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『呂氏春秋』巻第二十一開春論

2018-04-17 10:25:01 | 四書解読
巻二十一 開春論

一 開春

一に曰く。開春始めて雷すれば、則ち蟄蟲動く。時雨降れば、則ち草木育つ。飲食居處適なれば、則ち九竅・百節・千脈、皆通利なり(高注:通利は、壅閉せず、疾病無し)。王者、其の德を厚くし、衆善を積めば、而ち鳳皇聖人皆來たり至る。共伯和、其の行いを修め、賢仁を好む。而して海內皆以て來たり稽を為す。周厲の難、天子曠絕して(高注:難は厲王、彘に流さるるなり、周、天子無きこと十一年、故に曰く、曠絕なり、と。)、天下皆來たり謂う(高注:天子を謂うなり)。此を以て物の相應ずるを言うなり。故に曰く、行えば成るなり、と。善く說く者も亦た然り。言、理を盡くせば、得失利害定まれり。豈に一人の為に言わんや。魏の惠王死して、葬、日有り。天大いに雪雨り、牛目に至る。群臣、太子に諫むる者多し。曰く、「雪甚だし。此の如くして葬を行わば、民必ず甚だ之を疾み、官費又恐らくは給らざらん(高注:「給」は「足」なり)。請う、期を弛めて日を更めんことを。」太子曰く、「人の子為る者、民勞と官の費用との故を以て、先王の葬を行わざるは、不義なり。子、復た言うこと勿れ。」群臣皆敢て諫むること莫く、而して以て犀首に告ぐ。犀首曰く、「吾以て之を言うこと有る末し(高注:「末」は猶ほ「無」なり)。是れ其れ唯だ惠公のみなるか。請う惠公に告げんことを。」惠公曰く、「諾。」駕して太子に見えて曰く、「葬、日有り。」太子曰:「然り。」惠公曰く、「昔、王季歷(文王の父)、渦山の尾(ふもと)に葬られ、灓水、其の墓を齧み、棺の前和(和は棺の端を言う)を見わす。文王曰く、『譆、先君必ず一たび群臣百姓を見んことを欲するかな。故に灓水をして之を見わさしむ。』是に於て出だして之が為に朝を張り(朝見の場を設ける)、百姓皆之を見る。三日にして後更めて葬る。此れ文王の義なり。今、葬、日有り。而して雪甚だしく、牛目に及び、以て行い難し。太子、日に及ばんが為の故に、亟やかに葬らんと欲するに嫌い無きを得んや。願わくは、太子日を易えんことを。先王必ず少く留まりて、社稷を撫し黔首を安んぜんことを欲するなり。故に雪を雨ること甚だしからしむ。因りて期を弛めて更めて日を為さば、此れ文王の義なり。此の若くして為さざるは、意者に文王に法るを羞づるか。」太子曰く、「甚だ善し。敬みて期を弛め、更めて葬日を擇ばん。」惠子は徒に說を行うのみにあらざるなり。又魏の太子をして未だ其の先君を葬らざらしめ、而して因りて有た文王の義を説き、文王の義を説きて以て天下に示せり。豈に小功ならんや。韓氏、新城を城き、十五日を期して成さんとす。段喬、司空為り。一縣後るること二日なるもの有り。段喬、其の吏を執らえて之を囚す。囚者の子走りて封人(国境を守る官)子高に告げて曰く、「唯だ先生のみ能く臣の父の死を活かさん。願わくは之を先生に委ねん。」封人子高曰く、「諾。」乃ち段喬に見え、自ら扶けて城に上る。封人子高左右に望みて曰く、「美なるかな城や。一大功なり。子必ず厚賞有らん。古自り今に及ぶまで、功、此の若く其れ大にして、而も能く罪戮有ること無き者、未だ嘗て有らざるなり。」封人子高出づるや、段喬、人をして夜其の吏の束縛を解かしめて、之を出だす。故に曰く、「封人子高の之が言を為すや、己の為を匿して為せるなり。段喬の聽きて之を行うや、己の行を匿して行えるなり。」說の行われること此の若く其れ精なり。封人子高、善く說けりと謂う可し。叔嚮の弟羊舌虎、欒盈に善し。欒盈、晉に罪有り。晉、羊舌虎を誅す。叔嚮之が為に奴となりて朡る(高注:朡は繋なり)。祈奚曰く、「吾聞く、小人位を得て、爭わざるは不祥 なり。君子憂に在りて、救わざるは不祥なり。」乃ち往きて范宣子に見えて說くなり。曰く、「聞くならく、善く國を為むる者は、賞過ぎずして刑慢(みだり)ならず。賞過ぐれば則ち淫人に及ばんことを懼れ、刑慢ならば則ち君子に及ばんことを懼る。其の不幸にして過つに與(「於」の義に読む)いては、寧ろ過ちて淫人を賞すとも、過ちて君子を刑すること毋かれ。故に堯の刑するや、鯀を虞に殛して禹を用う。周の刑するや、管・蔡を戮して周公を相とす。刑を慢にせざるなり。」宣子乃ち吏に命じて叔嚮を出だす。人の患を救う者は、危苦を行い、煩辱を避けざるも、猶ほ免れしむること能わず。今、祈奚、先王の德を論じて、叔嚮、免るることを得たり。學は豈に以て已む可けんや。類多く此の若し。

二 察賢

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