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『史記』魏其武安侯列伝

2019-10-27 10:36:47 | 四書解読
魏其侯竇嬰は、孝文后の從兄の子なり。父は世々、觀津の人なり(索隠:其の類葉は觀津に在るを言うを以て、故に父世と云うなり)。賓客を喜む。孝文の時、嬰、呉の相と為り、病みて免ぜらる。孝景初めて位に即き、詹事と為る(正義:百官表に云う、詹事は、秦の官、皇后・太子の家を掌る)。梁の孝王は、孝景の弟なり。其の母竇太后、之を愛す。梁の孝王、朝し、昆弟に因りて燕飲す。是の時上未だ太子を立てず。酒酣なると、從容として言いて曰く、「千秋の後梁王に傳えん(位を譲る意)。」太后驩ぶ。竇嬰、卮酒(杯についだ酒)を引きて上に進めて曰く、「天下は、高祖の天下なり。父子相傳うるは、此れ漢の約なり。上何を以てか擅に梁王に傳うるを得ん。」太后此に由り竇嬰を憎む。竇嬰も亦た其の官を薄んじ、病に因りて免ぜらる。太后、竇嬰の門籍を除き(宮殿の門前に名前を記した札を掲げる、ここに名前がないと宮中に入れない)、入りて朝請せざらしむ(集解:律に、諸侯春に天子に朝するを朝と曰い、秋を請と曰う)。
孝景三年、呉楚反す。上、宗室諸竇を察するに竇嬰の賢に如くもの毋く、乃ち嬰を召す。嬰入りて見え、固く辭し病みて任ずるに足らずと謝す。太后も亦た慙づ。是に於て上曰く、「天下方に急有り、王孫寧ぞ以て讓る可けんや。」乃ち嬰を拝して大將軍と為し、金千斤を賜う。嬰乃ち袁盎・欒布ら諸名將賢士の家に在る者を言いて之を進む。賜わりし所の金は、之を廊廡の下に陳ね(表御殿のひさしにつるす)、軍吏過れば、輒ち財(はかる)り取りて用と為さしめ(集解:蘇林曰く、自ら裁度し取りて用と為さしむ)、金家に入る者無し。竇嬰、滎陽を守り、齊・趙の兵を監す。七國の兵已に盡く破る。嬰を封じて魏其侯と為す。諸游士賓客爭いて魏其侯に歸す。孝景の時、大事を朝議する毎に、條侯・魏其侯には、諸列侯敢て與に亢禮(対等の礼で接する)するもの莫し。
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『孟子』巻第十四盡心章句下 二百五十四節、二百五十五節、二百五十六節

2019-10-21 10:19:03 | 四書解読
二百五十四節
孟子は言った。
「卑近な事を言いながら、その実深遠な意味を含んでいるのが善言である。守り行うことの要点は簡約であるが、その施しが広い範囲にまで行き渡るのが善道である。君子の言葉は、帯より下へは下らないほどに至近な事を述べており、非常に分かりやすいにもかかわらず、その中には深い道理が含まれているものだ。君子が守り行うのはわが身を修めるという簡約なものであるが、広く天下が平安になるほどに、その効果は及ぶのである。ところが凡人は、身近な我が田を省みずに、人の田の草を取り除こうとする悪い癖がある。それは他人に要求することは重んじるが、自分の責任として引き受けることは軽んじているからである。」

孟子曰、言近而指遠者、善言也。守約而施博者、善道也。君子之言也、不下帶而道存焉。君子之守、脩其身而天下平。人病舍其田而芸人之田。所求於人者重、而所以自任者輕。

孟子曰く、「言近くして指遠き者は、善言なり。守ること約にして施すこと博き者は、善道なり。君子の言や、帶を下らずして道存す。君子の守りは、其の身を脩めて天下平らかなり。人、其の田を舎てて、人の田を芸るを病とす。人に求むる所の者重くして、自ら任ずる所以の者輕ければなり。」

<語釈>
○「指」、「指」は「旨」に通じ、“むね”と訓ず。○「不下帶」、朱注:古人、視ること帯より下らず、則ち帯の上、乃ち目前常見至近の處なり、目前の近事を舉げて、至理存す。至近を指す喩えである。○「人病舍其田云々」、朱注:人病云云は、此れ守約せずして博く施すに務むるの病を言う。○「所求於人者重云々」、趙注:是れ人に求むること太だ重く、自ら任ずること太だ輕し。

<解説>
この節は趣旨の一貫性という観点かして、理解し難い。要は大言壮語を誡め、至近な事を述べながら、その中に深淵な道理を含ませることが善言であり、至近な事から始めて広く及ぼしていくのが善道であると述べ、身近な事を直視することの大切さを言っているのであろう。

二百五十五節
孟子は言った。
「堯や舜は天から与えられた本性をそのまま備えた立派な人々である。殷の湯王や周の武王は身を修めてその本性に立ち返った人々である。動作振る舞いのことごとくが礼に適っているのは盛徳の極みである。すなわち死者に対して声をあげて泣いて悲しむのは、生きている人に聞かせる為の儀礼ではない。常に徳を行い邪な心を懐かないように努めるのは、それにより地位俸禄を求める為ではない。言葉を口にすれば必ず真実を告げているのは、それにより行いを正しくして人に認められようとする為ではない。君子は天の道理に従って行動するだけで、そのなりゆきは天命に委ねるだけである。」

孟子曰、堯舜性者也。湯武反之也。動容周旋中禮者、盛德之至也。哭死而哀、非為生者也。經德不回、非以干祿也。言語必信、非以正行也。君子行法、以俟命而已矣。

孟子曰く、「堯・舜は性のままなる者なり。湯・武は之に反るなり。動容周旋、禮に中る者は、盛德の至りなり。死を哭して哀しむは、生者の為に非ざるなり。經德回ならざるは、以て禄を干むるに非ざるなり。言語必ず信なるは、以て行いを正すに非ざるなり。君子は法を行いて、以て命を俟つのみ。」

<語釈>
○「動容周旋」、「動容」は動作、「周旋」はふるまい。○「經德不回」、趙注:「經」は、行なり。「回」は「邪」の義、常に徳を行い邪な心を懐かないという意味。○「法」、朱注:法は、天理の當然なる者なり。

<解説>
死者を悼むのも、徳を行うのも、真実を語るのも、他人の為にするのでは無い。己の心に従って行動することが大事である。己の心が如何なるものかは、自身の修養にかかっている。修養により得られた心で行動し、その結果は天命に任せるだけであり、気に掛けることはない。

二百五十六節
孟子は言った。
「尊貴の人に自分の考えを述べようとするときは、相手を軽んじてかかれ。その偉そうなそぶりをまともに視てはいけない。宮殿の高さが数仞、たるきの頭が数尺もあるような贅沢は、たとえ志を得ても私はやらない。御馳走が目の前一丈四方に並べられ、侍女が数百人もいるような贅沢は、たとえ志を得ても私はやらない。大いに楽しみ酒を飲み、馬を走らせて狩りをし、後ろに千台もの車を従えさせるような贅沢は、たとえ志を得ても私はやらない。彼ら尊貴な者のやることは、皆私のやらない事である。私がやることは、皆古の聖人が定めた事柄であり、彼らが有しているものよりも、はるかに貴重なものであるから、どうして彼らに恐れ憚ることがあろうか。」

孟子曰、說大人、則藐之。勿視其巍巍然。堂高數仞、榱題數尺。我得志弗為也。食前方丈、侍妾數百人。我得志弗為也。般樂飲酒、驅騁田獵、後車千乘。我得志弗為也。在彼者、皆我所不為也。在我者、皆古之制也。吾何畏彼哉。

孟子曰く、「大人に説くには、則ち之を藐ぜよ。其の巍巍然たるを視ること勿れ。堂の高さ數仞、榱題數尺。我志を得るも為さざるなり。食前方丈、侍妾數百人。我志を得るも為さざるなり。般樂して酒を飲み、驅騁田獵し、後車千乘。我志を得るも為さざるなり。彼に在る者は、皆我が為さざる所なり。我に在る者は、皆古の制なり。吾何ぞ彼を畏れんや。」

<語釈>
○「大人」、趙注:大人は、當時の尊貴なる者なり。○「巍巍然」、高大な貌。ここでは偉そうなそぶりに解するのがよい。○「榱題」、朱注:「榱」(シ)は桷(たるき)なり、「題」は、頭なり。○「食前方丈」、御馳走が目の前一丈四方に並べられていること。○「般樂飲酒」、趙注:「般」は大なり、大いに樂を作して酒を飲む。

<解説>
如何なる物質的な贅沢よりも、古の聖人の道を学び、仁義を行うことにより、豊かな心を育むことの大切さを説いている。

『孟子』巻第十四盡心章句下 二百五十一節、二百五十二節、二百五十三節

2019-10-17 10:28:44 | 四書解読
二百五十一節
嘗て孟子に学んでことがある盆成括が齊に仕えた。それを知った孟子は言った。
「殺されるだろう、あの盆成括という男は。」
その後果たして彼は殺された。それを知った門人たちは孟子に尋ねた。
「先生はどうして彼が殺されるだろうと思われたのですか。」
「あの男の人柄は、なまじっか小才があって、君子の踏むべき仁義謙順の大道を学んでいない。それでは小才に頼って、結局身を亡ぼすことになるだけなのだ。」

盆成括仕於齊。孟子曰、死矣盆成括。盆成括見殺。門人問曰、夫子何以知其將見殺。曰、其為人也小有才。未聞君子之大道也。則足以殺其軀而已矣。

盆成括、齊に仕う。孟子曰く、「死なん、盆成括は。」盆成括殺さる。門人問うて曰く、「夫子は何を以て其の將に殺されんとするを知るか。」曰く、「其の人と為りや、小しく才有り。未だ君子の大道を聞かざるなり。則ち以て其の軀を殺すに足るのみ。」

<語釈>
○「盆成括」、趙注:盆成は姓、括は名なり、曾て孟子に学び、道を問わんと欲するも、未だ達せずして去る。○「君子之大道」、趙注:未だ君子の仁義謙順の道を知らず。

<解説>
身に沿わない知識をひけらかし、知ったかぶりをしていると、身を亡ぼすことになるという教えである。

二百五十二節
孟子が滕の国へ行き、離宮に泊まったとき、たまたま作りかけの靴を窓の上に置き忘れた者がいた。館の人が探したが見つからなかった。ある人が言った。
「ひどいものですね。先生の従者ともあろう方が、人の靴を隠すなんて。」
「あなたは、従者が人の靴を盗むためにわざわざここまで来たと思っているのか。」
ある人は後悔して言った。
「そのようなことは、まずありえないと思います。」
「だいたい私が教科を設け人に教えるやり方は、去る者は追わず、來る者は拒まず、ということだ。だから少なくとも学びたいという心を以てやって来たのであれば、私は受け入れるだけの事です。だから中には不心得者がいることもあるでしょう。」

孟子之滕、館於上宮。有業屨於牖上。館人求之弗得。或問之曰、若是乎從者之廋也。曰、子以是為竊屨來與。曰、殆非也。夫予之設科也、往者不追、來者不距。苟以是心至、斯受之而已矣。

孟子滕に之き、上宮に館す。牖上に業屨有り。館人之を求むるも得ず。或ひと之に問いて曰く、「是の若きか、從者の廋(かくす)すや。」曰く、「子は是れ屨を竊むが為に來たれりと以えるか。」曰、「殆ど非なり。」「夫れ予の科を設くるや、往く者は追わず、來たる者は距まず。苟くも是の心を以て至らば、斯に之を受くるのみ。」

<語釈>
○「上宮」、諸説あるが、こだわることはない。離宮ぐらいに解しておく。○「有業屨於牖上」、趙注によれば、作りかけの屨(くつ)を、牖(ユウ、まど)の上に置き忘れていた意。

<解説>
この節は読み方によっては微妙に見解が変わる。孟子自身が従者の行為を疑っているのかどうか、それは分からない。もし疑っていれば、この節の内容は孟子の必死の弁明になるだろう。少なくとも最後の孟子の言葉、「斯に之を受くるのみ。」は逃げ道を作った感がする。

二百五十三節
孟子は言った。
「人は皆害を加えるに忍びない愛する人がいるものだ。その心を愛さない人にまで及ぼすのが仁である。人は皆これはしてはいけないと言うものを持っている。その心をあらゆる行いに対して及ぼすのが義である。他人に害を加えることを望まない心で己の心を充たせば、仁の効用は限りなく広がるだろう。塀に穴をあけ垣を乗り越えたりして、他人の物を盗むなどの不当の利益を得ることを、悪として退ける心で己の心を充たせば、義の効用は限りなく広がるだろう。人からおいお前などと呼ばれて軽蔑されないように人間性を充実させれば、どこへ行ったとしても、義を行うことが出来るようになる。士でありながら、言うべきでないのに言うのは、言うことによって相手に取り入ろうとするものだ。逆に言うべきときに言わないのは、言わない事によって相手の心を引き寄せようとするものだ。これらは皆盗人の類である。」

孟子曰、人皆有所不忍。達之於其所忍、仁也。人皆有所不為。達之於其所為、義也。人能充無欲害人之心、而仁不可勝用也。人能充無穿踰之心、而義不可勝用也。人能充無受爾汝之實、無所往而不為義也。士未可以言而言、是以言餂之也。可以言而不言、是以不言餂之也。是皆穿踰之類也。

孟子曰く、「人皆忍びざる所有り。之を其の忍ぶ所に達するは、仁なり。人皆為さざる所有り。之を其の為す所に達するは、義なり。人能く人を害せんと欲する無きの心を充たさば、仁勝げて用う可からざるなり。人能く穿踰する無きの心を充たさば、義勝げて用う可らざらるなり。人能く爾汝を受くる無きの實を充たさば、往く所として義為らざるは無きなり。士未だ以て言う可からずして言う、是れ言うを以て之を餂るなり。以て言う可くして言わざる、是れ言わざるを以て之を餂るなり。是れ皆穿踰の類なり。」

<語釈>
○「所不忍」、趙注:人皆愛する所有り、惡を加うるに忍びず、之を推して以て愛せざる所に通ぜば、皆徳を被らしむ、此れ仁人なり。○「所不為」、してはいけないこと、不義をしないこと。○「穿踰」、趙注:牆を穿ち、屋を踰ゆ、姦利の心なり。塀に穴をあけ垣を乗り越えたりして他人の物を盗むこと。○「爾汝」、おいこら、おいお前などの賎称、又そのように呼んで人を蔑むこと。○「餂」、趙注:「餂」は「取」なり。相手の心に取り入ろうとすること。

<解説>
ここでは仁と義が非常に分かりやすく説かれている。人は誰でも愛する者がいる、その心を全ての人に及ぼすことが仁である。キリスト教の博愛主義と同じである。又人は誰でもこれだけはしてはいけないと言うものを持っている。乃ち不義を為さないということであり、その不義を為さないという心をあらゆることに及ぼすのが義である。

『孟子』巻第十四盡心章句下 二百四十八節、二百四十九節、二百五十節

2019-10-12 10:16:37 | 四書解読
二百四十八節

孟子は言った。
「墨子の誤りを知った者は、必ず楊朱の学派に入るが、その誤りを悟った者は、必ず儒家の門下にやってくる。そうすれば、それを素直に受け入れてやればよいだけの事である。ところが今の楊・墨の学派と論争する者は、逃げ出した豚を捕らえようと追いかけまわしているような態度であって、囲いの中に入ってしまえばそれでよいのに、さらに逃げ出さないように足を縛りつけるようなことをする。それはかえってよくないことだ。」

孟子曰、逃墨必歸於楊、逃楊必歸於儒。歸斯受之而已矣。今之與楊墨辯者、如追放豚。既入其苙、又從而招之。

孟子曰く、「墨を逃るれば必ず楊に歸し、楊を逃るれば必ず儒に歸す。歸すれば斯に之を受けんのみ。今の楊・墨と辯ずる者は、放豚を追うが如し。既に其の苙に入れば、又從って之を招ぐ。」

<語釈>
○「墨・楊・儒」、服部宇之吉氏云う、「墨翟は兼愛を説いて親疎の別を立てず、楊朱は愛身利己を主義とし、儒道は親を親とし尊を尊とし、天子より庶人に至る迄禮に等級あり。」○「放豚」、逃げ出した豚。○「苙」、趙注:「苙」(リュウ)は、蘭なり。蘭とは、おり、囲いなどの意。○「招」、朱注:其の足を羈ぐなり。「羈」は、つなぐの意なので、「招」は“つなぐ”と訓ず。

<解説>
帰依した者が又逃げださないように、無理矢理につなぎ止めようとすることは、反って逆の結果を招くことになるので、ありのままに受け入れるのがよいということである。

二百四十九節
孟子は言った。
「民から取り立てる税はには、布や糸を納めさせる布縷の税、穀物を納めさせる粟米の税、労力を提供させる力役の税の三つがある。君子が政治を行う場合は、時宜にかなった税を一つ取り立て、他の二つは猶予する。もし二つの税を同時に取り立てたら、民に餓死者がでるし、三つの税を同時に取り立てたら、一家離散ということになる。」

孟子曰、有布縷之征粟米之征力役之征。君子用其一、緩其二。用其二而民有殍。用其三而父子離。

孟子曰く、「布縷の征・粟米の征・力役の征有り。君子は其の一を用いて、其の二を緩くす。其の二を用うれば、民に殍有り。其の三を用うれば、父子離る。」

<語釈>
○「布縷之征」、趙注:「征」は、賦なり。布は軍卒以て衣を為り、縷(ル)は鎧甲を縫うの縷(いと)なり。○「殍」、音はフ、餓死者のこと。

<解説>
この三つの税は後世の調・租・庸に該当するものであるが、この時代、このような税制が整えられていたかどうかは分からない。趙岐は、「國に軍旅の事有れば、則ち此の三賦を横に興すなり。」と述べ、臨時の税で、民の負担が増加したものとみている。

二百五十節
孟子は言った。
「諸侯にとっての宝は三つある。それは土地・人民・政事である。宝玉の類を宝だと思っている者は、必ず禍がやってきて国を亡ぼすことになるだろう。」

孟子曰、諸侯之寶三。土地人民政事。寶珠玉者、殃必及身。

孟子曰く、「諸侯の寶は三あり。土地・人民・政事なり。珠玉を寶とする者は、殃必ず身に及ぶ。」

<解説>
国家理論の要素を明らかにした節である。

『孫氏』巻十一九地篇

2019-10-08 11:12:55 | 四書解読
巻十 地形篇
孫子言う。戦場における地形には、道が四方に通じていて、敵も味方も共に往来することができる通形、草や木の遮蔽物が多く、行けばそれに捉われて戻れない挂形、容易に進むことができず、両軍相対峙するような支形、山に挟まれた細い道が一本あるだけの隘形、山や川などの険しい所の険形、遠くまで見渡せる平たい地の遠形の六種類がある。我が軍がどこを通っても敵を撃つことができ、敵軍もどこを通っても我を撃つことができる開けた地形を通形と言う。通形では、敵より先に南に向いた高所を占め、糧道を確保して戦えば、有利に戦いを進めることができる。木や草などに阻まれて何とか進むことは出来ても、退くには困難が多い地形を挂形と言う。挂形では、敵が油断して備えがなければ、攻めて勝つことができるが、備えがあれば攻めても勝つことができず、退くにも困難な地形なので窮地に陥る。我が軍も敵軍も共に出撃しても利にならないような地形を支形と言う。支形では、敵が我が軍の方が有利であるように見せかけても出て攻めてはいけない。軍を引いて去る方がよい。そうして敵が追いかけて来たら、半分出撃してきたところを撃てば我が軍は有利である。山に挟まれた細い道が一本だけあるような隘形では、先に到着すれば其の口を塞いで敵を迎え撃ち、敵が先に到着して其の口を塞いでいれば、敵の行動に合わせて攻撃してはいけない。険しい山などが存在する険形では、南に向いた高所に居り、そこで敵を迎え撃つ。もし敵が先にこの地に居れば、兵を引いて立ち去れ。敵の動きに合わせて行動するな。遠くまで見渡せる平地の遠形では、勢力が等しければ戦いを挑むのは困難である。戦っても不利になる。およそ以上六つの地形は地の利の法則である。それを知ることは将の最大の任務である。よく考察すべきである。更に軍が敗北に至る道は、走・弛・陥・崩・亂・北の六つがある。この六つの軍が敗れる原因は天によるものでなく将軍の過ちによるものである。両軍の兵力が同じであるのに、その十分の一の兵力で十倍の敵を撃ちかなわず逃げるのを走と曰う。士卒が強く荒々しく、部隊長が弱ければ、内部が緩み統御することができない。これを弛と曰う。反対に部隊長が強く、士卒が弱ければ、強いて戦わせても死地に陥る、これを陥と曰う。将軍が武将の能力を理解せず理不尽に叱責することにより、武将は敵に遇えば将軍の命を聞かずに独断で戰う、これを崩と言う。将軍が軟弱で威厳がなく、軍に教え導くことも明らかでなく、部下は規則を守らず、陣形もまともに整えられない、これを乱と言う。将軍が敵の勢力を分析する能力に欠けており、少数で多数の敵と戦い、弱兵で強兵を撃ち、精鋭を選ぶことも出来ない、これを北と曰う。およそこの六つのものが軍に敗北をもたらすものである。これらを知ることは将軍の最大の任務である。よく知っておくべきである。地形というものは戦いを助けるものであるから、敵情を知り勝ちを制する計をたて、その地形が険しく狭いか、遠いか近いかということを明らかにすることは、最高指導者である将軍が必ず守らなければならない道である。この事を知って戦う者は必ず勝ち、知らないで戦う者は必ず敗れる。だから戦争の道は必ず勝てる情勢であれば、主君が戦うなと命令しても戦ってもよい。逆に勝てない情勢であれば、主君が戦えと命令しても戦わなくてよい。だから戦争の道を知っている将軍は進撃して戦いに勝っても名誉を求めないし、退却しても罪を免れようとはしない。その思いは人民の安らかな生活を保ち国に利益をもたらすことである。このような将軍はまさに国の宝である。将軍が兵士を赤子のように慈しみ、危険な深い谷間でも俱に下りていき、兵士を愛する我が子のように見るので、兵士たちは死をも厭わずに将軍に従う。しかし将軍が兵士を厚遇するだけで彼らを使い用いることができず、兵を愛するだけで彼らに命令することができず、隊内が乱れて秩序を保つことができない。このような兵はたとえて言うなら父母の言う事を聞かないわがままな子のようなもので、用いることはできない。我が兵が敵に打ち勝つ能力があることを知っていても、敵の戦力が備わっていて破ることが困難であることを知らなければ勝敗は五分五分である。敵を撃ち破ることができることを知っていても、我が兵が敵に撃つ勝つ能力がないことを知らなければ勝敗は五分五分である。敵を撃ち破ることを知っていて、我が兵も敵を破る能力があることを知っていても、地形が我が軍に不利であることを知らなければ勝敗は五分五分である。それゆえ戦争の上手な者は彼我の実情を知り地形の利便を知ることに務め、しかる後に行動を起こすので迷いはなく、事を挙げても窮することはない。だから敵を知り己を知れば危なげなく勝つことができ、天の時を知り地の利を得れば、勝は完全なものになる。

孫子曰、地形有通者、有挂者、有支者、有隘者、有險者、有遠者。我可以往、彼可以來曰通。通形者、先居高陽、利糧道以戰、則利。可以往、難以返曰挂。挂形者、敵無備、出而勝之。敵若有備、出而不勝。難以返不利。我出而不利、彼出而不利曰支。支形者、敵雖利我、我無出也。引而去之、令敵半出而撃之利。隘形者、我先居之、必盈之以待敵。若敵先居之、盈而勿從、不盈而從之。險形者、我先居之、必居高陽以待敵。若敵先居之、引而去之、勿從也。遠形者、勢均,難以挑戰。戰而不利。凡此六者、地之道也。將之至任、不可不察也。故兵有走者、有弛者、有陷者、有崩者、有亂者、有北者。凡此六者、非天之災、將之過也。夫勢均、以一撃十曰走。卒強吏弱曰弛。吏強卒弱曰陷。大吏怒而不服、遇敵懟而自戰、將不知其能曰崩。將弱不嚴、教道不明、吏卒無常、陳兵縱橫曰亂。將不能料敵、以少合衆、以弱撃強、兵無選鋒曰北。凡此六者、敗之道也。將之至任、不可不察也。夫地形者、兵之助也。料敵制勝、計險阨遠近、上將之道也。知此而用戰者必勝。不知此而用戰者必敗。故戰道必勝、主曰無戰、必戰可也。戰道不勝、主曰必戰、無戰可也。故進不求名、退不避罪、唯民是保、而利合於主、國之寶也。視卒如嬰兒、故可與之赴深谿。視卒如愛子、故可與之俱死。厚而不能使、愛而不能令、亂而不能治、譬若驕子、不可用也。知吾卒之可以撃、而不知敵之不可撃、勝之半也。知敵之可撃、而不知吾卒之不可撃、勝之半也。知敵之可撃、知吾卒之可以撃、而不知地形之不可以戰、勝之半也。故知兵者、動而不迷、舉而不窮。故曰、知彼知己、勝乃不殆。知天知地、勝乃可全。

孫子曰く、地形に通なる者有り(注1)、挂(カイ)なる者有り(注2)、支なる者有り(注3)、隘なる者有り(注4)、險なる者有り(注5)、遠なる者有り(注6)。我以て往く可く、彼以て來る可きを通と曰う。通形は、先づ高陽に居り、糧道を利にして以て戰えば、則ち利あり。以て往く可くして、以て返り難きを挂と曰う。挂形は、敵備え無ければ、出でて之に勝つ。敵若し備え有れば、出でて勝たざらん。以て返り難くして不利なり。我出でて利あらず、彼出でて利あらざるを支と曰う。支形は、敵、我を利すと雖も、我出づること無かれ。引きて之を去り、敵をして半ば出でしめて之をを撃たば利あり(注7)。隘形は、我先づ之に居らば、必ず之を盈たして以て敵を待つ。若し敵先づ之に居り、盈つれば從うこと勿れ、盈たざれば之に從う(注8)。險形は、我先づ之に居らば、必ず高陽に居りて以て敵を待つ。若し敵先づ之に居らば、引きて之を去り、從うこと勿れ。遠形は、勢均しければ、以て戰いを挑み難し。戰いて利あらず。凡そ此の六者は、地の道なり。將の至任、察せざる可からざるなり。故に兵に走る者有り、弛む者有り、陷る者有り、崩るる者有り、亂るる者有り、北ぐる者有り。凡そ此の六者は、天の災に非ず、將の過なり。夫れ勢均しくして、一を以て十を撃つを走と曰う。卒強く吏弱きを弛と曰う(注9)。吏強く卒弱きを陷と曰う(注10)。大吏怒りて服せず、敵に遇えば懟(うらむ)みて自ら戰い、將其の能を知らざるを崩と曰う(注11)。將弱くして嚴ならず、教道明らかならず、吏卒常無く、兵を陳ぬるに縱橫なるを亂と曰う。將敵を料る能わず、少を以て衆に合わせ、弱を以て強を撃ち、兵に選鋒無きを北と曰う(注12)。凡そ此の六者は、敗の道なり。將の至任、察せざる可からざるなり。夫れ地形は兵の助けなり。適を料り勝を制し、險阨遠近を計るは、上將の道なり。此を知りて戰に用うれば必ず勝つ。此を知らずして戰に用うれば必ず敗る。故に戰道必ず勝たば、主、戰う無かれと曰うも、必ず戰いて可なり。戰道勝たずんば、主、必す戰えと曰うも、戰うこと無くしても可なり。故に進みて名を求めず、退きて罪を避けず、唯だ民を是れ保ちて、利、主に合うは、國の寶なり。卒を視ること嬰兒の如し、故に之と深谿に赴く可し。卒を視ること愛子の如し、故に之と俱に死す可し(注13)。厚くして使う能わず、愛して令する能わず、亂れて治むる能わず。譬えば驕子の若し、用う可からず。吾が卒の以て撃つ可きを知りて、敵の撃つ可からざるを知らざるは、勝の半ばなり。敵の撃つ可きを知りて、吾が卒の撃つ可からざるを知らざるは、勝の半ばなり。敵の撃つ可きを知り、吾が卒の以て撃つ可きを知りて、地形の以て戰う可からざるを知らざるは、勝の半ばなり。故に兵を知る者は、動きて迷わず、舉げて窮せず(注14)。故に曰く、彼を知り己を知らば、勝ちは乃ち殆うからず。天を知り地を知らば、勝ちは乃ち全かる可し(注15)。
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