨みず、之を利するも庸とせず。民、日に善に遷りて、而も之を為す者を知らず。夫れ君子の過ぐる所の者は化し、存する所の者は神なり。上下、天地と流を同じうす。豈に之を小補すと曰んや。」

<語釈>
○「驩虞如」、朱注:「驩虞」は、歡娯と同じ。喜び楽しむこと。趙注:覇者は善を行い、民を恤む、恩沢は暴見して知り易し、故に民は驩虞して之を樂しむなり。○「皞皞如」、朱注:「皞皞」は、廣大自得の貌。○「庸」。趙注:「庸」は、功なり。○「所存者神」、趙注:此の國に存在すれば、其の化すること神の如し。他説もあるが趙注に從う。○「小補」、小さい補足、ここでは覇者の恩恵は小さな補足に過ぎないことを言う。

<解説>
覇者と王者との比較をしており、興味深い所である。覇者は人為的、王者は、「之を為す者を知らず」と述べているように自然である。これこそが儒家にとって最も求めるものである。だがその反面、これをつきつめれば老子の無為の思想に近づく。儒家と道家との近似点が面白い。