
帰りは、芸術の森入口から真駒内駅までバスに乗りました。

バス停のそばに大きな姫りんごの木があって、いくつか下に落ちていた実をひとつお膝にのせてみました。

真駒内駅から札幌駅まで地下鉄で帰り、大通公園に行く途中で時計台に寄っていくことにしました。

十数年ぶりかもしれません、なんだかとてもなつかしい気持ちです。

時計台の正式名称は「旧札幌農学校演舞場」、1878(明治11)年10月16日に完成、今年が130周年です。
時計がとりつけられたのは、1881(明治14)年ですが、ハワード社製の塔時計が当時の姿のままで動いているのは世界的にもあまり例がないそうです。

道路を隔てた向こう側のビルにこんな案内板がありました。

その撮影テラスからの時計台です。
いっぱい芸術の森を散歩した後で良い顔してますね。
札幌の時計台、井上さんの手から後継者へと点検整備が受け継がれている様ですね。もうこの街には欠かせない建造物になってるようですが、地震対策も施されているようで、大事にしてほしい建物です。
まだ直接見たことは有りませんが、事有る時にTVに写された様子は綺麗です。
小学生の頃に見ました。
ですから私も懐かしい~。
でも、明治から動いてるなんてことは今知りました。
すごーい!長い間時を刻んでる時計なんですね。
リンゴと一緒にお座りjunくん可愛いですね。
junくん とても嬉しそうな顔をしているように見えます。
たくさんの人達に 時間を告げてきた時計台。
そう考えると 歴史をとても感じます。
となりのビルに設置された 時計台撮影テラス。
まさに過去と現代のコラボレーションですね!
すご~いです。
junくん、記念撮影バッチリです。
時計台撮影テラスがあるなんて・・・・
タクシーで前の道をつーっと通過しました。
運転手さん定番のセリフ
「ねっ...がっかりでしょ?」
って言われたことを思い出します。
その時、確かボクは
「そうですねぇ~えへへ」って言いながら
『でも結構可愛いじゃん』って思った記憶があります。
お写真を拝見して
改めて『結構可愛い』って思っちゃいました。
...今回はクマ君のお陰もちょっとあるかも(^-^)
井上さんのお父さんから息子さんへ点検整備の技術が受け継がれ、今、若い継承者も育っているようで、こういう方たちの努力があってこそ、130年近くも動き続けているのですね。
地震対策もきちんとできていて、市民の時計台への愛着が感じられます。
>和さん
小学生のころだと、大きく見えたでしょう。
コンピュータで動かしているのではなく、人力で錘を毎週2回は巻き上げているとか、それにしても、ほとんど部品を変えることなく、130年近くも動き続け、毎時鐘を鳴らし続けているのって、すばらしいですね。
>だいくうぽんさん
りんごって、たとえ、小さな姫りんごでも、なんだかしあわせをはこんでくれるような気がしますよね。
木には鈴生りで、下にもたくさん落ちていました。
>Donnさん
元々、札幌農学校(今の北海道大学)の演舞場として、クラーク博士の思想の元、体を鍛える場として建てられました。
札幌農学校は綺羅星のごとく人材を送り出していて、時計台は文学や詩でも紹介され、市民にとってはうれしいことですよね。
>★HIDEさん
元々は鐘楼だった所に時計が入らず、時計台の塔だけ後で作り直したので、頭でっかちになって、アンバランスな設計になってしまったそうです。
でも、タクシーの運転手さんの言われるように、「ねっ...がっかりでしょ?」はないですよね。
ドイツとかで見る豪華な時計台とは違いますが、『結構可愛い』です。
最初の時の印象は、想像していたよりも小さい...でした。
でもやはり時計台は、人気の観光スポット、たくさんの人達がカメラヲ向けていましたね。
130年近くも動き続けているってすごいですね。
陰の努力の人の賜物ですね。
junくんのお洋服、りんご色ですね♪
junくんがバス停にまっていたら、ネコバスみたいなくまバスがきそうだねぇ。
時計台はみなさん思い出があるみたいだねぇ。
ぼくも高校の修学旅行で行ったよぉ。
北原白秋は北1条通りのアカシヤと時計台をモチーフに「この道」を作詞したといわれていますし、札幌の時計台、シンプルだし、私はすきなんです。
>プチくま家の管理人さん
ネコバスみたいなくまバス、来てほしかったなぁ。
高校の修学旅行が北海道だなんて、すてきでしたね。
スキーとかもされたのですか。
札幌と言えば、時計台ですよねー
行った事はないですが、ココは行っとかないとですね