自由の森日記

埼玉県飯能市にある自由の森学園の日常を校長をはじめ教員たちが紹介

進路講演会

2013年06月13日 | 自由の森のこんなこと
6月12日に進路部主催の進路講演会がおこなわれました。ゲストとして4人の卒業生が来てくれました。ここでは少しだけ紹介します。

前島 恵さん(20期生)
 自由の森在学中は行事の実行委員、企画係と会場係、それにドラムと旅だったと前島さん。しかし、卒業後は将来の夢が見つからず、とりあえず大学に行こうと受験勉強。いざ大学に入学しても、特に自分の夢は見つからず、それならば人のために何かしよう・人の夢につきあおうと、静岡県伊豆市の町おこしに関わるようになったそうです。大学3年次には学生団体として関わっていたものを株式会社にして本格的に展開し、学生の片手間でやっているのではないという覚悟を示すために住民票を移動したそうです。現在は大学院で地域の自己アイデンティティについて研究しながら、伊豆市を拠点に町おこしの事業を行っているとのことです。日本各地へ、そして世界へと町おこしの事業を広げていこうと考えていると語ってくれました。

高橋 明子さん(17期生)
 自由の森在学中は写真部と中国舞踊部に所属していた高橋さん。卒業後は写真の方向に進むかどうか迷った末に、一番好きなことは職業にしないことを決めたうえで大学進学のため予備校へ。知人の死に接したことから、死と向き合い目をそらさずに生きようという思いから看護師になろうと決めたそうです。その後、大学の看護学科に進学。看護師・保健師の国家資格を取得し、初めての職場は大学病院の手術部。しかし、自分は看護師として何がやりたいのか見えなくなり大学病院は退職したそうです。その後、人との巡り合わせもあり、現在の市立病院に勤務することになり現在に至っているとのこと。今も何をしたいのかはっきりと見えているわけではないけれど、目の前の仕事にしっかり取り組むことをやっていこうと思っていると語ってくれました。

堀場 由美子さん(10期生)
 自由の森在学中はおなじく行事の企画係と会場係をがんばっていたと堀場さん。自由の森卒業後は、自分にとって絵を描くことは呼吸することと同じだったことから、美術系の専門学校へ進学。しかし、その学校では不完全燃焼だったため美術大学へ進学、そして木で家具をつくることをはじめたそうです。芸術大学の大学院で学んだのち、現在は製作活動をしながら、高校と大学で美術を教えているということです。教員としての仕事は、人と人との関わりの中でいろいろと学んぶことができると堀場さん。自分の一生を一つの物語としてとらえ、こういう人とつながりたい、こういう物語にしていきたいと考え、生活していると語ってくれました。

嶋 黄太さん(5期生)
 自由の森在学中はバンド活動がすべてだったと嶋さん。卒業後は自分でお金を貯めて音楽の専門学校へ。卒業後はミュージシャンとして活動しながら舞台美術の仕事をしていったそうです。しかし、創造性とは何かを追求する中で、さまざまな壁に直面していったようです。「やりたくない仕事、ダサイ仕事はしたくなかった」と嶋さん。そんな時、ちょっとしたきっかけから東京卸売市場の花市場で働くようになり花の世界に。さまざまな状況から音楽の世界で充分に追求できない創造性が、花の世界では追求できることを知り、その後は花の世界にのめり込んでいったそうです。そして現在は世田谷に妻と一緒に花屋さんを開いています。「美しいもの、素敵なもの、感動できるもので世の中をあふれさせたい」と熱く語ってくれました。バンド活動は現在も続けているとのことです。


4人の卒業生の話はそれぞれに本当に素敵な話でした。
4人の話に共通していることは、いろいろと迷い悩みながらも、自分の目の前のことに誠実に向きあい取り組むことが、さまざまな人との出会いにつながり、そして、次の仕事につながっているということだと思いました。
そして、私は4人の話を聞きながら、著作家の内田樹氏が書いていたことを思い出しました。せっかくなので紹介します。

 仕事というのは自分で選ぶものではなく、仕事の方から呼ばれるものだと僕は考えています。「天職」のことを英語では「コーリング」とか「ヴォケーション」と言いますが、どちらも原義は「呼ばれること」です。僕たちは、自分にどんな適性や潜在能力があるかを知らない。でも、「この仕事をやってください」と頼まれることがある。あなたが頼まれた仕事があなたを呼んでいる仕事なのだ、そういうふうに考えるように学生には教えてきました。 (「キャリアの扉にドアノブはない」内田樹が語る仕事1 朝日新聞「仕事力」より)

新井達也

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