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『呂氏春秋』巻第十八審應覧

2018-02-28 10:33:14 | 四書解読
巻十八 審應覽

一 審應

一に曰く。人主は出聲・應容は、審らかにせざる可からず。凡そ主に識有れば、言先んずることを欲せず。人唱して我和し、人先だちて我隨う。其の出を以て之が入と為し(相手の出方を見て処遇を決める)、其の言を以て之が名(位、官職を指す)と為す,其の實を取りて以て其の名を責めば、則ち說者敢て妄言せず。而して人主の執る所、其れ要なり。孔思、行らんことを請う。魯君曰く、「天下の主も亦た猶ほ寡人のごときなり。將に焉に之かんとする。」孔思對えて曰く、「蓋し聞く、君子は猶ほ鳥のごときなり、と。駭かせば則ち舉がる。」魯君曰く、「主は不肖にして皆以て然るなり。不肖を違(さる)り、不肖に過り、而して自ら以て能く天下の主を論ずと為すか。凡そ鳥の舉がるや、駭かすを去りて駭かさざるに從う。駭かすを去りて駭かさざるに從うは、未だ知る可からざるなり。駭かすを去りて駭かすに從えば、則ち鳥、曷為れぞ舉がらん。」孔思の魯君に對うるや、亦た過てり。魏の惠王、人をして韓の昭侯に謂わしめて曰く、「夫れ鄭は乃ち韓氏之を亡ぼせるなり。願わくは君の其の後を封ぜんことを。此れ所謂亡びたるを存し絶えたるを繼ぐの義なり。君若し之を封ぜば則ち大名たらん。」昭侯之を患う。公子食我曰く、「臣請う、往きて之に對えん。」公子食我、魏に至り、魏王に見えて曰く、「大國、弊邑に鄭の後を封ぜんことを命ずるも、弊邑敢て當らざるなり。弊邑、大國の患う所と為らん。昔出公の後、聲氏、晉公と為り、銅鞮に拘わるるに、大國憐れまざるなり。而るに弊邑をして亡びたるを存し絶えたるを繼がしむ。弊邑敢て當らざるなり。」魏王慚ぢて曰く、「固より寡人の志に非ざるなり。客請う、復た言う勿れ。」是れ不義を舉げて以て不義を行うなり。魏王以て應うる無しと雖も、韓の不義を為すこと、愈々益々厚きなり。公子食我の辯は、適々以て非を飾り過を遂ぐるに足る。魏の昭王、田詘に問いて曰く、「寡人の東宮に在りしの時、先生の議を聞けり、曰く、『聖と為るは易し。』諸れ有るか。」田詘對えて曰く、「臣の舉ぐる所なり。」昭王曰く、「然らば則ち先生は聖たるか。」田詘對えて曰く、「未だ功有らずして其の聖たるを知るや、是れ堯の舜を知るなり。其の功を待ちて、而る後に其の舜を知るや、是れ市人の聖を知るなり。今詘未だ功有らざるに、王詘に問いて曰く、『若聖たるか。』敢て問う、王も亦た其れ堯たるか。」昭王以て應うる無し。田詘の對うるや、昭王固より我聖たるを知ると曰うに非ざるなり(底本は「我知聖也耳」に作るが、「耳」を「且」に改めて、下文に付けた)。且に問いて、先生は其れ聖たるか、と曰うを、己因りて聖たるを知るを以て昭王に對う。昭王、其の有るを非ざること有るも、田詘察せず。趙の惠王、公孫龍に謂いて曰く、「寡人、偃兵を事とすること十餘年、而れども成らず。兵は偃む可らざるか」公孫龍對えて曰く、「偃兵の意は、天下を兼愛するの心なり。天下を兼愛するは、虚名を以て為す可からざるなり。必ず其の實有るべし。今、藺・離石、秦に入れば、而ち王、縞素(白絹の喪服)布總(髪を布でまとめる、喪の簡素ないでたち)するも、東のかた齊を攻めて城を得れば、而ち王、加膳置酒す。秦、地を得て、王、布總し、齊、地を亡いて王、加膳するは、兼愛の心に非ざる所なり。此れ偃兵の成らざる所以なり。」今此に人有り、無禮慢易にして敬を求め、阿黨不公にして令を求め、煩號數變にして靜を求め、暴戻貪得にして定を求むるは、黄帝と雖も猶若ほ困しまん。衛の嗣君、税を重くして以て粟を聚めんと欲するに、民安んぜず。以て薄疑に告げて曰く、「民甚だ愚かなり。夫れ粟を聚むるや、將に以て民の為にせんとするなり。其れ自ら之を藏すると上に在ると奚ぞ擇ばん。」薄疑曰く、「然らず。其れ民に在りて君知らずんば、其れ上に在るに如かざるなり。其れ上在りて民知らずんば、其れ民に在るに如かざるなり。」凡そ聽(政を指す)は必ず諸を己に反す。審らかなれば則ち令聽かれざる無し。國久しければ、則ち固く、固ければ則ち亡び難し,今、虞・夏・殷・周、存する者無きは、皆諸を己に反すを知らざればなり。公子沓、周に相たり。申向、之に說きて戰る(高注:「戰」は「懼」なり)。公子沓、之を訾りて曰く、「申子、我に說きて戰るるは、吾が相たる為か。」申向曰く、「向は則ち不肖なり。然りと雖も、公子は年二十にして相たるも、老者を見て之をして戰れしむ。請い問う、孰れか病なるや。」公子沓以て應うる無し。戰るるは、習わざればなり。人をして戰れしむるは、嚴駔なり(高注:「嚴」は「尊」、「駔」は「驕る」なり。尊大で驕っている事)。意うに恭節にして、人猶ほ戰るるは、任(責任)、貴者に在らず。故に人時に自失する者有りと雖も、猶ほ以て恭節を易うること無かれ。自失は以て難ずるに足らず。嚴駔を以てすれば則ち可なり。

二 重言

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『孟子』巻第八離婁章句下 九十三節、九十四節、九十五節

2018-02-24 10:41:03 | 四書解読
九十三節

孟子は言った。
「君主が罪もない士を殺したら、そのような災いは大夫にも及ぶであろうから、大夫は国を去ってもよい。君主が罪もない民を殺すようなら、それはやがて士にも及ぶであろうから、士も国を立ち去ってよい。」

孟子曰、無罪而殺士、則大夫可以去。無罪而戮民、則士可以徙。

孟子曰く、「罪無くして士を殺さば、則ち大夫以て去る可し。罪無くして民を戮せば、則ち士以て徙る可し。」

<解説>
朱注に云う、「君子は當に幾を見て作すべし、禍い已に迫れば、則ち去ること能わず。」朱子も趙阜もこの節の趣旨を禍は早く気づいて処置すべしと解釈している。それは間違いではないと思うが、私は前節に続き、君臣の関係を説いているように思う。不仁を為して人を殺すような君主は、立ち去ってもよいということである。

九十四節

孟子は言った。
「君主が仁愛深ければ、国じゅう皆仁愛深くなる。君主が義を重んじれば、国じゅう皆義を重んじるようになる。」

孟子曰、君仁莫不仁、君義莫不義。

孟子曰く、「君、仁なれば仁ならざること莫く、君、義なれば義ならざること莫し。」

<解説>
八十一節で述べられた徳治主義を、簡潔に述べたものである。

九十五節

孟子は言った。
「礼に似てはいるが、真の礼ではない、義に似てはいるが、真の義ではない。このような礼儀は、大人物のしないことだ。」

孟子曰、非禮之禮、非義之義、大人弗為。

孟子曰く、「非禮の禮、非義の義は、大人為さず。」

<解説>
趙注に云う、「礼の若くして礼に非ず、陳質、婦を娶りて長なり、之を拝す、義の若くして義に非ず、交わりに籍りて仇を報ゆ。」妻が年長者だからと言って、これを拝するのは、礼のようであって礼で無い。相手に偽りの交わりを結んで仇を討つのは義の行いではないと述べている。しかし庶民の間では物事が混濁していることは多く、似て非なる者を正しく察することは困難である。それを正しく行えるのは大人物だけということだ。

『孟子』巻第八離婁章句下 九十二節

2018-02-15 10:25:04 | 四書解読
九十二節

孟子が齊の宣王に告げた。
「君主が臣下を自分の手足のように大切に思っているなら、臣下も君主を自分の腹や心のように大切に思うものでございます。君主が臣下を犬や馬と同じように思っているなら、臣下も君主を単なる路傍の行きずりの人ぐらいにしか思いません。君主が臣下を土塊やあくたのように思っているなら、臣下も君主を仇のように思うものでございます。」
王は言った。
「礼には、以前仕えた君主の為にも喪に服すべし、という定めがあるが、どうすれば、そのような礼儀を重んじた臣下を得られるのか。」
「ここに一人の臣下が居り、諫言進言がよく聞き入れられ、その結果君主の恩沢が人民に及ぶようになりましたが、たまたまやむを得ない理由により國を去ることになったとすれば、君主は護衛を付けて国境まで送らせ、往く先々まで事前に連絡して便宜を図り、三年間は其の帰りを待ち、それで帰ってこなければ初めてその領地を回収いたします。これを三有禮と言いますが、このように君主が礼を尽くせば、臣下もこの君主が亡くなれば喪に服すでしょう。ところが今は臣下となっても、諫言も進言も聞き入れられず、君主の恩沢は人民に及ばない。しかもやむを得ない事情により国を立ち去ろうとすると、捕らえて国から出そうとしない。幸いに出られたとしても、往く先々まで追いかけて苦しめる。しかも国を出たその日のうちに、領地を取り上げてしまう。こういうのを仇讎と申しますが、仇の為には、着る喪服などございましょうか。」

孟子告齊宣王曰、君之視臣如手足、則臣視君如腹心。君之視臣如犬馬、則臣視君如國人。君之視臣如土芥、則臣視君如寇讎。王曰、禮、為舊君有服。何如斯可為服矣。曰、諫行言聽、膏澤下於民。有故而去、則君使人導之出疆、又先於其所往。去三年不反。然後收其田里。此之謂三有禮焉。如此、則為之服矣。今也為臣、諫則不行、言則不聽、膏澤不下於民。有故而去、則君搏執之、又極之於其所往。去之日、遂收其田里。此之謂寇讎。寇讎何服之有。

孟子、齊の宣王に告げて曰く、「君の臣を視ること手足の如くなれば、則ち臣の君を視ること腹心の如し。君の臣を視ること犬馬の如くなれば、則ち臣の君を視ること國人の如し。君の臣を視ること土芥の如くなれば、則ち臣の君を視ること寇讎の如し。」王曰く、「禮に、舊君の為に服する有りと。何如なれば斯(すなわち)ち為に服す可き。」曰く、「諫行われ言聽かれ、膏澤、民に下る。故有りて去れば、則ち君、人をして之を導きて疆を出でしめ、又其の往く所に先んず。去りて三年反らず。然る後に其の田里を収む。此を之れ三有禮と謂う。此くの如くなれば、則ち之が為に服す。今や臣と為りて、諫は則ち行われず、言は則ち聽かれず、膏澤は民に下らず。故有りて去らば、則ち君之を搏執し、又之を其の往く所に極む。去るの日、遂に其の田里を収む。此を之れ寇讎と謂う。寇讎には何の服か之れ有らん。」

<語釈>
○「國人」、朱注:國人は猶ほ路人を言うがごとし、怨み無く徳無きを言う。関心を持たない路傍の行きずりの人。○「膏澤」、恩沢の意。

<解説>
君臣の関係は、孔子も、「君、臣を使うに礼を以てし、臣、君に事うるに忠を以てす。」と述べている。更に趙岐の章指に云う、「君臣の道は、義を以て表と為し、恩を以て裏と為す、表裏相應ずるは、猶ほ影響のごとし、舊君の服は、蓋し興る所有り、宣王を諷諭し、勸むるに仁を以てす。」礼と忠も表裏の関係である。

『史記』張耳陳餘列伝

2018-02-09 12:09:34 | 四書解読
本紀の解読が終わり、これからは列伝の解読を始めます。既に蒙恬列伝まで解読を終えているので、張耳陳餘列伝から始めます。

張耳陳餘列伝

張耳は、大梁の人なり。其の少き時、魏の公子毋忌に及びて客為り。張耳嘗て亡命(索隠:晉灼曰く、命は名なり、名籍を脱して逃るるを謂うなり)して外黄に游ぶ。外黄の富人の女甚だ美し。嫁して庸奴(日雇い人夫)として、其の夫を亡げ、去りて父の客に抵る。父の客は素より張耳を知る。乃ち女に謂いて曰く、「必ず賢夫を求めんと欲せば、張耳に從え。」女聽す。乃ち卒に為に決を請い(「決」は離縁の意。客が前の夫に離縁するように頼んだ)、之を張耳に嫁す。張耳是の時身を脫して游ぶ(逃亡中の意)。女の家厚く張耳に奉給す。張耳、故を以て千里の客を致す。乃ち魏に宦し外黄の令と為る。名此れ由り益々賢なり。陳餘も、亦た大梁の人なり。儒術を好み、數々趙の苦陘に游ぶ。富人の公乘氏、其の女を以て之に妻す。亦た陳餘の庸人に非ざるを知ればなり。餘年少く、張耳に父事す。兩人相與に刎頸の交りを為す。秦の大梁を滅ぼすや、張耳、外黄に家す。高祖、布衣為りし時、嘗て數々張耳に從いて游び、客たりしこと數月。秦、魏を滅ぼして數歲、已に此の兩人の魏の名士なるを聞くや、購求すらく、張耳を得る有らば千金、陳餘は五百金、と。張耳・陳餘乃ち名姓を變じて、俱に陳に之き、里の監門と為り、以て自ら食す。兩人相對す。里吏嘗て過ち有りて陳餘を笞つ。陳餘、起たんと欲す。張耳、之を躡み、笞を受けしむ。吏去り、張耳乃ち陳餘を引き桑下に之きて、之を數めて曰く、「始め吾、公と言いしは何如。今小辱せられて一吏に死せんと欲するか。」陳餘之を然りとす。
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『呂氏春秋』巻第十七審分覧

2018-02-04 10:40:53 | 四書解読
巻十七 審分覽

一 審分

一に曰く。凡そ人主は必ず分を審らかにし、然る後治以て至る可く、姦偽邪辟の塗以て息む可く、惡氣苛疾自りて至る無し。夫れ身を治むると國を治むるとは、一理の術なり。今衆を以て地する者、公作すれば則ち遲し、其の力を匿す所有ればなり。地を分かたば(耕作地を分けて各自に分担させれば)則ち速やかなり。匿遲する所無ければなり。主も亦た地有り。臣主、地を同じうすれば、則ち臣は其の邪を匿す所有り、主は其の累を避くる所無し。凡そ善を為すは難く、善に任ずるは易し。奚を以て之を知る。人、驥と俱に走れば、則ち人、驥に勝たず、車上に居りて驥に任ずれば、則ち驥、人に勝たず。人主の好みて人官の事を治むるは、則ち是れ驥と俱に走るなり。必ず及ばざる所多し。夫れ人主も亦た車有り(底本は「人主亦有車居」に作るが、范耕研に因り「居」の字を削る)、車を去ること無ければ、則ち衆善く皆力を盡くし能を竭くし、諂諛詖賊巧佞の人、其の姦を竄す所無く、堅窮廉直忠敦の士、畢く競勸(つとめはげむ)騁騖(テイ・ブ、疾走する意)す。人主の車は物に乘ずる所以なり。物に乘ずるの理を察すれば、則ち四極は有つ可し。物に乘ずることを知らずして自ら怙恃(たのみとする)し、其の智能を奮い、其の教詔(ふれ、命令)を多くして、好みて自ら以う。此くの若くなれば、則ち百官恫擾(ドウ・ジョウ、混乱する)し、少長(百官の若手と古参)相越え、萬邪竝び起こり、權威分移し、以て卒いる可からず、以て教うる可からず。此れ亡國の風なり。王良の馬を使う所以の者は約なり。之を審らかにして以て其の轡を控けば、而ち四馬敢て力盡くさざる莫し。有道の主、其の群臣を使う所以の者も亦た轡有り。其の轡や何如。名を正し分を審らかにする、是れ治の轡のみ。故に其の實を按じて其の名を審らかにして、以て其の情を求め、其の言を聽きて其の類を察し、放悖(勝手に事を為す意)せしむる無し。夫れ名は其の實に當らざること多くして、事は其の用に當らざる者多し。故に人主は以て名分を審らかにせざる可からざるなり。名分を審らかにせざるは、是れ壅を惡みて愈々塞がるなり。壅塞の任(責任)は、臣下に在らず、人主に在り。堯・舜の臣、獨り義ならず、湯・禹の臣、獨り忠ならず、其の數(統御の術)を得ればなり。桀・紂の臣、獨り鄙(おろか)ならず、幽・厲の臣、獨り辟(よこしま)ならず、其の理を失えばなり。今、此に人有り、牛を求むるに則ち馬と名(よぶ)び、馬を求むるに則ち牛と名べば、求むる所必ず得ず。而るに因りて威怒を用うれば、有司必ず誹怨し、牛馬必ず擾亂す。百官は、衆有司なり。萬物は、群牛馬なり。其の名を正さず、其の職を分かたずして、數々刑罰を用うれば、亂焉より大なるは莫し。夫れ說くに智通を以てして實たすに遇悗(グウ・マン、底本は「過悗」に作るが、畢沅により、「遇悗」に改める。「遇」は「愚」に通じ、「悗」は「惑」の意)を以てし、譽むるに高賢を以てして充つるに卑下を以てし、贊するに潔白を以てして隨うに汙德を以てし、任ずんるに公法を以てして處るに貪枉を以てし、用うるに勇敢を以てして堙(あてる)つるに罷怯(臆病で意気地のない事)を以てす。此の五者は、皆牛を以て馬と為し、馬を以て牛と為す、名正しからざるなり。故に名正しからざれば、則ち人主、憂勞勤苦して、官職、煩亂悖逆す。國の亡ぶるや、名の傷わるるや、此れ從り生ず。之を白くせんとして顧って黑を益し、之を求めんとして愈々得ざるは、其れ此の義か。故に至治の務は、名を正すに在り。名正しければ則ち人主、憂勞せず。憂勞せざれば則ち其の耳目の主を傷わず(高注:「主」は「性」なり)。問いて詔げず、知りて為さず、和して矜らず(高注:「和」は則ち「成」なり)、成して處らず。止まる者は行らしめず、行る者は止めず、形(実績)に因りて之に任ず。物に制せられず、肯て使と為ること無く、清靜にして以て公、神は六合に通じ(高注:六合は、四方上下なり)、德は海外に耀き、意は無窮に觀れ、譽は無止に流る。此を之れ性を大湫に定むと謂う。之を命づけて無有と曰う。故に路を得て人を忘るれば、乃ち大いに人を得るなり、夫れ其れ道とするに非ずや。德を知り知を忘るれば、乃ち大いに知を得るなり。夫れ其れ德とするに非ずや。至知は幾せず(「幾」は陳奇猷の説により、「察」の意に解す)、靜なれば乃ち幾を明らかにするなり。夫れ其れ明ならずや。大明は小事せず(小事にこだわらない)。假(『爾雅』に、假は、大なりとあり、大事の意に解す)なれば乃ち事を理むるなり。夫れ其れ假ならずや。莫人は能くせず、全ければ乃ち能を備うるなり。夫れ其れ全からずや。是の故に全に於いては能を去り、假に於いては事を去り、知に於いては幾を去れば、知る所の者は妙たり。此くの若くなれば、則ち能く其の天に順い、意氣は寂寞の宇に游ぶことを得、形性は自然の所に安んずることを得。萬物を全くして宰せず、澤は天下を被いて、其の自りて始まる所を知ること莫し。五者を備えずと雖も、其の之を好む者は是なり。

二 君守

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