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『孟子』巻第十一告子章句上 百四十五節、百四十六節

2018-12-31 10:31:58 | 四書解読
百四十五節

孟季子が孟子の弟子の公都子に尋ねた。
「どういうわけで義は内であると言うのか。」
「我が心に在る敬意を実行するから、内に在ると言うのだ。」
「村人であなたの兄より一歳年上の人がいれば、あなたはどちらを敬するのか。」
「兄を敬する。」
「では村の宴会でお酒を進めるとき、あなたはどちらを先にするのか。」
「村人を先にする。」
「普段敬するのは兄さんの方だが、年長者ということで相手を立てるのは村人の方だ。それはやはり外的条件であって、内より発するものではない。」
公都子は答えることが出来ず、このことを孟子に告げた。孟子は言った。
「おじさんを敬するか、弟を敬するか、と尋ねてみよ。彼は恐らく、おじさんを敬する、と言うだろう。そうしたら次いで、弟がかたしろになった時はどちらを敬するか、と問え。彼は弟を敬する、と言うだろう。そこで、おじさんを敬すると言ったのはどうなったのだ、と言え。きっとかたしろになっているからだ、と言うだろう。そうしたらお前も、かたしろの地位にいるからだと言うのなら、私も平常なら兄を敬するだろうが、宴会などの席上では一時的に村人の年長者を敬するのだ、と言ってやれ。」
公都子からその話を聞いた孟季子は言った。
「おじさんを敬すべきときはおじさんを敬し、弟を敬すべきときは弟を敬するなら、やはり義は外的条件によるもので、内から発するものとは言えない。」
公都子は言った。
「冬はお湯を飲み、夏は水を飲む。これは外的条件によるものだから、飲食も外にあることになり、食欲と性欲は性にして内にあるというあなたの論と矛盾するのではないか。」

孟季子問公都子曰、何以謂義內也。曰、行吾敬。故謂之內也。鄉人長於伯兄一歲、則誰敬。曰、敬兄。酌則誰先。曰、先酌鄉人。所敬在此、所長在彼、果在外。非由內也。公都子不能答。以告孟子。孟子曰、敬叔父乎、敬弟乎。彼將曰、敬叔父。曰、弟為尸、則誰敬。彼將曰、敬弟。子曰、惡在其敬叔父也。彼將曰、在位故也。子亦曰、在位故也、庸敬在兄、斯須之敬在鄉人。季子聞之曰、敬叔父則敬、敬弟則敬。果在外、非由內也。公都子曰、冬日則飲湯、夏日則飲水。然則飲食亦在外也。

孟季子、公都子に問いて曰く、「何を以て義は內と謂うや。」曰く、「吾が敬を行う。故に之を內と謂うなり。」「鄉人、伯兄より長ずること一歲ならば、則ち誰をか敬せん。」曰く、「兄を敬せん。」「酌まば則ち誰をか先にせん。」曰く、「先づ鄉人に酌まん。」「敬する所は此に在り、長ずる所は彼に在り。果して外に在り。内に由るに非ざるなり。」公都子、答うること能わず。以て孟子に告ぐ。孟子曰く、「叔父を敬せんか、弟を敬せんか、ととえ。彼將に曰んとす、『叔父を敬せん。』曰え、『弟、尸為らば、則ち誰をか敬せん。』彼將に曰んとす、『弟を敬せん。』子曰え、『惡にか在る其の叔父を敬するや。』彼將に曰んとす、『位に在るの故なり。』子亦た曰え、『位に在るの故ならば、庸の敬は兄に在り、斯須の敬は鄉人に在り。』」季子之を聞きて曰く、「叔父を敬すべければ則ち敬し、弟を敬すべければ則ち敬す。果して外に在り。内に由るに非ざるなり。」公都子曰く、「冬日は則ち湯を飲み、夏日は則ち水を飲む。然らば則ち飲食も亦た外に在るか。」

<語釈>
○「庸」、趙注:「庸」は常なり。○「斯須」、一時の意。

<解説>
この節も前節と同じく、義は内か外かについて述べられている。ここでは特に解説することはない。

百四十六節

弟子の公都子が言った。
「告子は、『人の本性には善もなければ不善もない。』と言い、ある人は、『人の本性は善を為すこともできるし、不善を為すこともできる。だから文王や武王のような聖王が現れば、人民も善を好むようになり、幽王や厲王のような暴君が出れば、人民も暴力を好むようになる。』と言っております。又別の人は、『人の本性は生まれつき善なる者もおり、不善なる者もおる。だから堯のような聖人を君としていただきながら、象のような悪人の子もいるし、瞽瞍のような悪人の父を持ちながら、舜のような聖人が現れるし、紂のような暴君を兄に持ち、更に君としていただきながら、微子啟や王子比干のような清廉潔白な賢者が現れたのだ。』と言っております。ところが先生は、性は善であるとおっしゃっておられます。それではこれらの意見はみな間違いでございますか。」
孟子は言った。
「本性が具現したものが情である。それに従って行動すれば、人は必ず善をなすはずである。これが私の『本性は善である』という説である。それなのに不善をなす者がいるが、それは物欲に惑わされるためで人間の資質の罪ではない。人を憐れむ心は誰もが持っている。不義不善を羞じ惡む心は誰もが持っている。人を敬い慎む心は誰もが持っている。是非を判別する心は誰もが持っている。この人を憐れむ惻隱の心は仁であり、不義不善に対する羞惡の心は義であり、敬い慎む心は礼であり、是非を判別する心は智であるのだ。仁義礼智の徳は外からメッキされたものではなく、自分が本より所有しているものだ。ただ人は日頃それに気づいていないだけなのだ。だから私は、『これらの徳は求めれば得られるが、放置しておけば失ってしまうものだ。』と言うのである。人により善悪・賢愚の差が二倍にも五倍にもなり、ついには測ることも出来ないほどに開いてしまうのは、本性に善・不善があるのではなく、本来持っている素質を十分に発揮することが出来たか出来ないかによるのだ。『詩経』の大雅の蒸民篇にも、『天が万民を生んだ時、物事にもすべて正しい法則を有らしめ、民は常にそれを固持しているからこそ、この美徳を好む。』とあるが、孔子は、『この詩を作った人は、人の道をよく心得ているね。』と言ったそうだ。このように物事には必ず法則があるもので、人たる者は皆その常道をその心に保つ。だからこの美徳を好むのである。それは性が善であることの証である。」

公都子曰、告子曰、性無善無不善也。或曰、性可以為善、可以為不善。是故文武興、則民好善、幽厲興、則民好暴。或曰、有性善、有性不善。是故以堯為君而有象、以瞽瞍為父而有舜。以紂為兄之子、且以為君、而有微子啟、王子比干。今曰性善、然則彼皆非與。孟子曰、乃若其情、則可以為善矣。乃所謂善也。若夫為不善、非才之罪也。惻隱之心、人皆有之。羞惡之心、人皆有之。恭敬之心、人皆有之。是非之心、人皆有之。惻隱之心、仁也。羞惡之心、義也。恭敬之心、禮也。是非之心、智也。仁義禮智、非由外鑠我也。我固有之也。弗思耳矣。故曰、求則得之、舍則失之。或相倍蓰而無算者、不能盡其才者也。詩曰、天生蒸民、有物有則。民之秉夷、好是懿德。孔子曰、為此詩者、其知道乎。故有物必有則、民之秉夷也、故好是懿德。

公都子曰く、「告子曰く、『性は善も無く不善も無きなり。』或ひと曰く、『性は以て善を為す可く、以て不善を為す可し。是の故に文武興れば、則ち民善を好み、幽厲興れば、則ち民暴を好む。』或ひと曰く、『性善なる有り、性不善なる有り。是の故に堯を以て君と為して、象有り、瞽瞍を以て父と為して舜有り。紂を以て兄の子と為し、且つ以て君と為して、微子啓・王子比干有り。』今、性は善なりと曰う。然らば則ち彼は皆非なるか。」孟子曰く、「乃ち其の情に若えば、則ち以て善を為す可し。乃ち所謂善なり。夫の不善を為すが若きは、才の罪に非ざるなり。惻隱の心は、人皆之れ有り。羞惡の心は、人皆之れ有り。恭敬の心は、人皆之れ有り。是非の心は、人皆之れ有り。惻隱の心は、仁なり。羞惡の心は、義なり。恭敬の心は、禮なり。是非の心は、智なり。仁義禮智は、外由り我を鑠(シャク)するに非ざるなり。我之を固有するなり。思わざるのみ。故に曰く、『求むれば則ち之を得、舍つれば則ち之を失う。』或いは相倍蓰して、算無き者は、其の才を盡くすこと能わざる者なり。詩に曰く、『天の蒸民を生ずる、物有れば則有り。民は夷を秉(とる)る、是の懿德を好む。』孔子曰く、『此の詩を為る者は、其れ道を知れるか。』故に物有れば必ず則有り。民は夷を秉る、故に是の懿德を好む。」

<語釈>
○「乃若其情」、趙注:「若」は「順」なり。朱注:乃若は發語の辭なり。趙注によれば、「乃ち其の情に順えば」と訓じ、朱注は、「乃ち其の情の若く」と訓ず。趙注を採用する。○「情、才」、「情」、「才」の説明は色々あるが、服部宇之吉氏の説明が分かりやすいので、それを紹介し、これに随い本文を解釈する、「本性の自然に発露する所を情と云い、又其の活用する所を才と名づく。」○「惻隱之心」、服部宇之吉氏云う、「惻隱の心とは、己に利害関係なきものをも憐れむ情なり。」。○「鑠」、金属を高熱で溶かす意。ここでは、溶かした金属でメッキする意。○「倍蓰」、「倍」は二倍、「蓰」(シ)は五倍。○「無算者」、計算出来ないほどに、という意味。○「夷」、趙注:「夷」は「常」なり。

<解説>
この節では性善説が非常に分かりやすく説かれており、孟子の性善説を知るうえで貴重な資料である。本性の発露が仁義礼智であり、それは外に在るのではなく、誰もが内に持っているもので、ただそれを十分に発揮できるかどうかによって、人の善惡賢愚に差がつくのである。だから人はその事を常に思い描いて仁義礼智を実践することが大事なのである、というのがこの節の趣旨であろう。

『孟子』巻第十一告子章句上 百四十三節、百四十四節

2018-12-24 10:35:27 | 四書解読
百四十三節

告子は言った。
「生きる為に持っているものが性と謂うものだ。」
孟子は言った。
「生きる為に持っているものが性と謂うのは、色が白ければ皆白と謂うのと同じことか。」
「そうだ。」
「それでは、生きる為に持っているものが性であるなら、犬の性は牛の性と同じであり、牛の性は人間の性と同じであるということなのか。」

告子曰、生之謂性。孟子曰、生之謂性也、猶白之謂白與。曰、然。白羽之白也、猶白雪之白、白雪之白、猶白玉之白與。曰、然。然則犬之性、猶牛之性、牛之性、猶人之性與。

告子曰く、「生を之れ性と謂う。」孟子曰く、「生を之れ性と謂うは、猶ほ白を之れ白と謂うがごときか。」曰く、「然り。」「白羽の白なるや、猶ほ白雪の白なるがごとく、白雪の白は、猶ほ白玉の白のごときか。」曰く、「然り。」「然らば則ち犬の性は、猶ほ牛の性のごとく、牛の性は、猶ほ人の性のごときか。」

<語釈>
○「生」、朱注:生は、人物の知覚運動する所以の者を指す。生きる手段、生きる為に持っているもの。

<解説>
この節は私が孟子を嫌っている一面がよく表されている。孟子は時に詭弁を用い、自説を強引に押し通す。名家の公孫龍の有名な「白馬非馬」論を彷彿させる。孟子の言っている事にはかなり無理があるのでは。


百四十四節

告子は言った。
「食欲と性欲とは人間の本性である。だからこれらを愛する元となる仁は心の内に存在するのであって、自分の外に有るものではない。それに対し義は物事の善悪を判断するものであるから、その物事に在るのであって、自分の心の中に在るのではない。」
孟子は言った。
「何を根拠に仁は内に、義は外に存在すると言うのか。」
「自分より年長の人を年長者として敬うのは義であるが、その年長と言うものは私の中に在るのではない。それは色の白い人を白い人と言うのと同じで、自分の外に在る彼の白さに従っているだけである。だから義は外に在ると言うのだ。」
「年長と白とは概念が違うのである。馬の白さを言うのは、人が白いのを白い人と言うのと同じであるが、年長の馬を年長の馬として接するのと、年長の人を年長者として敬うのと同じであるなどとは、私は知らない。更に考えてみたまえ。長じていることが義なのか、長者として敬うことが義なのか。」
「自分の弟は愛するが、遠く離れた秦国の人の弟は愛情を感じない。愛はそのものに備わっているのではなく、自分の心の中に存して、悦ばしてくれるものである。だから仁愛は内だと言うのである。遠く離れた楚国の年長者を敬うのも、身内の年長者を敬うのも、外的条件である相手の年長が私を悦ばせてくれるのだ。だから義は外に在ると言うのだ。」
「秦人の焼き肉も、我が家の焼き肉も、美味ということでは同じだ。大体、物事にはこのような道理がいくらでもあるものだ。焼き肉を美味いと思うのも、焼き肉は外的条件だから、外だとしてもよいのか。それなら食欲は本性であるというあなたの考えとは矛盾するのではないか。」

告子曰、食色性也。仁內也、非外也。義外也、非內也。孟子曰、何以謂仁內義外也。曰、彼長而我長之。非有長於我也。猶彼白而我白之、從其白於外也。故謂之外也。曰、異於白。馬之白也、無以異於白人之白也。不識長馬之長也、無以異於長人之長與。且謂長者義乎、長之者義乎。曰、吾弟則愛之、秦人之弟則不愛也。是以我為悅者也。故謂之內。長楚人之長、亦長吾之長。是以長為悅者也。故謂之外也。曰、耆秦人之炙、無以異於耆吾炙。夫物則亦有然者也。然則耆炙亦有外與。

告子曰く、「食色は性なり。仁は內なり、外に非ざるなり。義は外なり、內に非ざるなり。」孟子曰く、「何を以て仁は內、義は外と謂うや。」曰く、「彼長じて我之を長とす。我に長有るに非ざるなり。猶ほ彼白くして我之を白しとするがごとく、其の白きに外に從う。故に之を外と謂うなり。」曰く、「白に異なる。馬の白きは、以て人の白きを白しとするに異なること無し。識らず、馬の長を長とするは、以て人の長を長とするに異なること無きか。且つ謂え、長ずる者は義か、之を長とする者は義か。」曰く、「吾が弟は則ち之を愛し、秦人の弟は則ち愛せざるなり。是れ我を以て悅びを為す者なり。故に之を內と謂う。楚人の長を長とし、亦た吾の長を長とす。是れ長を以て悅びを為す者なり。故に之を外と謂うなり。」曰く、「秦人の炙を耆むは、以て吾が炙を耆むに異なること無し。夫れ物は則ち亦た然る者有るなり。然らば則ち炙を耆むも、亦た外とする有るか。」

<語釈>
○「食色性」、趙注:人の食を甘しとし、色を悦ぶは、人の性なり。○「異於白馬之白」、通説では「異於」の二字は衍字として削り、「白馬の白は」と読む。趙注は、長は白に異なるとあり、「白に異なる。馬の白きは」と読む。乃ち「長」と「白」とでは範疇が違うことを言っている。私は極力原文をいじらない事を趣旨にしているので、敢て趙注に従って解読した。○「炙」、あぶり肉、焼き肉。

<解説>
この節では、告子の論の方が少し無理があり、論点がずれているように思う。
対象物は外であるが、欲望は内であり、判断基準は外に在るが、それを判断する心は内である、と私は思うのだが。

『孟子』巻第十一告子章句上 百四十一節、百四十二節

2018-12-19 10:23:35 | 四書解読
百四十一節

告子は言った。
「人の本性は、柔らかくて曲げやすい川柳みたいなもので、義は木を曲げて作った曲げ物のようなものだ。人の本性により後天的な仁義を行うというのは、柔らかい川柳の木を曲げて、曲げ物を作るようなものである。」
孟子は言った。
「あなたの考えでは川柳が有している本性に基づいて、曲げ物を作るのか。それともその本性を損ねて曲げ物を作るのか。もし川柳の本性を損ねて曲げ物を作るとするなら、人間も亦た本性を損ねて仁義を行うことになるのか。それはとんでもない議論だ。天下の人々を導きながら、仁義の道に禍を与えるものは、きっとあなたのような議論だろう。」

告子曰、性猶杞柳也。義猶桮棬也。以人性為仁義、猶以杞柳為桮棬。孟子曰、子能順杞柳之性而以為桮棬乎。將戕賊杞柳而後以為桮棬也。如將戕賊杞柳而以為桮棬、則亦將戕賊人以為仁義與。率天下之人而禍仁義者、必子之言夫。

告子曰く、「性は猶ほ杞柳のごときなり。義は猶ほ桮棬(ハイ・ケン)のごときなり。人の性を以て仁義を為すは、猶ほ杞柳を以て桮棬を為るがごときなり。」孟子曰く、「子能く杞柳の性に順いて、以て桮棬を為るか。將た杞柳を戕賊して、而る後以て桮棬を為るか。如し將た杞柳を戕賊して、以て桮棬を為らば、則ち亦た將た人を戕賊して、以て仁義を為すか。天下の人を率いて、仁義に禍いする者は、必ず子の言なるかな。」

<語釈>
○「告子」、趙注:告子なるは、告は姓なり、子は男子の通称なり、名は不害、兼ねて儒墨の道を治む者なり、嘗て孟子にに學びて、性命の理を純徹すること能わず。○「性」、朱注:性は、人生まれて稟(さずかる)る所の天理なり。○「杞柳」、水辺に生ずる一種の柳、かわやなぎ、又はこぶやなぎ。○「桮棬」、木を曲げて作る曲げ物。○「戕賊」、兩字共に義は、そこなう。

<解説>
告子篇は「性」について多く説かれている。この節の趣旨を服部宇之吉氏がまとめているので、それを紹介しておく。「人性は本来善悪無し、譬えば杞柳の如きなり、仁義は性の用にして成器なり、譬えば桮棬の如し、故に人性を以て仁義を為すは、杞柳を以て桮棬を造るが如しとは告子の論旨なり。杞柳は桮棬と成るべき性を有するに非ず、人が杞柳を切り創りて桮棬に造るのみ、乃ち桮棬は杞柳の性に逆らいて成れるものなり、今告子の論ずるが如く、杞柳を人の性とし桮棬を仁義とせば、仁義なるものは人の性に逆らい人の性を戕賊して成ると言わざるべからず、比喩當を失えるは明らかなり、故に孟子は告子の言を以て、天子の人心を害し仁義に禍するものと論断せり。」

百四十二節

告子は言った。
「人の本性は出口がなく渦巻いている水のようなものだ。東に切って落とせば東に流れ、西に切って落とせば西に流れる。人間の本性には、本来、善・不善の区別がない。それは水に東に流れるか西に流れるかの区別がないのと同じである。」
孟子は言った。
「確かに、水には東に流れるか西に流れるかの区別はないが、上に流れるか下に流れるかの区別もないのか。人間の本性が善であることは、水が下に流れるのが自然の理であるのと同じである。人間の本性が善であることは当然のことで、水が下に流れるのも当然のことである。だが、仮に水面を打ち付けて飛び上がらせば、額より高くあげさせられるし、水をせき止めて一気に逆流させれば山の上にまで押し上げることが出来るだろう。しかしこれらは水の本性と言えるだろうか。外からの力がそうさせたのである。人間も時に不善をなすのは、これと同じで、外からの力がそうさせるのだ。」

告子曰、性猶湍水也。決諸東方則東流、決諸西方則西流。人性之無分於善不善也、猶水之無分於東西也。孟子曰、水信無分於東西、無分於上下乎。人性之善也、猶水之就下也。人無有不善、水無有不下。今夫水、搏而躍之、可使過顙、激而行之、可使在山。是豈水之性哉。其勢則然也。人之可使為不善、其性亦猶是也。

告子曰く、「性は猶ほ湍水のごときなり。諸を東方に決すれば、則ち東流し、諸を西方に決すれば、則ち西流す。人性の善不善を分かつこと無きは、猶ほ水の東西を分かつこと無きがごときなり。」孟子曰く、「水は信に東西を分かつこと無きも、上下を分かつこと無からんや。人性の善なるや、猶ほ水の下に就くがごときなり。人、善ならざること有る無く、水、下らざること有る無し。今夫れ水は、搏ちて之を躍らせば、顙を過ごさしむ可く、激して之を行れば、山に在らしむ可し。是れ豈に水の性ならんや。其の勢い則ち然るなり。人の不善を為さしむ可きは、其の性も亦た猶ほ是のごとければなり。」

<語釈>
○「湍水」、服部宇之吉氏云う、湍水は流れ出づる口の無き所にて渦巻く水を云う。○「顙」、趙注:「顙」(ソウ)は「額」なり。○「激而行之」、水をせき止めて、逆流させること。

<解説>
孟子は周知のとおり性善説の提唱者である。この節ではそれを鮮明に述べている。ただその論法には納得のいかない点もある。「人性の善なるや、猶ほ水の下に就くがごときなり。」と述べているが、「人生の善なるや」を「人生の不善なるや」に改めればどうだろうか。そうすれば性悪説になり、外からの力で善に導かなければならない。その力を礼に求めたのが荀子であり、法に求めたのが韓非子である。どちらを支持するかは人に由り違うだろう。

『孟子』巻第十萬章章句下 百三十九節、百四十節

2018-12-13 10:22:41 | 四書解読
百三十九節

孟子が萬章に言った。
「村の優れた人物は、同じく村の優れた人物を友とする。一国の優れた人物は、同じく一国の優れた人物を友とする。天下の優れた人物は、やはり天下の優れた人物を友とする。天下の優れた人物を友としても、それでも満足できない場合は、さかのぼって古の人を論評して友とする。だが、いかに古人の作った詩を吟唱し、その書を読んでも、その人物を知らなければ、はじまらない。そこで古人の活動した時代を研究して、その環境や行いを知らばならない。これが尚友、乃ちさかのぼって古人を友とする、ということだ。」

孟子謂萬章曰、一鄉之善士、斯友一鄉之善士。一國之善士、斯友一國之善士。天下之善士、斯友天下之善士。以友天下之善士為未足、又尚論古之人。頌其詩、讀其書、不知其人、可乎。是以論其世也。是尚友也。

孟子、萬章に謂いて曰く、「一鄉の善士は、斯に一鄉の善士を友とす。一國の善士は、斯に一國の善士を友とす。天下の善士は、斯に天下の善士を友とす。天下の善士を友とするを以て、未だ足らずと為すや、又古の人を尚論す。其の詩を頌し、其の書を讀むも、其の人を知らずして、可ならんや。是を以て其の世を論ず。是れ尚友なり。」

<語釈>
○「尚論」、趙注:「尚」は「上」なり、乃ち復り上って古の人を論ず。

<解説>
その人を理解しようと思えば、その人が残した言葉や書籍を読むだけでは十分でない。その人の生きた時代や行動を理解して始めてその人を知ることが出来る、と説いている。これは我々が古の人物を理解する為にも大切なことである。孔子を理解しようと思えば、論語を読んでいるだけでは、その真意は分からない。孔子の生きた時代を深く理解し、その行動を理解することが、孔子の思想を知るためには大事なことなのである。

百四十節

齊の宣王が卿の職責について孟子に尋ねた。孟子は答えた。
「王様はどのような卿をお尋ねですか。」
王は言った。
「卿は皆同じではないのか。」
「同じではございません。王様のご一族に属する卿と異姓の卿とがございます。」
王は言った。
「一族に属する卿について是非聞きたい。」
「君主に重大な過失が有れば諫めますが、繰り返し諫めても聞き入れられないと、その君を廃して一族の中からより優れた人物を選び出して君に立てます。」
それを聞いた王はさっと顔色を変えた。それを見て孟子は言った。
「王様、驚くことはございません。お尋ねになられたので、あえて正しい道理を以てお答えしたのでございます。」
それを聞いて王様は顔色が戻り、それから今度は異姓の卿について尋ねた。孟子は言った。
「君主に重大な過失が有れば諫めますが、繰り返し諫めても聞き入れられないと、身を引いて立ち去ります。」


齊宣王問卿。孟子曰、王何卿之問也。王曰、卿不同乎。曰、不同。有貴戚之卿、有異姓之卿。王曰、請問貴戚之卿。曰、君有大過則諫、反覆之而不聽、則易位。王勃然變乎色。曰、王勿異也。王問臣、臣不敢不以正對。王色定、然後請問異姓之卿。曰、君有過則諫、反覆之而不聽、則去。

齊の宣王、卿を問う。孟子曰く、「王何の卿を之れ問うや。」王曰く、「卿同じからざるか。」曰く、「同じからず。貴戚の卿有り、異姓の卿有り。」王曰く、「貴戚の卿を請い問う。」曰く、「君に大過有れば則ち諫め、之を反覆して聽かざれば、則ち位を易う。」王勃然として色を變ず。曰く、「王異むこと勿れ。王、臣に問う、臣敢て正を以て對えずんばあらず。」王色定まり、然る後異姓の卿を請い問う。曰く、「君に過ち有れば則ち諫め、之を反覆して聽かざれば、則ち去る。」

<語釈>
○「勃然」、さっと顔色を変える貌。○「王勿異」、趙注:孟子曰く、「王、怪しむ勿れ。」。この注により、「異」を「怪」の義に読み、“あやしむ”と訓ず。

<解説>
この節の趣旨は大臣の義を述べたものであろう。貴戚の卿は王が諫めを聞かなければ、王を取り換える、異姓の卿は立ち去る、と述べ、責任の取り方の違いを明らかにしている。これからするとこの時代の君主の立場は後代の皇帝のように絶対的なものでなく、非常に不安定であったことが分かる。それは『春秋左氏伝』などを読んでいても感じることである。

『孫子』巻五勢篇

2018-12-08 10:27:30 | 四書解読
巻五 勢篇

孫子は言った、多くの兵士を、少人数のようによく管理するには、いくつかの隊伍に軍を編成することだ。多くの兵士を戦わせて、少人数のように効率よく指揮する為には、旌旗や金鼓で指図することだ。全軍が敵の攻撃を受けても敗れることがないようにさせ得るものは、正攻法と臨機応変に戦う奇策である。敵を攻撃するときは、石を卵に投げつけるように、実の堅さを以て虚の脆さを破るのである。凡そ戦いとは、正攻法でもって敵とぶつかり、奇策を以て勝つものである。このような思いもよらない戦術が生み出すものは、天地のように窮まることがなく、揚子江や黄河のように尽きることがない。このような変幻自在の戦術は、終わって復た始まる太陽や月のようであり、消滅してから復た生じる四季のようなものである。音階の基本は宮・商・角・徴・羽の五音に過ぎないが、これを組み合わせれば数えきれない変化を生じ、そのすべてを聞くことはできない。色の基本は青・黄・赤・白・黒の五色に過ぎないが、これらを合わせれば数えきれない色が生じ、そのすべてを見ることはできない。味の基本は酸・辛・鹹・甘・苦の五つに過ぎないが、これらを合わせれば数えきれない味が生じ、そのすべてを味わい尽くすことはできない。それと同じで戦いの形勢を決するのは正攻法と奇策の二つに過ぎないが、その二つは敵や戦場によりさまざまに変化するので、そのすべての戦術を極めることはできない。奇策と正攻法とが互いに連携し合って生み出す戦術は、環を巡って終わりがないのと同じで、誰もそれを極めることはできない。激流が重い石を漂わせるのは、水の勢いである。猛禽がその飛ぶ速さで、小さな鳥を一撃でとらえるのは、遠近を適切に測っているからである。これと同じで戦争の上手な者は、その勢いは激しく、適切な時期を見逃さず一気に攻撃する。勢いは石弓を引き絞るように貯えておき、適切な時期は石弓を発する時と同じである。多くの奇策と正攻法の戦術が入り乱れて戦いが行われているが、統制を厳にして行っているもので、決して乱れているのではない、それ故に敵は我が軍を乱すことはできない。奇策と正攻法が交互に生じ、それぞれの戦術は水が渦を巻くように繰り返し行われるので、敵は我が軍を敗ることはできない。しかし戦況はいつどのように変化するか分からない。治もたやすく乱にかわり、勇もたやすく怯にかわり、弱もたやすく強にかわる。治乱を左右するのは部隊の統制であり、勇気と怯懦とは勢いに左右されるものであり、強弱は軍形の勢いによるものである。だから敵を上手に誘導する者は、我が軍の方が強い時は、弱いように見せかけ、我が軍の方が弱い時は、強いように見せかける。そうすれば敵は弱いと見れば攻め、強いと見れば退き、敵はこちらの思い通りに動くのである。このように敵を有利だと思って行動させ、我が軍は敵が思いもよらない方法で迎え撃つのである。だから戦争の上手の者は戦況に従って、それに見合った戦い方をするのであって、人に戦いの責任を求めない。人に頼るのでなく勢いに戦いを委ねるのである。勢いに従って戦う者は、喩えて言うなら、木や石を転がすように人を戦わせる。木や石の性質は、平地に置けば静かにじっとしているが、危地に置けば動き転がり、形が角張っているものは止まっているが、円い者は転がりだす。だから人を戦わさせる時の勢いは、円い石を高い山から転がり落とすようなもので、その力は甚だ大であって、これが勢いというものである。

孫子曰、凡治衆如治寡、分數是也。鬭衆如鬭寡、形名是也。三軍之衆、可使必受敵、而無敗者、奇正是也。兵之所加、如以碬投卵者、虚實是也。凡戰者、以正合、以奇勝。故善出奇者、無窮如天地、不竭如江河。終而復始、日月是也。死而復生、四時是也。聲不過五、五聲之變、不可勝聽也。色不過五、五色之變、不可勝觀也。味不過五、五味之變、不可勝嘗也。戰勢不過奇正、奇正之變、不可勝窮也。奇正相生、如循環之無端。孰能窮之哉。激水之疾、至于漂石者、勢也。鷙鳥之疾、至于毀折者、節也。是故善戰者、其勢險、其節短。勢如彍弩、節如發機。紛紛紜紜鬭亂、而不可亂也。渾渾沌沌形圓、而不可敗也。亂生于治、怯生于勇、弱生于強。治亂數也、勇怯勢也、強弱形也。故善動敵者、形之敵必從之、予之敵必取之。以利動之、以卒待之。故善戰者、求之于勢、不責于人。故能擇人任勢。任勢者、其戰人也、如轉木石。木石之性、安則靜、危則動、方則止、圓則行。故善戰人之勢、如轉圓石于千仞之山者、勢也。

孫子曰く、凡そ衆を治むること寡を治むるが如くするは、分數是れなり(注1)。衆を鬭わすこと寡を鬭わすが如くするは、形名是れなり(注2)。三軍の衆、必ず敵を受けて、敗無からしむ可きは、奇正是れなり(注3)。兵の加うる所、碬(カ)を以て卵に投ずるが如くするは、虚實是れなり(注4)。凡そ戰いは、正を以て合い、奇を以て勝つ。故に善く奇出だす者は、窮まり無きこと天地の如く、竭きざること江河の如し。終りて復た始まるは、日月是れなり。死して復た生ずるは、四時是れなり。聲は五に過ぎざるも(注5)、五聲の變は、勝げて聽く可からず。色は五に過ぎざるも(注6)、五色の變は、勝げて觀る可からず。味は五に過ぎざるも(注7)、五味の變は、勝げて嘗む可からず。戰勢は奇正に過ぎざるも、奇正の變は、勝げて窮む可からず。奇正の相生ずること、循環の端無きが如し(注8)。孰か能く之を窮めん。激水の疾くして、石を漂わすに至る者は、勢なり。鷙鳥の疾くして、毀折に至る者は、節なり(注9)。是の故に善く戰う者は、其の勢險に、其の節短なり。勢は弩を彍るが如くし、節は機を發するが如くす(注10)。紛紛紜紜として鬭い亂れて、亂す可からず(注11)。渾渾沌沌として形圓にして、敗る可からず(注12)。亂は治より生じ、怯は勇より生じ、弱は強より生ず。治亂は數なり(注13)、勇怯は勢なり(注14)、強弱は形なり。故に善く敵を動かす者は、之を形して敵必ず之に從い(注15)、之を予えて敵必ず之を取る。利を以て之を動かし、以て卒かに之を待つ(注16)。故に善く戰う者は、之を勢に求めて、人を責めず。故に能く人を擇てて勢に任ず(注17)。勢に任ずる者は、其の人を戰わしむるや、木石を轉ずるが如し。木石の性、安なれば則ち靜に、危なれば則ち動き、方なれば則ち止まり、圓なれば則ち行く(注18)。故に善く人を戰わしむるの勢、圓石を千仞の山に轉ずるが如きは、勢なり。

<語釈>
○注1、十注:杜牧曰く、分は分別なり、數は人數なり、部曲行伍を言う、皆其の人數の多少を分別する。隊伍を分けて軍を編成すること。○注2、十注:曹公曰く、旌旗を形と曰い、金鼓を名と曰う。○注3、「奇正」については、各注それぞれ説があるが、難しく考えずに、「正」は大軍を以て正面から攻めていくことで、「奇」は敵の状況や地形などにより、その時々に合わせて臨機応変に戦うことと解釈する。○注4、十注:梅堯臣曰く、碬は石なり、實を以て虚を撃つは、猶ほ堅を以て脆を破るがごときなり。○注5、十注:李筌曰く、宮・商・角・徴・羽なり。○注6、十注:李筌曰く、青・黄・赤・白・黒なり。○注7、十注:李筌曰く、酸・辛・醎・甘・苦なり。○注8、十注:何氏曰く、奇正生じて轉じ、變を相為すこと、其の環を循歷し、首尾を求むるの窮むる莫きが如きなり。○注9、鷙(シ)鳥は、猛禽。十注:張預曰く、鷹・鸇(セン、はやぶさ)の鳥雀を擒にするは、必ず遠近を節量し、伺候すること審らかにして、而る後撃つ。猛禽がその飛ぶ速さで、小さな鳥を一撃でとらえるのは、遠近を適切に測っているからだという意味。○注10、「彍」は「張」の義に読む。「機」は石弓の引き金。○注11、「紛紛」は、入り交じりて乱れている貌、「紜紜」(ウン・ウン)は、多く集まって乱れる貌。○注12、「渾渾」は、水の流れる貌、「沌沌」は、水が集まる貌。「形圓」は、渦を巻いている貌。○注13、十注:曹公曰く、部曲を持て名數を分かちて之を為す、故に亂れず。○注14、十注:李筌曰く、夫れ兵は其の勢いを得れば、則ち怯者も勇に、其の勢いを失わば、則ち勇者も怯なり、兵法に定め無し、惟だ勢に因りて成るなり。○注15、十注:杜牧曰く、羸弱に止むるに非ず、我強く敵弱ければ、則ち示すに羸形を以てし、之を動かし來らしむ、我弱く敵強ければ、則ち之に示すに強形を以てし、之を動かし去らしむるを言う、敵の動作、皆須らく我に從うべし。○注16、「利」は有利な形勢。「卒」は、「猝」に同じで、“にわか”の意に解する説と、兵卒に解する説がある。前者を採用する。○注17、「擇」は、「釋」の誤字で、棄てる意に解する説と、そのまま選ぶの意に解する説がある。前文からのつながりで言えば、前者の説が良いのでこれを採用し、「擇人」を人に頼らない意に解す。○注18、十注:張預曰く、木石の性、之を安地に置けば則ち静かに、之を危地に置けば則ち動き、方正ならば則ち止まり、圓斜なれば則ち行くは、自然の勢いなり。