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『孟子』第二巻梁惠王章句下第八節

2015-12-23 11:01:35 | 漢文解読
                   『孟子』第二巻梁惠王章句下、第八節
齊の宣王の臣下である荘暴が孟子に会って言った、
「私が王様にお会いしたところ、私に音楽が好きだと仰せになられました。私はどのようにお答えしたらよいのかわからず、何も申し上げることが出来ませんでした。音楽が好きだというのは、いかがなものでしょうか。」
孟子は言った、
「王様が音楽を非常に好まれるなら、齊の国は程なく能く治まることになるでしょう。」
しばらくして、孟子は王にお会いして言った、
「王様は以前荘子に、音楽が好きだと仰せになられたとか。そのような事がございましたか。」
王は恥ずかし気に顔を赤らめて言った、
「私は古の聖王が作られたような立派な音楽が好きなのでなく、ただ世間で流行っている今の音楽が好きなだけだ。」
「王様が音楽を非常に好まれるなら、齊の国は程なく能く治まることになるでしょう。今の音楽も昔の音楽も同じでございます。」
「その訳を聞かせてもらえるかな。」
「一人で音楽を楽しむのと、大勢の人と音楽を楽しむのとは、どちらが楽しうございますか。」
「人と一緒の方が楽しい。」
「それでは、音楽を楽しむのに、少ない人と、大勢の人とでは、どちらが楽しうございますか。」
「大勢のほうが楽しい。」
「では、王様の為に楽しみ方についてお話させて頂きましょう。今、王様がこの御殿で音楽を演奏して楽しんでおられると致します。するとここから漏れ聞こえてくる鐘や太鼓や笛の音を聞いて、人民は皆頭を痛め、眉間にしわを寄せて、『王様は音楽を演奏して楽しんでおられるが、それによって何でわしらがこんなひどい生活をしなければならないのだ。おかげで親子も一緒に顔を合わせられないし、兄弟や妻子とも離れ離れだ。』と語り合います。又王様が狩りをするといたしましょう。人民たちは王様の車馬の音を聞き、旗竿の美しい飾り物を見て、頭を痛め、眉間にしわを寄せて、『王様は狩りを楽しんでおられるが、それによって何でわしらがこんなひどい生活をしなければならないのだ。おかげで親子も一緒に顔を合わせられないし、兄弟や妻子とも離れ離れだ。』と語り合います。どうしてこのようになるのでしょうか。それは外でもございません。王様が人民と共に楽しんでおられないからでございます。その反対に、王様がこの御殿で音楽を楽しんでおられると、漏れ聞こえてくる鐘や太鼓や笛の音を聞きつけた人民たちは、皆喜々として嬉しそうな顔をして、『わしらの王様はお元気そうでないか、そうでないとこんなに楽しそうに音楽を演奏されるはずがない。』と語り合います。また王様が狩にお出かけになったとしますと、人民たちは王様の車馬の賑やかな音を聞き、旗先に付けられた美しい飾り物を見て、喜々として嬉しそうな顔をして、『わしらの王様はお元気そうでないか、そうでなければ狩などされるはずがない。』と語り合います。これはどうしてでしょうか。外でもございません。人民と共にお楽しみになられるからです。ですから王様がもし人民と共に楽しむことに勤めるならば、必ず天下の王となることが出来ましょう。」

莊暴見孟子、曰、暴見於王。語暴以好樂。暴未有以對也。曰、好樂何如。孟子曰、王之好樂甚、則齊國其庶幾乎。他日、見於王曰、王嘗語莊子以好樂。有諸。王變乎色曰、寡人非能好先王之樂也。直好世俗之樂耳。曰、王之好樂甚、則齊其庶幾乎。今之樂猶古之樂也。曰、可得聞與。曰、獨樂樂、與人樂樂、孰樂。曰、不若與人。曰、與少樂樂、與衆樂樂,孰樂。曰、不若與衆。臣請為王言樂。今王鼓樂於此、百姓聞王鐘鼓之聲、管籥之音、舉疾首蹙頞而相告曰、吾王之好鼓樂、夫何使我至於此極也。父子不相見、兄弟妻子離散。今王田獵於此、百姓聞王車馬之音、見羽旄之美、舉疾首蹙頞而相告曰、吾王之好田獵、夫何使我至於此極也。父子不相見、兄弟妻子離散。此無他、不與民同樂也。今王鼓樂於此、百姓聞王鐘鼓之聲、管籥之音、舉欣欣然有喜色而相告曰、吾王庶幾無疾病與。何以能鼓樂也。今王田獵於此、百姓聞王車馬之音、見羽旄之美、舉欣欣然有喜色而相告曰、吾王庶幾無疾病與。何以能田獵也。此無他。與民同樂也。今王與百姓同樂、則王矣。

莊暴、孟子に見えて、曰く、「暴、王に見ゆ。王、暴に語ぐるに樂を好むを以てす。暴未だ以て對うる有らざるなり。」曰く、「樂を好むこと何如。」孟子曰く、「王の樂を好むこと甚しければ、則ち齊國は其れ庶幾からんか。」他日、王に見えて曰く、「王嘗て莊子に語ぐるに樂を好むを以てすと。諸れ有るか。」王色を變じて曰く、「寡人能く先王の樂を好むに非ざるなり。直だ世俗の樂を好むのみ。」曰く、「王の樂を好むこと甚しければ、則ち齊は其れ庶幾からんか。今の樂は猶ほ古の樂のごときなり。」曰く、「聞くことを得可きか。」曰く、「獨り樂を樂しむと、人と樂を樂しむと、孰れか樂しき。」曰く、「人と與にするに若かず。」曰く、「少と與に樂を樂しむと、衆と與に樂を樂しむと、孰れか樂しき。」曰く、「衆と與にするに若かず。」「臣請う、王の為に樂しみを言わん。今、王、此に鼓樂せんに、百姓、王の鐘鼓の聲・管籥(カン・ヤク)の音を聞き、舉(みな)首を疾ましめ頞(アツ)を蹙(しかめる)めて、相告げて曰く、『吾が王の鼓樂を好む、夫れ何ぞ我をして此の極に至らしむるや。父子相見ず、兄弟妻子離散す。』今、王此に田獵せんに、百姓、王の車馬の音を聞き、羽旄(ウ・ボウ)の美を見て、舉首を疾ましめ頞を蹙めて相告げて曰く、『吾が王の田獵を好む、夫れ何ぞ我をして此の極に至らしむるや。父子相見ず、兄弟妻子離散す。』此れ他無し、民と樂を同じくせざればなり。今、王此に鼓樂せんに、百姓、王の鐘鼓の聲、管籥の音を聞き、舉欣欣然として喜色有りて、相告げて曰く、『吾が王、疾病無きに庶幾からんか。何を以て能く鼓樂せんや。』今、王此に田獵せんに、百姓、王の車馬の音を聞き、羽旄の美を見て、舉欣欣然として喜色有りて、相告げて曰く、『吾が王、疾病無きに庶幾からんか。何を以て能く田獵せんや。』此れ他無し、民と樂を同じうすればなり。今、王、百姓と樂同じうすれば、則ち王たらん。」

<語釈>
○「為王言樂」、この「樂」は音楽の意に解釈する説と、楽しむ意に解釈する説とが有るが、下文から判断して「楽しむ」と解して、王に楽しみ方を述べたと解釈する。○「鼓樂」、楽器を演奏すること。○「管籥」、「管」は笙の笛、「籥」は三穴の短い笛。○「蹙頞」、頞は眉間、蹙はしかめると訓じて、眉間にしわを寄せること。○「羽旄」、「羽は雉の羽、「旄」は牛の尾。共に旗竿の先につける飾り物。○「欣欣然」、うれしい貌。

<解説>
第七節の解説で、孟子の王道論は簡潔に言えば、民の生業を保証して、生活を安定させて、礼儀道徳を修める心のゆとりを持たせる、その上で君主が仁政をおこなうならば、その君主は王者となることが出来ると述べた。その内容をこの第八節ではさらに具体的に述べている。それは民の事を考え恩恵を施すだけでなく、楽しみを民と共にすることである。私にはこの事こそが王道論の根本原理であるように思われる。これは今の世の中でも、最も大事なことではなかろうか。家庭に於いては、家族みんなと楽しみを共にする、会社に於いては、部下と共に楽しみを共にする、政治家は国民と楽しみを共にする。そうなれば今の世の中もっと過ごしやすくなるのではなかろうか。政治家に期待するのは些か無理が有るので、せめて家族に対しては努力をしたいものである。

『春秋左氏傳』巻第八成公

2015-12-17 10:40:43 | 漢文解読
『春秋左氏傳』巻第八成公の解読をホームページにアップしました。

『經』
 ・元年(前590年)、春、王の正月、公、位に即く。
 ・二月辛酉、我が君宣公を葬る。
 ・冰無し。
 ・三月、丘甲を作る(傳の注を参照)。
 ・夏、臧孫許、晉侯と赤棘に盟う。
 ・秋、王の師、茅戎に敗績す。
 ・冬、十月。

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