眠れない夜の言葉遊び

折句、短歌、言葉遊び、アクロスティック、夢小説

世界観こわい

2014-10-06 01:11:07 | 夜のフットサル
 届けられるよりも運んだ方がよいのです。
 取りに来た時はチャンスでもあるはずなのに、そう思うよりも圧倒的に恐怖の方が率先してしまいます。とにかく自陣にいることが怖い。まず自陣で、世界観をミスしたらどうしよう。世界観を誤って、奪われて、失点したらどうしよう。そのようなマイナスのイメージばかりが自陣の周りにはあふれていて、敵陣はチャンスいっぱいのゾーンに思えるのに、それとは反対に自陣に至ってはただただ危険で、追い込まれたり、追い詰められたり、危険ばかりが転がっている、落ち着く余地などない居心地の悪い場所に思えてしまうのでした。


 幽霊にだって化けてこちらの世界に出られるよりは、あちらの世界に遊びに行って帰ってくる方が、よほど気楽です。平穏な日常の中で、いつ出るかわからない不安を抱えて生きていくよりは、しっかりとした心構えをして、たとえそこには得体の知れないもののけの類ばかりが待ち受けているのだとしても、自分から乗り込んでいくのなら、その方が心を強く持てると思ったのでした。

 けれども、それはこちらの世界があちらの世界に劣っているというのではありません。相手ゴール前には心の飢餓を満たす得点という米粒が至るところに転がっていますが、それを最初に生み出しているのはそれよりもっと前に広がる自陣という田んぼなのではないでしょうか。少しも田んぼの存在を顧みずに、飯だけを求めていいのだろうか……。不意に芽生えた疑問が、故郷に戻れと言っているようでした。恐怖を増幅させることは簡単ですが、居心地の悪い自陣の中に新しい楽しみを見出すことができた時、現実のフットサルはもっと豊かでもっと楽しいゲームになるのではないかとも思えたのでした。


 まず重要なのは恐怖心を払拭することでした。それには自陣に下りて繰り返しボールに触れるしかありません。失敗しても、繰り返し、恐怖心が貼りついた場所で、ボールに触れることに自分を慣れさせるのです。気持ちの動揺はプレーに反映され、判断、技術両面において大きく精度を落としてしまいます。
 次に世界観技術を向上させることです。足元に納める世界観と、状況に応じて世界観で相手をかわす技術を磨くことです。
 何度か失敗する中で、少し楽しみも見つかりました。それは敵陣では多くの状況でディフェンスを背負ってのプレーになることの反面、自陣では前を向いて受けやすいということでした。相手がボールを奪おうと襲い掛かってきたとしても、自分も前を向いているのです。背中に人を受けながらプレーすることに比べれば、それはどれだけ楽なことでしょうか。しっかりと前を向いて、前を見渡して、大好きな敵陣にパスを供給することができる。相手が飛び込んできたら、自分でかわして、自らがボールを運び、大好きな敵陣に入っていくことだってできるのです。きっと、恐怖を克服して、慌てずに、しっかり落ち着きさえすれば、自陣においても自分の居場所は見つけられると思えたのでした。
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