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ウラジーミルはモスクワの北東170kmのところにある「黄金の環」を代表する町で、その歴史は、1108年、キエフ・ルーシ王朝のウラジーミル・モノマフ公が要塞を築いたことにはじまります。
1169年以降、ルーシ王朝の首都はウラジーミルに移され、この頃が全盛期で、今に残る白石の建築群が盛んに建築されました。
しかし1238年、ハトゥ・ハーン率いるモンゴル軍に町は破壊され、それ以降はかつての勢いを取り戻すことはなく、ロシアの実際の支配権は新興のモスクワへと移っていきました。
ウスペンスキー大聖堂の建つ丘が街を見晴らす展望台になっています。