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『史記』呂太后本紀

2017-10-27 11:33:31 | 四書解読
『史記』呂太后本紀

呂太后は、高祖の微なりし時の妃なり。孝惠帝・女魯元太后を生む。高祖、漢王と為るに及びて、定陶の戚姬を得、愛幸し、趙隱王如意を生む。孝惠、人と為り仁弱なり。高祖以為えらく、我に類せず、と。常に太子を廢して、戚姬の子如意を立てんと欲す。如意は我に類す、と。戚姬幸せられ、常に上に從いて關東に之き、日夜啼泣して、其の子を立てて太子に代わらしめんと欲す。呂后、年長じ、常に留守し、上に見ゆること希に、益々疏んぜらる。如意立ちて趙王と為りし後、幾ど太子に代わらしめんとする者(こと)數々なり。大臣之を爭うと(「争」は「諫」の義)、留侯の策とに頼り、太子、廢せらるること毋きを得たり。呂后の人と為りは剛毅にして、高祖を佐けて天下を定む。大臣を誅する所、呂后の力多し。呂后の兄二人、皆將と為る。長兄の周呂侯は事に死す。其の子呂臺を封じて酈侯と為し、子產を交侯と為す。次兄呂釋之を建成侯と為す。
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『孟子』巻第七離婁章句上 七十一節、七十二節

2017-10-19 10:14:02 | 四書解読
七十一節

孟子は言った。
「自ら己を害う者とは、俱に語り合うことはできない。自ら己を棄てて顧みない者とは、俱に事を為すことはできない。口を開けば礼義を謗る。これを自暴というのである。仁義と言うものを知っていながら、己はとても実行出来ないと思い、怠惰にに暮らしている。これを自棄と言うのである。仁というのは、人が心を安らかに落ち着かせる家であり、義というのは、人が進むべき正しい道である。それなのに仁という安住の家に住まず、義という正しい道に進もうとしない。何と哀しいことではないか。」

孟子曰、自暴者、不可與有言也。自棄者、不可與有為也。言非禮義、謂之自暴也。吾身不能居仁由義、謂之自棄也。仁人之安宅也。義人之正路也。曠安宅而弗居、舍正路而不由、哀哉。

孟子曰く、「自暴する者は、與に言う有る可からざるなり。自棄する者は、與に為す有る可からざるなり。言、禮義を非る、之を自暴と謂うなり。吾が身、仁に居り義に由ること能わざる、之を自棄と謂うなり。仁は人の安宅なり。義は人の正路なり。安宅を曠しくして居らず、正路を舎てて由らず、哀しきかな。」

<語釈>
○「自暴者」、朱注;「暴」は猶ほ「害」なり、自ら其の身を害う者は、禮義の美為るを知らず、之と言うと雖も、必ず信ぜられず。○「自棄者」、朱注:自ら其の身を棄つる者は、猶ほ仁義の美為るを知れども、但に怠惰に溺れ、自ら必ず行うこと能わざるを謂う、之と為すこと有れども、必ず務むること能わず。

<解説>
趙岐の章指に云う、仁を曠しくして義を舎つるは、自ら暴棄するの道なり。

七十二節

孟子は言った。
「人の道は身近な所の在るのに、人はわざと遠くに求める。人の為すべきことも日常の身近な所の在るのに、人はわざと難しい所に求める。人の道も為すべきことも、遠い所や難しい所に求めなくても、自分の親に心から親しみ、年長者には心から敬意を表すようにすれば、世の中仁義が行われ、天下は安らかに治まるのだ。」

孟子曰、道在爾。而求諸遠。事在易。而求之難。人人親其親、長其長、而天下平。」

孟子曰く、「道は爾きに在り。而るに諸を遠きに求む。事は易きに在り。而るに之を難きに求む。人人其の親を親とし、其の長を長とせば、天下平らかなり。」

<解説>
服部宇之吉氏云う、親親は仁、長長は義なり、人仁義を遠く難しとすれど、吾が親を親しみ、吾が長を長とするは近く易し、然れば仁義決して遠からず、亦た難からずと。仁義の道は、遠くの場所に、求め難しい理論の中に在るのではなく、親に親しみ、年長者を敬うという手近な所に在るということである。

『孟子』巻第七離婁章句上 七十節

2017-10-13 10:09:46 | 四書解読
七十節

孟子は言った。
「夏の桀王と殷の紂王が天下を失ったのは、民を失ったからである。民を失ったのは、民の心を失ったからである。天下を得る為には、為すべき道がある。つまり、民を得ることである。民を得る事さえ出来れば、天下も得ることが出来る。民を得る為には、為すべき道がある。それは民の心を得ることだ。そうすれば民を得ることが出来る。民の心を得る為には、為すべき道がある。民が望んでいる所のものを与えてやり集めてやり、望まないことを無理に押し付けない事だ。このように仁の心を示しさえすれば、水が低い所に流れ、獣が広野を走り回るように、自然の勢いで民は仁に帰服してくる。それゆえに、淵に魚を追い込むのは獺であり、叢に雀を追いやるのは隼であるように、湯王や武王のもとへ民を追いやったのは、桀王と紂王である。今、天下の君主の中で、もし仁を好む者がいれば、仁政を理解しないような諸侯たちが、こぞって民をその君主の基へ追いやる結果になるだろう。そうなれば、たとえ王になることを望んでいなくても、自然と王になる。ところが、今の王になりたがっている君主たちは、七年間も病に臥せっていながら、乾燥させて使用できるようになるまで三年もかかる艾を今求めるようなものである。だからと言って、今からでも艾を手に入れる準備をしなければ、一生かかっても手に入れることはできない。これと同じで、今、仁政に志さなければ、生涯つらい思いをし、辱めを受け、やがて身は死し、国は亡ぶことになる。『詩経』(大雅の桑柔篇)に、『今の行いは、どうして善いと言えるだろうか、相俱に乱亡の世の中に堕ちてゆくだけだ。』とあるのは、この事を言っているのだ。

孟子曰、桀紂之失天下也、失其民也。失其民者、失其心也。得天下有道。得其民、斯得天下矣。得其民有道。得其心、斯得民矣。得其心有道。所欲與之聚之、所惡勿施爾也。民之歸仁也、猶水之就下、獸之走壙也。故為淵敺魚者、獺也。為叢敺爵者、鸇也。為湯武敺民者、桀與紂也。今天下之君有好仁者、則諸侯皆為之敺矣。雖欲無王、不可得已。今之欲王者、猶七年之病求三年之艾也。苟為不畜,終身不得。苟不志於仁、終身憂辱、以陷於死亡。詩云、其何能淑。載胥及溺。此之謂也。

孟子曰く、「桀紂の天下を失うや、其の民を失えばなり。其の民失う者は、其の心を失えばなり。天下を得るに道有り。其の民を得れば、斯に天下を得。其の民を得るに道有り。其の心を得れば、斯に民を得。其の心を得るに道有り。欲する所は之を與え之を聚め、惡む所は施す勿きのみ。民の仁に歸するや、猶ほ水の下きに就き、獸の壙に走るがごときなり。故に淵の為に魚を敺(かる)る者は、獺なり。叢の為に爵を敺る者は、鸇(セン)なり。湯・武の為に民を敺る者は、桀と紂となり。今天下の君に仁を好む者有れば、則ち諸侯皆之が為に敺らん。王たること無からんことを欲すと雖も、得可からざるのみ。今の王たらんと欲する者は、猶ほ七年の病に三年の艾を求むるがごときなり。苟も畜えざるを為さば、終身得ず。苟も仁に志さずんば、終身憂辱して、以て死亡に陥らん。詩に云う、『其れ何ぞ能く淑からん。載ち胥及に溺る。』此の謂なり。」

<語釈>
○「壙」、朱注:「壙」は広野なり。○「獺」、音はダツ、かわうそ。○「爵」、雀のこと。○「鸇」、音はセン、隼のこと。○「猶七年之病求三年之艾也」、趙注:今の諸侯、王道を行わんと欲して、其の徳を積まず、七年の病に至りて、三年の時の艾を求むるが如し、當に之を蓄えて乃ち得可かるべし、三年の時を以て、之を蓄蔵せずして、七年に至りて卒に之を求むるを欲す、何ぞ得可からんや。○「死亡」、「死」は自身が死ぬこと、「亡」は国が亡ぶこと。○「詩云~」、朱注:詩は大雅の桑柔篇、「淑」は善なり、「載」は則なり、「胥」は相なり、今の為す所、其れ何ぞ能く善からん、則ち相引きて以て亂亡に陥るのみ。

<解説>
特に解説することはないが、孟子は明言している、王となるには民心を得ることであり、民心を得るには、欲する所は之を與え之を聚め、惡む所は施す勿きのみ、ということである。

『呂氏春秋』巻十一仲冬紀

2017-10-06 10:18:42 | 四書解読
巻十一 仲冬紀

一 仲冬

一に曰く。仲冬の月。日は斗に在り、昏に東壁中し、旦に軫中す。其の日は壬癸、其の帝は顓頊、其の神は玄冥、其の蟲は介、其の音は羽、律は黃鐘に中たる。其の數は六、其の味は鹹、其の臭は朽。其の祀は井(底本は「行」に作るが、孟冬紀により、「井」に改める)、祭るには腎を先にす。冰益々壯んに、地始めて坼(さける)け、鶡鴠(カツ・タン、やまどり)鳴かず、虎始めて交わる。天子、玄堂の太廟に居り、玄輅に乘り、鐵驪(青黒色の馬)を駕し、玄旂を載て、黑衣を衣、玄玉を服び、黍と彘とを食らう。其の器は宏にして以て弇なり。有司に命じて曰く、「土事作すこと無く、蓋藏を發すること無く、大衆を起こすこと無く、以て固くして閉ざせ。」蓋藏を發し、大衆を起こさば、地氣且に泄れんとす。是を天地の房を發すと謂う。諸蟄則ち死し、民に疾疫多く、又隨うに喪を以てす。之を命づけて暢月と曰う。是の月や、閹尹に命じて(高注:閹は宮官、尹は正)、宮令を申ね(「申」は“かさねる”と訓じ、周知徹底させる意)、門閭を審らかにし、房室を謹み、必ず重閉せしめ、婦事を省き、淫するを得ること毋からしめ、貴戚近習有りと雖も、禁ぜざること有る無からしむ。乃ち大酋に命じて(高注:大酋は酒を主る官なり)、秫稻(ジュツ・トウ、もちあわと稲)必ず齊え、麴糱(キク・ゲツ、こうじ)必ず時にし、湛饎(シン・シ、高注:「湛」は「漬」、「饎」は「炊」。米を水につけて炊くこと)必ず潔く、水泉必ず香しく、陶器必ず良に、火齊必ず得しむ。六物を兼ね用うるや、大酋之を監して、差忒(サ・トク、まちがい)有ること無からしむ。天子乃ち有司に命じて、四海の大川・名原・淵澤・井泉に祈祀せしむ。是の月や、農に收藏積聚せざる者有り、牛馬畜獸、放佚する者有れば、之を取るとも詰(なじる)らず。山林藪澤、能く疏食を取り、禽獣を田獵する者有れば、野虞、之を教導す。其の侵奪する者有れば、之を罪して赦さず。是の月や、日短かきこと至り、陰陽爭い、諸生蕩く。君子齋戒し、處れば必ず弇い、身は寧きことを欲し、聲色を去り、嗜慾を禁じ、形性(心身)を安んじ,事は靜なるを欲し、以て陰陽の定まる所を待つ。芸(ウン、高注:「芸」は蒿菜(よもぎ)の名)始めて生じ、荔挺(レイ・テイ、おおにら)出で、蚯蚓(キュウ・イン、ミミズ)結び、糜角解け、水泉動く。日短かきこと至れば、則ち林木を伐り、竹箭(セン、やがら)を取る。是の月や、以て官の事無き者(無用の官職)を罷め、器の用無き者を去り、闕庭門閭を塗り、囹圄を築く可し。此れ天地の閉藏を助くる所以なり。仲冬に夏の令を行えば、則ち其の國は乃ち旱し、氛霧(底本は「氣霧」に作るが、『月令』では、「氛霧」に作るので改めた)冥冥、雷乃ち聲を發す。秋の令を行えば、則ち天時に汁を雨らし(『月令』の注に、「雨汁」とは、雨雪の雑じり下るものなり、とある。みぞれのこと)、瓜瓠成らず、國に大兵有り。春の令を行えば、則ち蟲螟(穀物の害虫、くきむし)敗を為し、水泉減竭し、民に疾癘多し。

二 至忠

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