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『大学』第六章第三節

2013-05-11 15:07:03 | 漢文
『尚書』の康誥には、「天命は久しく変化しないものではない。」とある。これは君主自身の徳が善であれば天命を得ることが出来、不善であれば得ることが出来ないことを言っているのである。楚書には、「楚の国にはこれと言って宝とする者は無いが、ただ善人を宝として貴んでいる。」とあり、又晋の舅犯も、「祖国から追われている身にとっては、宝とするようなものは無いが、仁徳ある親しい人を宝として貴んでいる。」と言っている。『尚書』の秦誓には、「一介の臣下であっても、誠実なだけで何の技才も無くとも、心が広く寛容で他人をよく受け入れることが出来るなら、他人が持っている技才は、その人を取り入れて自分の技才のように活用し、他人が才徳に優れ賢人であるならば、心からその人を尊重することができる。かくして単に口に出して言うだけでなく、真にその人の技才・徳を受け入れて用いたならば、永く子孫や人民を保んじることができ、国家は利益を得るだろう。人に技才が有れば、これを嫉み憎み、人に才智があり聡ければ、それに逆らって君主に知らせないようにし、真に君主がそのような賢人を用いることが出来なければ、子孫や人民を保んじることが出来ず、国家の存在が危くなるであろう。」とある。故に仁人はこのような他人の善を受けいれることができない悪人を退けて、遠く夷の地に追放し、中国で共に住もうとはしないのである。このことから仁人のみが正しく人を愛し悪むことができると言えるのである。君主たる者、賢人を見知っていながら、挙用せず、挙用したとしても、己よりも優れたものとして扱わないのは、怠慢である。不善なる者を見て退けることが出来ず、退けたとしても遠く追い払うことが出来ないのは、過ちである。人が忌み嫌うところの道に反した不善なものを好み、人が好むところの善なるものを忌み嫌うのは、人の本性に背くものであると言えるのであって、禍は必ず我が身に及ぶであろう。だから君子の行いには、拠り所としての矩の道が有るのである。他人に対しても真心があって嘘偽りが無くてこそ君子となり得るのであり、おごり高ぶって自分勝手な振る舞いをすれば、君子としては失格するのである。

康誥曰、惟命不于常。道善則得之、不善則失之矣。楚書曰、楚國無以為寶、惟善以為寶。舅犯曰、亡人無以為寶、仁親以為寶。秦誓曰、「若有一个臣、斷斷兮無他技、其心休休焉、其如有容焉。人之有技、若己有之、人之彦聖、其心好之。不啻若自其口出。寔能容之、以能保我子孫黎民、尚亦有利哉。人之有技、媢疾以惡之。人之彦聖、而違之俾不通。寔不能容、以不能保我子孫黎民、亦曰殆哉。」唯仁人放流之、迸諸四夷、不與同中國、此謂唯仁人為能愛人、能惡人。見賢而不能舉、舉而不能先、命也。見不善而不能退、退而不能遠、過也。好人之所惡、惡人之所好、是謂拂人之性、災必逮夫身。是故君子有大道、必忠信以得之、驕泰以失之。

康誥に曰く、「惟れ命は常に于てせず。」善なれば則ち之を得、不善なれば則ち之を失うを道う。楚書に曰く、「楚國は以て寶と為す無し、惟だ善以て寶と為すのみ。」舅犯曰く、「亡人は以て寶と為す無し、仁親以て寶と為す。」秦誓曰く、「若し、一个の臣、斷斷として他の技無くも、其の心休休ならば、其れ容るる有るが如き有らんか。人の技有るは、己れ之を有するが若くし、人の彦聖なるは、其の心之を好む。啻(ただ)に其の口自り出づるが若くするのみにあらず。寔(まこと)に能く之を容れ、以て能く我が子孫黎民を保んずれば、尚ほ亦た利有らんかな。人の技有るは、媢疾(ボウ・シツ)して以て之を惡み、人の彦聖なるは、之に違いて通ぜざらしむ。寔に容るる能わずして、以て我が子孫黎民を保んずる能わざれば、亦た曰(ここ)に殆きかな。」唯だ仁人は之を放流し、諸を四夷に迸(しりぞける)けて、與に中國を同じくせず。此れを唯だ仁人のみ能く人を愛し、能く人を惡むを為す、と謂う。賢を見て舉ぐる能わず、舉ぐるも先にする能わざるは、命なり。不善を見て退くる能わず、退くるも遠ざくる能わざるは、過なり。人の惡む所を好み、人の好む所を悪む。是れを人の性に拂(もとる)ると謂う。菑(わざわい)必ず夫の身に逮(およぶ)ぶ。是の故に君子に大道有り、必ず忠信以て之を得、驕泰以て之を失う。

<語釈>
○「于」、鄭注、「于は於なり」。○「楚書」、鄭注、「楚の昭王の時の書なり」。○「舅犯」、狐偃、晋の文公の臣下。○「斷斷」、誠実。○「休休」、心が広いさま。○「彦聖」、才徳が優れていて賢いこと、○「媢疾」、ねたみにくむ。○「命」、怠慢。○「驕泰」、驕り高ぶって、自分勝手な振る舞いをすること

<解説>
君主たる者は、善を好み、不善を悪む事が大事であり、国を治めるには、何よりも善人を貴び、挙用するこが大事であると説いている。それは何も君主に限らず、上に立つ者は、己にその才が無くとも、部下の技才や徳を受け入れて、忌み嫌わず、妬まず、其の部下を挙用する度量の大きさが必要であることを説いている。特に政治を事とする人々は、この教えを身につけてほしいものである。賄賂やリベートなどの不善の行いで、己の利害ばかりを考えて政治を行ってきたのが、戦後日本の政治家なのだから。