おじいさんは短いお話を書いた。書いては投じ、マネタイズされたサイトでささやかな収入を得ては柿の種を食べ、日々を生きていた。おじいさんのお話は、冬休みのようだった。あるいは、花火のようだった。
「それにしても高い」
肉が魚が野菜がお菓子が、スーパーに買い物に行く度に、おじいさんは物が高くなっていくことに驚きながら、逆に値崩れが止まらない自分の小説のことを思った。
前回は1万字のお話だったが、どうにも納得できず問い合わせるとすぐに答えが返ってきた。
「再計算した結果301円は正しく計算されていることが判明しました。最初の見積もりはあくまでも目安とお考えください。実際の報酬はその時々の需要と供給のバランスによって変化いたします。この度はご期待に沿うことができずに申し訳ございません」
正しいのなら仕方ない。
おじいさんは気にもとめずに夕立のようにお話を書き出した。
・
夢の始まりは軽い好奇心のようなものだった。
親切から子を助けると一尾の海老につれられて海底都市に招かれた。そこには美しい竜姫さまとの暮らしが待っていた。とりわけ幸福と思わせてくれたのは食卓を占める牛々だった。
元より牛肉は好きだったが、ここにあるすべては美味すぎる。今までの自身の食に対する認識を根底から覆すような、破壊的な美味さだと言えた。
F1の付箋牛、90LAロック牛、F25戦闘牛、70グラムロック牛、A3のコピー牛、A7の手帳牛、DM200のポメラ牛、R1ランクの笑い牛……。何に箸をつけても恐ろしくご飯がすすむ。いったいどこからこれほどの牛たちが仕入れられるのか。それは大きな謎ではあったが、ただいつまでも続いてくれればいいと太郎さんは願った。
旨すぎる暮らしは時の経つのを忘れさせた。その間、太郎さんは急速に歳を取った。
「これで最後に」
「おかわり! もう1杯!」
「これで最後に。明日でお別れよ」
「おかわり! もう少しだけ」
明日なんて大嫌いだ。なぜなら、太郎さんは全身で今日を愛していたからだ。竜姫さまの無慈悲な宣告に対して、際限のないアンコールで抵抗する。
「あなたはもう十分に膨らみすぎた」
確かにその通りだった。訪れた頃に比べて太郎さんは巨大化していた。どれほどの時間だったろうか。たとえ幻だったとしても、もはや現実を凌駕して人生に定着してしまっていた。
「あなたしかみえない」
離れることは恐ろしくて考えたくなかった。
「夢ををみている間は周りのことがみえなくなるものよ」
「だったらこれは……」
「さあこれを。絶対に開けないで」
「これは……」
それは竜姫さまからの最後の贈り物だった。太郎さんは力なく受け取ると運命には逆らえないことを悟った。
「さようなら、太郎さん」
「さようなら」
ミノ・クルーズ2000に乗って国に帰ると新しい家をみつけて新しい暮らしを始めた。自分の過去を知る者がいないことは気楽と言えば気楽だった。留守にしている間に大きく変化した社会システムに戸惑うことは多くあったが、新しく覚えることがあふれていることは気を紛らわせることでもあった。竜姫さまの影が、ふと立ち止まった時によみがえるが、それは自らを苦しめるだけのものではなかった。さよならの前の贈り物はクローゼットの奥に隠している。中から手に負えない獣が出てくるのを恐れたからだ。約束はずっと守られることになるだろう。夢の終わりは人には選べないのだ。
・
「またつまらん話を書いてしまった」
反省が次のお話の足がかりとなるのだった。
書き終えて一服しているとメールボックスに新着メッセージが届いた。サイト運営からだった。
「長編を書いてみませんか?」
下準備に100万円ご用意くださいだって?
これには流石におじいさんもげんなりとした。
「そんなことなら冷ややっこでも食うわい」
そう言っておじいさんは公園に散歩に出かけた。
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