出て行った彼女がいつでも帰ってこられるようにと扉はいつも開けたままだった。それは彼女が争いや嫌悪にはよらず、慕われたまま出て行ったことを示す道ではあったけれど、いつ何時、彼女の代わりに獣がその扉から入ってくるかも知れず、半面大変危険な状態でもあったのだ。危険と引き換えに開放されたままの扉は、彼女を慕う証明でもあったけれど、今では彼女はその扉を通り抜ける風の匂いさえも届かないほど遠くに行ってしまったのだ。用心のために、僕らは扉の開放に時間制限を設けるように提案することにした。しかし、いったい誰がこの扉を開けることにしたのか、その部分がはっきりしないのだった。
真新しい制服に身を包んで動き回る彼女は、異国からやってきた羊のようだった。嫌な顔一つせず誰かの声に振り向いてみせ、まるでそれは自分の天職であるか何かを疑った経験がまるでないかのように見えた。背中にくっついたロゴは、どの角度から見ても6月の雨を弾くカタツムリのように輝いて見えたが、彼女の動作は常に落葉の上を滑る兎の唇のようだった。
「これは面白いの?」
スクリーンには、割と流行っているとされているドラマの中で割と人気があるとされる俳優が映っていた。彼は季節はずれの煙草に火をつけようとするけれど、ライターを押す指力が足りなくて、それを成し遂げることができなかった。そうこうする内に、灰皿がみんな下げられて、代わりに各テーブルの上にはアンケート用紙が設置された。彼は煙草をボールペンに持ち替えて、何やら意見を書き始めるが、それはスクリーンには映像化されないので僕にはまるで想像がつかないのだった。2人でテーブルを挟んで座っているのは、いつもの場所がリニューアルのため使えないからだったが、この場所に前に一度来たことがあるかどうかは、割と不確かだった。
「もう嫌だ!」
新しいロゴを常に身に着けて動くのが嫌だと彼女が突然言った。どこから見ても楽しげで、従順そのもののように見えたけれど、彼女の本音は違った。僕はもっと話を聞きたくなって彼女の話を遮った。「何か飲もうか?」
彼女はそれに同意してテーブルの隅の呼び出しボタンを押した。そして彼女は消えた。すぐに店員がやってきたが、僕はまだ何も決めていないのだ。メニューを開くときらきらと光る緑色をしたゼリーが現れて、カップの上から溢れる光りがメニューから零れ落ちそうだったのは、きっと天井から降り注ぐ特別に明るい光りのせいなのだった。待たせてはいけない。僕はゼリーのページを抜けて、飲み物に行き着きたいけれど、ページをめくるともう一度今度は違った色のゼリーが現れるだけだった。オレンジの鮮やかな光が、それは彼女の着ていた服とどこか交じり合う。消えてしまった彼女は、何を飲みたかったのか。待たせてはいけない。ゼリーのページを僕は抜け出すことができない。指が光りの中に捕らえられて、もう少しでその名前を呼んでしまいそうだった。きっとこれは、ゼリー専用のメニューなんだな。割とそうなのだ。
まるで救世主のようにメニューの間から、一枚の下敷きみたいなものが落ちてきて、「それはグレープフルーツを搾ったものです」と店員が言い、僕は逆境を抜け出したうれしさの中で容易くその声にすがりついた。「じゃあ、それで」
女は目にくっつくほど近づけてから、これは駄目だととても恐ろしい顔をした。破れているせいではなく、偽札ではないけれど、どこか外国の札だと言い切った。いつの間に自分の手に掴まされたのかわからないが、僕はその破れた札を女の手から受け取って地下への階段を下りた。最初に手にした時よりも、随分と小さくなっていて、札というより何か短い帯のように見えた。交換所に行って見せてみると確かにそれは外国の札のようだという答えが帰ってきた。けれども、ここでは交換することができず、別の場所を案内してくれると言う。
「今あなたが来た道を戻って……」
どうして、僕が歩いてきた道を知っているのだろう……。三日月のよにうな札を受け取って、階段を上り、教えてもらった通りに歩いてまた階段を下りた。ここは東京で、階段を下りて歩いているとすぐに自分が巨大な本屋の中を歩いていることがわかった。ソファーに座りくつろいでいる人がいる。犬をつれながら、コーヒーを飲んでいる人がいる。本屋の中だというのに薄暗いバーがあり、昼間だというのにカウンターに腰掛けて酒を飲んでいる人がいる。これが東京というものか。靴を修理する一角があり、交番の隣に占いの館があった。無数の本が並ぶ中を歩いていると徐々に上りがきつくなって、いつの間にか空が見えた。
飲食店やテーマパークが立ち並び、どこを見てもどこから来たのかわからない人でいっぱいだった。網の向こうに無数の背中が見えたが、どこかそれは現代の背中とは違っていた。大勢の人が見つめる先には、民よりも少し高い場所で裁きをする殿様めいた人の姿が見えた。空席があるので行って眺めていると格好が浮いていたせいか、殿様の目に留まり壇上に招かれてしまった。
「何のためにここに来たのか?」
「ここに来た意味を知るためです」
「それは良い心がけだ」
けれども、殿様は僕の手の中にあるものに目を留めた。
「見たところ異国の札のようじゃのう」
そして疑いの目をこちらに向けた。
「見たところ異国の者のようじゃのう」
「扉が開いていたので入ってみただけです」
ジューサーが回転を止めた時、茄子は少し縮んでいた。ミニトマトは元より小さかったせいか、それほど変わったようには見えなかった。ただその球体の先に緑ががかったものがあるようなないような気がして、僕はそれを引き抜こうと引っ張ってみたがそれは回転という経験を越えてきたためか、容易に引き離すことができないのだった。自分の手の中で引いているのが緑の部分なのか赤い部分なのかわからなくなった頃に、ようやくそれは分離した。緑だと思われる方をゴミ箱に捨てて、茄子とミニトマトを皿の上に並べると塩胡椒で味をつけた。けれども、味をつけたのは茄子とミニトマトとも言えた。僕はささやかに茄子、ミニトマトの添えられた塩胡椒を、食べた。
真新しい制服に身を包んで動き回る彼女は、異国からやってきた羊のようだった。嫌な顔一つせず誰かの声に振り向いてみせ、まるでそれは自分の天職であるか何かを疑った経験がまるでないかのように見えた。背中にくっついたロゴは、どの角度から見ても6月の雨を弾くカタツムリのように輝いて見えたが、彼女の動作は常に落葉の上を滑る兎の唇のようだった。
「これは面白いの?」
スクリーンには、割と流行っているとされているドラマの中で割と人気があるとされる俳優が映っていた。彼は季節はずれの煙草に火をつけようとするけれど、ライターを押す指力が足りなくて、それを成し遂げることができなかった。そうこうする内に、灰皿がみんな下げられて、代わりに各テーブルの上にはアンケート用紙が設置された。彼は煙草をボールペンに持ち替えて、何やら意見を書き始めるが、それはスクリーンには映像化されないので僕にはまるで想像がつかないのだった。2人でテーブルを挟んで座っているのは、いつもの場所がリニューアルのため使えないからだったが、この場所に前に一度来たことがあるかどうかは、割と不確かだった。
「もう嫌だ!」
新しいロゴを常に身に着けて動くのが嫌だと彼女が突然言った。どこから見ても楽しげで、従順そのもののように見えたけれど、彼女の本音は違った。僕はもっと話を聞きたくなって彼女の話を遮った。「何か飲もうか?」
彼女はそれに同意してテーブルの隅の呼び出しボタンを押した。そして彼女は消えた。すぐに店員がやってきたが、僕はまだ何も決めていないのだ。メニューを開くときらきらと光る緑色をしたゼリーが現れて、カップの上から溢れる光りがメニューから零れ落ちそうだったのは、きっと天井から降り注ぐ特別に明るい光りのせいなのだった。待たせてはいけない。僕はゼリーのページを抜けて、飲み物に行き着きたいけれど、ページをめくるともう一度今度は違った色のゼリーが現れるだけだった。オレンジの鮮やかな光が、それは彼女の着ていた服とどこか交じり合う。消えてしまった彼女は、何を飲みたかったのか。待たせてはいけない。ゼリーのページを僕は抜け出すことができない。指が光りの中に捕らえられて、もう少しでその名前を呼んでしまいそうだった。きっとこれは、ゼリー専用のメニューなんだな。割とそうなのだ。
まるで救世主のようにメニューの間から、一枚の下敷きみたいなものが落ちてきて、「それはグレープフルーツを搾ったものです」と店員が言い、僕は逆境を抜け出したうれしさの中で容易くその声にすがりついた。「じゃあ、それで」
女は目にくっつくほど近づけてから、これは駄目だととても恐ろしい顔をした。破れているせいではなく、偽札ではないけれど、どこか外国の札だと言い切った。いつの間に自分の手に掴まされたのかわからないが、僕はその破れた札を女の手から受け取って地下への階段を下りた。最初に手にした時よりも、随分と小さくなっていて、札というより何か短い帯のように見えた。交換所に行って見せてみると確かにそれは外国の札のようだという答えが帰ってきた。けれども、ここでは交換することができず、別の場所を案内してくれると言う。
「今あなたが来た道を戻って……」
どうして、僕が歩いてきた道を知っているのだろう……。三日月のよにうな札を受け取って、階段を上り、教えてもらった通りに歩いてまた階段を下りた。ここは東京で、階段を下りて歩いているとすぐに自分が巨大な本屋の中を歩いていることがわかった。ソファーに座りくつろいでいる人がいる。犬をつれながら、コーヒーを飲んでいる人がいる。本屋の中だというのに薄暗いバーがあり、昼間だというのにカウンターに腰掛けて酒を飲んでいる人がいる。これが東京というものか。靴を修理する一角があり、交番の隣に占いの館があった。無数の本が並ぶ中を歩いていると徐々に上りがきつくなって、いつの間にか空が見えた。
飲食店やテーマパークが立ち並び、どこを見てもどこから来たのかわからない人でいっぱいだった。網の向こうに無数の背中が見えたが、どこかそれは現代の背中とは違っていた。大勢の人が見つめる先には、民よりも少し高い場所で裁きをする殿様めいた人の姿が見えた。空席があるので行って眺めていると格好が浮いていたせいか、殿様の目に留まり壇上に招かれてしまった。
「何のためにここに来たのか?」
「ここに来た意味を知るためです」
「それは良い心がけだ」
けれども、殿様は僕の手の中にあるものに目を留めた。
「見たところ異国の札のようじゃのう」
そして疑いの目をこちらに向けた。
「見たところ異国の者のようじゃのう」
「扉が開いていたので入ってみただけです」
ジューサーが回転を止めた時、茄子は少し縮んでいた。ミニトマトは元より小さかったせいか、それほど変わったようには見えなかった。ただその球体の先に緑ががかったものがあるようなないような気がして、僕はそれを引き抜こうと引っ張ってみたがそれは回転という経験を越えてきたためか、容易に引き離すことができないのだった。自分の手の中で引いているのが緑の部分なのか赤い部分なのかわからなくなった頃に、ようやくそれは分離した。緑だと思われる方をゴミ箱に捨てて、茄子とミニトマトを皿の上に並べると塩胡椒で味をつけた。けれども、味をつけたのは茄子とミニトマトとも言えた。僕はささやかに茄子、ミニトマトの添えられた塩胡椒を、食べた。
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