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『中庸』第二十六節

2015-04-20 10:18:12 | 中国思想
                 『中庸』第二十六節

人が進むべき天地の道とは、如何なるものであろうか。それはたった一言で簡明に言い表すことが出来る。それは至誠にほかならず、常に変わり無く働くものであり、多くの万事万物を成長させるものである。しかしながら其の働きは神妙で奥深いものなので、なかなか窺い知ることが出来ない。此の如く測り知れない天地の道は、博広であり、深厚であり、崇高であり、彰明であり、悠遠であり、永久であり、至誠の働きを自ら成しているのである。そのような偉大な天地も、今根本に戻ってよく観察すれば、天に於いては僅かな光が沢山集ってできているに過ぎないのであるが、その広大高明に至っては、万民から仰がれるものである。時間に於いては無限の時を有するものであり、その悠久に至っては、日や月や星の如く、悠久に変わることなく輝き、万物がこれに覆われて成長するのである。大地に於いては、一掴みの土が多く集っているものであるが、その限りなく広く厚い事にかけては、あの華山や岳山を載せても、別に重いとも思わず揺るぎもしないし、黄河や東海の大量の水を収めながら、それを少しも大地の外に洩らさず、その上に万物が載せられて成長させられている。こうした天地に因って造られた山にしても、こぶし大の石が沢山集っているに過ぎないが、一たびそれらが集って広大になると、草や木を生じ、鳥や獣たちが住み、貴重な品々を産出するようになる。水に於いても、ほんの僅かな水の量が集っているものに過ぎないが、それが集って其の量を測り知ることが出来ないほどになれば、そこには黿・鼉・蛟・龍・魚・鱉等の生物が成育し、ここから貴重な物資が沢山取れるようになる。あの『詩経』の周頌維天之命篇にも、「天が下されるこの命令は、真に深遠にして、その徳は少しも止まるところがない。」と述べられているが、思うに穆として已まざること、このことこそが天の使命であり、天性なのである。更に続けて『詩経』に、「ああ、どうして世上に顕れないことがあろうか、文王の徳の、尊くして純粋なことが。」と述べられている。文王の徳が純であることが、誰もが文王を崇拝する所以なのであり、その徳も亦た少しも止まることが無い。このように天の天たる所以も、文王の文たる所以も、止まることの無い徳によるものであり、それこそが即ち天地の道の本性である至誠なのである。

天地之道、可壹言而盡也。其為物、不貳。則其生物不測。天地之道、博也、厚也,高也、明也,悠也、久也。今夫天、斯昭昭之多、及其無窮也、日月星辰系焉、萬物覆焉。今夫地、一撮土之多、及其廣厚、載華岳而不重、振河海而不泄、萬物載焉。今夫山、一拳石之多、及其廣大、草木生之、禽獸居之、寶藏興焉。今夫水、一勺之多、及其不測、黿・鼉・蛟・龍・魚・鱉生焉、貨財殖焉。詩云、「維天之命、於穆不已。」蓋曰天之所以為天也。「於乎不顯、文王之之純。」蓋曰文王之所以為文也。純亦不已。

天地の道は、壹言にして盡くす可きなり。其の物為る、貳ならず。則ち其の物を生ずること測られず。天地の道は、博なり、厚なり、高なり、明也なり、悠なり、久なり。今夫れ天は、斯の昭昭の多きなり、其の窮り無きに及びてや、日月星辰繫(かかる)り、萬物覆わる。今夫れ地は、一撮土の多きなり。其の廣厚なるに及びては、華岳を載せて重しとせず、河海を振(おさめる)めて洩らさず、萬物載せらる。今夫れ山は、一拳石の多きなり、其の廣大なるに及びてや、草木之に生じ、禽獸之に居り、寶藏興る。今夫れ水は、一勺の多きなり、其の測られざるに及びてや、黿・鼉・蛟・龍・魚・鱉生じ、貨財殖す。詩に云う、「維れ天の命、於(ああ、感嘆の助詞)穆として已まず。」蓋し天の天の為る所以を曰えるなり。「於乎、顯ならざらんや、文王のの純なる。」蓋し文王の文為る所以を曰えるなり。純なるも亦た已まざるなり。

<語釈>
○「昭昭」、鄭注:猶ほ耿耿のごとし、小明なり。朱注は之を承けて、此れ其の一處を指して之を言うと添えている。薄暗い小さな明かり。○「一撮土」、一つまみの土。○、「振」、鄭注;「振」は猶ほ「収」なり。○「一拳石」、握りこぶし程度の石。○、「一勺」、微小。○、「黿鼉蛟鱉」、黿(ゲン)は、おおうみがめ、鼉(ダ)は、ワニ、蛟(コウ)は、みずち、鱉(ベツ)は、すっぽん。

<解説>
人が人である限り、誰もが目指すべき天地の道、それは複雑怪奇なもので無く、きわめて単純明快なものである。しかしながら、天地宇宙に顕現される博厚高明悠遠は何と偉大なことであろうか。その偉大さは徳として具現され、その本質は至誠である。古の聖人は生まれつき身に備えた至誠に基づき、純なる徳を已むことなく遍く人々に及ぼしていた。だから古の聖人は天地と並び称せられるのである。でも私は思う、聖人たるより、君子たれ。

中国昔話 巻一食物の怨み 説話三(怨みと恩義)

2015-04-11 10:35:28 | 中国昔話
                説話 3(怨みと恩義)
さて前回まで、食べ物を与えられなかった怨みについてのお話を二つさせていただきましたが、これほど怨みを抱かせる食べ物ですので、逆に与えられたことにより、恩義を強く感じて、それに報いようとするお話もございます。次のお話は、そんな怨みと恩義との両方を味わった人のお話でございます。年代はよく分かりませんが、北方の辺境の地に、中山という國がございました。ある時中山の君主が上級の家臣を集めて宴会を催し、羊の汁物を皆に与えたのでございますが、全員に行き渡らず、一人司馬子期だけが与りませんでした。之に怒った司馬子期は、楚の國へ逃亡し、楚王に謁見を求めて、中山國を伐つことを具申したのでございます。楚はこの意見を採用して、中山國を討伐し、大いに打ち破りました。中山國の君主は命からがら単身で、城を棄てて逃亡したのでございます。必死に逃げて、ふと後ろを振り返ると、武器をひっさげてついてくる士が二人居りました。振り返ってその二人をよく見ると、自分の家臣ではありません。君主は足を止めて、二人に言いました、「お前たちはいったいどこの誰なのか。」二人は答えました、「私たちの父は既にこの世を去っておりますが、亡くなる寸前に、父は私たちに言いました、『わしは、嘗て山で道に迷い食べ物も尽きて、動くことも出来ずに、死を待つばかりであった。そんな時中山の君主が通りかかって、わしに食物を与えてくださった。そのおかげでわしは今日まで生きながらえることが出来た。わしは今この世を去ろうとしている。わしが死んだ後、もし中山國が苦境に陥ったら、お前たちは命を投げ出して中山の為に働け。』私達はこの父の言葉に従って、主をお助けする為に駆けつけたのでございます。」中山の君主は天を仰ぎ歎息して言いました、「人に物を与えて感謝されるのは、与えたものの多少によるのではなく、その人がどれだけ苦境にさらされているかによるものであり、人から怨みをかうのも、怨みの深浅ではなく、どれだけ相手の心を傷つけたかによるものだ。わしは一杯の羊の汁物で國を失い、お椀一杯の飯で、誠の士を二人も得ることが出来た。」こうして中山國の君主は食べ物の怨みと感謝の二つを経験したのでございます。人に怨みをかうのは、怨みの深浅でなく、どれだけ相手の心を傷つけたかにより、物を与えて感謝されるのは、与えた物の多少によるので無く、その時どれだけ苦境に立たされていたかによると言う中山國の君主の言葉は、誠に社会生活を送る上に於いて、心に止めておきたい言葉ではございませんでしょうか。

                                       おわり

『春秋左氏伝』解読

2015-04-02 10:57:20 | 漢文
『春秋左氏伝』の解読を始めました、興味の有る方は、下記のURLよりホームページにアクセスしてください。

              http://www.eonet.ne.jp/~suqin

今回、アップしたのは、解説と巻第一隠公の部分です。以後順次アップしていきたいと思ってます。