竹村先生が若い頃苦労されていて、アメリカの第1回フルブライト留学生の時“タダ飯を食うため教会へ良く行った、その時何か体に光のようなものが入って来るのを感じた、それ以来教会には行かないけど“と先生の自伝に書いてありました。ご来光をあびられた瞬間の出来事であったのでは、その後アメリカから帰国され今日までに著書500冊以上これはギネスブック入り、公演料150万円日本一高い、人間技というより神技と思いたくなります。ヒーリング中先生は良く一人ごとをいわれています。先生は素直な経絡をいしていられるのでボディーテレパシーを発しやすく、それはリラックスした時に閃きます。先生は常に言霊が出る状態にあります、マスコミを通して政治経済を話される時、子供や老人にも分かりやすく話されるところはまさに言霊です。先生のフアン層は大衆に多く聖書を読むより元気が出ると。致知出版の藤尾社長が私のうわさを聞いて取材にみえました。『貴女の本をだしましょう』と初対面の時にいわれました。青木匡光先生達の支援を得て福岡でヒーリングをはじめて2年目に東京に運ばれて行きました。ラッキーなスタートをきりました。福岡で出会った人達が東京で私を支援くださいました。
日曜日ワークの後に畑へラウリーと行き耕しストレッチしました、これをやった後はグッスリ眠れて気持ちが良いからです。裸足で入り土の温かさが体を包み込んでくれこんな気持ち良さはヒーリングでも味わえません。畑は反転住宅のお隣の山岡さんが昨日きてきれいに耕し終えてありましたが、また耕し直しをラウリーとやったら先輩の武藤さん(81歳) おじいさんから「そんなに穴を掘ったらビニールをかぶせる時困るよ」と教えていただきました。三大肥料の話からキューリ、とまと、豆類、葉っぱ類の肥料が違うとか、もう一人のおじさんは声優さんでテレビにも出ていて、この畑の野菜コンテストで一番上のクラスとか、話を聞いていたら簡単ではなさそうです。ラウリーと山岡さんと私で三等分しそれぞれに好きな事をする事にしました。耕しストレッチのスペースも取って子供と一緒に遊べるようにもしました。ラウリーも学校で畑をしただけで何も分からない、山岡さんも始めてだそうで素人が三人で何が出来るのか御楽しみ!ラウリーも結構楽しく暮らしています。ヒーリングは抜群に上手くなっています。毎日ブログを書いてフィンランドへ送っていて後で本にすると言っています。畑を耕しながら5000年前
もこうやってラウリーと一緒だったような気になりました。日本の良い思い出を持って帰れる様にして上げたいので。
竹村会未来経営朝食会の時故渡辺美智雄氏がゲストでした。『渡辺副総理はどう思う?』という話が出た時『渡辺さんは総理になれませんヨ』と私が云うと先生はむくっと顔を上げ「どうして?もうここまでまで来たら決まったようなものだけど」とおっしゃったので「この方は病気で総理大臣にはなれません」と答えたのですが、2年後その通りになりました。当時副総理と外務大臣を兼ねていられて体を無理していられたと思います、外務大臣を5年すると体はガタガタになるそうです。総理大臣になるには外務大臣を経験が必要なのです、外務大臣は2年で止めるべきとか、飛行機での移動が体をおかしくしてしまうので。竹村先生のヒーリングをしている時ボディーテレパシーを感じて代弁してしまう時があります。疲れていたりすると第六感が曇ってしまいます。竹村先生が本来持っているものをその人らしくする為のお手伝いをするのがヒーラーの仕事です。『何やらわからんが霊とかも、わからんがプロはプロに任せて置いたほうが良い」と否定もされません。そうおっしやられたかと思うと倉富さんに霊道を開いてもらったとまじめに云われる事もありました。
この道に目覚めて1年がむしゃらに生きながら東洋の英知に目覚め、見えない糸をたぐりよせ、ある時はもつれた糸をほぐしながら立ちどまりもし、このまま死ぬのかなあと思ったりして、それでもこのヒーラーを止めようと考えることはありませんでした。私はこの道でしか生きられない事を無意識に
何処かで感じていたからです。納得するような東洋的実技に出会う事がなく自分を信じてからだの動くまま手の動くまま足の動くままに任せるうちに倉富独自のヒーリングができあがっていきました。ストレスで病んだ“からだとこころ“は、やって行くうちに単なるツボ療法では解決しないより東洋、日本的な”禊ぎ“のものへと移行しました。竹村先生は誰も知らない事や新しい事を知りたがる、それで私のやっている事が興味を引いたと、『力があると思えないがどうして貴女のは痛いの?痛いのによくお金払ってくるよネ』と『痛いのはそこをブロックしているこころの問題です』と言ったら『よぅわからんが後が気持ちがいいから又来る、これは癖になるよ』先生は足の操法の時話をよくされます。テレビの時もゲストの話がおもしろければ聞いていられるけどおもしろくない話とか誰でも知っいる話」をしだすとソッポを向いてしまわれるとか。私の話はいつも「貴女テープレコーダーを持って来なさい、こんなおもしろい話を録音すれば貴女の本が出来るのに」と私の発明発見の良き理解者でもありました。
竹村先生の腰の痛みも3回で消えていきました。「これで竹村王国安泰ですね」といいましたら「そんなもん最初からあらへん」とボソッと答えられました。何か成し遂げた人はこんなに飾らないものなのかと、人は付き合ってみないとわからないものだと思いました。その年の竹村健一未来経営の忘年会が新宿の“柿伝”で有りゲストに西式の先生と共に呼んでくださり、私は人前で話すものをまだ持っていなかったので実技のデモンストレーションをやらせて頂きました。“柿伝”の社長の安田さんをモデルとして、足のスパイラル操法をしました。安田さんは裏千家の茶道家です。私は「今からやります足の操法は茶道の型の文化と同じ身体法を使ってやります。足の甲をお茶碗を持つようにして支えます、片方の手で足の指一本一本を右廻しにゆっくり3回早く30回、ゆっくり3回まわしながら手を抜いてください。10本の指をまわして、10杯のお茶を入れるのとおなじようにします」15分の操法でした、安田さんはその日家に帰ったらズボンのベルトの穴が一つ前に入った、体重も3キロも減っていて“イヤーッ驚いた”と福岡の道場に通わせて下さいと申し入れされました。安田さんは東大の美学を出られ川端康成さんの骨董仲間で趣味がこうじて柿伝を経営していて、滅多な事では人を信用しない方でいつも怒ってばかりいる人、と聞いたのですが私には心を開いて下さいました。それから安田さんは毎週末に福岡の私のオフィスに通って来られるようになりました。75歳になったけど50年前結核を患ってもう生きられないと思い山に篭ったら病気が治った。人には不思議な力を持ち備えている事をその時感じた、手術した右肺の傷の後遺症で肩が傾いたままでしたがそれからも90歳過ぎまでお元気でした。
キャリアコンサルティングの社員の平均年齢は27歳くらい、月2回縄文ストレッチを社員の健康の為社長の室舘勲さんが縄文ストレッチを取り入れられました。社長も36歳と若い、80名のインストラクターにより20歳~25歳迄の人達の人材派遣、教育等に携わっています。室舘社長は予防とか根本原因とかが好きで会社経営に取りくんでいると、「予防経営とは何ですか?」と聞いたら「コンテストで賞金出して一等を取ってもその時の一過性だけのものです、それは薬で病気を治す事に似ています、後遺症が残ります。それよりも予防経営は日々の積み重ねで地味ですが将来に向けて限りない可能性を秘めています。そこの所が教育の原点です、だから身体も同じで予防医学が好きです、縄文ストlレッチで社員が健康になりいい仕事に取り組んで欲しいと考えています、食の事も含め陰陽の原理も教えて頂き、社内の自動販売機」から甘い缶コーヒーを取り除いただけで腸の具合が良くなってきました」とさわやかにお答えいただきました。今回はラウリーが護身術ストレッチと護身l術で背中の凝りを取り除くそう操法をやりました。行い手はからだを柔軟に保つ為脱力し重力をうまく使わなければいけません、プロのマジシャンの方が参加されていて、力を抜くと力が出るデモンストレーションの時手先だけの小さい女性から簡単に捻り込まれてしまいました。"何で何で?”を連発されて「これは”気”ですか?」と、一番考え込んだ人がマジシャンで日頃と反対でした。人の力は無限にあるのにそれを使っていないのが今の人、環境はからだの外だけにありません、からだの中の経絡も環境です。21世紀の環境問題はからだの中と外から考えて行きたいと思います。ラウリーもキャリアコンサルティングで人気者になっていっています。
『都市この小さな惑星の』~21世紀における”都市化“の意味をめぐって_世界の環境先進都市、そしてTOKYOの100年ビジョン_ゲスト野城智也<東京大学生産技術研究所教授)ホスト竹村真一「かって都市は自然の中で人々がささやかに文明生活を営んで行く為のシエルターだった、しかい皮肉な事に都市は文明の持続可能性を脅かす危険な存在になりつつある<リチャード・ロジャースが1997年に発した警句でした」東京が物質を吸い込み放出して東京湾が汚れている、人間の居住空間になりえないアパート。戦後のマスハウジングの失敗(日本人負の動き)イギリスでは団地の車焼かれる、青少年職がなくやり場のない怒りを爆発させている。公正、正義、食べ物、家、教養、健康、希望、を公正に分かちあえる誰もが政治に参加する事が出来る“場”がある。美しき都市、芸術、建築、景観が想像力をかきたて魂を揺り動かす”場“想像的な都市寛容で前向きな試みが人々の持つすべての力を引き出し急速な変化にも柔軟にこなせる”場“がすぐに必要。大都市じゃなく小都市をどう上手くクオリティを高めるか、江戸時代の市街地23区、足立区、世田谷、他個性ない。開発する事で昔海だった所に人口物が建つ事で水の流れ、空気の流れがどうなるか。大きな流れに逆らわないで出来る方を考えることは当たり前になって来ている。六本木ヒルズ、ミットタウンどれだけ共生に入って良いか?、高層ビル作る事は少し良い方向に行き始めているのか?400年前江戸時代、参勤交代で江戸に居住するけれだ3年で帰る、明治維新丸の内で街作り始まった皇居に続く街作り左に少し行けば東京駅前広場、右に少し行けば大手町、高速、皇居、駅、で切られている、東京という街は一体何なんだ!地球大学のセミナーはいつも興味深く聞けます。講師の先生が難しく言われると竹村さんが分かりやすく聞き返されるので私達にも分かります。大学の人気教授の特別授業を受けている感じで内容が他では聞かれないものが多く毎回楽しみです。
竹村健一先生も奥様とセミナーにいらっしていました。40名定員で大手町カフェーで毎週水曜日pm7時~9時、参加費1000円
天命反転住宅にも春が訪れお庭の花が可憐に咲きこぼれています。天命反転ストレッチJiomon
教室も4回目皆さん感性が良いので耳鳴りがしていた人、松田君はペアーで参加、腰が痛い時家に帰ってやりあいして自分達で癒せるほどになってきて居ます。”弥生ストレッチでデビューしましょうか”と(笑)ラウリーも反転住宅に向かえられ日々腕を上げています。先日花園神社の宮司の奥様から『やる気満々で1回1回それがにじみでている”とほめて頂きました。彼はブログで日本の事を毎日書いて両親、友達、フインランドのインストラクターに送っています。3ヵ月の滞在を延ばしたいと、、合気道の段にもトライしたいらしく本当に頑張っています。出来る限り応援したいと思います。フィンランドに帰ったら日本のことをきちんと伝えてもらいたいからです。
20年前ヒーラーとして独立、福岡の渡辺通りにあるサンセルコビル地下の喫茶店を改装してヒーリングルームを開設、と云いますのも娘の喘息を治すため始めたヒーリングが近所の人達にも伝わり、私が行く先々に人が30人とか一杯集まるので皆さんの要望もあって一箇所に集めてやる事にしました。人相手の仕事なので色んな方達に出会います。ここでは了解を得た著名人を紹介させて頂きます。
1987年週刊誌に『腰痛で竹村王国崩壊か』と書かれた頃評論家の竹村健一先生が福田純子さん<笑顔共和国大統領)に連れられてヒーリング事務所に来られました。その時竹村健一未来経営会会員の日観植物の西川社長、千鳥屋の原田社長とご一緒でした。竹村先生を見たときパイプを銜えて横向いてテレビで云いたい事いわれてる先生だとすぐにわかりました。テレビで受ける印象とは違い大阪弁できさくにお話されました。『腰が痛うて治して下さい』と情けない声でおっしやるなり横になられました。ヒーリングしている間中寝ていられました。その日の帰りの新幹線よりお電話をいただき『貴女の歩く足音は男の家来を4,5人連れて歩いているようだ、久し振りに頼もしい女性に会った、腰も楽になった、又来月も福岡に公演に来ますから診て下さい」といわれました。先生を1時間ヒーリングしました、私の手が大きくなり自分でも“これは誰の手?”と思うぐらいでした、先生の悪い腰にピタッと止まり10分程離れませんでした。サンフランシスコから来たヒッピーで禅のお坊さんの山田竜宝さんもその場に立会っていたのでエネルギーの流れも尋常ではなかった、トップビジネスマンの人達は昔シャーマンとしてやっていた人だと聞いています。この日は何か特別な日で何かが始まる予感がしました。
千恵子はギンズさんとの出会いで成長しました。何処にでも歩いて出かけるのが好きな荒川・ギンズさんたち、道すがらお話をしながら千恵子はギンズさんと話せるチャンスをたくさん持つことが出来た事で勉強の仕方、アメリカの社会のシステム、生きると云う空間の使い方等貴重な体験をしました。私達母と娘の関係がヒーラーとしてより理解し合えるようになり次の世代に引き継がれて行くものへの目的意識をしっかり確認したのもギンズさんのお陰です。ギンズさんはご自分のポリシェを大事にしていてその為に妥協されないとか、自宅の前の工事中の人がクレーン車を動かしていたのが危なかしかったので作業員に“危ないじゃないか”と抗議されランチに行く途中でしたが、わたしたち3人はその時路上で待っていました。目の前の問題をきちんとされないと次へ進まれないんだと。アメリカの社会は自分をアピールする事を求められます。「倉富は天才だからここではそれをもっと打ち出した方がいいよ。強烈な強さがないとここでは通用しない特にニューヨークっ子には」と、ギンズさんに認めていただき光栄でした。荒川さんは『建築は哲学で貴女達がやっている事はポエムだ』と。荒川さんは5月7日に来日され一週間滞在されます。荒川・ギンズさんのメッセージをしっかり受け止めて帰国いたしました。