縄文のビーナスに描かれる渦巻き(アルキメデス螺旋)を百八十度回転させ、もとの渦巻きに重ね合わせると図の形が得られます。外郭は正円になっています。ここで表現を変えていえば、
・ 左巻き渦巻きと右巻き渦巻きの合体形=正円
・ ×と+の合体形=正八角形
となります。渦巻きと「×と+」形はそれぞれ正円と正八角形に置き変わりました。「×と+」形はしめ縄文様の(二重螺旋)は左渦巻きと右渦巻きの合体形と同じ意味で結ばれることになります。
縄文人は弥生人を文化人として受け入れましたが、弥生人は次第に縄文人を支配するようになりました。弥生文化が出来、戦乱をむかえたのは弥生中期、それも弥生人同士の権力争いによるものでした。注目するべきことは、初期の遺跡からみると縄文人との戦いはなかった。古事記に書かれていることは事実であり、この戦乱を収める為だそうです。大和朝廷の始まりの聖徳太子の「和をもって尊しとなる」はいまの日本人の教訓に残っています。