行き先不明人の時刻表2

何も考えずに、でも何かを求めて、鉄道の旅を続けています。今夜もmoonligh-expressが発車の時間を迎えます。

世紀をまたぐ一大土木プロジェクト「大河津分水」

2020年07月29日 | 土木構造物・土木遺産


大河津分水を見に行ってきた。そのものが土木遺産であるということから、いつか行きたいと思っていたが、近場なので「いつでも行けるか」と思っていたものの、趣味の世界ではなく仕事の資料収集のために訪れることになった。
(写真上(1):奥から流れ込んでいるのが信濃川、手前が旧洗堰、左端に現洗堰が見える。写真上(2):河口方向(国道116号・大河津橋)から可動堰を見る。)

今年も各地で豪雨と洪水被害が連日報道されているが、日本一長い信濃川を中心とした越後平野は、その昔は湿地帯の上、信濃川の反乱が毎年のように繰り返されていた。
それを解消するための放水路(川のバイパス)が大河津分水。信濃川の水を、河口から50キロ付近の大河津(現・燕市分水)から寺泊・野積付近の日本海へ、山を切り開いて直接流し落とすという一大土木事業。分水路の長さは10キロ弱。
しかし、江戸後期の計画発案(住民の請願)から工事に着手したかと思うと反対運動が起き、その間また水害が発生し、ようやく完成したかと思うと堰が陥没するなど、幾多の困難を乗り越え、補修・改築工事を経て現在の姿になっている。
(写真下(3):大河津資料館の分水路の仕組み役目を説明するパネル。写真下(4):当時の技術の粋を結集した大河津分水路の掘削工事の様子(県立歴史博物館展示)。)



ここでの土木遺産の紹介だが、大河津分水そのものが土木学会選奨でAランクだが、やはり可動堰・洗堰にどうしても目が行く。
旧洗堰は、27門の現存する中では戦前最大のもの。かのパナマ運河の工事にも携わった青山士が現場責任者であり、これだけでもワクワクする土木ファンも多いかもしれない。土木学会Bランクではあるが、国の登録有形文化財でもある。(写真下(5・6):旧洗堰の全景と水門部分のアップ。)
現在は一部だけ改修(もしかすると、別に新設)して西川の取水堰として使われているが、旧洗堰の水門は使われておらず、遊歩道などが整備されていることから、ダイナミックな水門も間近に見ることができる。



また、旧可動堰は、昭和2年に自在堰が陥没し、昭和初期の補修工事でやはり青山士や宮本武之輔という土木界の最強コンビが指揮を執って建設にあたったもの。新可動堰が完成する平成26年(2014)までだから、ついこの前まで使われていたということですね。
ナガワ180メートルで、10門あったゲートだが、現可動堰が完成するとお役御免。おまは、3門だけが分水路の右岸側に残る。まだまだ改修事業が続く放水路の中にあって、シンボル的な存在であることから意図的に残したんでしょう。これがAランク。(写真下(7):資料館屋上から河口方向、手前に旧可動堰、奥に現可動堰が見える。写真下(8)は3門残る旧可動堰。)


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長男が家を建てることになって、上棟式

2020年07月23日 | 日記・エッセイ・コラム


長男・K太が家を建てるという。私の土地を、当然ながら自分のものだと思って、勝手にハウスメーカーと打ち合わせをして銀行からの借り入れも手続き。まあ土地については、そのつもりでいたところもあるし、近くいてくれるのはお互い助かる。お金も自分で工面するということなら、まあそれはそれで大したもんだ。

てか、考えてみると、私の場合は家を建てたという経験がない。いま住んでいるのは、親父が建てた家(まあ、働いたばかりだったが、少しは出したけど)。子ども部屋の増築や、部分的に2回ほどリフォームをかけたが、いまさら建て替える勇気(?)はない。
これまで、長男が家を建てるという土地が人生の中では最大の買い物で、今さら借金はできないだろうし、持ち合わせも今後のことを考えると不安。借金しても家を建てるというのは、若者の特権でもあるのかもしれない。

それにしても、1か月前は上の写真だった。6月23日に地鎮祭。そして、基礎を作って、7月18日は上棟式。1か月足らずの間に、柱と屋根が見えてきて、来月には竣工するのではないかという速さ。
ただ、ここからが細かい造作や様々な職人の手が必要となる仕事で時間がかかるんですよね。

まあ、上棟の際の大工さんの手際の良さは目を見張るものがある。ボーっと見ているうちに、あっという間に組み立てていく。図面を見るわけでなく、柱に記された記号により柱を建てていく。それぞれの職人の気持ちいほどの連係プレーも見事だ。
日頃、見れる風景でもないし、これほど長い時間をかけて真剣に見ることもないから。子どもたちの中で、「大きくなったらなりないものは?」、「大工さん!」というのもうなづける。
担当の大工さんは、親子三代の職人一家(三代目は高校生だけど、現場を手伝いに来ていました。)。「もの」に魂を入れていく、「ものづくり」に対する職人の技、大切にしたいですよね。

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山都のそばのルーツ「宮古」に行ってきた

2020年07月21日 | 食(グルメ・地酒・名物)


「宮古」といっても岩手県三陸の宮古ではない。福島の山の中にある「蕎麦(そば)」の里・宮古である。
前回お客様をお連れしたときにでも行きたいと思っていたところだったが、急に予定変更となったため、今回、磐越西線のボルチモアトラス橋を巡る一人旅で、訪れることができた。いやいや、こっこがかなり人里離れた山の中なんですねー。

宮古のそばは、今や押しも押されぬ蕎麦の一大産地で、そば屋がひしめく「山都そば」の原型。飯豊の清流と高知で栽培されるそばの実をが使われる。
製粉の歩留まりを70%以下に抑えて、100%そば粉が宮古の、そして山都のそばのスタイル。そばの実の中心部を使うため、白く口当たりもいいものの、つなぎを使わないため、ソバを打つのは大変な作業となる。

宮古という集落では、あまり人が訪れないこともあって、客人を歓待するために各家庭でこの上等なそばを振舞っていた。食堂とかがないもので、工事関係者あ県職員などが、農家にお願いしてそばを食していたようだ。
それがいつしか評判を呼ぶようになって、山都町(現・喜多方市山都)の町おこしとして、町ぐるみでそばを全面的に押し出した。昭和50年代になってからのことだそうだ。



宮古集落では8軒ほどがそば店をやっている。どっれも民家改造型の店で、そこに住む人がそばを打っている。
今回その中から「権三郎」にお邪魔する。多分、宮古の中心くらいに位置する場所。田舎の農家らしく、広い玄関に続き間座敷、中央には囲炉裏があって、立派な仏壇も置かれている。
実は他に狙いを定めていた店があったのだが、コロナ禍の中休業中(他店でも休みのところがあったようだ。)。昼過ぎにもかかわらず、権三郎も、広い座敷に客は私一人だけ。まあ、平日の雨の日だから、外でも人には会わなかった。

お店には店主(?)の奥さん一人だけ(この人が、関口榮子さん?店に飾られた表彰状にあったお名前)。お勧めを聞いて、会津地方の郷土料理が付く「夢見そば」というセット物を注文する。
季節の山菜の天ぷら(何の葉っぱか分からいものも)、刺身こんにゃく(思ったより柔らかい)、ニシンの山椒漬け(思ったより半生)、そして会津と言えば「こづゆ」が付く。

そばはご覧のように確かに白い。口当たりは最高!何でも、「水そば(水に浸かって出てくる、又は水を付けて食べる)」というのがあって、もちろんつゆも付いてくるのだが、最初はそのまま食べてほしいと言われた。(そばが小さく見えるが、器の底が深く、結構ボリュームがありました。)
そばのみの外側の部分を除くため、ソバの香りを楽しむには、何もつけずにまず食べてその口当たりやのど越しとともに、本来のそばの味を確かめてほしいというところか?はい、十分堪能しましたよ。

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磐越西線の「ボルチモアトラス橋」の話

2020年07月15日 | 土木構造物・土木遺産
「会津に忘れ物をとりに行く!」と言って出かける。というのも、先月、お客様を案内して訪れた福島県会津地方だが、その時に行く予定だった第二の目的地を今回改めて訪問。「忘れ物をとりに行く」は「撮りに行く」ということ。
被写体は、近代土木遺産でもあるJR磐越西線にかかる橋梁。列車が走る鉄橋のことだ。

磐越西線には、トラス橋(橋桁に、鋼材等を三角形に組み合わせて強度を得る橋)の中でも、独特の構造の上、特に希少となった上路式(トラス桁の上を線路が走る方式)の「ボルチモアトラス橋」が、開業当時からだから100歳を超える現役橋梁がいくつか存在する。
ボルチモアトラス橋は、現存するものが全国で5例しかない。しかも使用されているのは4例。そのうち3例がこの磐越西線にかかるものである。



最初に紹介するのは「一ノ戸川橋梁(福島県喜多方市)」。鉄道ファン、特に撮り鉄には聖地ともいえる撮影スポットだ。
ご承知のとおり、磐越西線には「ばんえつ物語号」というSLでC57が牽引するジョイフルトレインが走っているため、その格好の撮影地であるので、どこかでこの橋を走行するSLの写真を見た人も多いかもしれない。
明治43年(1910)供用開始。445メートル16支間のガーダー橋の中央にトラス橋が1支間、高さ24メートル。新潟(新津)側から会津盆地に入ると周りが開けて、風光明媚な場所にあることから、人気スポットなるのは必然。
ガソリンスタンドで、助手席に置いていたカメラを見つけた店員さん、「何を撮影されるんですか?」と聞かれ、「一ノ戸川の鉄橋です」と答えたら、「あー」と一言。観光資源としても注目されているんです。



同じ方式の「長谷川橋梁(福島県耶麻郡西会津町)」は、御殿場線から転用されたもの(一部改造後)で大正2年(1913)供用開始。
阿賀川の支流で、狭く写真のとおり樹木の生い茂った中にひっそりいう感じ。
前後紹介のボルチモアトラス橋は、アメリカの設計者(アメリカン・ブリッジ社製)なのに対し、この橋梁は鉄道院の設計施工。ある意味、貴重な感じもするが、土木学会の近代選奨遺産ではCランク(前述の一ノ戸川橋梁は「A」、後述の蟹沢橋梁は「B」)。



そして3つ目の橋が「蟹沢橋梁(西会津町)」。上野尻駅の近くにある橋だが、こちらは長谷川橋梁よりさらにひっそりとした場所にあり、少し探すのに迷った。
ただ、ここは道路の真上に橋が架かっていて、トラス構造が目の当たりにできる。大正3年(1914)完成だから、間近に見るとかなりの古さが伝わってくる。ただ、上の写真のとおり、全国でもここだけのアングルで写真が撮れるんですから、これまた貴重です。

とにかく、磐越西線は近代遺産の宝庫。特に橋梁は、今回紹介した以外の方式でも注目に値する橋梁があるので、今後も機会を得て紹介していきたい。
今回、阿賀野川(阿賀川)にかかる橋は一つもないんですよね、すべて支流。磐越西線というと、阿賀野川に絡んで、橋梁の連続に思えるのですが、本川を渡るのはわずか5か所。阿賀野川の川幅や水深、流量の影響で、できるだけ渡らないようにしたのか?でも、その本川5橋も面白そうですよ!

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スーパーのベーカリーの「ホテルブレッド」に夢中

2020年07月11日 | 食(グルメ・地酒・名物)


ホテルブレッドが人気を集めている!って、今に始まった話ではないのですが、昨年あたりから、どこのパン屋さんでも販売するようになりました。
ホテルブレッド?といっても、ホテル仕様のパンなんですかねー?調べてみると、どこそこのホテルが開発したとかでもなく、ホテルで出す朝食のことをいうものでもなく(「ホテルブレッド」という名のホテルは外国にありました!)、「ホテルで出すような、ちょっとリッチなパン」なんだそうです。

普通の食パンより、バターを多めにしたり生クリームを使用するところもあるとか。どこの店も「あんぱん」と名付けるように、高級食パンを「ホテルブレッド」と陽んでいるようだ。
高い食パンだと思いながらも、一度手にしたら病みつきになった。何とも言えないフカフカ感と、甘くしっとりした食感は食パンの概念を変えるほどだ。こりゃ少しお高くとも、となってしまうだろう。

いまや大手メーカーからも発売されている。ブランドにより、呼び方が違いますが。(PASCO「超熟」、ヤマザキの「ロイヤルブレッド」シリーズ、フジパン「本仕込」などがそれに相当するのかな?)。
それが、いまはスーパーに併設されたベーカリーというものが流行りだが、これにより焼き立てのものが手軽に手にできる。専門店に頼らず、自前でベーカリーをやっていて、パンの販売に力を入れているなと感じる。
もちろん大規模小売店に入る専門店もいいのだが、スーパーが取り入れたこの手法により、「ホテルブレッド」は広がりを見せ、その名前も定着したものだと思っている。

上の写真は、新潟県内を中心に事業展開するスーパーマーケット、アクシアルの「原信」のベーカリーの店構えとホテルブレッドだ。
ただ、原信ナルス、フレッセイなど100店舗を超えるグループの店舗。その中で何店舗ベーカーリーを併設しているかは分からないが、近隣(超ローカルな範囲)だけでいうと、原信村上西店のベーカリーの「ホテルブレッド」がどうしてもフカフカ感が私の好みだ。
多分、同じレシピを使用しているだろうに、一度食べ比べてみてほしい。ここが一番とは言わないが、同じ系列の店でも違いがあることは確か。(あくまでも近隣の数点を比べたときの話なのですがー)

この「ホテルブレッド」、軽くトーストするとそのうま味が増すといわれているが、もちろんそのままでも美味しく頂ける。
我が家の場合は、トーストもちろんだが、サンドイッチやチーズをのせてのピザトースト風にして美味しく頂いている。お試しあれ!

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コロナ禍の中のサッカー再開

2020年07月06日 | スポーツ・スポーツ観戦


スペインサッカー「ラ・リーガ」が再開した。第27節が、3月7日、8日で、第28節が6月11日~14日だから、3か月のブレイク期間を置いてのこと。(久々のサッカーネタです。)
日本でも、プロ野球も6月に、そしてようやくJリーグも始まったが、コロナ禍の中で無観客で開催するなどの苦労が伺える。選手はどう思っているかですよね?以前、相撲や競馬の無観客開催を取り上げたときに、どうしても違和感があるなどと書き込んでいたもので、ちょっと気になる。(2020年4月12日の記事参照)

ラ・リーガの場合、やはり無観客。ベンチやピッチ内の係員のマスク着用、控え選手はスタンドで他の選手と離れて観戦。もちろんマスク着用が義務付けられている。まあこれは、Jリーグなどでも同じように、ソーシャル・ディスタンスを保つようにということのようだ。
そのほかにも、選手交代枠やベンチ入りの選手枠の拡大なども。ただこれには、別の理由もある。

海外サッカーは、9月(8月)スタートで、翌年5月頃までの日程でリーグ戦、カップ戦が行われている。
日本では野球もサッカーも、開幕前とか、開幕と同時にというところで中断を余儀なくされたため、言わば新たなスタートを切るという感じがある。日本のプロ野球などは、今年は特別な試合日程で!ということになっているのはご承知のとおり。
しかし、ラ・リーガなどでは、リーグ戦も終盤でもあり、ホーム&アウェー方式により公正を期して日程を終了させるには、ミッドウィークを使って、試合間隔を短くしての再開になっている。週に2回の試合、1か月で8試合の強硬なペースで開催し、予定通りの対戦カードをこなすという日程だ。
これでは選手交代枠を増やすなどの対策が必要でしょう。

加えて、チャンピオンズリーグは、決勝トーナメントベスト16のファーストレグを終了したところで中断していたが、こちらも特別ルールで実施するとか。(準々決勝からは一発勝負で、ポルトガルのリスボンで8月開催予定。)各リーグの上位チームは、さらに強行日程で、休む暇もない。ユーロ2020が延期されなかったら、更に大変だった。
3か月の中断中、選手はどんな気持ちで過ごして、そして過酷な日程により再開されたことで、戸惑いはないのだろうか?

テレビ中継を見ていて、ここでも気になるのがスタジアムが無観客であるということ。ただ、ラ・リーガを見ていると、以前書き込んだ相撲や競馬のような違和感を感じない。
というのも中継の中で、スタンドには色とりどりのモザイクが合成され、あたかもサポーターが応援しているような効果音が流れている。Jリーグでも、サポーターがスタンドにパネルを置いたとかありましたよね。スペインでも人の形をしたパネルを置いてたりするところもあって、何とか選手のモチベーションアップにつなげようとしている。(上の写真(合成処理済み)と、下の写真は実際のスタンドを映し出している。)
しかし、映像も音声も合成?ピッチに立つ選手には、どんなもんなんですかね?コロナ禍の陰影は、暗くピッチに漂っている。







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行ってきました!秋田・尾去沢鉱山

2020年07月04日 | 土木構造物・土木遺産


緊急事態宣言が解除され。都道府県間の移動が解かれる頃、秋田県鹿角市の「尾去沢鉱山」に行く機会をいただいた。近代産業遺産で、土木学会選奨Aランクの遺構だ。(ここのところ、近代遺産の話が多くて恐縮です。)

弊社東北支店が管轄する建設現場視察のため、仙台から秋田県北秋田市への移動。仙台からは東北自動車道を北上し、秋田県北部に入るコースが時間的にも、クルマを運転するストレス軽減にも良いようだ。
降りるインターチェンジは花輪八幡平IC。鉄道ファンにとっては、JR花輪線が気になるところだが、近代土木遺産を調べてみると、あの尾去沢鉱山がすぐ近くにあるではないか?これは、少し時間を要しても見学するべきと思い、山間の道を10分ほど駆け上がったところに、レストランや資料館など様々な施設が立ち並ぶ場所に到着。

施設群のその奥に、坑道が静かに構えていた。江戸時代には金も採掘されたそうだが、ここは鉱脈型銅鉱床で知られる尾去沢鉱山・石切沢通洞坑の入り口だ。
外は蒸し暑いのに、坑道の中はヒンヤリをを通り越して寒いくらい。佐渡金山と同じく、各所に手掘りの跡や落石防止の木組みの坑道がアリの巣のように奥まで続く。各鉱山は、明治に入って近代化が進んだのだが、それ以前の時代においては過酷で、危険な採掘作業があったことは容易に想像できる。
佐渡金山と同じく、採掘作業などを再現するため、人形などが配置され、所々で解説のアナウンスなども自動再生される。

運営会社は、なんと「ゴールデン佐渡」。佐渡金山と同じ会社。この地に来て「佐渡」の文字があるので目を疑ったが、三菱マテリアルのつながりということのようです。(岩崎家から三菱合資会社、三菱鉱業へ)



近代化産業遺産に認定されている尾去沢鉱山だが、土木遺産としてランク付けされているのは坑道ではないんですよね。鉱石を取り出すための選鉱場関連の施設がそれ。坑道巡りに時間を費やしていたら、危うく見逃すところでした。
特に、選鉱場(跡地)がAランクのほか、大シックナー、発電所、煙道・煙突なども登録されている。佐渡金山の北沢浮遊選鉱場と同様、日本の近代化を支えてきた施設群である。廃墟マニアにはたまらない光景なんでしょうね。(近くに行けないため、シックナーなどの施設は確認できなかった。残念。)



尾去沢鉱山事件(採掘権問題)、沈殿貯水池の決壊事件、閉山後の重金属を含んだ廃水問題など、負の部分も多い鉱山でもあるが、見学施設内では、あまりこのことは触れられていない。



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