暮らしの差し色

慢性腎臓病の夫と二人、静かな生活です

五十肩を早く治す

2016-01-25 21:29:01 | 日記
痛い五十肩を長引かせない方法があります

89歳で亡くなった母が、教えてくれた方法です。


まず、朝起きたときに、「あれ?左腕が痛くて、上がりにくい」って、感じることありますよね。

そのとき、その腕をすぐに、ぶんぶん回して、痛くなくなるまで動かします。

また、壁に正面から張り付いて、壁に沿わせて、腕を壁に這わすように回します。

これで、痛い初日に、それ以上痛くなるのを抑えます。


だいたい、この方法で、次の日には、五十肩に移行せずに、痛みは取れています。


初日に、痛いからと動かさないでいると、固まってそのまま五十肩になり、何か月も痛いまま、腕が上がらないという状況に陥るのです。

初めに、母から、壁に沿わして腕を回すことを習ったときは、五十肩も進行していたときだったので、

「そんな運動できてたら、五十肩になってないわい」

と、思っていましたが、痛んだ初日に、この運動をすると、うそのように腕が痛いのは消えます。


きのうは、腕ではなくて、首が回りません。

「寝違えたかな??」

と、思いましたが、首を回すようにして、1日過ごしました。

右肩も痛いようなので、右腕も回すようにして、痛みを翌日に持ち越さないように気を付けていました。


寝る前に、化粧台の上に、温熱の湿布薬がたまたまあったので、一応首に湿布薬を貼って寝ました。

翌朝、首も肩も、痛みは取れていました。


だいたいこの方法で、このかた数年、五十肩とは縁遠い生活ができています。

四十肩、五十肩にはしょっちゅうなっていたので、痛さは知っていますし、なかなか治せないことも知っています。

ですので、ポイントは初日に動かす です。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ドキュメント72hours バスターミナル

2016-01-24 21:02:01 | テレビ
2016年1月22日放送のNHK ドキュメント「72hours」 録画していた 『札幌 聖夜のバスターミナル』 を観た。

札幌から長距離バスで出発する人、札幌に着いた人、見送る人・・・。


この中で、2、3分の部分だったかもしれないが、北見の出身のカップルが取材されていた。

札幌に勤める彼女とイブを過ごすため、5時間バスに揺られてきた若者が、この日バスで北見に帰っていく。

彼女はバスターミナルまで見送りに来ていた。

彼氏からの2回の告白を断り、3回目で交際することになったという。


バスに乗り込んだ彼氏と窓越しに、手を振る。

バスは雪の中に出発していった。



彼女は取材の人に、


「一気にさびしくなりますね・・・」 


とつぶやき、涙ぐんだ顔を手で隠した。



私は、涙が滲んだ。

60代の私の心にも届いた。


若いころ、聴いたユーミンの「流線形’80」のテープをかけながら、ブログを書いている。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

家族という病

2016-01-23 19:03:30 | 
「家族という病」下重暁子著 を 読んだ。


       

ネットで本のレビューを見るとかなりの酷評がある。だがベストセラーになっている。


読みたいと思っていた。

Amazonの中古本が安くなったところで、購入したのだ。


下重さんがご両親、お兄さんと疎遠であったことや良いコミュニケーションが取れなかったこと、ご家族との会話をもっとすべきだったと、亡くなってしまったあとで心残りになっていることが、私には共感できた。

家族は他人よりも一番理解しがたい存在だと述べている。

本書では ネガティブな文面が続くようだが、家族を亡くして、もっと知る努力をすべきだったことを悔やんでいらっしゃる。


レビューで、下重さんを否定的に書いておられる方たちは、お若いのだろうと想像する。

両親を亡くして、もう悔やんでもどうすることもできない思いは、失った人にしかわからないだろうと思うからだ。


私も、人恋しがる亡き父にもっと会話する時間を作ってあげたほうがよかったと思うし、誕生日のおめでとうも言ってあげればよかったと思う。

昔、祖母がよく 「墓に布団は着せられず」 と言っていた。

亡くなってしまった人には、「それは違うのよ・・・」とか、「そのことはね・・・」と、説明してあげることがもうできないのだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小江戸 川越

2016-01-21 23:21:51 | 旅行
前日、東武東上線の高坂(たかさか)にある埼玉ピースミュージアムに、行きました。

数日前までの雪が山にはたくさん残っていて、バスを降りてミュージアムまでは、ザクザクと雪の中登ってたどり着きました。


今回は、2月21日まで、平成26年度の寄贈資料展があるので、夫と見学に行きました。

父の遺品が展示されているからです。


学芸員の方ともお話ができ、定時に講堂で上映されるアニメも、2本観ました。

夕方まで、資料映像も観て、またバスで山を下り、川越に移動。名物の鰻を食べて、ホテルに泊まりました。



今日は、小江戸 川越に行ってきました。


川越駅からバスで行き、一番街の停留所で降りると、空に電線の無い町並みが出現し、江戸時代にタイムスリップです。


        時の鐘(ときのかね)

         


江戸初期の建築時から現在まで、時を告げる鐘の音が今も響いている、とのことです。


陶路子(とろっこ)で「さつまいもミニ懐石」を食べたくて、お店を探して行ってみると、お食事は予約制。

訪ねていったとき、10時半をまわっていましたが、予約は11時45分となり、それまで街を見学することに。



          川越市蔵造り資料館 明治26年建造

    


一番街に数々の蔵造り家屋が並びます。




          埼玉りそな銀行 川越支店 大正7年建造

       

ルネッサンス様式を基調にした青銅色のドーム屋根の建物。
第八十五銀行本店として建てられた、とのこと。


菓子屋横丁の 菓匠かとう で、川越名物のさつまいものお菓子を買ってきました。


      

蒸したてのお饅頭も勧められたので、1個90円、購入。

中がさつまいもあんのお饅頭をお店の中のテーブルで頂いていると、お茶を入れてくださいました。



          陶路子のさつまいもミニ懐石

     


お料理の写真はうまく撮れませんでした。

とてもおいしかったです。

1人前 1,900円(税込)です。


バスで川越駅に行き、帰途へ。

次回、川越に泊まるときは、今回のホテルではなくて、川越東武ホテルにしたいなと思いました。

茶和々 で 買った おみやげの「抹茶わらび」を 自宅で食べました。

なかなかの2日間でした。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

暖房

2016-01-19 20:18:02 | 日記

きのうは雪で、首都圏の交通機関では間引き運転や運休で、多くの通勤通学客の足が混乱した。

雪に弱い東京圏をまた露呈した。


年金暮らしの我が家では、雪の日は出掛けないでおけばよいので、働いていらっしゃる方々には申し訳ないが、こんなときは、ありがたい。

しかし、寒かった。

マンションの2階に住んでいる。

建物に保温効果があるので、冬の普段の日は、暖房はいらない。

エアコンもつけないし、部屋にガス栓はないので、ガス暖房機もない。

電気ストーブも、以前職場用に買ったため持っていたが自宅で使うことはなかった。


寒い雪の日に暖房は、ガスの床暖房だ。

ひと冬に数回、点ける。

きのう1日中、点けていた。

室温は23度くらいになる。


ここに引っ越してくる前は、公団の賃貸の団地に住んでいたが、マンションとは構造も違う古い鉄筋コンクリートの建物だったせいだろうか、とても寒かった。

ガスファンヒーター、石油ファンヒーターと、ホットカーペットなどで、各部屋をそれぞれ暖房した。


結婚する前は、戸建の実家にいたので、各部屋にガスストーブを置いて、バンバン燃やしていた。

住まいというものは、冬はそうやって暖房をするものだと思っていた。


マンションは、断熱、防音が優れていて、夏の冷房はしかたないが、冬場、暖房器具をめったに使わずに、こんなに暖かく過ごせるとは住むまで知らなかったのだ。


こんなに暖かく室内で過ごしていた人がいたことを、体験してからその恩恵をようやく知ることになるのだ。


寝具もそうだ。

子どものころは、東京の冬は実に寒かった。

あんかを布団の中に入れて、眠ったし、起きているときも小さなガスストーブが室内にひとつあって、あとは火鉢だった。

室内が寒い。

寝るときは、綿の布団や敷布が冷たくて、ぶるぶると震えてなかなか寝付けなかった。


結婚してから、共働きで、多少のゆとりが出てきたころ、羽毛の掛布団を買った。

これは、20年は使っていると思うが、とても暖かい。

朝、目覚めたときは暑いぐらいだ。

寒くて布団から抜けられない、というセリフをよく聞くが、羽毛布団を使っていると、起きるときには、体がぽかぽか温まっているので、布団から出る時パジャマ一枚でも、抜けられないということはないのだ。

うちが裕福なのではないが、昔でも裕福な人は、こんな暖かい羽毛布団で眠り、暖かい冬を過ごしていたのだろうから、寒かった子供の頃も、ぬくぬくと眠っていた方たちもいたわけだ。


暖房については、不公平なんだな、世の中は、といま暖かく過ごしているだけに、思うのだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする