暮らしの差し色

慢性腎臓病の夫と二人、静かな生活です

埼玉ピースミュージアム

2016-01-05 10:49:20 | 日記
2006年に亡くなった父は、先の大戦では、陸軍少年飛行兵だった。

父は、終戦になって部隊が解散になって帰るとき、身の回りの物を家に持ち帰っていた。

何十年も大事にしまっていた。


父がまだ一人で出歩けていたころ、軍隊の物を博物館に寄贈してはどうかと父に話したら、ずっと遺るならそのほうがいいと賛同していた。

自分が死んだ後に捨てられるのはいやだ、とも言った。


私は、近県でそのような資料を受け入れてくれるところをネットで探したが、東京、神奈川にはみつからなかった。

たまたま、ネットで埼玉県平和資料館に出会い、連絡してみると、喜んで受け入れる旨の返事を頂いた。

埼玉県は父も熊谷の部隊にいたこともあって、まったく無縁ではないので、父は了承した。

父本人が荷造りしていくつか贈った。

自分で持っていたいものはあるから、それはとっておく、と言う。


父が亡くなったあと、アルバムに少年飛行兵のころの白黒写真がたくさん遺された。

母が生きている間には、父のアルバムには手をつけずにそのままにしてあったが、2013年に母が亡くなり、実家の片付けを始めて、父の遺品も行く先を決める時が来た。

私たちこどもが遺品を引き継いでも、その後、私の遺品となっても、だれにももらわれなくなってしまうことは想像できる。

姉とも相談の上、少年飛行兵の関連のものはすべて埼玉県平和資料館、いまは埼玉ピースミュージアムと呼び名がついた博物館に寄贈することにした。

2013年度(平成25年度)に写真や教科書を中心に贈り、2014年度(平成26年度)には、飛行服・軍服や蚊帳、軍用毛布、ゲートルなどを贈った。



2015年(平成27年)の冬、平成25年度の寄贈資料の展示をするという連絡を頂き、夫とピースミュージアムに見に行った。

埼玉県の川越よりもさらに山のほうの東松山市に埼玉ピースミュージアムはある。

緑の深い森に包まれて小高い丘の上に建っていた。

父が少年兵だったころの写真が大きく引き伸ばされて展示されていた。

戦争体験者の方々のインタビューの映像資料も観ることができるようになっている。

とても、数時間では見きれない。


私は、父はお墓ではなくここにいるのではないかと思った。

寄贈したことを良かったと思えた。


またこの冬、平成26年度の寄贈資料の展示のお知らせを頂いたので、小江戸の川越の見学も含め、夫と1泊でじっくりと見てこようと思っている。









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