眠れない夜の言葉遊び

折句、短歌、言葉遊び、アクロスティック、夢小説

私たちのクリームパン

2019-01-29 01:15:11 | 自分探しの迷子

 自分探しの旅を続ける内にいつしか僕は自分自身を見失っていたようだ。俺はまず自身を再構築することに決めた。歯ブラシに歯磨きをセットする。これでよし。それから蛇口を開き水を出す。水を受け取る。水を吐き出す。繰り返す内に再構築は完了する。これが俺だ。いいえ。私は物心というものがついた時の記憶についてずっと訝しく思っているのでありました。私は私という存在を認める者も認めない者も同じように、訝しい目で見なければならなかったのです。そう、旅というのは生まれた瞬間に始まるものだけれども、遡ってみればそれよりも遙かに前に始まっていたとも言えるのですから。そして、僕はコーヒーを注文した。その中に自分の姿を映すためだった。あるいは、小さくても自分の欠片のようなものを見つけるために。わしはそうすることを望んでおったのかのう。いや、それにしてもじゃ、わしにとって12月とはお前にとってのこの夏にも似た存在と言えるんじゃ。だってごらん、炬燵だってみかんだって、あの冬のまんまなんだもん。俺にしてみりゃ、それはまたどうでもいいことだ。俺のやり方はいつもシンプルだ。棚の上から素早くクリームパンを取る。それをレジに持ち運ぶ。行列に恐れをなして引き返す。棚の上にクリームパンを戻す。着想をリセットする。ここから私は落ち着いた心を取り戻すことができるでしょうか。突然、私は居心地が悪くなり、感情の起伏をコントロールすることが難しくなってしまうのでした。俺は俺を知らない。誰だってそうだ。俺はクリームパンを戻した。もはや俺のクリームパンではない。当然のことだ。俺は手を引いたのだ。だから俺のではない。俺のものであったこともない。俺のクリームパンになる未来は確かにあった。未来に近づいた瞬間は存在した。だが俺は進まなかった。引き返すことを選択した。その時の感情は定かではない。俺はここに。僕は自分探しの旅の中でそれぞれの自分を見つけ、それぞれの自分と別れなければならなかった。真っ直ぐに進むだけの道だったとしても、常に迷子と隣り合わせだった。自分探しの旅とは、そういうものだった。僕のそばにはいつも僕を認める者と少しも僕を認めない者とがいた。そのいずれもが僕に似ていて、僕はいつも心を許せずに長い旅、あるいは訪れる本編のための助走を取っていたのだ。私を追いかけているのは10月下旬に吹き抜ける風に似たスランプのようだと思えました。別の見方をするならば、びっくり箱の中で眠り続ける鰐の抱える慢性的なブルーと言うこともできるのでした。種々の見方を試しながら進んでいく道の中には飢えた獣が潜んでいるのも、既に学習済みの問題とも言えたのですが。俺は自分を見失いかけていた。それは俺の好みでもある。俺は俺を憎む。誰よりも愛する俺を。

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