美しくありたいと願ったことはないか。願いは罪にはならない。けれども、ある一点の美学のために破滅へと向かって行くこともある。ありのままを描くより少しだけずれた世界を創造したい。俺は路上の似顔絵師。人々の顔を描いてはささやかな収入を得ている。スパイスに飢えたシェフ、記憶をたどる秘書、明日へと向かう夢追い人。俺のキャンバスの前で足を止める人は様々だが、みんなどこかで未知の自分を探しているのではないだろうか。
「できました」
一心不乱に描いて手を止めた。改めて自分の描いた顔を見てみるとどこかで見覚えがあった。日常の中ではない。そうだ……。
「あなたは!」
昨日観た映画の中に出てきたチンピラだ。
「ちょっと撮影の合間でして」
言葉遣いのしっかりとした実に感じのいい青年ではないか。俺はずっと俳優という職業に強い憧れを持っていた。
「あなたも色々と大変だね」
彼が出演する幾つかの作品について少し触れた。
医者、刑事、ミュージシャン、魔法使い、社長、弁護士、泥棒、教師、遊び人……。時に全く異なる世界観の中で全く異なる自分になってみせるなんて。そして、あたかもそういう人間が現実に存在しているかのような説得力を持って演じることができるのだ。
「大変と言えばみんな変わりませんよ」
(自分は与えられた役柄を淡々とこなすだけ)
青年はさばさばとした感じで言った。
そうかもしれない。誰にでもできる簡単な仕事。そんな仕事がどこにあるというのか。続けて行くことは何より大変だ。
誰だって一瞬だけなら、自分以外のものを演じることもできるだろう。
「頑張ってください」
「ありがとうございます」
一週間後、役者は殺人容疑で逮捕された。
きっと何かのフィクションだ。
俺は何も信じなかった。
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