自由の森日記

埼玉県飯能市にある自由の森学園の日常を校長をはじめ教員たちが紹介

2012年度入学式あいさつ

2012年04月12日 | 自由の森のこんなこと
新入生のみなさん、はじめまして。そして、入学おめでとう。
みなさんを新しい自由の森の仲間として心から歓迎します。


みなさんは、今日から、この「自由の森学園」と言う名の一度聞いたらなかなか忘れない高校に入学しました。私は、みなさんの学校生活のスタートにあたり、この名前と自由の森学園のルーツについてお話しします。

自由の森学園は1985年に創立されました。今年で28年目を迎えます。
その理念の柱となったのが、当時「競争原理を超える」教育を提唱した数学者遠山啓の主張です。自由の森学園は、競争のためではない、深い学びと人間の自立と成長をめざした学校です。

日本における人間を育てる人間のための学校教育、その水脈をたどって行くと、今から約100年前の教育運動にたどりつきます。大正自由教育運動、それまでの近代化と富国強兵のための教育から、子ども一人ひとりの豊かな成長を目的とした新しい教育と学校づくりが広がった時代です。たくさんの私立学校が創立されたのもこの時代です。

その私立学校の創立者たちは、学校名にも新しい試みを行いました。「学校」ではなく「学園」もしくは「学院」という言葉を多く使用したのです。「学校」の「校」という字には罪人の手足や首にはめる刑具という意味や、つかまえて取り調べるという意味があります。当時の新しい教育をめざす人々は、意識的に「校」の文字を嫌い、「学園」と称したのです。

さて、新しい教育をつくりだそうとした教育者のなかに手塚岸衛という人物がいました。彼は日本で初めて「自由教育」という主張を掲げました。興味深いことに、彼は「自由」を「消極自由」と「積極自由」に分けて考えました。

「消極自由」をこう説明します。籠のなかに閉じ込められた鳥は空を自由自在に飛び回ろうとします。籠は鳥にとっては拘束であり、そこから解放されることを「消極自由」と言うのです。
もう一つの「自由」、「積極自由」とはどういうことでしょうか。彼はこう言います。人間は自然のなかの一員で、犬や猫とあまり変わらない。しかし、人間は動物とは区別されるものを持っている。それが理性だ。その理性による活動がすなわち自由なのだ。

みなさんはこの彼の考え方をどう考えますか?
縛られているものから解放される、例えば、それはテスト勉強かもしれないし、制服や細かな校則かもしれません。自由の森学園ではそれらから確かに解放されます。しかし、それだけで「自由になれる」「自由を獲得する」わけではありません。この環境のなかで一人ひとりが何を考え、どう行動していくのか、どういう生き方を選びとっていくのか、これこそが「積極自由」なのではないでしょうか。

また、一見自由にふるまっているように見えても、実のところ、様々なものに囚われているということも珍しいことではありません。偏見や囚われから自由になるということも「自由を獲得する」大切な中身だと思います。

自由の森学園の一員となるその出発にあらためてそのことを考えてみてほしいと思います。


私ははじめに、学校の校の文字には刑罰をイメージする意味があると言いました。一方、校の字は木へんに交わると書きます。そこから、互いに学び合うという意味もあるようです。学び合うということは、学校にとってとても本質的なことだと思います。

これから3年間の学びの旅が始まります。ここに集まった174人がともに支え合いながら成長していってほしいと思います。

あらためて、入学おめでとう。

鬼沢 真之
この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 中学入学式 | トップ | キッズウィークエンド 福島... »
最新の画像もっと見る