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『孟子』巻第十一告子章句上 百四十三節、百四十四節

2018-12-24 10:35:27 | 四書解読
百四十三節

告子は言った。
「生きる為に持っているものが性と謂うものだ。」
孟子は言った。
「生きる為に持っているものが性と謂うのは、色が白ければ皆白と謂うのと同じことか。」
「そうだ。」
「それでは、生きる為に持っているものが性であるなら、犬の性は牛の性と同じであり、牛の性は人間の性と同じであるということなのか。」

告子曰、生之謂性。孟子曰、生之謂性也、猶白之謂白與。曰、然。白羽之白也、猶白雪之白、白雪之白、猶白玉之白與。曰、然。然則犬之性、猶牛之性、牛之性、猶人之性與。

告子曰く、「生を之れ性と謂う。」孟子曰く、「生を之れ性と謂うは、猶ほ白を之れ白と謂うがごときか。」曰く、「然り。」「白羽の白なるや、猶ほ白雪の白なるがごとく、白雪の白は、猶ほ白玉の白のごときか。」曰く、「然り。」「然らば則ち犬の性は、猶ほ牛の性のごとく、牛の性は、猶ほ人の性のごときか。」

<語釈>
○「生」、朱注:生は、人物の知覚運動する所以の者を指す。生きる手段、生きる為に持っているもの。

<解説>
この節は私が孟子を嫌っている一面がよく表されている。孟子は時に詭弁を用い、自説を強引に押し通す。名家の公孫龍の有名な「白馬非馬」論を彷彿させる。孟子の言っている事にはかなり無理があるのでは。


百四十四節

告子は言った。
「食欲と性欲とは人間の本性である。だからこれらを愛する元となる仁は心の内に存在するのであって、自分の外に有るものではない。それに対し義は物事の善悪を判断するものであるから、その物事に在るのであって、自分の心の中に在るのではない。」
孟子は言った。
「何を根拠に仁は内に、義は外に存在すると言うのか。」
「自分より年長の人を年長者として敬うのは義であるが、その年長と言うものは私の中に在るのではない。それは色の白い人を白い人と言うのと同じで、自分の外に在る彼の白さに従っているだけである。だから義は外に在ると言うのだ。」
「年長と白とは概念が違うのである。馬の白さを言うのは、人が白いのを白い人と言うのと同じであるが、年長の馬を年長の馬として接するのと、年長の人を年長者として敬うのと同じであるなどとは、私は知らない。更に考えてみたまえ。長じていることが義なのか、長者として敬うことが義なのか。」
「自分の弟は愛するが、遠く離れた秦国の人の弟は愛情を感じない。愛はそのものに備わっているのではなく、自分の心の中に存して、悦ばしてくれるものである。だから仁愛は内だと言うのである。遠く離れた楚国の年長者を敬うのも、身内の年長者を敬うのも、外的条件である相手の年長が私を悦ばせてくれるのだ。だから義は外に在ると言うのだ。」
「秦人の焼き肉も、我が家の焼き肉も、美味ということでは同じだ。大体、物事にはこのような道理がいくらでもあるものだ。焼き肉を美味いと思うのも、焼き肉は外的条件だから、外だとしてもよいのか。それなら食欲は本性であるというあなたの考えとは矛盾するのではないか。」

告子曰、食色性也。仁內也、非外也。義外也、非內也。孟子曰、何以謂仁內義外也。曰、彼長而我長之。非有長於我也。猶彼白而我白之、從其白於外也。故謂之外也。曰、異於白。馬之白也、無以異於白人之白也。不識長馬之長也、無以異於長人之長與。且謂長者義乎、長之者義乎。曰、吾弟則愛之、秦人之弟則不愛也。是以我為悅者也。故謂之內。長楚人之長、亦長吾之長。是以長為悅者也。故謂之外也。曰、耆秦人之炙、無以異於耆吾炙。夫物則亦有然者也。然則耆炙亦有外與。

告子曰く、「食色は性なり。仁は內なり、外に非ざるなり。義は外なり、內に非ざるなり。」孟子曰く、「何を以て仁は內、義は外と謂うや。」曰く、「彼長じて我之を長とす。我に長有るに非ざるなり。猶ほ彼白くして我之を白しとするがごとく、其の白きに外に從う。故に之を外と謂うなり。」曰く、「白に異なる。馬の白きは、以て人の白きを白しとするに異なること無し。識らず、馬の長を長とするは、以て人の長を長とするに異なること無きか。且つ謂え、長ずる者は義か、之を長とする者は義か。」曰く、「吾が弟は則ち之を愛し、秦人の弟は則ち愛せざるなり。是れ我を以て悅びを為す者なり。故に之を內と謂う。楚人の長を長とし、亦た吾の長を長とす。是れ長を以て悅びを為す者なり。故に之を外と謂うなり。」曰く、「秦人の炙を耆むは、以て吾が炙を耆むに異なること無し。夫れ物は則ち亦た然る者有るなり。然らば則ち炙を耆むも、亦た外とする有るか。」

<語釈>
○「食色性」、趙注:人の食を甘しとし、色を悦ぶは、人の性なり。○「異於白馬之白」、通説では「異於」の二字は衍字として削り、「白馬の白は」と読む。趙注は、長は白に異なるとあり、「白に異なる。馬の白きは」と読む。乃ち「長」と「白」とでは範疇が違うことを言っている。私は極力原文をいじらない事を趣旨にしているので、敢て趙注に従って解読した。○「炙」、あぶり肉、焼き肉。

<解説>
この節では、告子の論の方が少し無理があり、論点がずれているように思う。
対象物は外であるが、欲望は内であり、判断基準は外に在るが、それを判断する心は内である、と私は思うのだが。

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